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 俺が呟いたその名前に、抜け殻を見上げるレジーニが目を細めた。

「ラーゲ? それがこいつの名前か? あんた知ってたんだ」

「ああ、知っている。こいつだけは、忘れたくても忘れられない」

 片手が自然と、背中のホルダーに収まる〈スティングリング〉に触れていた。

「俺が裏墜ちした理由だ」

 俺はそれだけしか言わず、詳しい説明をしなかった。話したくないのではない。話す意味がないからだ。ラーゲに関わるどんな理由があって俺が裏墜ちしたのかなど、今ここでレジーニに打ち明ける必要性はない。それよりも、どこかをうろついているであろうこの抜け殻の主を、一刻も早くどうにかする方が先決だ。

 俺は来た方向を振り返る。

「反対側はどうなっているんだろう」

 昨晩のレジーニの目撃談からすると、この旧三号トンネルの中から、蠢く影――すなわちラーゲが這い出ていったと考えられる。奴に限らず、大抵のメメントは夜行性だ。真夜中に活動していたラーゲが、夜明け前にここに戻ってきている可能性がある。 

 つまり、今この時、トンネルの反対方面に、奴が息を潜めているかもしれないのだ。

「あっち側は途中まで見てきた」

 と、レジーニ。

「思ったより長く続いてる。あとで調べてみたけど、地下バイパスに繋がる手前で工事は止まってるらしい。だから結局行き止まりだ」

「なら、いるかもしれないな」

 俺は背中に腕を回し、〈スティングリング〉のグリップを握る。

「大物相手にするって分かってたら、もうちょっとましなもの食べてくればよかったな」

 レジーニは軽く舌打ちして軽口を叩き、〈ブリゼバルトゥ〉を肩に担ぎ上げた。

「腹が減っているのか?」

「シリアルしか食べてない」

 シリアルにはたしかに栄養素がふんだんに含まれているが、二十代の若者の食事がそれだけでは、胃が寂しいに決まっている。

「終わったら何か食べるか」

「肉食わせろ。あんたの奢りで」

 レジーニの口の端に、皮肉めいたものながらも、笑みが浮かんだ。

「肉か。分かった、何でも奢るよ。夕べの詫びだ」

 軽い言葉を交わすだけで、重くなりそうだった気分が、少し軽くなった気がした。

 一人ではないという状況が、隣に誰かがいるということがどれだけ心強いことなのか、今ならよく分かる。

 ずっと一人で〈異法者ペイガン〉としてやってきたが、レジーニと一時的にでも共に活動する間に、彼が隣にいることが、当たり前のように思えてきていた。

 それも、もうじき終わる。

 

 

 俺とレジーニは、それぞれの得物を掲げ、反対側のトンネルに向かうため、来た道を戻った。

 ハンディライトだけが頼りの暗い孔の中を進んでいくと、明るい光が、筒のように射し込んでいる場所にたどり着いた。ここに降りるために使った昇降口まで戻ってきたのだ。

 梯子の側を通り過ぎようとした時だ、外から妙な気配を感じた。俺はとっさにレジーニを見やる。レジーニも俺を見ていた。

 外に、人の気配がする。

 俺たちは顔を見合わせた。共に行動したのは三ヶ月弱という期間だが、レジーニとはアイコンタクトを取れるまでにはなっている。

(昇るぞ)

 目を動かしてそう伝えると、レジーニは〈ブリゼバルトゥ〉の具象装置フェノミネイター)を起動させるための発動器イグニッショナーに指をかけた。人間相手にクロセストを使用するのはためらわれるが、威嚇としての効果は大きいだろう。

 俺は〈スティングリング〉をホルダーに収め、静かに梯子を昇った。

 音を立てずに昇り、慎重に外の様子を覗く。

 昇降口の周辺を、複数の人間が取り囲んでいた。

 ざっと見た限り、五、六人はいる。服装や背格好はバラバラだが、年齢層は全員二十代の男と思われた。

 こいつらは何者だ。

「出てこいテメーら」

 男の一人が、ざらついた声を張り上げた。

「モグラみてーにコソコソしてんじゃねーぞ。二人いるのは分かってんだ、出てこいっつってんだよ!」

 俺は下から昇ってきているレジーニを見下ろした。レジーニは、鬱陶しそうに半眼になっていて、小さく舌打ちした。

 どうやらどこかのチンピラ集団のようだ。俺たちがここに入っていくのを、遠巻きに見ていたのだろう。何の用だか知らないが、今は彼らに丁寧な応対をする暇はない。

 チンピラのうち二人が、その手に銃を握っている。構え方は素人に毛が生えた程度だ。ギャング映画か漫画マンガの悪役を真似て、格好つけているようにしか見えなかった。それでも、凶器に変わりはない。

