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ロスト・メモリーズ  作者: 由里名雪
鈴白凜
23/33

鈴白凛ー23ー

 一階に降り居間に行くと、母、橘、凛の三人が丁度出てくるところだった。どうやら案内が終わったようだ。

「それじゃ皆、お爺ちゃんの所に挨拶に行くわよ」

 ついにこの時がやってきてしまった。非常に憂鬱である。

「婆さんは?」

 さっきまで一緒にいたはずだが姿が見えない。どこに行ったのだろう。

「ああ、今から夕飯の支度するって台所に引き籠っちゃった」

 まだ午後三時過ぎだというのに気が早いな。久々に人が泊まりに来た所為で気合が入っているのだろうか。

「私についてきて。お爺ちゃんの部屋まで案内するから」

 母はそう言うと、慣れた足取りで廊下を歩き始めた。俺たちも母に続く。

 廊下の角をいくつか曲がり、少し進んだつきあたりにその部屋はあった。

 なんだかよく分からない絵が一面に描かれたふすまはぴったりと閉められていた。この先に爺さんが待ち構えている。今すぐ引き返したい気分だ。

 そんな俺の内心など知る由もない母は何のためらいもなく襖を開け放った。

「ただいまー、お爺ちゃん」

 橘や凛の少し緊張した面持ちとは対照的な母の気安い声。その声に反応したのは低くしゃがれた、あの爺さんの声だった。

「…………御守か」

 広い畳張りの部屋。光源が障子を通して入ってくる外光しかない所為か中は薄暗い。

 座布団に座りやけに高そうな肘掛に肘を乗せ、頬杖をついてこちらを睨む白髪の爺さんがそこには居た。……爺さん、さては昼寝してたな。目が半開きだ。逆にそれが爺さんの顔に凄みを増しているが。

 ふと隣の凛と橘に目を遣ると、二人とも強張った表情で直立不動の姿勢をとっていた。案の定、爺さんの雰囲気に呑まれたらしい。

「お爺ちゃん、紹介するわ。私のお手伝いをしてくれる橘このえちゃんと鈴白凛ちゃん。後例のごとく瞬も連れて来たから」

「た、橘このえです。お世話になります」

「鈴白凛です。よ、よろしくお願いします」

 二人とも声からして緊張が滲み出ていた。無理もない。相手はあの奥葉水を束ねる道重爺さんだ。奥葉水における最も重要ともいえる立場で今までやってきた爺さんからは、その経験から来るものなのか恐ろしい程の威厳が感じられるのだ。初めて爺さんに会う人間は皆凛や橘と同じような状態になる。

「……そうか。二人とも、よろしく頼みますぞ」

「は、はい!」

「頑張ります!」

 即座に一礼する二人。相当緊張しているらしい。

「じゃあお爺ちゃん、これから神社の場所とか、奥葉水をいろいろと案内してくるから後でね」

「ああ。……気をつけるのだぞ」

「……うん。大丈夫だよ」

 ────なんだろう、この違和感は。爺さんと母の間に妙な間があった。俺の気のせいだろうか。凛と橘は何も感じていないようだ。未だ緊張した面持ちでじっとしている。

 母はそのまま爺さんに背を向け、部屋の外へと出た。凛と橘も母の後に続く。そして俺も部屋を後にしようとした時だった。

「────瞬、お前は残れ。話がある」

 思わず振り向く。爺さんが俺に話とは全く穏やかじゃない。嫌な予感しかしないんだが。

「じゃあ、瞬はお家でお留守番ね。夕方までには帰ってくるわ」

 母はそれだけ言うと、襖を閉め行ってしまった。三人の足音が遠ざかっていくのを俺は呆然と聞いているしかなかった。……最悪だ。爺さんと二人になるなんて予想もしていなかった。一体話とは何なのだろう。

「……昭人あきひとは来ているのか?」

「父さんは例のごとく来てないよ。仕事だってさ」

「ふん、あの腰抜けめ。まあ良い」

 おい父さん。爺さんにはお見通しらしいぞ。こりゃ爺さんに会ったら大変なことになるかもしれない。自分の父親だがご愁傷さまである。

「瞬。お前に大事な話がある」

 爺さんが俺を鋭い眼光と共に見据え、佇まいを直した。

「……さっきも聞いたよ。話って?」

 全く珍しいことに、爺さんがやけにかしこまっている。姿勢を正しこちらを見つめる爺さんの姿に、俺も思わず爺さんに向き直った。

 予感だったが、何かとんでもないことを爺さんが言い出すような気がしていた。そしてその予感は、結果的に正しかった。

「────瞬、お前を次の神主にしようと思う」

「………………は?」

 耳を疑った。ついにボケたのか爺さん。なんて言えるはずもなかったが、いくら何でもそれは無茶だ。

 一言で神主というが、実際何をすればいいのか俺もよくは知らない。それにいくらあの爺さんでも、その鶴の一声でなれるようなものでもないだろう。爺さんは一体何を考えているのだろうか。

