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ロスト・メモリーズ  作者: 由里名雪
鈴白凜
6/33

鈴白凛ー6ー

 夢を見ていた。

 遠い遠い昔の夢。

 気付くと俺は小さな公園のブランコで一人遊んでいた。

 視界に映る景色はやけに低く、空がいつもより高く感じられる。

 まるで、一気に俺の身長が縮んでしまったかのようだ。

 季節は夏だろうか。ブランコを漕ぐたびに頭上で輝く太陽が視界に入って眩しかった。

(これは……俺の、小さい頃……?)

 公園にはブランコの他に鉄棒と砂場、それと隅の方にベンチが二つ置いてある。

 たったそれだけの本当に小さな公園だった。

 見覚えがある。

 確かここは、俺の祖父母の家の近くにある公園だ。

 周りを山に囲まれたど田舎だ。小さい頃祖父母の家に行った時、遊ぶ場所といえばここ以外には祖父母の家の裏山くらいだった。

 ただひたすらにブランコを漕ぐ。

 それだけで、小さい頃はすごく楽しかったのを覚えている。

 そのまましばらくブランコを漕ぎ続けていると、どこからか子供のすすり泣く声が聞こえてきた。

 ふと漕ぐのをやめて辺りを見回す。

 声が聞こえてくるのは、公園の隅に一本だけ生えた背の高い木の方からだった。

 ブランコから降りて、木陰に向かって歩き出す。

 すすり泣く声はだんだんと近づいてくる。

 やがて木の根元までたどり着き裏側を覗くと、そこには同じくらいの歳の小さな女の子がうずくまって泣いていた。

『ねえねえきみ、どうしたの?』

 声を掛けた女の子は顔を上げると、真っ赤に泣き腫らした目をこちらに向けた。

『……ないの』

『なにがないの?』

『わたしの……たからもの』

 よほど大切なものだったのか、女の子はぼろぼろと大粒の涙を零していた。

『あそんでたらっ……ぐすっ、なくしちゃったの……』

 女の子はそう言うと、再びうずくまってすすり泣き始めた。

 泣いている女の子は見たくなかった。

 この子の笑っている顔を見たいと思った。

 だからまた声を掛けた。

『ぼくがいっしょにさがしてあげるよ』

 女の子はゆっくり顔を上げると、まだ涙の止まらない顔をこちらに向けた。

『でも……、いっぱいいっぱいさがしたけどみつからなかったの……ひっく……』

『みつかるまでいっしょにさがそうよ!ぼくがんばるから、きみもいっしょにさがそう』

 女の子は驚いて目を見開いた。

 続けて弱々しく、こくりと頷いた。

 女の子の涙は気付くと止まっていた。

『このこうえんのどこかにあるはずなの……』

『ふたりでさがせば、きっとすぐみつかるよ』

 うずくまったままの女の子に向けて手を差し出す。

 女の子は差し出された手を握ると立ち上がった。

『ありがとう。おなまえ、なんていうの?」

『ぼくはしゅんだよ。きみは?』

『わたしのなまえは────』

 女の子は自分の名前を言うと、まだ少し赤かった目を細めてにっこりと笑った。

 幼心ながら、その子の笑顔を見ることができてすごく嬉しかったのを覚えている。

(この女の子の名前、なんだったっけか……)

 女の子が名前を言う時だけ、ノイズのような音がして聞き取れなかった。

 すっぱりとその女の子の名前だけが俺の記憶から抜け落ちている。

 なぜ、忘れてしまったのだろう。

 わからなかった。

 夢はまだ続いていた。

 いつになったら終わるのだろう。

 漠然とそんな風に思ったが、なぜかずっと見ていたい気もした。

『────あった!!』

 気付くと俺は何かを握りしめていた。

 不思議な感覚だった。

 確かに何かを握りしめているのだが、それを具体的に認識することができない。

 女の子に向けてそれを差し出すと、女の子はぱっと顔を輝かせてそれを受け取った。

『ほんとうに、ありがとう!よかった、やっとみつかった……』

『ほらね、みつかった』

『うん!』

 女の子はひたすらはしゃいでいる。

 そんな女の子の姿を見ることができたのがすごく嬉しかった。

(なつかしいな、こんな事もあったような気がする……)

