二人 3
「っかー! すんげえ腹立つ」
「まあまあ、クルト殿。いつものことじゃありませんか」
「いつもいつもだから余計なんだよ。困ってるんだ助けてくれって泣きついておいて、自分は何にもしない気でいるだろ。んで、断ったら後ろ足で泥を引っかけてきやがって。一発、殴ってやりゃよかったんだ」
「一応、ローグは謹慎明けってことになってるから。さすがに喧嘩沙汰はまずいでしょ」
「……じゃあ、オレが殴りに行く」
「おいおい。クルトが謹慎になったら、ユーリちゃんが狙い打ちにされるだろ」
ギャスパル達は、いまだ同期達を狙っている。
表立って派手に動かなくなっただけで、やっていることは相変わらずだ。人通りの多い道を選べば見回りの高士がいるから、なるべく大きな道を歩くよう心がけている。薬草を採りに行くにも、ぞろぞろと連れ立っていかなきゃまずい。ほとほと迷惑なんだけど、あちらさんはお構いなしだ。
「ちきしょー。……おい、ローグレスト。お前どこ行く気だ?」
怒りを撒いていたクルトは、あらぬ方向へと進路を変えたローグを呼び止めた。「お前の家はこっちだろう」と言っているものの、言われているローグは道を進んでいる。
「倉庫に行く。帰りに寄ってきてくれと頼まれている」
「何だ。野菜でも足りてねえのか」
「輝尚石を使い切ってな。水晶をもらいに行く。あとは夏用のローブを頼まれている」
――ローブ。
頼まれていると言っている以上、サキちゃんのローブだろう。
「お熱いことで」
ジェダスがしれっと言ってのけた。
言われたローグは恥ずかしがるどころか、誇らしそうに笑う。
お嬢さんに衣服の用意を求められる。
それは甘えであり、信頼である。さらに踏み込んで言えば、男の器を計る意味合いだってある。
倉庫へもらいに行くだけだと軽く考えているなら、今度行ったときに教えてあげなきゃ駄目だ。男にとって、とても重大な出来事だし。地域によっては、そのまま婚姻と結びついてしまうほど大きなことなのに。
ああもう……あの羊さんは、どうしようもなく無防備だ。
「ローグ、オレも一緒に行く」
「何でだ」
「天啓だ。女神が行ってこいとおっしゃっている」
言った途端、仏頂面になったローグの背中を叩き、倉庫への道を歩く。
「……僕も行きますっ」
遅れて名乗りを上げてきたダリオに、いじましさを感じたのはオレだけだったろうか。心配そうにしている友人達に向かって、また明日と手を振って挨拶を交わす。
日は真上を過ぎたばかり。
今日はうんざりするほど、あつい一日だ。
「お疲れ様でした」
そっと目の前に出されたのは、涼しげな色のグラス。冷茶には氷が浮かんでいて、これぞ女神の恵みだと大喜びで受け取った。
「水晶の箱、ありがとうございます。全部使い切ってしまって困っていたのです」
ほんわりとした柔らかい笑顔で礼を言われた。こういうのはやっぱりうれしい。がんばって運んできた甲斐があるというもの。
これが自分の惚れた相手だったら、心底幸せだろうなと夢を描く。
出会いが遅れているだけで、きっとどこかで待ってくれているはず。子供じみた夢だけど信じるだけなら罰は下らない。
「いいよー、いつでも言って。食事のお礼をしなきゃと思ってたからさ」
「あまり気にしないでください」
「いいのいいの。な、ダリオ」
横で固まっている不自然なダリオは、聞いただけで挙動不審に拍車がかかった。
さんざんどもった挙句、しどろもどろの返答をする。
ダリオの様子がおかしかったのか、サキちゃんはお盆を持ったままくすくすと笑う。狼の勢いに慣らされた金の羊には、ささやかな好意程度じゃ通じないんだろう。
ダリオのことを、ちょっとだけ哀れに思う。
「サキ、直ったぞ」
間の悪いときに戻ってきたローグ。炊事場からひょこりと顔を出した男のせいで、ダリオが盛大にむせた。
帰宅早々、棚の調子をみてくれと言われた黒髪の友人は、これまた意気揚々と修繕に乗り出していたのだ。案外、手早く終わったようで、成果を確認してくれと彼女を呼んでいる。
「もう終わったのですか?」
びっくりした顔の羊さんは、お盆を卓に残し、ぱたぱたと炊事場に向かう。
「ああ、よかった。ちゃんと閉められるようになりました。ありがとう、ローグ」
「ねじが緩んで、閉めづらくなっていただけだ」
「そうだったのですね。お皿を入れすぎて歪んだのかと心配しました」
真面目に悩んでいたらしい。
真剣な口調になった彼女の台詞を聞き、ローグが笑った。それはそれは楽しそうに笑っているローグ。元気を取り戻した友人のどこにも、影の気配は残っていなかった。
喪失しかけていた日常は、留まることなく流れている。
これでいい。
いいや、こうでなきゃいけない。
運命のいたずらを乗り越えた二人の姿に目を細める。せつない溜息を片耳に入れながらも、満たされた気分を味わう。