「安心しろ、すぐにとは言わん。面倒なことはもうしばらくわしがこなしてやる。今のところは形式上儂の後を継ぐ形をとってもらいたいのだ」

「後を継ぐって……急過ぎだろ。そんな急に俺の将来を決めるようなこと言われても────」

「頼む」

 絶句した。あの畏れ多い威厳に満ちた爺さんが────俺に向かって、頭を下げていた。

「や、やめてくれよ、爺さん……なんで、頭なんか下げてるんだよ……」

 俺が今まで抱いていた爺さんに対するイメージが音を立てて崩れていくような気がした。

 俺の中の爺さんは、こんな風に頭を下げたりしない。いつだって厳格に、他人に媚びることなど一切しない、畏れる一方でどこか尊敬してしまう、それが篠ヶ谷道重という人間なのだと勝手なイメージを抱いていた。

 しかし俺の目の前の光景は、そんなイメージを否定しているように思えた。

「……お前しかいないんだ」

 爺さんが頭を下げたまま呟く。

「……顔を上げてくれよ爺さん。……説明してほしい」

 俺がそう言うと、爺さんは大人しく顔を上げて厳しい表情で語りだした。

「まずはお前に、ここの神社が何を祀っているのかという事から説明せねばなるまい」

「何って……神様だろ?記憶を司るとかいう」

 爺さんは俺の言葉にゆっくりとかぶりを振った。

「それはあまり正しい認識ではない」

「じゃあ、一体何なんだ?」

「御霊信仰、というやつだ。神社で祀っているのは、神様ではなく人に仇なす存在、とでもいったところか」

 初耳だ。子供の頃から今まで、記憶を司る神様を祀っているのだと聞かされて育ったのだから当然だが。

 そもそも、そういう風に俺に言い聞かせていたのは爺さんだ。一体なぜそんな嘘をつくような真似をしたのか。

「爺さんが言ってたんじゃないか。オクハミ様は記憶を司る神様だって」

 この地と同じ名を持つ神。それが篠ヶ谷神社で祀っている神なのだと。

「……幼いお前に言っても理解できんだっただろうからな。いつか本当の事を告げようと思っていた。……それが今だ」

「…………」

「……話の続きだ。オクハミ様が記憶を司っている、というのはあながち間違いではない。ただ、それは世間で言われているような、記憶を守るという意味合いではない」

「なら、本当はなんなんだ?」

「……奪うのだよ。記憶を」

 爺さんの声は冗談でも何でもなく、本気そのものだった。

 神様という迷信が、まるで本当に存在しているのだと言わんばかりに。

「……で、それが俺を神主にすることと何の関係があるんだよ」

「そのオクハミ様という存在を鎮めることができるのは、篠ヶ谷の血を継ぐ者だけなのだ。そうでなければ、あの場所に入ることすらできん」

「あの場所って?」

「オクハミ様の眠っているところ……この家の裏山だ」

 爺さんの話からはいまいち現実感が感じられない所為か、俺はその話を信じていいものか迷っていた。

 だがあの爺さんがこんな嘘をつくとも思えなかった。俺は一体どうすればいいのだろう。

「なんで血を継いでないと入れないんだ?裏山なんて誰もいないし、小さい頃俺だって遊んでたぞ」

「お前は篠ヶ谷の血を継いでいるから大丈夫だったのだ。それでも迂闊に立ち入らないように言い聞かせていたはずだったのだがな……余所者が入ろうとしたら全力で止めるところだ」

