表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
真導士サキと風渡りの日  作者: 喜三山 木春
幕間 真導士の宴
89/195

真導士の宴(5)

「……だから、違いますって」


 しゃべり続けて、もうへとへとだ。

 誤解を解こうとしていたのに流れる砂に足を奪われ、ずるずると滑落して底に落ちた。

 昇ろうとしても上からの追撃が多く、とうていかわしきれない。

 底の底でぐったりと埋もれ、ついに理解する。

 彼女達は、真実を知りたいわけではない。面白い話が聞きたいだけ。実習で世話になった高士より、思わぬところから出現した恋敵の方が楽しいだけなのだ。




「うらやましい……。男に取り合われるなんて本望でしょ」

 そばかすが散った頬に紅を乗せて、乙女が夢を見続けている。

「ローグレストさんはもちろんだけど、あの人も悪くないわよね」

 また一つ、焼き菓子をほお張りながらマリアンが言う。その内容に驚き、思わず目をむいた。

「わ、悪くない……ですか?」

 あんなに不機嫌で、不遜で、態度と扱いが悪い人なのに。マリアンは一体どこを見ているのだろう。

「悪くないんじゃない? ……怖いけど」

 マリアンにつられて娘達が空を見た。

 それぞれの頭上で、ぼんやりとあの人が描かれている様子だ。想像の中身が見えないことに感謝の念を抱く。もし中身が見えてしまったら、現実とのあまりの差で頭がおかしくなってしまいそうだ。

「そうよ、悪くないわ。背も高いし!」

 ライラにとって、背の高さは最重要な項目であるらしい。うきうきと同意した彼女だったが、最後に「……すっごく怖いけど」とつけ加えることだけは忘れなかった。


「でも、やっぱりローグレストさんだよー。サキちゃんのこと大事にしてるもん」

 咲き誇った色が、花比べの妄想にさらなる勢いを与えてしまう。

「本当にね。日がな一日、サキのことばかり。……いい加減、胸焼けがしてくるわ」

 毒を吐きながらも、お嬢様が悩ましげな吐息を出した。

 さすがはご令嬢なだけあって、他の吐息とは悩ましげ具合が違う。その吐息から薔薇が香っていても、不思議と思えないくらいだ。無意味な妄想で楽しむより、吐息の出し方を習った方が、これからの役に立ちそうである。

「大事にされるって……?」

 俄然、興味を深くしてライラが前のめりになった。

 その質問に、ぎくりとする。

 誤解だと言い切れる青銀の真導士についてなら、冷静な対処ができた。

 しかし、黒髪の相棒についてとなれば話が違う。想い合っているのは事実だから、誤魔化しようがない。

「それは、ねぇ?」

 にひひと意地悪な顔をしたユーリが、隣のティピアに同意を求める。

「あんまり、人に言えない……」

 同意を求められたティピアがほそほそと言い、レアノアから笑いが出た。

「言葉にしただけで、口の中が砂糖で埋もれるわ。今日なんて朝っぱらから抱き合ってたし」

 喫茶室に甲高い声があふれる。

 炊事場からどうしたことだろうと視線が飛んでくる。追加の焼き菓子を手にしている給仕のおばさんと目が合い、いたたまれなくなって卓に張り付いた。

 言わなくてもいいと思う。

 見られたのは失態だったけれど、皆にばらす必要などないと思う。

「だ、だ、抱き合うって、どんな感じ? ねえ、ねえ、どんな感じなのっ!」

 卓と顔のわずかな隙間から、ライラが顔を覗き込んできた。決して目を合わせるものかと気力を束ね、ぴったりと卓に張りつく。

 いやだ、起き上がりたくない。もう現実なんて見たくない。

「……ライラ、それは聞かないでおきなさいよ。はしたないわ」

「だって、だってえ!」

 娘の番が、頭上で盛大にさえずっている。

 そのさえずりが、周囲の卓に伝染するまで時間はかからなかった。あちらこちらから、赤面ものの推察が飛んでくる。

 推察は、貴公子との前評判に強く影響されていて、とても聞いていられない。




 違う。

 全然、違う。

 ローグはそんな歯が浮くような台詞は出さない。銀縁の相手役のような、格好つけたことは一切言わない。

 フォアカトレアもマーディエルも贈られた記憶がない。……ああ、衣装はある。

 でもでも、真珠のようだと肌を褒めてもらったことなどない。

 薔薇の唇というのも無理だ。自分は相変わらず血色が悪い。冬はもっとあたたかいものを口にしよう。

 日傘を持っての先導?

 フードがあるのに、日傘を使う必要がない。それは自分達だって一緒のはずだ。




 聞けば聞くほど恥ずかしさが増してきて、頭がかゆくなってくる。このままでは、思考が砂糖漬けにされてしまうと危機を感じた時、赤レンガの壁越しに膨大な気配を視た。

 紛れもない海の気配は、道をつたって喫茶室の入口へ移動する。

 何もこんな時にという思いと釈放の喜びが、胸の中でこんがらがった。こんがらがりながらも、期待が胸の中で大きく手を振っている。

 彼が来たのなら百人力だ。

 何せ彼の正体は、口達者な悪徳商人である。

 想像でさえずっている娘相手なら、いとも容易く切り抜けてくれるはず。張りつけていた顔を上げ、手を振り続けている期待と一緒に、扉が開くのを心待ちにする。


 彼が扉の影から現れた瞬間、喫茶室の音が消えた。

 赤レンガで造られた"さえずりの間"が、パルシュナ神殿の大聖堂となってしまったかのよう。

 ついでにかゆくなっていた頭から、恥と思考とが弾き飛ばされて消える。残されたからっぽの頭に、目からの光景が届いたのは、たっぷり時を消費してからだった。

 待ちかねていた相棒は、見慣れない格好をしていた。

 身につけている厚手の衣装は、少なくとも自分が干した衣服の群れにはいなかった。

 鉄紺の上衣は、膝までたっぷりと伸ばされていて、動くたびに大きく揺れる。首元には白いレースが何重にも巻かれており、こちらも贅沢に伸ばされている。上衣についている大きな金色のボタンは、一つも留められておらず、だからこそ内側の素材がよく見える。金糸で織られている内布には、大柄な花の模様が入れられていた。


 これでは完全に貴族である。


 からっぽだった頭に彼のすべてが入ってきた時、ようやく音が復活した。

 ブーツの踵が出す音が、かつ、かつと近づいてくる。

「どうしました……」

 と、聞いたはずの声は、最初の一語だけ大気に出た。残りは気配で補完したのだろう。学舎で出している仏頂面のまま、意味不明な返答が飛んできた。

 困ったことだが、彼はごくたまに言葉が足りなくなる。「早期返済」と言われて、誰が理解できるというのか。

「あら、いい趣向じゃないの」

 しんとしたままの喫茶室に、お嬢様の面白がる声が響く。

 横目でお嬢様を睨んだ後、目の前までやってきたローグがゆっくりと膝を折る。


 まるで、劇の一場面のようだった。

 すっかり観客と化している娘達の前で、劇が進む。

 白い手袋が右手側だけ外された。

 薄く焼けた手が、自分の手を奪っていく。丁寧な仕草だったけれど、握り方が大いにやさぐれている。

「一体、何があったのですか」

 と、出したはずだった声も、やはり最初の一語だけ大気に落ちた。

 そして場面に不似合いな一語は、舞台に立っている黒髪の相棒にも無視された。




 大いにやさぐれ。意味不明な気配をまとった仏頂面の恋人が、手を握ったまま台詞を言った時。

 観客の興奮が最高潮にまで達し、黄色い歓声が赤レンガを震わせたのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