6
吸い込んだ煙が肺に満ちていくのを感じる。残りの紫煙を口と鼻から吐き出し、携帯用の灰受けに灰を落とした。
一本吸い尽くすたびに、俺の健康が削がれていくと分かっていても、なかなか手放せない。困ったものだ。それでも昔に比べれば、一日の本数はずいぶん減っている。
俺と新人は、まだファイ=ローの館にいた。レジーニのためのクロセストを選んだあと、客間に移されたのだ。
というのも、今夜アンダータウンで〈異法者〉としての務めを果たすためである。
昨夜、メメントと思しき生物が目撃され、二人の犠牲者が出た。ローは、メメント駆除のために俺を寄越すようヴォルフに依頼しようとしていたが、ちょうどその時、俺の方からローを尋ねると連絡を入れたのだった。
件のメメントの出現場所は公園。なら、今夜も同じ場所に姿を見せる可能性は高い。
アンダータウン入り口に停めた電動車から〈スティングリング〉と銃を持ち出し、時間までローの館で過ごさせてもらうことにした。
クッションを敷いた籐のソファに深く腰掛けるレジーニは、手に入れたばかりのクロセスト〈ブリゼバルトゥ〉を横向きに膝に乗せ、機体を指でなぞっている。まるでギターを弾いているような仕草に見えた。機体の上をそぞろ歩く指の動きは、そこにあるはずのない弦を、優しく柔らかく爪弾いている。
「こういうことは実践あるのみ、だと思うんだが」
吸殻を携帯用灰受けに落とし、俺はそう前置き、レジーニに言った。
「〈セミナーハウス〉で優秀だった君なら、そう問題はないだろう。どうする?」
こういうこと、とは、つまりメメント退治のことだ。タイミングよく仕事が舞い込んできたのだから、レジーニを現場に連れて行こうと、俺は考えた。戦闘技術は備わっているのだから、言葉で教えるより、どんどん経験を積ませた方がいい。
だが相手は、これまで彼が対峙してきたであろう人間の敵とは、勝手がまるで違う。いざメメントを前にした時、その異様さに押されて、身体が思うように動かなくなってしまっては困る。
「どうする、だって?」
レジーニの碧の目が、すっと細くなる。幻のギターを弾く指が止まった。
「ここに残って、一人で筆記試験の勉強でもしてろと? 冗談言えよ」
「筆記試験だって大事だぞ。まあ、やる予定はないが」
「俺が筆記やったってA評価確実だから、そんなの無駄でしかない」
口ぶりはそっけないが、声色は自信に満ちている。
「連れて行けよ。そのための監督者だろ」
不遜な物言いだ。監督者に対して、適切な態度で接するつもりがまるでない。別に不快には思わないが。
この強気こそ、レジーニが今日まで裏社会で生き延びてこられた要因の一つなのだろう。
俺は空いた時間で、クロセストについて説明しようと試みた。クロセストには他の武器にはない機能――具象装置が備わっている。適切に扱わなければ、自分が痛い目に遭う。だから、本当なら装置を起動した状態での訓練も必要なのだが、それはもう実践としてやっていこう。本人も、おそらくそのつもりでいる。
銃に関してもそうだ。クロセスト銃も、通常の銃器類とは構造が異なっている。まず弾倉がない。クロセスト銃は、弾丸ではなく、エネルギー弾を射出する。本来弾倉があるべき部分には、エネルギーを充填した球体機関が取り付けられている。使い果たしたスフィアは、またエネルギー補填すればいい。
機能は違うが、構造そのものは自動拳銃に近い。
かつては回転式拳銃構造に似たクロセスト銃も生産されていた。威力は絶大だが、癖がありすぎて扱いづらいという理由で、今ではその姿を消してしまっている。だが同業者の中には、癖の悪さがたまらないのだといって、好んで使っている者が少数いた。
レジーニが俺の説明をちゃんと聞いていたかどうかは分からない。人材教育などという、非常に似合わない役目をなんとかこなそうとしている俺の足掻きを、この新人は見抜いているような気がする。
そっぽを向いたまま、俺を見ようともしなかったし、相変わらずギターを弾くように指を動かしているだけだった。
しかし、銃のメンテナンスについて話している時、俺が指導するまでもなく、ものの数秒で解体し、また組み立ててみせたので、少なくともクロセスト銃の構造は自動拳銃に似ている、という話は聞こえていたようだ。