 爺さんは呆れたように短く息を吐くと、そのまま続けた。

「普通の人間があの山に入れば、帰ってこられん。記憶を全て無くし、自分が誰なのかすら忘れて辺りを彷徨い、人知れず野垂れ死ぬだけだ」

 信じられない話だ。信じろという方が無理だ。だが爺さんの目は、真実を語っている目だった。

「遠い先祖が、この地で荒ぶっていたオクハミ様を鎮めたのだそうだ。裏山の奥に封印した後、裏山の入り口から封印したその場所まで自らの血で一本の線を繋いだという。道しるべみたいなものだ。そしてその先祖は死んだ……だからなのだ、篠ヶ谷の血を継ぐ者しか裏山に入れないのは。同じ血を継ぐ者しか、その場所に辿り着くことができない。封印は永遠ではない。定期的に祈りを捧げることで封印を維持しているのだ。故に、お前しかいないのだ、瞬」

「まだあまり信じられないけど……理解はした。でもそれなら爺さんだって現役だろ?血を継いでるっていうなら母さんだってそうだ。なんで今なんだよ」

 爺さんは少し俯きがちに沈痛な表情を浮かべ、口を開いた。

「儂はもう、あの山に入ることができん。老いた所為だろうな。記憶は無くさないまでも、道を辿ることはできなくなってしまった」

「じ、じゃあ母さんなら……」

「道を辿れるのは男だけなのだ。道を繋いだ先祖が男だったことに由来しているのだろう。現に、歴代の神主は皆男だった」

 どう足掻いても俺でなければいけないらしい。正直まだ信じることができないが、後を継がされそうな状況に変わりはない。

 爺さんの話は嘘にしては出来過ぎている気はもちろんしていた。俺は一体、その話をどんな風に受け取ればいいのだろう。

「……少し考える時間をくれ。正直、いろいろと混乱してる」

「……わかった。だがこれだけは言っておく。お前が後を継がなければ、いずれ取り返しのつかない事になる事を忘れるな」

 そんな爺さんの脅しめいた言葉に俺は何も答えず、立ち上がる。

「明日の昼、またこの部屋に来い。お前の答えを聞いてやろう」

 俺は爺さんに頷き返し、部屋を後にした。混乱したまま、複雑な気分を胸に抱きながら。






 爺さんの部屋を後にした俺はひとまず考えを整理するべく外を散歩する事にした。

 母たちが帰ってくるまで少し時間があるだろう。俺は家の近くにある小さな公園に向け足を運んでいた。

 歩きながら爺さんから聞いた話を頭の中で整理する。

 未だに俺は爺さんの話をそのまま信じる事が出来ずにいた。爺さんの話が本当ならば、オクハミ様は実在する事になる。

 そんな話、俺でなくても普通は信じられないだろう。神社の神主の家に生まれておきながら言うのもなんだが、あまりに非科学的というか非現実的だ。

 俺は爺さんの話にどう向き合えばいいのだろう。どう答えればいいのだろう。

 ただ後なんか継ぎたくないと言うのは簡単だ。しかし、爺さんが俺に初めて見せたあの態度がそうさせてくれない。

 爺さんが頭を下げてまで俺に頼んできた事を、ただやりたくないからという理由だけで断っていいのだろうか。

 それに、爺さんのオクハミ様は記憶を奪うという話も何か引っかかる。

 眉唾ものの話だが、自分に無関係な話には何故か思えなかった。凛が実際に記憶喪失である所為だろうか。

「……あー、くそ」

 考えれば考えるほど考えがまとまらない。とりあえず今はこれ以上考えても無駄に思えてきた。やめだやめ。

 考え事をしながら歩いていたからだろう、ふと気がつくと目的の公園に着いていた。

 錆びたブランコに小さなベンチ。公園の隅に、その公園の大きさと釣り合っていない一際大きな木が一本生えている。

 奥葉水にはこれまで度々手伝いで帰ってきてはいたが、この公園に来るのはかなり久々だった。もう何年ぶりだかわからない。まあ用もなければこんな小さな公園に来る事なんてないだろうから、当たり前だが。

 俺は公園の中へと歩みを進め、ブランコに腰を下ろした。長い間使われていなかった所為か、ブランコに座ると錆びた鎖が鈍い音を立てて軋む。……千切れたりしないだろうな。漕がなきゃ大丈夫か。

 辺りを見回す。何だか懐かしい景色だ────。

「────っ」

 ズキン、と。鋭い痛みが頭の中を走った。

 おいおい、まじかよ。こんなところでどうして────!

「…………ぁ」

 動悸が激しくなり、息が上手く出来ない。目の前がチカチカする。

 朦朧とした意識の中、俺は半ば確信的な予想をしていた。俺は何かを思い出そうとしているのだと。

 これまでだってそうだった。この不可解で場所を弁えず突然やってくる頭痛の後には、必ず俺は忘れていた何かを思い出している。

 いや、俺は────取り戻そうとしているのか?