『しゅんくん、おれいに、わたしとともだちになってください!』

 女の子は今度は逆にこちらに向かって手を差し出した。

 自分も女の子の手を握って、握手した。

『ぼくのほうこそ、おともだちになってください!』

 女の子はとても嬉しそうに、にこにこと笑っている。

『しゅんくん、ひとつだけおやくそくしてくれる?」

『うん、なに?』

『こんどわたしみたいにこまっているひとがいたら、ちゃんとたすけてあげてね』

『うん、わかった!』

(ああ、そうか。俺はこの時約束したんだっけ……)

『じゃあ、ゆびきり』

 そう言って女の子は空いているもう片方の手の小指を立てて差し出してきた。

 それに習って自分も手を差し出し、小指をお互いに絡めあう。

『ゆーびきーりげーんまんうーそつーいたーらはーりせーんぼんのーます、ゆびきった!』

 それを合図に小指を解く。

 握っていた手は、そのままだった。

『しゅんくん、なにしてあそぶ?」

『うーん、ぶらんこしたいなー』

『わかった!』

 そうして手を繋ぎながらブランコの元へ一緒に歩き出した。

 隣の女の子はすごく嬉しそうな顔をしていた。

 そして────そこで再び俺の意識は途切れた。











 ────まだ、返してあげない。

 ────ずっと、私のものにしていたい。

 ────これは、あなたへの罰なんだから。だから、まだ返してあげない────











 ゆっくりと意識が覚醒していく。

 まるで鉛の塊が体の上に乗っているかのように体が重く気怠い。

 瞼を開くと、白い天井が視界に飛び込んできた。

 部屋は少し薄暗い。今は夕方ぐらいだろうか。だいぶ意識を失っていたようだ。

「…………くっ」

 起き上がろうとしたが、ズキンと鈍い痛みが俺の頭を襲う。

 まだ少し横になっていた方がよさそうだ。

 せめて寝返りを打とうとしたが、体が動かない。

 そして気付いた。

「えっ……ちょ、凛……?」

 俺の右隣で凛が寝ていた。

 そのせいで物理的に寝返りを打つことができなかったのだ。

 だがそんなことはどうでも良かった。

 女子が密着して隣で寝ているのが問題なのだ。

 俺の意識が完全に覚醒してきたのか、凛の体温やら感触やらがはっきり伝わって来る。

 心臓に悪かった。

 ドキドキなんてものではない。バクバク心臓が鳴っている。

 俺だって年頃の男子高校生なのだ。そして自慢ではないが女の子との恋愛経験なんぞ皆無だ。

 そんな純粋な男子高校生にとってこれはもはや拷問である。

 せめて少しでも体を離そうと、反対に寝返りを打とうとしたが、またもや体が動かない。

 そして今更ながらに、横になっている俺の左腕に被さるようにして眠っている橘の存在に気付いたのだった。

「……詰んだ……」

 何がどうなってこんな状況になるのだろうか。

 確か、俺は一人で意識を失ったはずだ。

 その後倒れている俺を見つけて、凛か橘かはわからないが俺をベッドに移したのだろう。そこまでは推測できた。

 だがどうしても、どうすればこんな人間オセロのような状況になるのか全くわからない。

 相変わらず心臓はバクバク鳴っている。慣れろと言われても無理だった。

 あんまり激しく動くのも憚られたので動かせる範囲でもぞもぞ動くしかない俺であった。

「どうすりゃいいんだこれ……」

 お手上げである。

 この状況で焦らない奴は悟りでも開いた賢者か男として何かが欠落した奴だろう。

 気が付けば頭痛はどこか彼方へ吹き飛んでいた。

