真導士の宴(3)
「ええー!! じゃあ、サキは何もしていなかったの?」
高音の暴風に負けて、つい背中を反らしてしまった。
サガノトスの導士地区には、たった一つだけ喫茶室がある。
夏に入った時とは、まるで別の店のように変わっていて驚いた。
喫茶室は、季節が巡るたび建て直されているそうだ。夏までは白塗りの壁だったのに、いまは赤レンガ。広めの出窓がいくつかあって、それぞれに愛らしい模様の花瓶が並べられている。
花瓶には秋の花が咲いていたり、黄色に染まった葉が生けられていたりと彩りが豊かで、見ているだけで楽しいのだ。
中央部分には、暖炉が備えつけられている。だから冬まではこのままだろうと予想ができた。
秋の喫茶室は、いるだけで気分がいい。
ぜひともまたこようと、心に決めている。
本日、この喫茶室は娘だけの貸切状態。特に示し合わせたわけではなかったが、何故か皆して集まってきた。
男の人もくるにはきたけれど、娘に占領されている事実を確認し、誰もが諦めて帰っていった。その背中が、どこか寂しそうだったことだけ記憶に留まっている。
喫茶室にいる娘達からは、ここ数日の間に続けて謝罪を受けていた。
正直、誰がどのようなことを言ったのかもよく覚えていない。いまさら過去に何を言われたと掘り下げても無意味だったので、全部の謝罪を受け入れて任務完了とした。
友人達には心配されたけれど、これでいいと伝えてある。
だってとても言えない。
その他のことが大変過ぎて、あまり覚えていません。むしろ皆さんどなたですか……とは。
だから、鬱屈したすべてを終わりにした。自分の頭に備わっている許容量は小さい。あれこれと突ついてもきっと覚えておけない。
いまは気分を一新して、全員と出会い直している最中なのだ。
卓には一緒に出てきた三人と、ベロマで出会った番――ライラとマリアンが座っている。
周囲の卓にも、思い思いに娘達が座っていて、いつになく世界が華やかである。
「ええ、特に……。あ、組み紐は作りましたね」
がっくりときていたライラが、勢いと瞳の輝きを取り戻し、身を乗り出してきた。
「でもそれって、わたし用に作ってくれたのでしょ?」
ユーリに言われて、そのまま頷く。
途端、またがっくりと項垂れる。
「そんなぁ。サキならいい"おまじない"を知ってると思ったのに。カノンテプスも、とんぼ玉も、櫛の"おまじない"もやっていなかったなんて……」
項垂れた後、一気に崩れ落ちて卓へと突っ伏す。
「がんばったのに」と嘆く彼女を揺さぶってみても、起き上がる気配がない。
「……お願い、放っておいて。望みが絶たれてしまったの」
めそめそとした声が痛ましいけれど、話の続きが気になって仕方ない。
とにかく起こそうと肩をゆすっていたら、マリアンが救いの船を出してきた。
「あんまり顔をひっつけてると、そばかすが増えるわよ」
娘にしては背が高く、お姉さんのような雰囲気のマリアンが言う。言われたライラは、そばかすが散っている頬を高潮させ、「ひっどーい」と声を張り上げた。
「考えてもみなさいって。ローグレストさんは真力が高いのよ? わたし達の真術が効くかもあやしいのに、"おまじない"くらいで効果があるわけないでしょ」
マリアンが諭し、ライラがまた潰れると同時に、周囲の卓から悩ましげな溜息が出た。
「じゃあ、どうするの……。あと少しで聖華祭がきちゃうわ」
一年でもっとも盛大な祭は春迎祭。そして、もっとも華やかな祭が聖華祭である。
町や村が一丸となって行われる春迎祭とは違い、聖華祭は若者を主体とした祭。有体に言ってしまえば、若い男女のためにあるお祭なのだ。
十五になったその年から、婚姻するまでの間だけ参加が許される。
昔は神殿が執り行う祭だったらしいけれど、いつからか国の支援が入るようになった。
そのため春迎祭に勝るとも劣らない、大きなお祭となっている。
「せっかく聖都ダールにいるのよ。運命の人とパルシュナ神殿に行って愛を誓い合う……。ずっと憧れてたのに、相手がいないんじゃ何もはじまらないわ」
哀愁をただよわせている娘につられ、ユーリがぼんやりと空を見つめ出した。
「そうだよねー。ダールの聖華祭に行けるのに、相手がいないと……。わたしも恋がしたいなぁ」
このままでは、出店を回るだけになってしまうと嘆き、祈るように手を組んだ。
大変まずい流れだ。
話がどんどん逸れていく。
"おまじない"の話に戻りたいのに、夢見る乙女達の勢いが止まらない。
「わたしも早く、素敵な男の人と出会いたいよー」
「そうよねっ。サキほどのわがままは言わないから、やさしくて背の高い人がいいわ」
乙女達が声を揃えて「ねー」という。
「二人共、わたしがわがままってどういうことですか」
