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真導士サキと風渡りの日  作者: 喜三山 木春
第十一章 神籬の遺跡
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託された願い

 眠る彼女をまた運ぶ。


 酒に弱いのに、酒が好きで、酒に溺れた挙句、最後は寝た。

 気ままに過ごしたサキは、すっかり紅が落ちてしまった唇から、小さく寝息だけを出している。

 まあ、今夜だけは仕方ない。

 そう思い、運搬係を務めている。

 酒癖の矯正は、いつ着手しよう。とりあえずは酒量の限界値を割り出すべきだ。

 とりとめもないことを考え、廊下を歩いていたら、後方から呼び止めがきた。

 振り返り、その人の名を口にする。

「……オーベンさん?」




 老爺の請われて渡ってきたのは、焼け崩れた夜の村。

 彼女の故郷は、強くなった風の中で静かに佇んでいた。

「お疲れでしょうに、すみませんな……」

 倉庫の中で、老爺が謝罪を述べた。

「いえ、大丈夫です」

 今宵、サキが眠っている内にという要望は、確かに急だった。急ではあったが理由があるのだろうと考え、帰郷の許可を取りつけた。

 同行してくれたキクリ正師は、いま倉庫の外で結界を張ってくれている。

 守りの中、焼け残った倉庫で探し物を手伝う。


「よく笑うようになりました」

 皆様のおかげでしょうなと和やかに言われて、少しばかりうれしさを覚えた。

 手を動かしながら、老爺は彼女との思い出を語る。

 大人しい娘だった。

 親心は贅沢だ。大人しいなら大人しいで。素直なら素直で心配していた。

 十までに裁縫は一通り覚えたけれど、料理の方を好んでしていた。食堂ではじめて出した食事は、実は生焼けだった。

 安心して食事ができるようになったのは、十二を越してから。

 小さい頃は、羊の世話に夢中だった。

 世話は好きだったが、毛刈りは苦手だったようだ。寒いのはかわいそうだと、泣いてしまったことがある。


 老爺の目の前には、幼い日の彼女が見えているのだろう。

 サキの表情は、想像するまでもなく生き生きと目に浮かんだ。


 おお、と言って村長が手にしたのは落書き帳。

 思いがけず見つけたようで、自分に渡した後、そのまま捜索を再開した。

「五つになる前までは、絵を描くのが好きだったのです。いつの間にかやめてしまって、飽きたのかと思っていたのですがね。どうも本当は違ったようなのですよ」

 よく町まで買出しに行ってくれていた人が、娘夫婦に呼ばれて越してしまった。

 その頃から村人は、あまり頻繁に買出しへ行けなくなった。

「最後まで描き切ってしまったのを、ずっと言い出せなかったのでしょうな」

 気づいたのは七つになった頃。

 その時はもう針仕事をはじめていたから、いまさら欲しいとも思っていなかったようだ、と。

 悪いかと思いつつ、落書き帳を開いた。村長が言った通り。最後まで埋められている落書き帳には、花やら妖精やらが描きこまれていた。

 後ろから前に、頁を戻していく。

 前に行けば行くほど、大雑把な線になっていくのがなんとも微笑ましい。

 めくれる頁が少なくなってきた時、大木の絵が出てきた。

 大木の絵からは、全体を描こうとして失敗した様子が見て取れた。下から描きはじめてしまったようで、ほとんど幹だけで一頁を使っている。上部になけなしの緑が入っている大木の絵を見て、冷や汗が浮いた。

「……オーベンさん、聞いても構いませんか」

 何ですかなと返ってきた声。燻っていた疑問は、もはや圧し留めておけなくなった。

「"下り木"の洞は、本当になかったのでしょうか」

 老爺の手が止まった。

 音が消えたせいで、草原の虫の音がくっきりと夜に浮かんできた。

 落書き帳の大木に、ぽっかりと口が空いている。まるで青の壁の中にあった、あの木のように。


「"下り木"はね……。不思議な木なのですよ」

 話と共に、捜索が再開される。

 思っていたよりも遠くからはじまった物語。くすみが見える話に、耳をそばだてた。

「拾い子が多いと言っても、周囲の村はたったの五つ。それぞれが小さい村ですから、赤子の影があれば誰かが気づきます」

 子を捨てるのは、村人の血縁者が多かったという。

 村の誰かから"下り木"の話を聞き、苦しい時に思い出して捨てにくる。

 だから、両親を辿ろうと思えば簡単にできる。後悔していそうなら戻しに行ってやり、事情があるようなら何も言わずに里親を探した。

「でもね。誠に不思議なのですが、どう探しても親が出ない時があります」

 サキもそうでしたと言って、長い間が空いた。

「そういう子供はね。どうしてか全員が三つの頃合で捨てられておりました。見たこともない衣装を着て、ぼんやりと立っている。名前を聞いてやれば、それぞれの名を答えます。ただ親を聞いてやると、同じように答えるのです……」