 よって俺は何の邪魔する要素無く存分にドキドキタイムを過ごすことができるのであった。

 ……早く助けてくれ。

「……おい、橘、起きてくれ。凛も早く起きてくれよ」

 声を掛けてみても返事は返ってこない。

 橘に至ってはすやすやと寝息を立てている。

 ここ人ん家だぞ。起きろ。

 だが熟睡している橘に俺の声が届くはずもない。ひたすらもぞもぞ動くしかなかった。

 ……いや、よくよく考えてみれば頭痛は治まったのだ。今なら起き上がれるだろうか。

 試しに上半身を起こしてみる。

 先ほど感じた頭痛はやはり無くなっていた。代わりに心臓の動悸が収まらないが。

「…………んっ……」

 俺が起きた気配を感じたのか、凛がもそりと動いた。

 チャンスだ、今なら凛が起きるかもしれない。

「おい、凛、早く起きてくれよ。この状況をなんとかしてくれ」

「んー…………」

 ぎゅ。

「…………ん?」

 何が起こっているのだろう。

 俺が幻覚を見ているのでなければ、凛が俺の腰に腕を回して抱きついている。

 よりはっきり伝わって来る体温は果たして錯覚か。

「………………………!?」

 待て待て待て待て。

 密着しているだけで俺の心臓が爆発しそうなのに、これ以上くっつかれたら心臓が弾け飛んでしまう。

 いっそ口から心臓が飛び出てもおかしくない。

 腕を解こうにも、寝ている女子の体を勝手に触るのは何だか気が引ける。

 結局何もできないのであった。

「お、おい……っ、凛……!」

 必死に声を掛けてみるも反応はない。

 最早打つ手はなく諦めてひたすら耐え忍ぼうと思った時。

 俺の腰に回された凛の白く華奢な腕が震えていた。

 いや、凛の体が震えているのだ。

 その震えが凛の腕を伝って俺へと届いている。

「……凛?」

 相変わらず返事はない。

 その代わりに、俺の腰に回された腕がほんの少し力を増して締め付けた。

 悪い夢でも見ているのだろうか。

 凛の顔を少し覗くと、心なしか苦しそうな顔をしていた。

「……す…………けて……」

 注意しないと聞き逃してしまいそうなほどの、小さな声で凛が呻く。

 こういう時、どうすればいいのだろう。

「……凛、大丈夫だぞ」

 寝ているのはわかっていたが、少しでも安心させたい。

 そんな思いからか俺は自然に腰に回された凛の手に自分の手を重ねていた。早く目を覚ましてくれ、と念じながら。

「…………しゅ……ん……」

 思わず凛を見る。

 今、俺の名前を呼んだような気がするのはただの気のせいだろうか。

 篠ヶ谷さんではなく、瞬、と。

「た…………すけ…………て……っ!」

 今度は俺にもはっきり聞こえる大きさの声で凛が呻いた。

 そして、きつく閉じられていた瞼がゆっくりと開かれていく。

 ぼんやりとした凛の視線と、驚きから目を逸らすことができず凛を見つめていた俺の視線が交差した。

 そのまま数秒か、数十秒ほど時間が経った。

 半開きだった凛の瞼はやがて完全に開いていく。

 やっといつも通りの顔つきになっても、凛はしばらくぼーっと俺を見つめていた。

「……………………………?」

 ふと凛が俺の顔から視線を外した。

 視線はそのまま俺の腰に回した自分の腕へたどり着き、ピタリと静止した。

 そこでやっと、今の状況を理解したのだろう。

 凛の顔はみるみる赤くなって────次に俺が瞬きをした瞬間、凛はめり込みそうなほどベッドの隅の壁に背中をぴったりつけて、体操座りの格好で顔を膝にうずめどこまで小さくなれるか限界に挑戦していた。

