16
形勢は一変した。廃墟内に吹き荒れる暴風によって、チンピラどもが一人、また一人と薙ぎ倒されていく。
暴風とは、俺だ。
威勢だけはいい連中が、奇声を上げて殴りかかってくる。動きは丸見えだ。ほんのわずかな体勢変更でそれらの攻撃を避け、拳や蹴りの一撃を与えれば、いとも簡単に倒せた。
素手では叶わないと理解したか、その辺に転がっている鉄パイプや、捨てられた工具を拾い、襲いかかってきた。
めくらめっぽうに振り回しているだけでは、何の脅威にもならない。それらの鈍器は〈スティングリング〉で軽くいなし、パンチと蹴りを返す。
今の時点で七人、地面にうずくまって呻いている。リーダーを含む残党は、俺を遠巻きに囲み、攻撃の機会を窺っていた。
――どうした。かかって来い。
俺を取り囲む連中を、静かに見回す。こいつらがこれからどう動き、どう攻めるつもりでいるのか、予測と見当をつける。喧嘩慣れだけはしているらしいが、その慣れが動きを読みやすくしていることに、奴らは誰一人気づいていない。
セリーンを傷つけられたことに対する怒りを原動力に、ほぼ条件反射で身体が動いている俺だが、そうした部分を気にかけるくらいには、頭の中は冷めていた。
そう。冷めているのだ。
胸中は怒りで荒れ狂っている。だが、頭は異様に落ち着いていた。こんなに冷静でいられているのが、自分でも不思議だ。
〈スティングリング〉を風で包み、高く掲げて一気に振り下ろした。強烈な突風が巻き起こり、空気を振るわせる。チンピラたちは風にあおられて体勢を崩した。
風を起こす未知の武器を恐れ、奴らはじりじりと後退した。
俺が動けば、奴らも動く。俺から距離を取る。すでに逃げ腰である。
その様子は、さながら鷹に追われる椋鳥だ。
レジーニに襲い掛かった三人が、俺が起こした風に気を取られた。その隙を逃さず、レジーニは瞬く間に逆襲を遂げた。倒れても更に踏みつけ、完膚なきまでに叩きのめす。他人に触られるのが大嫌いなレジーニに触れたのが、運の尽きだ。
この場の主導権は、俺とレジーニの手の中に渡った。
チンピラたちは残り三人。俺とレジーニを警戒するあまり、セリーンへの注意は払わなくなった。呆然と座り込んでいるセリーンに手を差し伸べる。慌てて立ち上がり、駆け寄った彼女を、俺は背中に隠した。
「俺が合図したら走れ」
首を少し傾け、セリーンに指示すると、亜麻色の髪が揺れた。頷いたのだと分かった。
今の俺の姿は、セリーンの目にどう映っているだろう。
一瞬、彼女から恐れられるのではないかという不安が、胸の内をよぎった。しかし、すぐにその考えを払い落とす。そんなことは、今はどうでもいい。彼女をこの場から逃がすことが重要であり、それ以外はすべて二の次だ。
レジーニが俺の隣に立った。だるそうに首を回している。右手には、いつの間に取り返したのか、蒼い機械剣が握られていた。腰には銃がねじ込まれている。
レジーニは俺の銃も取り返しており、無造作に放り投げた。俺はそれを宙で受け止め、同じように腰に差し込む。
「く、くそ! お前ら……!」
集団のリーダー格は、歯軋りしながらこちらを睨んだ。
「調子に乗るなよ! そんなオモチャみてえな得物が何だ! こっちには銃があるんだ!」
吐き捨てるリーダーの男は、衣服の内側から拳銃を引き抜いた。さっき突きつけられていた二挺は、所持していた奴を倒してから遠くに蹴り飛ばした。俺たちを狙っている銃口は一つだ。