 お母さんはいる。

 お父さんはいない。


 老爺は気づいているだろうか。

 恋人の思い出話を聞きながら、緊張して冷や汗を出している男に。

 その姿を、おかしいとは思っていないのだろうか。

「……お山は大きくとも低い山ですから、女の足でも登れます。でも、三つの幼子を連れて登るには向いていません。近くの町から馬なしでくることも難しい。女の足で、幼子を連れて、たった二人で山を登る。……できようはずもない。できたとしても村の誰かに気づかれましょう。それなのに、見知らぬ子供が捨てられているのです」

 長年疑問だったが、納得する答えが一つだけあったと和やかに笑う。

「真導士ならできるでしょう。サキの親は真導士だったのですな。だからこそ、あの子も真導士となったのです」

 ほっほっと出てきた笑いに弱さを感じたのは、自分の動揺のせいか。


 真導士なら……。

 村長が言うように、真導士ならば可能だ。

 そして真導士なら、真力が遺伝することも多い。彼女の親が真導士というのも考えられはした。

 村長は。

 里を知らない民なら、納得もするだろう。

 でも、無理だ。

 無理筋の想定だと、真導士の身なら気づく。

 真導士の生活は保障されている。半人前にも給金が渡されるから、まず生活苦にはならない。

 例えば、望まぬ子だったとしたら?

 子にとっても女にとっても不幸だ。不幸だが、これはあり得る。けれど、この筋で考えると他の場所で引っかかる。

 望まぬ子を産んだ女が、赤子を三つまで育てるだろうか。

 下の弟達の世話は、それはそれは手がかかった。赤子は本当に何もできない。眠ることすら一人でできない時も多い。

 大変な思いをして、望まぬ子を育てて……三つになったら捨てる。

 どう考えてもあり得ない。


「"下り木"の洞は、ずっと昔から存在しておりません。少なくともわしの知っている限りは、何もなかった」

 村長の手が、棚にあった箱取り出した。

 埃を払い。蓋を開けて、さらなる捜索をはじめている。

「それは――」

 いつの間にか、喉が渇いている。

 体内に残っていた酒の気配も、いまは感じられない。

「……村の山守が"下り木"の洞について騒いだのは、いつ頃の話ですか」

 夜が一段と濃くなった。

 錯覚だろう。そんなことは、自分が一番よくわかっていた。

「サキが、拾われた時の話ではないですか」

 聞いておきながら、返答は期待していなかった。返答がなくても確信を得られた。

 村長の手が、少し震えている。答えはもう出されていた。

「あの子は……貴方に会えてよかったのでしょうね」

 手の震えが治まった。

 探し物がついに発見されたようだ。

「他の子供と……。拾われてきた親のいない子供とサキでは、一つだけ大きな違いがあります」

 探し物は、古びた紙に包まれていた。

 触れるだけでぼろぼろと屑をこぼす紙の中から、今度は古びた布が姿を見せた。

「リグ様……。アーレスは同じでした。違うのは、サキだけだったのです」


 拾われる三つの子。

 父なしの母を見失った子供は、昔から男の子だけだった。


「いまは"下り木"と呼んでいますが、古くは"御次の木"と呼んでいました。跡継ぎのいない夫婦を、女神が哀れんでくださったのだろうと」

「オーベンさん……」

 しわの手が古びた布を取り払って、目的の品を取り出した。

 出てきたのは、丁寧な作りの首飾りだった。

 祝いの日につけるような豪奢な飾り。首飾りについた埃を、古びた布で拭う村長の目から、水が落ちた。

 垂れ下がった瞼の奥に、また涙が光っている。

「貴方にお渡ししておきましょう」

 埃から解放された首飾りが、自分の手に乗せられる。

「あの子を、よろしくお願いいたします」

 静かに頭が下げられる。

 ぽたぽたと落ちる涙が、老爺の心の内を余さず物語っている。

「険しき道となるのでしょう。一人で歩むには酷な……辛い道を行くのでしょう。どうか、どうか……お願いいたします」

 この時に覚悟は決めなかった。

 いまさら決めなくても、とうに腹は決まっている。

「お預かりします」

 首飾りをポケットに仕舞い、老爺の手を取った。

「そして銅の額飾りと貴方に誓います」


 これから先、彼女がどのような世界を歩もうとも。どんなに苦しんで、泣くようなことがあろうとも。

 一日でも多く、サキが笑顔でいられるよう。

 彼女が幸福だと感じられるよう、きっと力を尽くしていこう。


「……オーベンさん。彼女は思っている以上に、泣き虫で寂しがりです」

 その上、なかなか欲張りなところもある。

 もしも失ってしまったら、寂しがって手がつけられなくなりそうだ。

「どうかご自愛ください。貴方はサキにとって、たった一人の父親なのですから」

 老爺がついに膝を折った。

 支えた拍子に、片手に残していた落書き帳が床に落ち、最初の頁が顔を覗かせる。広がった白には、青一色で子供の絵が描かれていた。

 小さく丸まった背中が、むせび泣きに揺れる。

 荷物を下ろしきった背中を労わりつつも、落書き帳から目が離せなくなった。




 描かれていたのは二人の子供。

 同じようにお下げをしている"サキ"によく似た子供達の姿は、網膜と脳裏に焼きついて影を残した。

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