「あっ…………う………ご、ごめんなさい…………!」

「い、いや…………こちらこそ……」

 それきり会話は途切れ、気まずい沈黙が訪れる。

 少し薄暗い部屋の中でもはっきりと分かるほど凛の顔は赤く染まっていた。

 何か話題を振らなければ。そう思うのだが自分でもこの状況に焦っているのか全く考えがまとまらない。

 そのまま二人とも黙り込んでいると、俺の横で橘がのそりと起き上がった。……やっと起きたかこのやろう。

 だが寝起きで意識がはっきりしないのか、虚ろな視線が俺と凛の間を行ったり来たりしている。

「んー…………おはよう」

「おはようじゃねえ!」

 こんな時もマイペースな橘であった。

 だが起きてくれて助かったと言うべきか。これで気まずかった雰囲気からは解放されそうだ。

 それに、俺が意識を失った後のことを詳しく聞くこともできそうだ。

「橘……今の状況の説明をしてくれると助かるんだが」

 橘はようやく覇気のある顔つきになって、辺りを見回した。

 そして、何かに気がついたかのようにはっとして口を開いた。

「薄暗い部屋の中で私が寝てる間に瞬が凛ちゃんにセクハラした」

「…………は?」

「だって凛ちゃん顔真っ赤だし縮こまってるしずっと瞬のことちらちらみてるし」

「い、いや、その、俺がセクハラしたわけじゃないんだが……」

 何となく橘が怒っているように見えるのは気のせいだろうか。

 ふと後ろを振り向くと、ばっちり凛と目があった。……もちろん即座に逸らした。

 何だかまた恥ずかしくなって顔を前に向けると、すぐ後ろからか細い声が聞こえた。

「ぁ……あの……悪いのは篠ヶ谷さんじゃなくて私のほうなんですっ……」

「凛ちゃん?瞬に脅されてるなら心配しなくていいんだよ。私が守ってあげるからね」

「お前の中の俺はどんな極悪人なんだよ……」

 毎度毎度冗談のきつい橘である。

 俺がそんなことするわけなかろうが。

 凛はそんな橘の冗談を聞いて、ふふ、と笑みをこぼした。

「で、一体瞬は凛ちゃんに何したの?」

「お前の中では俺が加害者で確定してるんだな!いいか、俺は何もしてないぞ!」

 いつか本気で橘に何か濡れ衣を着せられそうで怖い。こいつだけは怒らせないでおこう。

 そう心に誓った俺だった。

「ごめんなさい、橘さん。私、起きたら篠ヶ谷さんに抱きついてて……うぅ、恥ずかしい……っ」

 自分で言ってまた恥ずかしくなってきたのか凛は布団を被りこんで紅潮した顔を隠した。

 だめだ、またこっちまで恥ずかしくなってきた。割と本気で穴があったら入りたい。

 反応に困り視線を前に向けると橘がぷくーっと頬を膨らませて不満そうな顔になっていた。

「凛ちゃんそれほんとう?」

「……っ、はい……」

 なんでお前が怒ってるんだよ。度し難い奴だ。

 橘はしばらくぶすっと不機嫌そうだったが、ふと顔をこちらに向けた。

 いかん、怒りの矛先がついにこっちにきたか。

「今度、駅前のクレープおごってね、瞬」

「いやいやいや、なんでだよ」

 思わずつっこむと、橘は不機嫌そうな顔から一転柔和な笑みを浮かべて俺を一瞥した。

「今後安心して学校生活を送りたいなら……ね?」

 やばい、これはもうダメなやつだ。マジ切れ寸前である。

 橘は怒るとニコニコしだすタイプの奴だ。本気で怒ると何をしでかすかわからない。

 橘の優しげな表情とは反対に滲み出る剣呑な雰囲気に、俺はただ頷くことしかできなかった。

 ああ、駅前のクレープ高いんだよなぁ……。

 生贄になるお札に描かれた偉人の顔を想像すると、悲しくなった。

「ま、まあこの話は置いといて、俺が気を失った後の事を教えてくれないか?」

 本当は最初からそれが聞きたかったのだ。

 少し言い回しを間違えたせいでクレープを奢る羽目になるとは思わなかった。

 橘はクレープのおかげで機嫌がなおったのかいつもの顔だったが、俺がそう言うと真面目な顔で頷いた。

「私と凛ちゃんが部屋に戻ったら瞬が倒れてて、すごくびっくりしたけどひとまずベッドに寝かせようってなって、瞬をベッドの上に移したの」

 ふむ、それで起きたらベッドの上だったわけか。俺とて男子だし軽いとは言えないだろうに、わざわざ寝かせてくれたのか。感謝しなくちゃな。

「それで移した後、床にペンダントが落ちてたのを見つけたの」

 ────そうだ、ペンダント。あれは今どこにあるのだろうか。確か俺はあれの所為で気を失ったのだ。

「橘、そのペンダントは今どこにある?」

 橘に問うと、橘は後ろのテーブルを指差した。

「テーブルの上に置いてあるよ。あれ、どこで見つけたの?」

「確か……俺が落とした携帯がベッドの下に入り込んで、取り出そうとしたら偶然奥にあったのを見つけたんだ。橘、ペンダントのハート開くようになってただろ?中身見たか?」