銃を向けられ、俺の背中にしがみついているセリーンが、びくっと震えた。
しかし、俺とレジーニは身じろぎひとつしない。
俺たち二人が動じていないことに、男たちの方が動揺した。
「な、なにスカしてやがる! 撃てるわけがねえと、高ァ括ってんのかよ!」
実際、撃てはしないだろう。連中はこれまで、脅し目的程度にしか、銃を使ってこなかったはずだ。でなけば、あんなに声が上ずったり、アニメや映画の悪役を真似たような、横向きの構えなどしない。例え引鉄を引けたとしても、あれでは当たらない。俺とレジーニは、奴らが実は銃に不慣れだということを、とうに見抜いていた。
「くそ! 馬鹿にしやがって! マジで撃つぞ!」
よく啼く椋鳥だ。
俺は後ろ手で、そっとセリーンを押し出す。柔らかなぬくもりが背中から離れた。彼女の気配が、少しずつ遠くなっていく。
俺は〈スティングリング〉の具象装置を、低出力で起動させた。俺の周囲に、小さく細い旋風が発生する。
「バージル」
レジーニが、固い声で俺に囁く。
「こんな連中に具象装置は使うな。脅すだけにしとけよ」
レジーニから、そんな注意を受ける日が来るとは、思いもしなかったな。
たしかに、本来ならクロセストは、メメントに対してのみ振るうべきものだ。
だが今は、そんなモラルなどどうでもいい。
奴らはセリーンをかどわかした。薄汚い手で触れ、弄ぼうとした。
それを、ただ殴るだけで許すとでも思うのか。
ぎゃあぎゃあうるさい椋鳥ども。
鷹狩りの時間だ。
風を纏った俺が一歩進み出ると、椋鳥どもは震え上がって後ずさった。その恐怖に慄く様は滑稽で、俺の口元は自然と緩んでしまう。
「バージル!」
背後から投げられたレジーニの声。止めようとしているらしい。何故だ。
獲物がそこにいるだろう。
冷えきった頭の中にあるのは、ただ目の前の獲物を狩る、という単純な物事の認識のみだ。それ以外に何がある。
もう一歩前進する。椋鳥どもが「ひっ」と声を上げた。
その時、どこからか、奇妙な音が聞こえてきた。キリキリ、カタカタという、重く固い何かがこすれるような音だ。
例えるならば、そう、ジェットコースターが、最初の頂上をゆっくり昇っていく時の音に似ている。
音は、俺とレジーニの正面――チンピラどもの背後に、壁のように積み上げられたコンテナの上から聞こえてくる。
見上げると。
コンテナの向こう側から、巨大な黒い影が姿を現した。
そいつはコンテナ一台を抱え込めるほどの巨体を、二本の腕足のみで支えていた。無数の小さな足が背中で蠢き、長い尾の先で凶悪な針がぶらぶらと揺れている。
俺をこちらの世界に引き込んだ怪物。
頭部のない、巨大な蠍の化け物。
奴の姿を見た瞬間、俺の中で滾っていたチンピラどもへの殺意は鎮火し、冷えきっていた頭の中に電流が走った。
「逃げろ!」
先ほどまで殺そうとしていた男たちに向けて、俺はそう叫んだ。
殺すつもりでいた連中なら、何によって死を迎えたとしても、結果に変わりはないはずなのに、俺は奴らに「逃げろ」と言ったのだ。とっさに口から出た言葉だった。
チンピラどもは俺の言葉に戸惑いを見せた。だが一人が、俺やレジーニの目線を追い、背後のコンテナの頭上に出現した化け蠍を見るや否や、俺に対するもの以上の恐怖をもって悲鳴を上げた途端、一気に恐慌状態に陥った。
チンピラたちが走り出す。と、同時に化け蠍――ラーゲも動いた。毒針が音を立てて空を切り、鞭のように振り落とされる。
