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真導士サキと風渡りの日  作者: 喜三山 木春
第十一章 神籬の遺跡
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時の鍵

 本当は誰にも伝えず。

 後世には何も残さず、ひっそりと墓に持っていくつもりだった。


「村の者も、それでいいと同意してくれておりました」


 獣の害がひどくなった。昔と天候が違うようになった。

 若い衆にはそう伝えて。少しずつ、少しずつ村の人を減らしていたのだ、と。

 故郷の村には、それはそれは永い歴史があった。息が長い村だったから、先の大戦の時代も通ってきた。

「このような辺境にも、戦火が見えたことがありました。そこで初めて、当たり前に抱えている加護が、手に余るものだと知ったのです」

 戦火が落ち着くまで、村は外界との接触を断った。国が干渉してくることも、他国がやってくることもなかった。

 国境から遠かったのも幸いして火の粉が届かず、変化一つないまま無事終戦を迎えた……かに思えた。

「お山には、"下り木"と呼ばれる大木があります。大木の根元には、幼子が捨てられていることがありました。凶作の年に多いのですが、親に事情があったのでしょう。"下り木"と呼ばれていたのはせめてもの情け。親を見失った子らに、女神から木を通して授かったと言い聞かせるため。捨てられた子は、我が村の山守が見つけます。周辺の村を探しても親がいなければ、親となりたい者に預け、育てさせる」

 サキはそうやって拾われ、育てられた。

 そしてあの時代、同じように拾われ、育てられた若者がいる。

「隣村の若者です。村から出て何年も帰らず、突然舞い戻ってきた。その若者が言ったそうなのですよ……」


 ――山を閉じるべきだ。


「大きな力が眠っている。起きるべき時に目を覚ますだろう。時がくるまで誰にも触れさせず、眠らせておいてくれ。叶うなら……。もしも叶うならば、朽ち果てさせてやってくれ、と」

 しわしわの手が撫でる動きを止めて、強く握ってきた。

「若者の名はリグと言いましたが、村に戻った時には親が与えた名前以外に、もう一つの名を持っておりました。皆様方はご存知でしょう。その名をアーレスと申します」

 大隊長殿も、副隊長殿も、正師も。そして青銀の真導士ですらも驚愕の表情となった。

「それを伝えるためだけに帰郷したのでしょう。その後、すぐに故郷を発ち。親元に戻ることはなかったと聞きます。しかし、若者の言葉は無視できぬものでした。もちろんのことだと思います。何せ終戦の立役者、真導士の里を拵えた者の願いです」

 耳が、初めて村長の言葉を疑った。

「伝説の正鵠……」

「真導士の中では、そのように呼ばれておるのじゃな」

 握られていた手に浮いた汗を、しわの手が撫でて乾かす。よしよしと擦る手に、失っていた現実感が戻される。


「長の役目は、代々末子相続でした。お山にまつわる話をより若い世代へと繋ぐために」

 決して失われないように。歴史の中に埋もれてしまわないように。

「戦火が届かなかったと言いましたが、実情は少し違います。知っていたのですよ。戦火は村に……お山に届くことはないのだと」

 守られていた。

 守りの中で、牧歌的なあの世界が造られていた。外が悲惨な光景となって、力の大きさに慄いた。

「眠らせることを決めたのは、わしの爺様でしてな。少しずつ人を減らそうと村人を説得したのは、父でした」

 時間をかけて、山から人を退けた。

 人がいなければ、誰も訪ねて来るまい。

 必要とされる時まで眠らせる。可能ならば朽ち果てさせるのだ、と。


 疲れたように口を閉じた村長の前に、真円を通した茶が差し出される。

 ありがたいと手にして喉を潤した村長は、大きな荷物を負っているように背中を曲げている。

 痛々しい気がして、その背中を撫でた。

「山が燃えた日に、役目が終わったと思ったのです」

 周囲の村々を守り続けていた山が、嘗めとるようにすべてを飲んだ。

「……終わったと」

 重い荷物が、村長の背にまだ残っている。下ろしたがっているのに村長自身が拒んでいる。

 背中を撫でて、苦痛が取れないかと望む。

「サキや、ありがとう。大丈夫じゃ……」

 曲がった背中を撫でていた手を、いま一度としわの手が握る。

 そこに束ねられた決意を、テヘラの香りと共に受け取った。


「お探しの遺跡は、おっしゃる通り"リスティア山"そのものです。入口は見つかりますまい。平時は口を開きませぬ」

 例え、山が劫火に包まれようとも、沈黙の中で眠り続けている。

「時が来れば口を開く……。しかしながら、わたくしも口を開けたところは見たことがございません。入口を見るには、"光の目"が必要と伝わっております。我らが永年守り続けてきたものは、失ってはならぬと継承されてきたものは鍵のみ」

 わずかの沈黙の後、とうとう決意の正体が姿を見せた。

「――鍵は、この子が持っております」

 視線が全身に突き刺さった。

 痛みよりも混乱が強く、しわの手に縋る。

「もはやこの子しか持っておりませぬ。時がきました」

 きてしまったとも取れる響きだった。

 悲しそうだったから、縋っていた手に余らせていた手を重ねた。

「言い伝えどおり。リグの予言どおりじゃ。……時が鍵でもあるのです」


 ――時がきたのならば、致し方がない。


 末子相続を連綿と続けてきた役目。

 役目を受けるのは、決まって大人になった時。

「継承者とさせたくはなかった。わしで終わらせたかった。されども儀式は行いたかった。儀式を受けた子供は、必ず成人まで育つ。わしは……。わしらはサキがかわいかった。一時は継承者となろうとも、成人と同時に村を出せばいい。事実を伝えなければ、村に帰ることもない。後継者を育てることもないじゃろうと。だから追い出すように聖都へ行かせた……。すまなんだ」

 涙を落とした村長の手を握る。荷物を下ろしてくれと願って。

「儀式は三回。三回だけしか許されませぬ。……十になって人の命を得た時」

 子供は華魂樹に帰りやすい。

 十になって、はじめて人の子として見る。

 だから、十の時に村で大きなお祭りがあった。入ってはいけないお山に、村長が連れて行ってくれた。

「そして成人を迎えた時……。最後に、次の継承者を連れて行く時」

 十五になった日。

 春を迎えたあの日。あの日のためにお祭りの準備をしていた。前日から飾りつけをして。

「サキは、成人の儀式を行っておりません」

 山火事があったから。

 山が燃えて、村がなくなってしまったから。

 この日のためだったのですか。宿命だったというのですか。村長が独り言めいた女神への問いを、大気に落とした。

 時の流れが交錯する。

 流れの中心には、色の薄い自分が立っている。

「時がきました。永き眠りから山が目覚めましょう」




 ――この子が鍵となり、眠りを覚ますことでしょう。

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