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 ヴォルフがなぜ、あれほどレジーニを気にかけていたのか。

 ちゃんと見ててやらねばと案じていたのか。

 その理由を理解するのに、大して時間はかからなかった。



 試用期間が始まって一ヶ月。俺はこの間、引き受けたメメント退治の仕事に、必ずレジーニを連れて行った。

 駆除対象は様々だ。先日のホッパーやゲブロッブのような雑魚レベルのメメントから、俺でもあまりお目にかからない大型タイプまで。これから〈異法者ペイガン〉としてやっていく上で、踏まえておきたい各レベルのメメントを、ひと通り倒した。

 レジーニは非常に“仕事熱心”だった。俺より先に敵に向かって飛び出し、愛剣〈ブリゼバルトゥ〉を振るう。

 訓練によって身体に叩き込まれた格闘技に、実践の中で独自に身につけただろう剣術を加えた戦闘スタイルは、攻撃性、回避能力、機動力、俊敏さを兼ね備え、戦いに関するレジーニの高いセンスを体現していた。

 俺は〈スティングリング〉の特性を活かした“|速度と手数(スピード&ヒット)”を主体とした戦闘スタイルだが、レジーニの戦い方にも、似たような傾向が見られた。ただし彼の場合、明晰な頭脳という最大のステータスがそれに加わる。

 肉体を鍛え上げ、ひたすらに動き回るだけが“戦い”ではない。“戦う”ためには、知識と知恵が必要だ。その頭脳明晰さこそが、レジーニの強さの中核だろう。

〈異法者〉として歩み始めたばかりのレジーニだが、総合的に見て、彼は俺より強い。まだ駆け出し中の駆け出しだが、経験を積めばいずれ俺を追い越していくに違いない。

 だが、問題は別にある。

 レジーニは自分自身を省みていなかった。的確な判断力を持ちながら、それを自己防衛手段に用いない。

 つまりヴォルフの言っていたとおり、「命を落とす方向に、一人でどんどん行って」しまうのだ。

 一見、無駄のない身のこなしでメメントと戦ってはいるが、その実、敢えて我が身を危険に晒すような行動をとっている。無謀としか言いようがないレジーニの振る舞いに、俺は何度肝を冷やしたか分からない。

 もちろん注意はした。いくら優れた能力を持とうが、命を落としては元も子もない。

 俺の言葉に素直に耳を傾ける気があるなら、ここまで扱いに苦労することはないのだが。

 レジーニには、誰の言葉も届かないのかもしれない。少なくとも今は、どんなに親身になって発した言葉でも、煩わしい説教にしか聞こえないだろう。

 ダイヤモンドのように硬く氷結した心は、何者をも近づけず、触れようとする者を、むしろ傷つけてしまう。

 絶対零度に閉ざされた心は、俺にはどうすることも出来ない。風は氷を更に硬くするだけだ。




 試用期間も二ヶ月目に突入した、十月二週目の土曜日。

 俺とレジーニは夕方にひと仕事を終え、〈パープルヘイズ〉で早めの夕食をとった。

 時間があるなら、俺はレジーニを晩飯に誘うことにしている。といっても、いつも〈パープルヘイズ〉なのだが。

 先輩風を吹かせるつもりはない。ただ、レジーニを一人にしておけないという、ヴォルフの言葉の意味が、なんとなく理解できたからだ。目を離している間に、何か危ういことに飛び込んで行きはしないか。そんな風に考えさせるのだ。それにたびたび〈パープルヘイズ〉にレジーニが顔を出せば、ヴォルフが安心するだろう。

 レジーニが俺の思惑を察しているのかどうかは分からない。男二人で向かい合って食事など、むさ苦しい以外の何ものでもない、と思っているかもしれない。

 それでも、初めは断り続けていた食事の誘いを、最近では受けてくれるようになった。少しは気を許す気になってくれたらしい。俺の、がらにもない努力が報われているのは、心からありがたかった。