鉄球を繋げたような暴力的な毒針が、リーダーの男の腹を貫く。耐え難い苦痛の絶叫が木霊した。
ラーゲが尾を持ち上げると、リーダーの男は宙高く放り投げられた。彼の腹から、血の雨が降る。ラーゲの毒針が二つに分かれ、落下してきた男に喰らいついた。
あの日の再来だ。リーダーの男は五体を噛み砕かれ、血肉を撒き散らして絶命した。
あまりにむごたらしいリーダーの最期に、仲間たちは悲鳴を上げながら、蜘蛛の子を散らすように逃げていく。
カタカタギシギシ、耳障りな音を纏わりつかせ、化け蠍ラーゲがコンテナの山から降りてきた。
レジーニは口笛を吹いた。
「これはまた、歯ごたえのありそうな奴」
初めて対峙する大物だというのに、レジーニは余裕の表情である。若く血気に溢れ、ラーゲの恐ろしさを知らないからこそだろう。
俺は正直なところ、まったく余裕がなかった。九年前の悪夢がフラッシュバックし、あの時味わわされた恐怖に、再び蝕まれていく気分だった。
地面に降り立ったラーゲは、強靭な腕足で巨体を支えつつ、俺とレジーニにゆっくりと迫る。背中の無数の節足がもぞもぞ動き、気味の悪い音を奏でていた。
奴には頭部がない。その代わりに、毒針が目や鼻の役割を果たしている。奴の針が、俺たちに向かって、ぐうっと伸ばされた。不気味に揺れる針はセンサーとなって、獲物――すなわち俺とレジーニの様子を探っている。
「こいつの弱点は?」
〈ブリゼバルトゥ〉の具象装置が起動し、レジーニの周りを冷気が囲む。
「分からない。ただ」
「ただ?」
「尾の毒針に気をつけろ。理由はさっき見たとおりだ。あと、斬り落としても再生する」
「適切なアドバイスをどうも」
レジーニが肩をすくめたその時、黒い巨影が動いた。件の危険な尾が、俺とレジーニに向けて振り下ろされたのだ。
俺たちはとっさに左右に分かれて跳んだ。直後、鋼のような尾が、轟音とともに地面にめり込んだ。えぐれたコンクリートが、礫となって四方八方に飛散する。
コンクリート片の礫をクロセストで弾き、ラーゲの側面を目指して走る。ラーゲの尾が、ぶうんという唸りを伴って、横薙ぎに払われた。
背中に迫る尾を、スライディングで回避する。頭上すれすれを毒針がかすめた。滑りながら〈スティングリング〉を振り、ラーゲの左の腕足を斬りつける。だが、硬い甲殻によって、刃は火花を散らして弾かれた。やはり、表面を覆う甲殻の隙間を狙わなければ。
ラーゲは俺に気を取られている。その隙に、奴の死角からレジーニが飛びかかった。冷気に包まれた蒼く光る〈ブリゼバルトゥ〉の刀身を、胴の甲殻の接合部に突き刺す。剣の冷気がメメントの肉体に注がれ、斬りつけた箇所が凍りついた。
痛みを与えられたラーゲは、耳障りな音を響かせて暴れ、その名にふさわしい怒りをあらわにした。
怒れるラーゲの体当たりをかわしたレジーニは、もう一度、別の接合部に剣を突き立てた。が、二度と同じ手は食わぬとばかりに、ラーゲは大きく胴を振った。レジーニは数メートル吹き飛ばされたが、受身をとり、ダメージを回避した。
毒針が高らかに持ち上がる。俺は〈スティングリング〉の柄頭の輪に指をかけて振り回す。充分な回転にさせ、ラーゲの尾めがけて放った。遠心力の加わった〈スティングリング〉が、尾の中心に衝突した。
例によって硬い甲殻に弾かれ、俺のクナイはあさっての方向に飛んでいく。それを俺は、指に嵌めたコントローラーで呼び戻し、再びラーゲに向かわせた。
