二人 2
サロンにやってきたのは男ばかり。
お嬢さん方は全員が帰宅してしまった。水を浴びて汗を流したいんだそうな。
それはそれで麗しいが、相変わらずの茶会になってしまった。暑さとむさ苦しさを誤魔化すため、冷茶を一気にあおっておく。
「ようやく全員が飛べたな」
あせもができたのか、襟元を掻きつつクルトが言った。
「ああ。あとは慣れだけだ。修行場への行き帰りは旋風を使ってみるか。歩くよりいいだろうし、何事も修行だ」
「それはいい案です。早速、明日から実行しましょうか」
定期的に開かれるようになった会合。
周囲に人が多い時は、こうやって真術の話に持ち込むようにしていた。
ローグが勝ちとった過去の知識は、全員にわけ隔てなくと決めている。だけど、時と場合は選ばなきゃいけない。誰が聞いているかわかんないってのは、恐ろしいもんだね、まったく。
さっきまでのにやけ面は、きれいに折りたたんで仕舞い終えたらしい。
黒の狼から、悪知恵はたらくカルデス商人に戻ったローグは、冷茶を優雅にすすって話題を先導している。
束の間。
オレ達の卓とその周囲から、話し声が薄くなる。
相変わらず人目を惹いている黒髪の友人は、黙っていれば貴族に見えなくもない。話し出すと荒い感は誤魔化せないから、黙っている時だけ。この時だけは、貴族の令息と言われても信じてしまいそうだ。
先日の"里抜け事件"に関する話題は、瞬く間に同期達全員が知るところとなった。ここぞとばかりにローグを叩く奴もいたけれど、すぐに消えてなくなった。
同期の連中にとって、こいつは優れたる者。
自分より優れている奴への批判はどこか後ろめたい。嫉妬と受け取られてしまえば恥になる。理由はそんなところだろうか。
ローグに関しての心配はなくなった。ところがどっこい、何でかサキちゃんへの当たりが強くなってしまった。
彼女が不幸の源だとか、ローグを唆したとか。残念な噂が広がってしまっている。
ほんとに何でだろう?
導士地区に広がっていた真術は、里の手により霧散しているのに。最初から真術の影響ではなかったのか。ローグが言っていたように心根の問題だったのか。
……おかしいな。
それぞれと話してみれば、悪人だとはとても思えないんだよな。皆には気づかれないよう内心で思案を重ねているけど、今日も答えは得られなさそうだ。
「"首席殿"――」
むさい卓に割り入ってきた男の声。
ああ、またか……。
誰もが面倒そうな顔で相手を見返す。あのチャドですらも、すっかり雰囲気に染まってしまった。カルデス商人の影響力は留まることを知らない。
「誰だ」
感情を引っ込めたローグは、不機嫌そうにも見える無表情で男に問う。
声をかけてきた男の顔は、うっすらと記憶にある。
名前は出てこないから"三の鐘"の誰かだろう。ローグの顔色を窺っている男は、汗をかきかき名を伝えてきた。聞いた名前に覚えはなかった。反応の薄さに動じた男は、クルトを指差し「同じ"三の鐘の部"だ」と付け加える。
だしとして使われた格好になったクルトは、唇を尖らせ半目になった。不貞腐れたクルトの代わりに、ダリオが「確かに"三の鐘の部"です」と答える。微妙な感じになってしまった卓で、全員がローグの次の言葉を待つ。
「……何用だ? ギャスパルからの言伝でも預かってきたのか」
「ち、違うっ。違うんだ"首席殿"。オレはギャスパルの手下じゃない!」
堰を切ったように弁明を並べ出す。長々とした前置きで幾度も強調されたので、ギャスパルの手下じゃないことはわかった。
そもそも"共鳴"を受けていないから、言われなくとも知っている。
当人の口からはっきりと言わせる。ローグのこだわりの一つだ。理由は聞いていない。まあ、ローグが言うのならと全員が受け入れているだけ。信頼と言えばそうなんだろう。
とはいえ、ここまで口上が長いとさすがに飽きてくる。そろそろご勘弁いただきたい。
「わかった。お前がギャスパルの手下ではないのは理解した。それで俺に何の用だ」
もう十分……というか、いい加減にしろと匂わせつつ、ローグが問う。
聞かれた方は、ごくりと唾を飲み込んだ。気がつけば周囲の卓でも緊張感がただよっている。
……ああ、そういうことね。
言うなればこの男は先兵。
こいつが成功したら我も我もと追随する気らしい。この男は貧乏くじを引かされたんだな。
でも、まいった。
遠まわしなのはローグが嫌がるんだけど、引き込む数は多いほうがいい。さあて、どう説得しようか?