 食事中の会話は、まあ、弾まない。だいたい俺ばかり喋っている。喋るといっても、俺も話し上手ではないから、当たり障りのない適当な話題を、途切れ途切れに投げかける程度だ。レジーニはたいてい黙っているが、たまに気が向いて返事をすることもある。その、たまに返される返事が、回数を重ねるごとに増えているような気がした。

「監督者が板についてきたんじゃねェのか」

 カウンターの向こうでコーヒー豆を挽きながら、ヴォルフはそんなことを、冗談混じりで言っていた。



〈パープルヘイズ〉での食事を終えた俺たちは、サウンドベルの大通りを歩いた。この近くにレジーニの自宅アパートがあり、俺はもう少し先に電動車を停めてある。だから、行く方向は同じだ。

 レジーニは先に立ち、俺から数歩分の距離を置いている。隣に立つことも、これ以上近づくことも、無言で拒否していた。

 レジーニの、荒涼とした氷原を思わせる寂しげな背中を見ながら、少し前にヴォルフが漏らした言葉を思い出す。


「あいつには相棒が必要だ」


 ヴォルフは常々、そう思っているという。

 レジーニを信頼し、理解し、共に立って、背中を預け合えるパートナーが必要なのだ、と。そしてレジーニもまた信用できる、そんな誰かを。

 一度裏切られたからこそ、新しい仲間が必要だ。それは、俺にも分かる。

 けれど、その相棒とは、たぶん俺のことではない。俺はレジーニの仲間にはなれるが、――今ではそう思っている。少なくとも俺は――相棒にはなれない。俺が相棒では、足りないのだ。

 俺に出来るのは、冷たい氷に閉じ籠ったレジーニの側についていてやることだけだ。氷を打ち砕き、中でうずくまっている彼を引きずり出すくらいのパワーを持った者でなければ、おそらく務まらない。

 そんな奴がいるだろうか。

 きっと、どこかにはいる。

 その誰かと、レジーニの歩く道が、きっとどこかで交わる。

 俺はそう信じたい。




 飲み屋街に入る手前の交差点で、俺たちはいつも別れる。レジーニはここから西側へ向かうが、どこに住んでいるのかは知らない。住処まで把握する必要があるのかどうか判断しかねていたから、ずっと訊かずじまいだった。

 レジーニが交差点を渡ろうと、身体の向きを変える。俺に別れの挨拶はしない。いつものことだ。

 俺もそのまま、車を停めている場所へと向かおうとした。

 その時だった。


 飲み屋街の通りの方から、声らしきものが聞こえたのだ。


 街の中で人の声がするのは当たり前だ。どこからでも耳に入ってくる。

しかし俺が聞いたのは、不穏な空気を漂わせた、くぐもったトーンの声だ。

 

 悲鳴。しかも……、

 女の悲鳴だ。


 俺とレジーニが、声の聞こえてきた方に向かって走り出したのは、ほぼ同時だった。

 自分の耳を頼りに、俺とレジーニは、飲み屋街の通りを駆け抜ける。時折、言い争っているような、荒々しい複数の声が流れてきた。その声をたどる俺たちは、暗くて細い路地の奥へと導かれた。

 街灯の光も届いていない狭い路肩に、一台のバンが停まっていた。車体は不自然に揺れており、その中から声がする。

 俺とレジーニは急いでバンの後方に回り込んだ。扉の開かれた車内の光景は、予想通り、胸糞の悪くなるものだった。

 座席が取り除かれた広い車内には、四人の男と、女が一人いた。

 一人は女の両腕を拘束し、二人は衣服を剥ぎ取ろうとしていた。残る四人目は、履いているジーンズのベルトを、今まさに外したところだった。

 女は口に布を詰め込まれ、声を封じられていた。四人の男の拘束から逃れようと、必死にもがいている。が、男三人の腕力を前に、ねじ伏せられた彼女の抵抗は、何の効果も発揮されていない。