ラーゲは〈スティングリング〉を叩き落そうと、たかる蝿を叩き落すように激しく尾を振った。俺は弾かれた〈スティングリング〉をコントロールし、またラーゲに向けて飛ばす。俺のクロセストとラーゲの尾は、空中で激しいチャンバラを展開した。
両者譲らず、傷を負わせることも出来ない。だが、これでいい。俺は注意を引きつけているだけだ。
ラーゲの巨体の向こうで、レジーニが攻撃態勢を整えている。奴の注意が完全に俺に向いた瞬間、レジーニは〈ブリゼバルトゥ〉を振りかざし、もっとも柔らかそうな腹部に斬りつけた。そこの甲殻は硬くない。具象装置の力で凍りついたラーゲの表皮は、追い討ちによって破壊された。ついにラーゲに傷を負わせたのだ。
化け蠍が激しく暴れ出した。どろりとした体液が、傷口から噴き出し、レジーニの目にかかった。
「うっ、くそ!」
すぐさまレジーニは、目を汚した体液を服の袖で拭う。しかし、粘度があるためか、なかなか拭いきれないでいた。まずい。視界を奪われたレジーニに向かって、ラーゲが突進した。
「レジーニ、来るぞ!」
クロセストを手元に戻した俺は、ラーゲの側面に回り込み、負傷した腕足に回転を加えた刃を叩き込んだ。腕足は深く抉られ、ラーゲの巨体が傾いた。
奴の腹がむき出しになる。表面は硬かろうと、腹部ならまだ柔らかいはずだ。
俺は急いで反対側へ移動した。横倒しになったラーゲの腹が、無防備に晒されている。〈スティングリング〉の風の出力を上げ、触れるものを切り裂く鎌鼬を、刀身に纏わせた。これで腹を貫いてやる。
しかし、ラーゲはただでは倒れなかった。奴はあろうことかコンテナに毒針を突き刺し、それを持ち上げて振り回したのだ。
ハンマーと化したコンテナは、周囲のありとあらゆる障害物を破壊し尽くしていった。
視界が回復していないレジーニの頭上に、大きな瓦礫が落ちる。俺は〈スティングリング〉を投げ、その瓦礫を弾き飛ばした。直撃は免れたが、他に雨霰と降り注ぐ瓦礫が、レジーニをとり囲んだ。
ラーゲの乱舞は激しさを増す。あまりに振り回しすぎたせいで、毒針が貫いていたコンテナは吹き飛び、俺のすぐ側に落ちて大破した。その衝撃を横飛びでかわしたが、逃れた矢先に、ラーゲの尾が唸りを上げて襲い掛かってきた。
尾が鞭のようにしなり、鋭い毒針が障害物を切り裂く。逃れれば、顎を剥き出し喰らいつこうと、俺を執拗に追い詰めた。
八方塞りだ。どの方面にかわそうと、奴の攻撃が待ち受けている。レジーニの無事を確かめる余裕すらない。
逃げ場はなかった。
不思議なことに、俺は恐怖心に蝕まれてはいなかった。心臓の早鐘は高揚のためで、身体の震えは武者震いだ。
ラーゲの強大な力に、俺は少しも恐れを抱いてなかったのだ。
毒針の先端が、俺の頭上で止まった。何かを確認するように、小刻みに揺れている。
俺が分かるのか。俺を覚えているのか。
昔、見逃した獲物だと。
あの時俺に見向きもしなかったのは、獲って喰うにも値しない小物だと判断したからだろう。
だが、今は違うぞ、ラーゲ。
俺は力をつけた。死に物狂いで己を鍛え抜いた。お前のような化け物を倒すために。
お前を倒すために。
身体の奥底から、マグマがせり上がってくる。燃え盛る熱いものが、俺を包み込み、突き動かす。
怒りではない。恐怖でもない。それは。
「うおおおおおおおおおおおおッッッッ!!!」
胸を焦がすのは、狩ることへの猛る渇望。
風を纏い、方向を上げて駆ける。