今日は、ほんとにあつい一日だ。
でも、あつくてもいい。じめじめとした長雨に降られるよりは、ずっといいんじゃないか。
そんな風に思えた。
「お邪魔しました」
「また、邪魔しに来るからなー」
「たまには遠慮しろと言っているだろうが……」
あつくて堪らなかった一日だけど、どうやら終わりが近づいてきている。
夕立の気配が濃くなってきた大気。緑の葉をゆらして駆け抜けていく風から、湿った匂いがしてきている。
降られちゃ堪らんと、帰宅を選ぶことにした。
夕飯の誘惑は断ち切りがたい。だからといって、濡れ鼠になって帰ったらお嬢様の小言が怖い。
ぶつくさ言っているローグを心配したのだろうか。衣類を畳んでいた手を止めて、サキちゃんも見送りに出てきた。二人が並んで立っていると妙にしっくりとくる。
早々に所帯じみてきた友人番。からかいの気持ちがむくむくと沸いてきたけど、今日のところは勘弁してやろうか。
それじゃあと声をかけ、ダリオと共に帰路につく。
同じように手を上げているローグの横で、彼女がぺこりとお辞儀をした。
とろとろと歩き。少し気になって振り返れば、窓の向こうでサキちゃんがまとめた衣類を運んでいた。
流して見た樹木の下。
空いていた穴はすでに埋められている。緑の合間に茶色が覗いているだけの場所。本当に、ただそれだけの場所。
きっと季節がその跡すらも消し去っていくだろう。
そうでなきゃいけないんだ。
「……ヤクスさん」
感慨にふけっていたオレを呼ぶ、萎れた声。
うちひしがれているダリオは、遠く遠くを見つめて、また溜息を落とした。
「何でサキさんだったのかと……言っても詮無いことですよね」
それは「自分が」だろうか。
それとも「ローグが」だろうか。どちらにしても同じだけど、何となく気にかかった。
「わかっているんですけど、辛いものは辛いですね」
「だろうねー。どう、諦め切れそう?」
「諦めるしか……ない、です」
もちろんローグの恋路は、友として応援している。だけど、こうやって目の前で魂が抜けそうになっていれば、やさしい言葉くらい用意したくなる。
「まあまあ、キクリ正師も言ってたじゃないか。諦め切るまでがんばってみたら?」
「無理ですよ」
ダリオはつぶやいて、両手で顔を覆った。
「あんなの見ちゃったら、もう無理ですよ……」
「あんなの……って?」
いったい何を指しているんだろう。
すっかり毒されている自分には、いつも通りの二人でしかなかった。
やっぱりあれか。片思い中のダリオにとってはきつかったのか。だったら悪いことをした、せめてオレくらいは気を使ってやればよかった。
「やっぱ、目の毒だったよねー」
「目の毒どころじゃないですよ。最初から無理ってわかってたけど、さすがにもう……」
んんん?
落ち込むにしても程度がひどい。
ダリオが指している"あんなの"って、一体どれのことだろう。
「見てなかったんですか……?」
腐っても真導士。
燠火でも。真力が多少高くても。オレがわかっていないのは読めたらしい。
「見るって何を」
「だからさっきの洗濯物ですよ。完全に男物じゃないですか」
思い出してみれば。確かにあれはローグの衣類。というか夜着だった。
油断だらけの羊さんは、当たり前のように畳んでいたけど。……やっぱりあれは、まずいだろうね。
「まあね。でも畳むくらいだったら、他の番でもやってそうじゃないか」
家事は女のもの。
男が侵してはならない絶対の領域だ。男女の番だったら、同じようなことしてそうだ。
深く考えず。のんびりと答えた。
「違いますよ。その後のあれですよ!」
えっと、その後?
「何かあったっけ」
「ありましたよ。畳んだ服をサキさんが片付けていたじゃないですか」
少し前に見た光景を思い起こす。
きれいに畳んだ衣類をひとまとめにして、いそいそと部屋に向かっていた彼女の姿を。
「棚を開けるからってことか?」
言えば、違うと首を振り、苦悩した様子で頭を抱えた。
「夜着を部屋に持って行ったんです」
「だから、部屋の棚に仕舞いに――」
あ。
あー……。
そういう、ことか。
「ローグの夜着だったよな……」
「ええ、どこからどう見ても。……何でサキさんの部屋に運ぶんでしょうね」
本当に、何ででしょうね。
虚しさをただよわせ、小さくつぶやいたダリオは、かわいそうなくらい肩を下げてとぼとぼと歩いている。
「ダリオ」
「……はい」
「これからサロンに行くか」
頷きを返すのが精一杯だったんだろう。
あまりにいじましくて、放っておけなくなってしまった。
結局、二人して飲みに行き。ざあざあと降ってきた雨でずぶ濡れになり。お嬢様相棒の怒りをかった。
あついあつい夏のとある一日は、こうして幕を閉じたのである。