跳ねっ返りで厭世的で頭脳明晰ときた。厄介すぎる“後輩”である。
*
アンダータウンの広大な天井には、地上のタイムスケジュールに併せて光量を自動調整する照明システムが設置されている。日の出日没の、太陽が昇ったり沈んだりする時の、あの荘厳な空のグラデーションも再現されるのだ。
現在、午後七時五分。地上にはとっくに、夜の帳が降りている時刻だ。地下の街も、今はすっかり薄墨が溶け広がったような、柔らかい闇に包まれていた。
だからといって、街はまだ眠りには就かない。大通りにネオンが瞬き、にぎやかな歓楽街に人々が集まるのは、地下でも地上でも同じことだ。
メメントが現れたという緑地公園は、タウンの南側にある。地上の公園と同じように木々と芝生が茂り、小川と池まで造られている。水辺には水鳥や鯉、亀が放し飼いにされていた。
公園の様相は、アンダータウン住人たちの故国の文化を模したものだ。川に架かる橋の欄干は、鮮やかな紅色。遊歩道は、白い玉砂利を敷き詰めて出来ていた。ところどころに苔を生やした石灯籠が置かれていて、夜になるとライトアップされる。
石灯籠や、地面に埋め込まれたライトに照らし出された公園は、異国の香りと風を感じさせる、風情たっぷりとした景観を見せてくれた。
賑やかしい大通りから少し離れた公園は、打って変わって、まどろむような静けさに満ちていた。遠くから通りの喧騒が小さく聞こえてくるものの、平穏な憩いの空間を侵すほどではない。
こんな時間帯にこの公園を訪れるなら、隣にいるのは恋人が望ましい。
が、あいにく俺は独り身で、今、隣にいるのはレジーニである。おまけに二人とも、手には刀剣、腰には銃が収まったホルスターを装備していて、およそムード満点な夜の公園には似つかわしくない。公園を訪れた人々を襲うために待ち構えている不埒者ども、と見られても仕方ないだろう。
幸いなことに、公園に人気はなかった。これで俺たちは不埒者とも、ゲイのカップルだとも思われずに済む。
「本当にここに出るのか?」
〈ブリゼバルトゥ〉を肩に担いだレジーニは、切れ長の目を細め、俺に疑惑の眼差しを向ける。
「出るさ」
件のメメントの出現報告は、昨夜の事例が初めてだ。つまり、そのメメントは昨夜はじめて、ここアンダータウンに現れたと考えられる。新しい“狩り場”に来たばかりなのに、もう遠方へ移動しているとは思えない。
そいつは今夜、またこの公園に姿を見せるはずだ。
俺たちは濃い闇の中に目を凝らしながら、園内を巡回した。奴らは暗闇や影の中を好み、そこに潜んで餌――人間を含むあらゆる生物――を狩る。濃い闇の中で蠢くものがあれば注意しろ。そう言うと、レジーニは皮肉な笑みを口の端に浮かべた。
「暢気にイチャついてるバカップルどもだったら傑作だな」
まあ、その可能性は無きにしも非ず、だ。
巡回中は、ほとんど言葉を交わさなかった。少し前を行くレジーニは、「余計な会話をするつもりはない」と、背中で俺を拒んでいる。こちらもこちらで、話すべきことが見つからないので、当然無口になる。もともと“仕事中”の俺は無口なのだ。それに、自分よりも十歳は若い男を相手に、何を話していいのか分からない。
沈黙のために、居心地の悪い重い空気が流れた。が、それはすぐに掻き消え、張り詰めた緊張感に取って代わった。
池の側で、メメントを発見したからである。
そいつは池の東側の畔で蹲っていた。周辺のライトの零れ灯に浮かび上がる影の塊が、ぶるぶると震えている。
下水道のような生臭さが辺りに漂い、ビチャビチャ、ズルズル、ボリボリという耳障りな音が聴こえる。よく見るとメメントの周りには、ぐしゃぐしゃに潰れた魚と思しき成れの果てがたくさん転がっていた。池の鯉を捕獲し、たらふく食っている最中なのだ。
と、メメントの動きが止まった。鯉にかぶりつくのをやめ、ぐるりとこちらを振り返った。
半透明のヘドロが、二メートルほどのずんぐりむっくりの塊になり、申し訳程度の目鼻のついた頭部を頂き、短い手足が生えた、なんとも愚鈍な姿形をしている。
「ゲブロッブか」
呟く俺に、レジーニが問う。
「どういう奴だ?」