話が逸れてしまうことを案じていたら、話が妙な方向に曲がった。これ以上、誤解が重なるのも御免だ。悪女サキと呼ばれてなるものか。
そう思い、大慌てで夢見る乙女達の間に分け入ろうと試みる。しかし悩ましげな吐息の壁に阻まれてしまった。
ティピアはくすくす笑うばかりで、助けてくれることはなさそうだ。
体温が上がったせいか、いやな汗が襟元に溜まる。
もうご勘弁いただきたい。
「サキ、諦めなさいよ。目立つ男を捕まえたら、からかわれるに決まっているでしょ」
レアノアが優美に茶をすする。
微笑んでいるけれど、こちらも助けるつもりはないらしい。
そんなお嬢様の発言に合わせて、マリアンが焼き菓子をそっと摘み、にんまりと笑う。
「違うんじゃない? サキは捕まえたんじゃなくて、捕まった方だものね」
いっせいに黄色の声が咲いた。
喫茶室中から聞こえてくるからかいが、自分の熱をどんどん高めていく。
このままでは倒れてしまう。冷静に、冷静にと念じ、すっかり冷えてしまった茶を含んだ時。ふと冷気の気配を感知した。
「――おい」
振り返った出窓の向こうに、青銀の真導士が立っている。
何でまたと驚いた後。あたふたと席を立ち、急いで出窓に駆け寄った。
「どうしました」
小声で言ったにも関わらず、そっくりそのまま喫茶室中に響いてしまった。あんなに騒がしかったのに、全員が口を閉じて、耳を澄ましている。話を聞かれてはいけないなと思って、出窓ぎりぎりまで身体を寄せる。
「任務のはずでは」
まさか導士地区に姿を見せるとは思わず、本当に大丈夫なのかと心臓が騒ぐ。
自分の心配をよそに、バトは普段どおりの口調で返答する。
「完了した。報告ついでに寄っただけだ」
任務を終えた足で、こちらにやってきたようだ。
フードを被っているのはそのせいだろう。
バトはローブの中に腕を差し入れて、金の鎖を取り出した。昨日、真術が切れてしまったアンバーの鎖。
さっそく籠め直してくれたようだ。
「ありがとうございます」
「今後は二日に一度、籠め直す」
冬が近い。油断は禁物だとつけ足された。
声がぴりぴりしているのは、任務上がりだからか。後方にあるざわめきを考慮することもなく、的確な指示がいくつか飛んでくる。
大げさにならないよう頷いて、それらに対して了承を伝えた。
「バトさん、気になる話が……」
言いつつ、後方へと視線を流す。
正確に意図を汲んだバトが、瞳を冷たく輝かせた。
「急ぐ必要はありそうか」
問いに、小さく首を振って報告代わりとする。
「では、明日にしろ」
「……はい」
「護衛はつけている。だが、勘が騒げば構うことなく撤退しろ。輝尚石はあるな」
「持ってきています」
答えを受けて、バトが冷たく笑った。
それなのに、何故か背後で黄色い声がした。
違和感が拭えず、彼女達を振り返ろうとしたら、右の添え髪が引っ張られる。またもぐきっとやってしまい、痛みに悲鳴を上げた。
バトは基本的に扱いが雑だ。そして被害に合うのはいつも自分だ。
痛いですという抗議は、いつも通りに流される。
娘の髪を何だと思っているのか。ふつふつとした怒りは、次いで出てきた言葉に塞き止められた。
「これ以上、面倒事を起こすなよ」
――わかっているな。
つらら状の言葉が、右耳から入り心臓を凍らせる。
氷漬けの心臓を溶かす術は一つだけ。
無心に頷いて解放を願う。骨が外れそうな勢いで頷いたので、どうにか納得を得られたらしい。
解放された添え髪が秋に舞う。薄い金と、ちらちらと散っている彩りの向こう側で、今日も幻の光がただよっている。
瞬きの間に、青銀の真導士は姿を消してしまった。
残された転送の余韻を感じながら、添え髪を整える。
明日会ったら、また騒ぎ立てて進ぜようと企むことは忘れない。
そうやって悪いことを考えていたら、両肩にぽんと手が乗った。
左右からの感触を受けて、背後の状態を思い出す。これは絶対に――まずい。
「見たわ」
左側でおどろおどろしくマリアンが言い、右側でライラが「見たわよ」と復唱する。
「贈り物なんかいただいちゃって、一体どういうことかしら」
「髪に触れるようなご関係とは、恐れ入ったわ」
違いますという返答は、二人に黙殺された。
「さあ、こちらにどうぞ」
「サキのために新しいお茶を頼んだの。今日はゆっくりとお話しましょう。……ね?」
卓に座ったままの娘達を見れば、それぞれに可憐な笑みを浮かべ、いらっしゃいなと手招いている。
うるわしい光景のはずなのに、真眼が撤退を促してきていた。
恐怖から逃れようと、ポケットに仕舞ってある転送に手を伸ばす。しかしライラに察知され、腕をがっちりとつかまれた。
処刑場と化した卓へ連行されていく間中、決死の思いで女神に問い続ける。
ああ、女神パルシュナよ。
自分はどこで間違えてしまったのでしょうか。