 理屈じゃない。ただ俺は、直感的にそんな事を思った。

 そして俺の視界は真っ白に染まり────。

「………………?」

 ふと気がつくと、俺は公園の入り口に立っていた。

 おかしいな、俺は確かについさっきまでブランコに座っていたはずなのだが。

 そこまで考えて俺は、目の前にいる二人の子供の存在にようやく気が付いた。

 見た目は小学校低学年くらいの小さな子供。片方は男の子で、もう一人は女の子だ。一体いつの間にやってきたのか。

 子供達はどうやら、何か探し物をしているらしい。二人ともうずくまって、隅の背の高い木の下をうろうろしている。

 かなり真剣に探しているみたいだ。俺も手伝ってやったほうがいいだろうか。そう思い声をかけてみる。

「なあ、一体そこで何してるんだ?探し物なら手伝うよ」

 しかし、子供たちから返事は返ってこない。……無視されたのか?俺。

 もしかしたら集中して聞こえていなかったのかもしれない。今度は肩を叩く事にした。

「聞いてんのか?そこで一体なにして────」

 一番側にいた少年の肩に乗せた俺の手が、空を切った。

 手応えが何もない。まるでそこに何もないかのように。

 俺の手は、少年の肩をすり抜けていた。

「…………っ!」

 思わず手を引っ込める。

 これは一体何なんだ。何が起こっている?

 様々な疑問が頭を駆け巡る中、俺はようやく理解した。少年に無視されていたのではない。そもそも認識されていないのだ。

 その証拠に、少年は俺の存在にまるで気付かない様子で地面を注視している。

 きっと今俺が何をしても無駄だ。そう思ってしばらく様子を眺めていると、少年が突然声を上げた。

『────あった!!』

 少年は嬉しそうに少女のもとへ駆け寄る。しゃがみこんでいた少女は立ち上がり、少年から何かを受け取った。俺はこの二人の探し物が一体何だったのかが気になって、二人の手元を覗き込む。そして、絶句した。

「………………なんで……これが……っ」

 なぜならそれは、俺もよく見知っている細い銀のチェーンに繋がれたハート形のペンダントだったからだ。

 思考が停止する。訳が分からない。あのペンダントをここで目にする理由も、この状況も。

 目の前の少女は朗らかに微笑み、少年に向けて言った。

『しゅんくん、おれいに、わたしとともだちになってください!』

 今度こそ、俺は何も考えられなくなった。しゅんくん、と確かにそう聞こえた。

 呆然と二人を見つめる。目の前のこの少年は。……俺だって、言うのか?

 二人はいつの間にか手をつなぎ、ブランコに向かって歩き出していた。

 ふと、我に返った。小さな少年少女はブランコへと歩みを進めている。なぜか俺は、二人がそのままどこか遠くへ、俺の手の届かないところへと行ってしまうような気がして、後を追おうとした。

「まって……くれ……」

 けれど、俺がいくら歩こうと二人に追いつけない。走っても走っても、二人はどんどん遠ざかっていく。

「待ってくれ────!」




 ────これ以上は、許さない────。




「────っ!」

 誰かの、呟きが耳朶を叩く。

 そう思ったのも束の間、瞬きをした次の瞬間俺は元のブランコに座っていた。

 思わず辺りを見回すが、先ほどの少年と少女の姿はどこにもなかった。

 無意識のうちに上がっていた息を整える。頭痛は全く無かったが、動悸が激しかった。

「なんだってんだよ……!」

 次から次へと理解に苦しむ出来事が起きすぎて、俺の思考はショート寸前だ。

 何もかもが理解できない中、一つだけ俺は確信していた。

 間違いなく、さっきの光景は俺の記憶だ。忘れ去っていた遠い昔の記憶。

 あの少女の名前だけが思い出せないが、確かに昔あんな事があった。

 そして今なら分かる。あのハートのチャームのロケットペンダントは、あの少女のものだ。

 俺の荷物の中に一緒に入れて持ってきたが、今はあの二階の部屋にある。帰ったらもう一度よく見てみる必要があるな。

 俺は何故、あの事を忘れていたのだろうか。

 俺にとって大切な思い出のはずだったのに。少女の名前がまだ思い出せないのが何故だかとても悔しかった。

「……くそ」

 俺は、一体何を忘れている?何を思い出せない?