 俺が梯子を昇りきると、レジーニも続いた。地上に立った俺たちに、リーダーらしき男が言う。

「手を上げろ。武器は預かるぜ」

 俺とレジーニは、男の指示に従った。すると二人の男が近づいてきて、俺たちの得物を取り上げる。

「うひょう、何だこれ。こいつらアニメみてーな武器持ってやがる」

〈ブリゼバルトゥ〉を持ち上げた男が、へらへらと笑った。即座にレジーニが、武器を取り返そうと動いたが、俺はアイコンタクトで止めた。

(待て。チャンスを見計らえ)

 見た限り、場数を踏んだ猛者もさたちとは思えない。この程度の相手ならば、力の差を振りかざすような真似はしなくてもいい。隙を見て軽くあしらい、それから武器を取り返せば済むことだ。しかし、この地下にラーゲの脅威がある以上、あまり悠長にはやっていられないのだが。

 レジーニは歯をむき出して不快感を示したものの、俺の考えを察してくれたようで、暴れるのはこらえてくれた。

 俺たちがおとなしく言うとおりにしていることに気が大きくなったのか、チンピラたちは尊大な態度で、囲む輪を狭めてきた。

「俺たちに何の用だ。君らとは面識はないはずだが」

 見覚えのある顔は一人としていない。名の知れた裏稼業者バックワーカーならばともかく、そのあたりをうろついている不良集団の容姿までは、覚えていられない。

 わざわざ待ち伏せしていたのだから、偶然見つけたカモとして狙ってきたのではなく、明らかに何かの用・・・・)があって接触してきたはずだ。

 そのとは、間違いなく不愉快なものだろう。

「ここにいる俺たちとは、はじめましてだ、おっさん」

 勝ち誇った面構えのリーダー格。俺は三十五歳だが、おっさん呼ばわりされるのは抵抗を感じる。

「用があるのは仲間の方だ。そういうわけで、あんたらにはちょっと付き合ってもらう」

「そっちが自分で迎えに来いって言え」

 レジーニは腰に手を当て、苛々と吐き出すように言い返した。あからさまな挑発に、男たちは色めき立つ。リーダー格は比較的冷静で、深呼吸することで自分を落ち着かせたようだ。

「言いたいことは仲間の方に言えよ。ともかく、テメーらにはついてきてもらうぜ」

「嫌だって言ったら?」

 レジーニは強気な姿勢を崩さない。リーダーの男は、せせら笑った。

「その時は、そのおっさんの女に、俺たち全員をもてなして(・・・・・)もらうのさ」


        *


 連行されたのは、同じ区画整理跡地内の端にある建物の中だった。骨組みが剥き出しになった、埃と瓦礫まみれの廃墟だ。作業員の詰め所か何かだったのかもしれないが、今となっては建物の用途など伺い知れない。

 俺とレジーニは、廃墟のホールにつれて来られた。そこでは七人の男たちが待ち構えていた。俺たちを迎えに来た連中同様、バラバラの背格好と服装で、年齢は二十代から三十代と思われる。

 待っていた男たちの中に、見たことのある顔ぶれを確認した俺は、思わず舌打ちした。レジーニも気づいたらしく、「そういうことかよ」と、忌々しげに呟いた。

 俺たちは、チンピラどもの円の中に跪かせられ、背後から銃を突きつけられた。

 クロセストと銃は待機組の連中の手に渡った。数人がクロセストをおもちゃのように振り回し、下品な笑い声を上げている。

「どうもこんにちは、お二人さん」

 チンピラたちの総リーダーであろう男が、余裕たっぷりに口を開く。歳は俺と変わらないくらいか。

「俺とは初対面だが、こっちにいるこいつらを見りゃ、だいたい何の用で呼ばれたのか、察しはつくよな?」

 リーダーが指差す先に、四人の男が固まっている。そいつらは恨みの込もった目で、俺たちを睨んでいた。

 奴らは、セリーンに乱暴を働こうとして、俺とレジーニの制裁を受けた四人組に間違いなかった。四人のうち二人は、顔に痛ましい青痣や瘡蓋かさぶたをこしらえている。レジーニが叩きのめした二人だ。 

 俺はセリーンを襲った連中の素姓を調べてくれるよう、ママ・ストロベリーに依頼していた。奴らは裏稼業者バックワーカーでもなければ、誰かの下についているのでもない、正真正銘の不良集団だ、というのが調査結果だった。

「アナタやレジーニにしてみれば、取るに足らない連中ね。そう気にしなくてもいいわ。ただ、下っ端どもの数が多くてね。召集をかければ、二十人三十人はすぐに集まる、ちょっと規模の大きな不良グループよ。まあ、だけど、それでもアナタたちなら大丈夫でしょ」