「うん、みたよ。小学生くらいの男の子と女の子が写った写真が入ってた」

「そうだ、それを見たら急に頭痛が激しくなって、俺は気を失ったんだよ」

 橘は驚いた様子でこちらに顔を向けた。

 そして次に橘が発した言葉に、今度は俺が驚かされたのだった。

「あのね、凛ちゃんもその写真を見た途端に頭痛がして気を失っちゃったの」

「……っ!凛も気を失ったのか……?」

「うん……それでしょうがないから凛ちゃんもベッドの上に寝かせて、二人の意識が戻るまで待ってたの」

 俺は橘の話に驚きを隠せなかった。一体何が起こっているというのか。

 ペンダントを見ただけで頭痛がして気を失うなんて異常だ。少なくとも普通じゃない。

 橘はそんな異常事態が続いて疲れてしまったのだろう。それで眠ってしまったのか。

「橘さん……ごめんなさい」

 後ろを振り向くと、凛の真面目な顔があった。

 もう恥ずかしがっている様子はない。落ち着いたのだろう。

「凛ちゃん、大丈夫?」

「はい、大丈夫です。……ベッドに寝かせてくれたの、橘さんですよね。ありがとうございます」

「ううん、当たり前の事だよ。大丈夫なら良かった」

 俺も凛も意識が戻りようやく大丈夫な事がわかって安心したのか、橘はほっと息をついた。

 ……突然自分の目の前で二人も人間が意識を失って倒れたのだ。一人俺たちの意識が戻るのを待っていた橘は、どんな思いをしていたのだろうか。さぞかし、心配したのではないだろうか。

「心配させてごめんな、橘」

 俺が謝ると橘は穏やかな笑みを浮かべてゆるゆると首を横に振った。

「ううん、大丈夫ならそれで十分だよ。無理、しないでね?」

「ああ、ありがとな」

 つい先ほど橘が言っていた言葉を思い出す。

 俺が見つけたペンダントを凛が見たら、凛も意識を失ってしまったという。正直、ペンダントをもう一度見たらまた意識を失ってしまいそうな気がして怖かった。

 あのペンダント、呪いか何かでも掛かっているのだろうか。もちろんそんな根拠のない事は信じてはいないが、今のこの状況を鑑みると信じてしまいそうになる。

 それに、あの強烈な既視感の説明もつかない。何というか、すごく懐かしかったのだ。

 オルゴールもそうだったが、一体何故だろう。

「篠ヶ谷さん、頭痛は大丈夫ですか?」

 心配そうな声で凛が言った。自分だって急に意識を失ったというのに、人の心配をするとは。本当に、お人好しなのか心配性なのか。

 橘にも凛にも、心配をかけてばかりだ。いつかちゃんとお礼しなきゃな。

「大丈夫だよ、ありがとな。凛の方こそ大丈夫なのか?意識を失ったんだろ?」

「はい、大丈夫です。……ですがそのことで、お話しなければいけない事があるんです」

「話さなきゃいけない事……?」

 俺が発した疑問の声に凛がこっくりと頷く。

 一体何だろうか。

「私、意識を失っている間、夢を見ていたんです」

 ────夢。そうだ、俺も意識を失っている間に夢を見ていた気がする。……のだが全く内容が思い出せない。何か忘れてはいけない事だったような気がしてならない。

「どんな夢をみたの?」

 橘の問い掛けを受けて、凛がぽつぽつと語り出す。

「遠い昔の……小さい頃の夢でした。私は一人の男の子と一緒に遊んでいたんです。顔は、よく思い出せないんですが……。山の中を探検しているようでした。しばらく探検していると森の中なのに開けた場所があって……そうでした、小さなほこらがあったんです。何か神聖なものをまつっているようでした」