 俺は、頭の中の一部が、急激に冷えるのを感じた。

「なんだ、てめえらは」

 暴漢たちは、お楽しみの邪魔をした俺たちを睨む。

「見世物じゃねえぞ。とっとと失せな」

 ベルトを緩めた男が凄んだ。

 俺はそいつの襟首と片腕を掴み、バンから引きずり出し、地面に投げ落とした。奴の口から「ぐあっ」と呻き声が漏れる。肩を強打したのだろうが、受ける報いとしては軽すぎだ。

「貴様ッ!」

 女の足を押さえ込んでいた一人がバンを降り、俺に拳を振り上げた。鼻に一発当てて黙らせようと考えたであろうワン・ツーを繰り出す。が、動きが丸見えだ。男の左ジャブを右手でパリー。続く右ストレートを左に回避。俺という標的が目の前から消え、焦ってガードをおろそかにした男の脇に左拳を叩き込んだ。

 効果はあったはずだが、一発だけでは相手はダウンしなかった。奴は怒りみなぎる目で俺を睨み、

「この野郎!」

雑言を吐きながら挑みかかってきた。

 同じようなテンポで打たれるパンチは、素人より多少はましだという程度だ。俺は男の攻撃を、軽いパリーとスウェイ、ヘッドスリップでいなす。一撃も当てられない男は、感情にまかせて大きく腕を振り上げた。隙だらけだ。俺はすかさず相手の腹に一撃食らわせる。うっ、と呻いて身体をよじらせたところで、奴の頭を掴み、近くの街灯柱にぶち当てた。

 男は鼻血を垂らして地面に崩れ、昏倒した。

 最初に投げた男が立ち上がり、身構えた。こいつはさきほどの奴より、多少腕に覚えがあるらしく、構えはそれなりに様になっている。

 ジャブの連打は予想より速かった。俺がすべての打撃を避けても、そいつはあまり慌てず、片足を軸にして回し蹴りを放った。俺がバックステップでかわすと、奴はそのままミドルキックに繋げた。俺は左腕で蹴りを受け止め、右ストレートのカウンターを相手の顎にヒットさせた。ぐらりと踏鞴たたらを踏んだところにローキックを見舞い、男を地面に崩れさせた。

 俺が二人を倒した時、背後から悲痛な叫び声が上がった。女が再び襲われたのかと思い、慌てて振り返る。

 女はまだバンの中にいた。乱暴に裂かれた衣服を可能な限り整え、自分自身を抱くように両腕を胸の前で交差させている。

 悲鳴の主は、彼女ではなかった。

 ぎゃあ、と、また絶叫が上がる。発信源はバンの陰になっているところからだ。急いで駆け寄ると、顔面血まみれになった男が、白目を剥いて倒れていた。その向こうでは、暴漢の最後の一人が壁に背中を押し付けられ、一方的な攻撃を受けていた。

 男は抵抗し、「許してくれ、もうやめてくれ」と、鼻血で汚れた頬に涙を流している。が、攻撃側――レジーニは、その懇願を聞き入れず、ボディーブローを連発していた。

 二人を、いったいどれだけ殴ったのか。レジーニの拳の皮膚は裂け、痛々しい四つの丸い傷から出血しており、赤い雫がぽとりぽとりと垂れていた。

「た、頼む。もうやめてくれ……」

 腫れ上がった唇をもごもごと動かし、男は命乞いをする。だがレジーニは無情にも、赤黒く変色した男の頬を殴りつけた。男の口から、小さな白いものが飛び出す。歯だ。

 レジーニの拳が、ゆっくりと振り上げられた。男は縮こまって、哀れな泣き声を漏らす。

 俺は背後からレジーニの手首を掴んだ。ぬるりとした感触だった。

「もういい、やめろレジーニ。そこまでにしておけ」

 女に対し、大の男が複数人で乱暴するなど、同じ男として恥ずかしく、決して許されない非道だと思う。レジーニにも同じ考えがあるのだろうが、いくらなんでもやり過ぎだ。

 レジーニは男を壁から引き離し、力まかせに地面に投げ飛ばした。そしてそのままきびすを返し、俺の手を振り払った。

 レジーニの表情を見た瞬間、俺の心臓は、冷たい息吹を吹きかけられたかのように、ひやりとした。

 彼のみどりの目は枯れ果てているように、俺には見えた。瞳孔は開き、俺の方を向いてはいるが、俺を見てはいない。

 