「食欲旺盛で体力があって汚いが、秀でた能力はない。ただ、ひとつ厄介なのが」
「なんだ」
「身体に刃物が通りくい」
「つまり」
レジーニが言いかけたところで、ゲブロッブが動いた。奴は大きく口を開け、俺たちに向かって何かを吐き出した。俺とレジーニはそれぞれ反対方向に飛び、ゲブロッブの吐瀉物を避けた。地面に落ちたメメントの汚物は、そこに生えた雑草や、転がっていた石を溶かした。強力な酸を含んでいる。
「俺たちみたいな刀剣使いには、厭な相手だってことかよ」
中断していた言葉を吐き出したレジーニは、忌々しげに「汚ねぇし」と付け加えた。
俺は別の固体のゲブロッブを、一度だけ葬ったことがある。動きは鈍く、知能も低かったが、あの半透明の身体は弾力性があり、クロセストの刃をなかなか通さなかった。おまけに銃でも、大したダメージは与えられなかった。結局、時間をかけて切り刻むことでなんとか倒せたものの、結構な労働だった。
「やってやる」
レジーニは前に進み出て、〈ブリゼバルトゥ〉を握り直した。
「待てレジーニ。最初の相手がゲブロッブなのは、少し荷が勝ちすぎだぞ」
「あんたの意見は聞いてない」
俺の言葉を無視したレジーニは、躊躇せずメメントに向かっていく。止めるべきだと思った俺だが、一方で「とりあえず好きなようにやらせてやれ」と、頭のどこかが囁いていた。
ゲブロッブが唸り声を上げて突進してくる。鯉の食べ粕と血を撒き散らしながら、レジーニに覆いかぶさろうとした。
「汚ねぇ面向けるな!」
すかさずレジーニは、〈ブリゼバルトゥ〉を振り上げ、剣の腹でゲブロッブの頭部を打ち据えた。
レジーニは返す刀で、ゲブロッブの脇腹を斬りつける。剣は跳ね返された。レジーニは怯まず、同じ箇所を攻撃する。
ゲブロッブのホールドや吐瀉物攻撃をかわしながら、レジーニは何度も剣を振った。刀身が蒼く輝き、冷気の粒を散らす。
俺はレジーニが危なくなったらすぐにフォローに入れるよう身構えつつ、彼の戦い方を見守った。〈セミナーハウス〉で好成績を収めたというだけあって、なるほど、玄人じみた動きを見せる。
しかし、どこか歪だ。〈セミナーハウス〉の優等生なら、動作の無駄をもっと削げるはずなのだが。
レジーニの身体捌きは充分なものだが、余計な力を注ぎすぎているように思えてならない。
レジーニの剣が、ゲブロッブの脇腹をついに破った。凍りついたメメントの脇腹の肉が、最後の一振りで、無惨に砕ける。
よろめくメメントの首筋に、レジーニは〈ブリゼバルトゥ〉の刃を突き立てた。
が、その瞬間。ゲブロッブの半透明の胴を少し縮め、剣先を柔軟に受け止めた直後、一気に伸び上がって剣を弾き返した。反動でレジーニは踏鞴を踏む。
「畜生!」
ふらついたレジーニに、ゲブロッブは吐瀉物を浴びせようと、大きく口を開けた。奴の胴体が膨らみ、吐き出す準備が整う。
俺は奴とレジーニの間に割り込み、左手でレジーニの襟首を掴んで突き飛ばし、右手に握ったクロセスト銃をゲブロッブの口内に向け、引き鉄を引いた。
銃口から放たれた何発ものエネルギー弾が、ゲブロッブの口内に火花を閃かせる。ゴムのような身体のなかで、もっとも柔らかい奴の口内は、最大の攻撃ポイントだ。
撃ち込まれるエネルギー弾は、ゲブロッブの口の肉を砕いて散らした。俺が絶え間なく銃を撃っているせいで、口を閉じることが出来ないゲブロッブは、くぐもった咆哮をあげ、それでも俺を掴もうと腕を伸ばし近寄ってくる。
俺は銃を下げ、背負った〈スティングリング〉を抜きざま、メメントの胸を斬りつけた。メメントはよろけたが、もちろんこの程度では大したダメージは与えられない。すかさずもう一度攻撃を加える。ゲブロッブが一歩後退した。
こいつには反撃の隙を与えてはならない。俺は柄頭の輪に指を掛け、〈スティングリング〉を振った。軽量のクロセストは、俺の手によって羽根のように軽やかに踊り、ゲブロッブに連続斬撃を食らわせる。
弾力性の高い胴体とはいえ、何度も斬りつければ、さすがに傷を与えることは出来る。高速斬撃が可能な〈スティングリング〉で圧倒し、ゲブロッブに反撃させない。以前と同じやり方で倒すしかない。
