溺れる日々
毎晩、ネリオラはあたしを抱いた。
夕食の時間に現れ、あたしにご馳走を与えては、お喋り。
朝までいる時があれば、目が覚めればいなくなっている時がある。休みの日は、決まっていない。
不服に思っていても、相手はヴァンパイア。昼間にいなくても仕方ない。
ネリオラの世界のことも、仕事のことも、あまり深くは聞かなかった。
元々、深入りはよくないみたい。
あたしが聞いたのは、ネリオラ自身のことだけ。どんなものが好きか、どんなものが嫌いか。
ネリオラは、1人で洋館に住んでいるそうだ。今まで海外にいたけれど、最近来たばかりだと言う。
年齢は覚えていないと返されてしまった。彼らは、年齢に執着しないし、玄関から家に入る習慣もないそうだ。
でも、玄関から入ってほしいと言ったら、翌日から呼鈴を鳴らしてドアから入ってくれるようになった。
暇をもて余して、高級レストランで働いたことがあって、料理を作るようになったらしい。毎晩、毎朝、あたしに振る舞ってくれた。
ネリオラ本人は、一口味わうだけ。食欲はなくとも、口で味わうことが趣味。
食欲がない代わりのように、ヴァンパイアの性欲は強すぎる。でも不思議と、あたしの体力は持った。
ある晩のこと。
ネリオラが来なかったから、お腹を空かせたあたしは自分で夕食を作って食べた。
携帯電話なんて持っていない彼に、どうして来ないのかを訊くことは出来ない。
ネリオラが訪ねてくるだけ。
彼が一日来ないだけで、不安に襲われ、やけ酒をしたくなった。
冷やしたウォッカを取り出したが、ソファーに彼が忽然と現れたことに気付く。
まるで彫刻の像みたいに、彼はソファーに座っていた。あたしを見ない。
いつもと、様子が違う。
怪訝にキッチンから見てみたけれど、怪我をした様子はない。
それどころか、いつもより服装が豪華に見えた。ベストは黒と白の二重デザイン。白の部分には金色の刺繍が施されている。ネクタイを締めて、胸ポケットには白い薔薇のコサージュ。彼はそれを外すと、握り潰した。
ブロンドの隙間のペリドットの瞳は、瞬きをすることなく他所を向いている。
なにかがあって、彼はご機嫌ななめ。ということは見てわかった。
問題は、その"なにか"をあたしが訊いてもいいものなのかどうか。
ウォッカはキッチンの上に置いたまま、あたしは彼の前にあるテーブルに座ってみた。彼はペリドットの瞳を向けてくれない。
ネリオラがここに来たのは、あたしに話したいからか。またはあたしで憂さ晴らしをしたいのか。
あたしはネリオラを見つめて、彼がなにしにきたのかをじっくりと推測した。
根負けしたのか、ネリオラの瞳があたしを映す。コサージュを握り潰したその手で、ネリオラはあたしの手を取った。
「私に……血を飲ませてください」
再会以来、血の要求は始めてだ。そうしょっちゅうは、飲む必要はないらしい。
あたしは「どうぞ」と言って、彼の膝の上に跨がって首を差し出す。
ぐちゅ、と牙が差し込まれた。痛みを堪えるために、彼の背中に回した腕に力を込めてしがみつく。
あの満月の夜のように、不思議と身体が火照る。ヴァンパイアに血を吸われる副作用なのか、はたまたあたしは変質的に興奮してしまっているのだろうか。
飲み終えると、ネリオラはあたしの肩に凭れて俯いた。落ち込んでいる。
あたしから訊ねてあげるべきなのか、そっとしておくべきか。
少し迷って、あたしは彼をただ抱き締めることにした。静かに時間が過ぎる。
やがて、ネリオラもあたしを抱き締め返した。
暫く、沈黙していたけれど、彼が顔を動かして、あたしの耳に囁く。
「私を……その気にさせてください。絵子さん」
また、ちょっぴりサドな要求。渋々ながらも、応えてしまうあたしはマゾの気があるのか。ただ、彼を喜ばせたいのか。精一杯、彼をその気にさせた。
その晩のネリオラは、少し余裕が欠けていたようだった。いつもより大きく動いて、ほんの少し激しくする彼に、キュンとときめいてしまうあたしはどうかしているのだろうか。
優しくて、紳士的なネリオラは、翌朝は休日でもいてくれた。
「身体は大丈夫ですか? 昨夜は少し……乱れすぎました」
苦笑を浮かべながら、ネリオラは優しい眼差しであたしを気遣う。
「大丈夫よ。……あなたの方は? 昨日はなにがあったの?」
訊ねていいと思い、あたしは枕に頭を沈めたまま訊いてみた。
「……私の情けない話です。周りの言葉に不快になってしまっただけですよ」
「……そう」
周り、とはヴァンパイア仲間だろうか。聞いたことがないし、彼は詳しく話そうとはしない。
あたしの肌のやわらかさを確認するように、腕を撫でる指を止めると、ネリオラは微笑んだ。
「休日はなにをして過ごすのですか?」
ネリオラが一緒に休日を過ごす。それは初めてだ。
真っ先に外でデートがしたい、と浮かぶ。でも、彼はヴァンパイア。
一時的にもやで太陽の光を遮る能力を持っていると聞いたけれど、彼にわざわざそうさせることは気が引けた。だから、部屋でまったり過ごすことに決める。
映画を観ようと、肩を並べた。けれどもあたしは選択を間違えたらしい。彼はお気に召さなかった。
ヴァンパイアに、ヴァンパイアのラブストーリーは観せてはいけない。
「なんです? この人間が想像するヴァンパイア像は。苦悩に満ち、孤独? そんなヴァンパイアがティーンエンジャーに何故ウケるのですか?」
数年前に、空前のヴァンパイアラブストーリーブームが海外で起きた。それを真横で見ていたらしい、現実のヴァンパイアのネリオラは、理解に苦しむと首を振る。
あたしは苦笑を溢す。
魅惑的なヴァンパイアは孤独で運命の人を求め、それが自分だったらロマンチック。そんなシンデレラストーリーに若い女性達はメロメロになっているんだ。
あたしもそんな1人だし、好きな映画だから、隣で貶されては気分はよくない。
「すみません。気分を悪くさせてしまいましたか?」
「まぁね……。でもあたしもヴァンパイアにヴァンパイア映画を観せたのが悪いから」
ネリオラがあたしの顔を覗いた。別にいいと、映画を止めようとする。でも、ネリオラが掴んだ。
「お詫びに、この本物のヴァンパイアが、台詞を囁きます」
あたしの耳に唇を押し付けて、映画の中のイケメンヴァンパイアの台詞を囁いた。
ガッと、顔が熱くなる。ラブストーリー映画の台詞を囁かれるのは、恥ずかしすぎた。
映画は楽しめないから、ネリオラは私の耳に囁いて、反応を見て楽しむ。やっぱり、サドだ。
ほんの少しだけ抵抗しても、彼の囁き攻めを受けるあたしはやっぱりマゾ?
ネリオラが楽しいならそれでいいと、ソファーで寄り添った。
その夜、あたしを気遣ってくれたのか、ネリオラはおやすみのキスだけをして帰った。
抱かない日は、帰っていってしまうのかと、疑問を抱いたから、翌日は仕事で疲れたとベッドに臥せってみた。
すると、ネリオラはおやすみのキスをして、あたしの隣に横になってくれた。
サドでも、紳士的なヴァンパイアがそばにいてくれることに満足する。
あたしは口元を緩ませて、彼の腕の中で眠った。