「それってつまり……昔のことを思い出したってことか!?」

「……!は、はい」

 思わず驚いて大きな声を出してしまった。

 つまり、あのペンダントが凛の記憶を取り戻すトリガーだったのだろうか。断定はできないけれど、その可能性が高い。

「そういうことに……なりますね。でも現状が解決するような記憶ではないです。それに、夢にはもう少し続きがあります」

 俺のせいで凛を少し驚かせてしまったみたいだった。心の中で謝罪する。

「祠には小さな石が積み上げられていました。私とその男の子は不思議に思って近付いていきました。そうしたら、うっかり男の子が転んでしまって、その石を倒してしまったんです。そうしたら急に視界が眩しくなって……そこで目が覚めました」

 なんとも不思議な夢だ。それが本来あったはずの凛の思い出の一つなのだろうか。

 だが些か抽象的な気もする。何かの暗示、という可能性も捨てきれない。

 やっぱり、俺も何か夢を見ていた気がする。けれど、一向に思い出せそうになかった。

「なんというか……不思議な夢だね」

「一体なんだったんでしょうか……」

 考えてみても分かるわけもなく。凛の話は新たな疑問を残すのみだった。

 けれど、新たな謎が現れた事で現状は進展したというべきだろう。解決からは遠ざかったかもしれないけどな。

「ありがとな凛、話してくれて」

 礼を言うと凛はとんでもないと言わんばかりに首を横に振った。

「お礼を言うのは私の方です、篠ヶ谷さん!こんな私の為に色々としてくださって……本当にありがとうございます」

 凛はそう言って深々と頭を下げた。

「いやいや、これは単なる俺のお節介だ。だからなんというか……その……そんなにはっきり礼を言われると恥ずかしいというか……。なんだ、顔を上げてくれよ凛」

 下げていた頭をゆっくりと上げると、ほんのり紅潮した顔で凛は微笑んだ。

「……例え篠ヶ谷さんの勝手なお節介だったとしても、私は嬉しいんです。橘さんだってこんな私と仲良くしてくれる。私が今笑っていられるのはきっと、お二人のおかげです」

 その真っ直ぐな視線が何だか気恥ずかしくて、俺はつい顔を逸らしてしまった。俺の顔も、少し赤くなっているだろうか。部屋は薄暗かったので、ばれていなければいいが。

「……っ、凛ちゃん」

 ぼそりと橘が凛の名を呼んだ刹那、橘が凛に向かってどこぞの大怪盗がヒロインに向かってパンツ一丁で飛び込むかのごとくダイブした。

 本来ならヒロインに避けられて壁にでも激突するのがお決まりだが、突然の事だったので俺も凛も反応できず、俺は突き飛ばされ凛は呆気に取られきょとんとしていた。

「ぐはっ!?」

「きゃっ!?」

 俺がベッドから転がり落ちる間際視界に入ったのは、隅っこで丸くなっていた凛を抱き締め頬ずりしている橘の姿だった。

 ……羨ましい────じゃなくて、早く止めないといけないんじゃないか、これ。

 橘はなおもにへらと緩んだ顔で凛を抱き締めている。

「もー凛ちゃんかわいいかわいいかわいい」

「あ、ひゃっ、たちばなさんひゃめ……っ!」

 橘が頬ずりするたびに凛の顔は真っ赤になっていった。果たして凛が恥ずかしがっているのか橘の頬ずりによる摩擦の所為か。……どっちもか。

 てか、橘が壊れてる……!

 いかんな、これからは橘と凛が一緒の時は目を光らせないといけないかもしれない。

「はぁ、はぁ、はぁ」

「はぁ、はぁ、た、橘さん……っ、許してください……」

 少し目を離していた間に事は終わっていたようだ。二人とも全力で肩で息をしていた。

 そんなに息切れするほどとは。仕掛けた側の橘がそうなるのは分かるが、仕掛けられた側の凛も肩で息をしている。橘このえ、恐るべし。

「おーい、お取り込み中すまんが俺のことも忘れないでくれ」

「ごめん、瞬。凛ちゃんが可愛くて私の中の悪魔を抑えきれなかった」

「マジで迷惑な悪魔だな!」

 橘は気が済んだのか凛に謝ってからベッドの上を退き俺の隣に座った。

 一人ベッドの上に座る凛は衣服の乱れを整えると、気を取り直してといった様子で口を開いた。

「篠ヶ谷さん、机の上のペンダントを貰っていただけませんか?」

「え、でもあれは凛の大切な物じゃないのか?」

 凛の言葉に驚いた俺は思わず返事を返してしまった。

 凛は少し考え込んで続ける。

「何というか……そのペンダントは篠ヶ谷さんが持っていた方が良いような気がするんです。本当に何の根拠もない直感ですが……。私には相応しくないといいますか……あ、でも篠ヶ谷さんはそのペンダントの所為で気を失ったんですし、無理にとはいいません」