ないものねだりだが、炎の具象装置を搭載したクロセストがあれば、話は簡単だった。奴のヘドロボディには油性分が含まれているので、燃えやすいのだ。ライターで火を点ける手もあるが、植物に囲まれたこんな場所で火を使えば、延焼を起こし、大惨事になりかねない。
火の玉のようなものを胴体に埋め込み、内部から燃やす。ゲブロッブを倒すなら、そんな方法がいいだろう。
俺はゲブロッブの胸部を集中的に攻めた。徐々に斬り込みが広がり、傷が深くなっていく。
斬りつけるたびに、〈スティングリング〉の具象装置から風が発生し、ゲブロッブの周囲で旋風となった。
ゲブロッブも、ただ斬られているだけには収まらない。攻撃を受けながらも、俺の頭を握り潰そうとしたり、酸性の吐瀉物を浴びせようと試みた。俺は反撃の気配を読むなり、〈スティングリング〉を引っ込めて素早く回避した。
ゲブロッブの攻撃が止まり、隙が生まれた。俺は最後の仕上げに入ろうと、メメントの懐に飛び込むつもりで体勢を変える。
が、その時。俺の脇を何かがすり抜け、前に飛び出した。レジーニだ。
彼は叫びながらゲブロッブに向かって突進し、〈ブリゼバルトゥ〉を振りかざした。
「レジーニ!」
俺の声に耳を貸さず、レジーニはクロセストの切っ先を、ゲブロッブの開いた胸部に突き立てた。
突き刺さった〈ブリゼバルトゥ〉の刀身が、蒼い光を発する。光は急激に強くなり、同時に大量の冷気を放出し始めた。
放射線状に放たれた冷気は、今度はクロセストに吸収されていく。その時、俺の〈スティングリング〉から発生した風の塊が、冷気と共に〈ブリゼバルトゥ〉とゲブロッブの体内に取り込まれていくのが分かった。冷気が風を巻き込み、より強力な凍度を生んでいる。
弾力のあるゲブロッブの身体が、胸部の傷口を中心に凍りついていく。奴は激しく抵抗し、レジーニを捻り潰そうともがいたが、レジーニは梃子でも動かない。
周囲の空気はどんどん冷たくなっていった。俺の吐く息は白くなり、手足の指もかじかんできた。足元の雑草に霜が降り、まるで真冬並みの寒さだ。これがあのクロセスト一振りの仕業だとしたら、とんでもない性能だ。
離れている俺でさえこんなに寒いのだ。〈ブリゼバルトゥ〉を振るっているレジーニは、この比ではないはず。あんな冷気をまともに浴びては、凍傷になってしまう。
「よせレジーニ! 具象装置を止めろ!」
だが、俺の言葉は無視された。レジーニは具象装置を止めず、それどころか更に深く突き刺す。
ゲブロッブの全身が氷に覆われていく。メメントの抵抗は弱まり、やがて動かなくなった。
レジーニは雄叫びを上げ、全力で〈ブリゼバルトゥ〉を振り抜いた。
ガラスが割れるような甲高い音を立てて、凍りついたメメントの胴体が砕けた。
レジーニは崩れ落ちる上半身を叩き割り、残った下半身を微塵に粉砕した。
ゲブロッブは、氷にまみれたまま、分解消滅した。
メメントを葬ったレジーニの手から、蒼い剣が零れ落ちた。持ち主は肩で息をし、荒い呼吸を繰り返している。
凄まじい冷気は一気に収まった。俺の指には体温が戻り、植物に降りていた霜は溶けた。
俺はレジーニの側に歩み寄り、彼の手を取ろうとした。凍傷になっていないか確かめるためだ。
しかし俺の手は、触れるか触れないかのところで、乱暴に払いのけられた。レジーニは目を細めて俺を睨み、
「触るなよ」
吐き捨てて〈ブリゼバルトゥ〉を拾う。
「レジーニ。具象装置の出力制御のコツを教えてやる。あんな使い方は危険だ。一歩間違うと、自分の身に害が及ぶぞ」
「倒せたんだから、文句言われる筋合いはない」
「文句じゃない。これは、その、アドバイスだ。今日初めてメメントと戦ったわけだから、色々焦ったのは分かる。だから……」
「焦ってねーよ」
吐き捨てるように言うレジーニは、剣を肩に担いで俺を見上げた。整った切れ長の目に、飢えた獣のような野蛮な輝きが灯っている。
「さっさと仕留めるには、ああするしかなかったろ。あんたみたいに、ちまちまとやればよかったってのか? 倒したのは俺だ。説教するな」
冷ややかに俺を睨むレジーニ。俺の横を通り過ぎ、足早に戦いの現場から去っていく。
振り返った俺は、薄闇の公園の中に消えていく彼の背中を、ため息をついて追いかけた。