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真導士サキと風渡りの日  作者: 喜三山 木春
第十二章 譎詐の森
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幼子の涙

 呼ばれた気がした。


 声に誘われて目を開く。天井に夜の終わりが映っている。

 昨夜と比べ、部屋に特段の変化はない。それなのに、か細い声が覚醒を促してくる。


(――お兄ちゃん)


 はっとなって眠るサキを見た。

 寝息を立てている恋人の額から、青の光がこぼれている。


「……"サキ"?」


 幼き人を呼べば、うれしそうに青が明滅する。間違いなく"サキ"の声だ。

 青い真眼に、自分の真眼を重ねて目をつむった。


 白い真力の層を抜けて、奥へ奥へと落ちていく。

 風が騒いでいる。

 穏やかに眠っているサキの気配が、先触れとなったかのように荒れていた。


 世界が青く染まる。

 海の底を思わせる景色の中で、小さな影を見つけた。


「"サキ"」

 呼んだ途端、泣きべそをかいた"サキ"がぱっと顔を上げた。

「お兄ちゃん!」

 腰を屈め、駆け寄ってきた泣きべそを抱きしめた。ついでに林檎の頬から涙を拭って、丸い頭を撫でてやる。

 めそめそとしながら「お兄ちゃん」と泣き続ける"サキ"は、あの日の姿のまま。どこかが欠けていることもなく、かといって増えているわけでもない。ましてや育っている兆候も一切ない。

「どうした。泣いていたら何もわからない」

 子供の扱いは得意だ。何せ、実家でさんざんやらされていた。

 ぐずっているだけなら甘やかし、あやしてやれば泣き止む。この理論は青に棲む"サキ"にも通じるようで、徐々に泣き声がおさまってきた。

 小さな手が懸命に涙を拭っている。

 その仕草は、いまのサキにも見られるものだった。やはり、彼女と"サキ"は同じ存在なのだと強く感じる。

「"サキ"、どうした。寂しかったのか?」

 聞いただけで、また大粒の涙を流す。

 ぽたぽたと落ちていく涙は、青に溶けてどこかに消える。真力に混ざったということだろうか。だとしたら、"サキ"も真力なのだろうか。不思議な子供は、新たに生んだ涙を拭いて、心底困ったように眉を寄せた。

「まざれないよう……」

 顔が強張ってしまった。

 けれども泣きべその"サキ"は、こちらの動揺に気づかなかった様子で「うまくまざれないよう」と繰り返した。

「一緒じゃないから……、まざれない……」

 唾を飲み込み、顔を覗きこんだ。

「形が変わったからだな?」

 これに幼子は首を振った。「違う」ではなく「わからない」の意だろう。

「手を……」

「うん?」

「だから手をつなごうとしたの。そうしたら"いやいや"って……」

 つたなくも懸命な説明から、真実を掘り起こせないかと思い、"サキ"の言葉に神経を注ぐ。

「……お姉ちゃんが泣いちゃった」

 泣いてばかりで、手が繋げないと悲しそうに琥珀をうるませる。

「こわいって」

 脳裏に、表情を凍りつかせたサキが浮かぶ。


(――駄目なのです)


「なあ"サキ"。教えて欲しいことがあるんだ」

 丸い琥珀がこちらを見た。

「"サキ"は、人が好きか」

 きょとんとした目の中に、自分の姿を見つけた。表情がどうにか笑顔の形になっていたから、少しだけ安堵する。

「うん」

 素直な答えだった。

 純粋な混じりけのない答えは、安堵と疑問とを深くした。

「そうか……。なら、大丈夫だ」

 瞬きの合間に、涙の粒が落ちていく。

「だいじょうぶ?」

「ああ、大丈夫。必ず混ざれるから、もうちょっと待っていてくれ」

 口先が尖った。

 拗ねた顔も、やはり彼女と同じだった。

「もうちょっとって、どれくらい?」

 子供の質問は、時として大変答えづらいものとなる。絶対に曖昧さを許してくれないからだ。

 どう答えようか。

 口ごもったその時、青に白が侵入してきた。

 幼き人が見上げたのにつられ、同じように上方へと視線を移す。青の上にただよっていた白が意志を持ち、帯となって下ってくる。ぐるりと腰に巻きついた帯は、身体を持ち上げて白の世界へ引き上げようとする。

「――お兄ちゃんっ!」

 小さな両手が自分を追っている。取り残されまいとする幼い努力が実ることはなかった。


 青から白へ。そのまま薄暗い世界へと移っていく。目を開けば天井が見えた。どうやら戻されたようだ。

 腕の中には眠るサキ。真眼はすでに閉じられていた。そこまで視認して、詰めていた息を解放する。すると隣でサキが寝返りをうち、夜着に顔をすりつけてきた。

 掛け布を引っ張って、首元まで埋めてやる。

 大気が冷えてきた。風が強く吹いているせいだろう。

 白々と明けてきた空が、窓掛けの隙間から侵入を開始している。

 ついに秋が終わる。明日からは冬。一年でもっとも厳しい季節のはじまり。そして女神の試練のはじまりでもある。

 今日中にやらねばいけないことが山積している。

 だから、あと少しだけ寝よう。

 このぬくもりを抱きしめて、許される限りまどろんでいよう。


 そう決めて、幼き人を案じながら目を閉じた。

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