 なんて顔をしているんだ。

 

 純粋な絶望。

 希望を一束、抱くことさえ叶わなくなった、まよい子のような。


 人は、心に傷を負った者は、これほどまでに虚ろな眼差しを湛えるのか。


「レジーニ……」

 俺は無意識に手を伸ばしていた。このまま放っておけばレジーニは、今いる場所より、もっと暗く深い闇の中に没していってしまいそうな気がしたのだ。

 しかし、俺の手は再び払いのけられた。

「触るな!」

「レジーニ」


「触るな触るな触るな触るな触るなああああああああっ!!!」


 ほとばしり出た叫びは、己と世界とを断絶させる亀裂。

 周りを取り囲むあらゆるモノを遠ざけるための鉄壁。

 そうなのか、レジーニ。


 紅潮した秀麗な顔立ちに、怒りと苦悶の表情を張りつかせ、荒い呼吸を繰り返す。

 一歩、また一歩と後退し、俺から徐々に離れる。

 やがて背を向け、おぼつかない足取りで一人去っていくレジーニを、俺は引き止めることが出来なかった。


 かすかな足音が立つ。

 振り返ると、バンから降りた女が、不安そうにこちらを見ていた。乱れた衣服を出来る限り整えている。

 俺は一旦レジーニのことを頭の片隅に置き、ジャケットを脱いで、彼女に歩み寄った。

 女は俺が近づこうとすると、一瞬逃げるような素振りを見せた。が、結局は逃げず、俺が羽織らせたジャケットを素直に受け入れた。

 何か声をかけるべきだろう。何と言えばいい。怪我はないか。無事だったか。そんな言葉でいいのだろうか。俺たちが駆けつけた時の彼女は、脱がされている最中とはいえ、一応下着はつけていた。だが、実際には手遅れだったかもしれず。

 考えの足りない一言で傷つけるようなことは、絶対にあってはならない。

「その……」

 かけるべき言葉が見つからないまま、口の中が乾いていく。内心でおろおろしていると、そんな俺の逡巡を、彼女は見抜いたようだ。

「大丈夫、まだ何もされてない。本当に」

 声は少し震えていたが、発音はしっかりとしていた。気丈な性格のようだ。 

「助けてくれて、ありがとう」

「いや……いいんだ」

 無事なら、それでいい。

 非常に不謹慎ながら、仕事上の癖で、俺は彼女の容姿を観察してしまっていた。

 ついさっき、男たちにけだもののような視線を浴びせられていた相手に失礼極まりないのだが、滲みついた癖だけはどうにもならない。

 女にしては背の高い方だろう。だが、俺とは頭一つ分ほどの身長差がある。肩にかかるほどの長さの亜麻色の艶やかな髪からは、花のような香りがほのかに漂う。豊かな睫毛に縁取られた瞳は、渋めの青――オリエントブルーだ。

 年齢は二十代半ばくらいか。きめの細かそうな白い肌に、ふっくらと厚みのある唇。凛と咲く菖蒲アイリスを思わせる、綺麗な女性だった。

 彼女の姿をじっくりと眺めた俺は、ふと既視感を覚えた。彼女を見たことがある。いや、知っている。

 記憶は急激に浮上してきた。忘れていたのではない。思い出さないように押し込めていたのだ。

 心臓が跳ね上がるのが分かった。背中にピリリと電流が走る。

 黙りこんでしまった俺を、彼女は怪訝な表情で見つめ返す。そのオリエントブルーの双眸が、少しずつ、少しずつ開かれていき、彼女の口から、あっという驚きの声が漏れ出た。

「嘘……、ひょっとして、バージル……先輩?」

 俺は小さく頷き、改めて彼女を見た。

「セリーン……」

 

 もう二度と会うことはないと思っていたのに。


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