 それを言うなら凛だって同じだろう。俺がどうにかなるのは構わないがまた凛に悪い影響があったら心配だ。貰ってくれというなら断る理由はない。

「いや、ありがたく貰うよ。……あ、でも、橘はどうなんだ?こんな可愛らしいペンダントだし女子の方が似合うだろ」

 俺がふと思い浮かんだ疑問を口にすると、凛は少し困ったような顔で言った。

「私もそう思ったんですが……何ででしょう、篠ヶ谷さんが持っているべきだという気がしてならないんです」

 先ほどの騒ぎで体力を使い果たしたのか大人しく座っている橘を見ると、俺の疑問に対する返事なのか手をひらひらと横に振った。

「凛ちゃんがそう言ってるんだし、貰っておきなよ。似合う似合わないじゃなくて、瞬が持っているのがいいんじゃない」

 そういうものだろうか。

 後ろへ体を向け、机の上に置いてあったペンダントを手に取る。やはり、どこか懐かしい感触だった。

 また頭痛がするのではないかと少し不安だったが、ペンダントが俺にもたらしたのは何度も味わった既視感だった。

 ハートのチャームを開くと、眩しい笑顔を浮かべながら手を繋ぐ二人の子供が写った写真が変わらずそこにある。

「わかった。大切にするよ」

 俺の返事に凛は満足そうに頷いた。

 だが橘は羨ましそうにペンダントを眺めている。

「いいなぁ瞬。ずるい」

「お前さっきと言ってる事全然違うじゃねーか」

 相変わらずの橘の様子に思わず笑ってしまう。凛もくすくすと静かに笑っていた。

 ふと先ほど凛が言っていた言葉を思い出した。

 私が笑っていられるのは二人のおかげだ、と。

 ほんの数日前に出会った少女はすぐにでも泣き出しそうな、孤独で不安な表情をしていた。けれど、今その少女に不安や孤独の影はない。

 明るく、前向きな笑顔を浮かべていた。

 俺がお節介を焼いた結果なら、これほど嬉しい事はないだろう。だが、まだだ。

 凛が本当に何の不安もなく、屈託のない笑顔を見せられるようになるには、まだ足りない。

 やはり、凛の記憶なくして本当の笑顔は見られないだろう。

 まだまだ、お節介は焼けそうだ。

「あ、もうこんな時間」

 時計を見た凛が思い出したように声を発した。

 つられて俺も時計を見ると、時刻は5時をまわっていた。

「すまん凛。長居しちゃったな」

「いえいえ。今日は本当にありがとうございました。また家に来てくださいね。何もありませんけど歓迎します」

「こっちこそありがとね、凛ちゃん」

 これ以上居ると本当に長居してしまいそうだ。暗くならない内に帰った方がいいだろう。

 ……例の殺人鬼もまだ捕まってないしな。

「片付けは私がやっておきます。篠ヶ谷さんも橘さんも気をつけて帰って下さいね」

 凛の気をつけて、という言葉に強い思いを感じた。あんな思いをすれば当然だろう。

 橘に限っては殺人鬼が襲ってきても逆に撃退してしまいそうな気もするが。早く帰るに越したことはないな。

「悪いな凛。また学校でな」

「凛ちゃん、またね」

「はい、また学校で!」

 俺は手に持っていたペンダントをポケットに入れ立ち上がった。

 部屋を出る間際に凛に向かって手を振る。凛はにっこりと笑って手を振り返した。

 また学校で会えるのが楽しみだ。三人で昼飯を食うのもな。

 そんなことを考えながらドアを開き、俺と橘は部屋を出た。

「………………………」

 後にはポツリと凛だけが部屋に残される。

「…………しゅん、くん」

 そんな凛の万感の思いがこもった呟きは、薄暗い部屋の虚空へと吸い込まれていった。


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