「ははっ、まさかな……」

 オクハミ様にでも奪われたのだろうか。裏山に行けば、もしかしたら何か思い出せるのだろうか。

 俺は────。

「────篠ヶ谷さん?」

 聞きなれた声がして顔を上げると、少し離れた公園の入り口に凛が立っていた。いや、凛だけじゃない。橘も母の姿もあった。

 そうか、案内が終わって帰ってくる途中か。

「凛か。神社にはもう行ってきたのか?」

 凛たちはこちらに向かって近づいてくると、俺の前で足を止めた。

「はい。篠ヶ谷さんはここで何を?」

 不思議そうな顔をして俺に聞いてきた。

 どう答えたものか。混乱しまくっている今、上手く答えられる気がしなかった。

「あー、えっとだな、ただの暇つぶしだよ」

「瞬、お祖父さんとは何を話してたの?」

 橘はずっとそれが気になっていたのだろう、首を傾げている。

「突然だなお前。……なんていうかその……俺に神主の後を継いで欲しいんだと」

 俺の言葉を聞いた凛と橘は、驚きに目を見張った。

「神主……ですか?」

「ああ、爺さんはもう神主としてはもう駄目らしい。よくわからんが、俺が継がなきゃいけないみたいだ」

「瞬は……どうするつもり?後、継ぐの?」

「……正直、どうしていいかわからん。ただ、後を継げる人間は俺しかいないらしい」

 俺がそう言った後、皆黙り込んでしまった。

 どうすんだこの空気。

「母さん……は、知ってたんだろ?爺さんの事情を」

 唯一、落ち着いて俺の話を聞いていた母に向かって問う。

「……ええ。でもお母さんはあなたの意思を尊重するわ、瞬。あなたが後悔しない答えをだしなさい」

「俺がやらなかったら他に誰がやるんだよ!母さんは裏山には入れないんだろ!?」

 本当はわかっている。俺に選択する余地などない事は。母はただ俺の事を気遣ってくれているのだという事もわかっている。

 けれど、今はその気遣いが俺には息苦しかった。

「……ええ。それは事実よ。でもね、瞬。あなたがやりたくないっていうなら、お母さんはどんな事をしてでもあなたの代わりに神主の仕事を全うするわ」

 はっきりと、母はそう言った。俺から視線を逸らそうともせずに、確固たる意志を感じさせる声で。

「……先に帰っててくれ。俺はもう少しここにいる」

 今の俺には時間が必要だ。一人になりたかった。

 母も俺の気持ちを汲んでくれたのか、静かに頷くと公園の入り口へと引き返した。橘も心配そうに俺を見ていたが、何も言わずに母の後についていく。

「篠ヶ谷さん……また後で」

「……ああ」

 凛はそれだけ言うと、同じように公園の入り口へと戻っていく。

「あの、篠ヶ谷さん」

 凛が途中で足を止め、振り返った。

「ん、どうした?」

 凛は不思議そうな顔をしながら、公園の隅に生えた背の高い木の方へ視線を向けている。

「────さっきまでいたあの女の子は誰ですか?」

「────え?」

 凛の言っている事がよく理解できなかった。公園には俺たちしかいなかったはずだ。それとも、俺が先ほど見たあの光景に出てきた少女の事だろうか。

「小学生くらいの小さな女の子……か?」

 思い当たる節がそれしかなかったので聞いてみたが、凛は首を横に振った。

「いえ、ちょうど私たちと同じくらいの背格好です」

 誰の事だか全くわからない。もしかしたら、俺が気が付かないうちに誰か来ていたのかもしれない。正直、周りをよく見る余裕なんてなかったからな。

「……いや、俺も分からない。そもそもそんな奴がいた事すら気付かなかった」

「そうですか……あ、ごめんなさい。それじゃ私も先に帰りますね」

 凛も気を利かせてくれたのだろう、それだけ言うとそそくさと公園を出て行った。

 なんだか申し訳ないな。俺の所為で皆に気を遣わせてしまっている。

 早く、結論を出さないといけない。どの道タイムリミットは明日の昼までだ。

 いや、正確には結論なんかじゃなくて気持ちの整理、か。冷静に考えれば答えは一つしかないのだ。後は俺がどう納得するかだけの問題。

 奥葉水に帰ってきてこんな事になるなんて、全く思ってもみなかった。災難だ、全く。

 そのまま俺はしばらく、公園で一人過ごしたのだった。

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