「今日、ギャスパルから脅されて……。次に会った時までに、どちらにつくか身の振り方を決めろって言うんだ。オレはあいつの手下になりたくない。"共鳴"されたら言いなりにならなきゃいけない。……だから"首席殿"の仲間に入れてくれないか?」
ギャスパルの奴と、ぼやいたのはクルトだ。不快感をこれでもかと示した赤毛の隣で、ブラウンとフォルが空を睨んでいる。
エリクとダリオは、どこでもない場所を見つつ黙っている。
口を開いたのはジェダス。どうされますか? と、茶をすすりながら軽く聞く。その向かいに座っているのはチャド。
チャドは男の顔をじっと見ている。いつの間にか、二人には役割分担ができていた様子だ。
「一つだけ、確認したい」
右手を顎につけたお決まりの格好で、ローグは真力を放出した。
これは威圧じゃない。周囲の気配が辛気臭くなってきたからだ。最近はそこらへんの機微もわかるようになってきた。
「こちらにつくというなら、お前がギャスパルとやり合う時は参戦する。その代わり、俺達が連中とやり合っている時は、お前も参戦しろ。俺達は用心棒ではない。肩代わりを望むなら他をあたれ」
しんと静まり返ったサロン。
ジェダスが茶をすする音が、やけに際立った。
「どうだ?」
条件を飲むのか。飲まないのか。
ローグは大した間を入れずに畳み掛けた。打算があって迷いが出るようなら断る。この方針があるからこそ、オレ達の数は増えずにいる。
「あの、そのう……」
"正しい答え"を求めはじめた男は、問いかけたローグから視線を逸らした。
――残念。
エリクが音を消したまま口を動かす。
「そうか。気が変わったらまたこい」
席を立ったローグに続いて、順々に椅子から立ち上がる。失敗したと顔色を変えた男は棒立ちになったまま。
結局、出番がこなかった仲裁役にできることは、また今度と声を掛けるくらいだ。
やれやれと脱力したむさい面々。だらだらと歩き、サロンの入り口に差しかかったところで、気になる罵声を投げつけられた。
「"落ちこぼれ"はよくて、何でこいつは駄目なんだよ。よっぽど役に立つだろう」
勢いよくローグが振り返る。
怒気を漲らせた眼差しが、サロンの端から端まで走り抜けた。
カップを手に取り、急いですすり出す者。俯いて己の手の甲を眺める者。誰一人、怒りに滾った視線を受け止める者はいなかった。受け止める度量もないくせに、どうして口にしてしまうんだろうね、ほんと。
「誰とは聞かん。いまの奴だけではないだろうからな」
ローグの声は通りがいい。大声でなくとも、サロン程度の広さならこもることなく響いていく。
「今後、俺の相棒を侮辱したら……」
真力が盛大に放たれた。
馬鹿でかい真力は、慣れてきたといっても多少の息苦しさが残る。
「決闘の申し込みと理解する。――いいな」
それだけ言って、ローグは足早にサロンを出た。加熱された友を追い、大急ぎで場を後にする。
最後に見た連中は、視線が残っていると信じているかのように、静かに俯いていた。