 ストロベリーの言うとおり、何事もなければ、二十人三十人の素人くらいどうとでもなる。

 そう、何事もなければ。


「俺のかわいい舎弟が四人、あんたらの世話になったんだが、もちろん覚えてるだろ? 特にそこの」

 男はレジーニを指差す。「指差すな殺すぞ」と、横でレジーニが呟いた。

「女みてえなつらしたお前。散々殴ってくれたそうだな。見ろよ、この二人をよ。まだ痣が消えてねえ。歯はぼろぼろだし、傷だって塞がってねえ。どうしてくれる?」

「潰れて困るような顔じゃないだろ」

 さらりと毒を吐くレジーニに、四人組が飛び出そうとした。が、リーダーがそれを制する。

 レジーニが奴らをこれ以上刺激する前に、話を進ませなければならない。

「君らの考えは分かった。憎いのは俺たち二人だろう? 女は……人質は解放してもらいたい」

 俺の言葉に、リーダーが不敵な笑みを浮かべ、仲間に合図を送る。すぐさま物陰から、一人の女性が引き出された。

 Tシャツにショートパンツのセリーンが、後ろ手に拘束されていた。声を出せないよう、口には布が巻かれている。

 頭のどこかで、煮え滾るものが静かに噴き上がるのを感じた。

 セリーンは縋るような目で、俺をじっと見ている。俺はセリーンを見つめ返し、彼女に伝わる程度に軽く頷いた。

(必ず助ける)

「この女は、俺の舎弟たちが見つけて、ちょっと仲良くなろうとしてた相手だ」

 リーダーの男は、いけしゃあしゃあとそんなことを言う。

「それをお前らが、暴力を振るって邪魔したわけだよ。それだけじゃねえ。そのあとそこのおっさんは、まんまとこの女とイイ関係になったってんだから、やってらんねえよな。野蛮な連中からお姫様を救い出した正義のヒーローは、めでたくお姫様と結ばれましたってか? ふざけんな」

 俺とセリーンが会っているところを、どこかで見られていたということか。迂闊だった。恐れていたことが、こうも早く訪れるとは。

「踏んだり蹴ったりってのはこのことだな。こっちは舎弟がボコられた上に、こんなとびっきりの上玉を逃した。テメーらは好き放題暴れた上に、女まで手に入れた。これじゃあ釣り合いが取れねえ。そうだろ?」

 まったくもって身勝手な言い分だ。

「だから、俺たちに復讐したいんだろう? 言いたいことはわかった。だったら彼女を解放しろ。その子は関係ない」

 リーダーに向かって言いながら俺は、周囲の隙を窺う。連中は、自分たちの方が人数で勝り、加えて人質を捕っていることで、俄然優位に立っていると思い込んでいる。慢心は隙を招く。

「ああそうだ、あんたらには落とし前をつけてもらわなくちゃあな」

 と、リーダーの男。

「だが、ただのリンチじゃ面白くねえ。うちはこれでも、この界隈じゃデカいチームなんだ。普通にただ殴るだけじゃ味気ねえし、他のチームにも示しがつかねえだろ?」

 突然背中に衝撃を受け、俺はうつ伏せに倒された。二人がかりで抑えつけられ、身動きがとれない。

「なんだよ、触るな!」

 レジーニが怒りの声を発した。組み伏せられたまま首を捻り、彼の方を見る。

 レジーニは三人の屈強な男に囲まれていた。背後から羽交い絞めにされ、顔やら身体やら、あちこちを撫で回されていた。必死に抵抗しているレジーニだが、体格の差がありすぎて、三人を振り払いきれないでいる。

「レジーニ!」

「その三人はガチだぜ、せいぜい可愛がってもらえ」

 下卑た笑い声を上げるリーダーの男は、セリーンの轡を外した。

「おっさん、あんたをボコるのは最後だ。相棒と女がヤられまくるのを、じっくり見物させてやるよ」

 セリーンが突き飛ばされ、男たちが囲む輪の中に倒れた。悲鳴を上げて跪いたセリーンは、悲痛な眼差しで俺に助けを求める。

「バージル……」

「セリーン!」

 俺を押さえつけている奴らを振りほどこうと、俺はもがく。抵抗すれば容赦なく殴られたが、そんなことはどうでもいい。殴られながら、どうにか右手の自由だけは確保できた。

 レジーニの怒号が響き渡る。男たちがセリーンに迫る。

「やめろ!」

 

 ――下品な目で彼女を見るな。汚い手で触るな。


「いやああっ! バージル!」

 複数の腕が彼女にまとわりつく。背後から抱きすくめられ、足が持ち上げられた。

「触らないでよ馬鹿!」

 セリーンは叫び、手近な男の顔を平手打ちし、足をばたつかせて蹴った。

「おとなしくしろ、クソ女!」

 リーダー格の手が振りかざされ、セリーンの頬を打つ。

 

 瞬間。

 

 頭の中で煮え滾っていた何かが、閃光を放った。

 

 それからは、ほとんど本能に任せて動いていた。

 自由になった右腕を捻り、俺を取り押さえる男の腕を掴み、渾身の力で引き剥がす。軽くなったと同時に跳ね起き、もう一人を弾き飛ばした。

 懲りずに押さえ込もうとかかってくる連中を、条件反射で返り討ちにし、邪魔な奴らを排除した。

 右腕を伸ばし、中指に嵌めたコントローラーを操作する。

 翠色の閃迅が、チンピラどもの中を駆け抜ける。

 疾風一陣。

 俺の手の中に、翠光放つ〈スティングリング〉が舞い戻る。


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