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真導士サキと風渡りの日  作者: 喜三山 木春
第十一章 神籬の遺跡
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滲む願い

 大急ぎで帰ってきた自宅は、今朝と同じように見えた。

 自室に入り、慌てふためきながら黙契を取り出して展開する。応答は、間を置かずに返ってきた。

 青銀の真導士は、今日も里にいたようだ。まずは一安心とわずかに力を抜く。


「バトさん、いまの――」

「わかっている。すでに捜索が開始されているゆえ、案ずるな。……今日はもう家から出るなよ」

 承知していると語る、冷たい声。

 里が動き出したのは理解したけれど、もう一つ心配の種がある。

 黒髪の相棒がどこにもいない。異変があったから帰ってきているかもと思ったのに、まだ帰宅していない。

 そう訴えたら、大丈夫だと返ってきた。

 慧師の真円の中に、ローグの気配があることは確認できている。というより、導士全員の所在と異変の有無は、正師が確認を終えている。

 浮き足立つな。大人しく家にいろと重ねて言われた。

 全身から一気に力が抜けていく。

 よかったという思いと、心配ばかりさせてという気持ちが、交互に折り重なる。

「"待て"と言っているだろう。一度できたことが何故できぬのだ」

「……失礼です。わたしは犬ではありません」

 ほっとしたら、視野が広くなってきた。

 気力の乱れが治まるに従い、今度は疑問が大騒ぎをはじめる。

「バトさんは驚かなかったのですか?」

 サガノトスで暗躍していた"霧の真導士"とも呼ぶべき相手の正体が、今日になって突然明かされたのだ。

 もっと驚いてもいいように思う。

「目星はついていた」

 あの番は不自然だった。

 長いこと尻尾を出さなかったが、常に警戒はしていたとバトは言う。

「不自然……」

「行く先々で顔を合わせること事態が不自然だろう。俺の任務地は、調査を重ねた"鼠"の巣がほとんど。たまたまだと主張したとて、何度か当たれば怪しいと思うのが当然」

 船の実習の時もそうだった。あからさまに導士達を混乱させて、"鼠"の巣に放り込もうとしていた。

 だから、あの二人から自分達を引き離したのだ。

「捜索は開始している。やすやすと捕縛できる相手なれば楽だが……奴等とて手は打っているだろう」

 明日からの合同実習は、十分留意すること。決して単独の行動はしないことを念押しされて、"霧の真導士"についての話は終わった。

 報告と確認を終えても気分が落ち着かず、黙契を繋いだままにしておく。

 あちらからも文句がこない。任務も入っていないようなので、気力を保つための雑談に付き合わせよう。

 いまは、誰かと話していたい気分だった。


「涼しくなりましたね」

 ついに秋がきた。

 すっかり衣替えを終えた世界を、窓越しに眺める。

 あふれていた緑は、赤と黄色に圧され、場所を明け渡していた。サガノトスで過ごす、はじめての季節。

 どことなく新鮮さを欠いているのは、きっと白い花壇の夢でこの季節に触れたから。

「今朝方、倉庫番の人がきたのです。夏のローブを返却するとは知らなくて……。他にも返していない人がいるから、全部の家を回っているそうですよ」

 ほころびを繕わずに返したのは秘密にしておく。

 知っていたならもっと早く縫っていたのにと、悔いを残している。

「大事に仕舞ってどうする。今年しか使わぬだろう」

 言われてみればそうなのだ。

 導士でいられるのは今年だけ。来年はローブの丈が変わる。

 大事に仕舞っても二度と袖を通さない。言われればわかるのだけど気づけずに、つい他の夏物と一緒に扱ってしまっていた。

 いま着ているローブは、春と秋に着るローブ。冬がきたらこれも返却する。冬のローブは令師の元での修行を終え、サガノトスに帰還した際に返却するらしい。

 そして、無事に一年を過ごせば自分達は高士となり、羽が長くなるのだ。


 心に影が差した。

 弱気がもっとも気力を削ぐ。暗い顔をしていても。不安にかられても。日々はただ無情に過ぎていく。

 ならば笑っていよう。

 大切な人達と、幸せに過ごしていようと決めていた。

「時の進みが恐ろしいか」

 輝尚石越しに図星を突いてこなくともいい。この人は、真力が高いわりに勘がよくて、困惑してしまうことがある。

 気持ちを透かし視る真術でも使っているのか。黙契だと思っているこの輝尚石に細工でもあるのか。

 でも、勘がいいわりには気が利かない……。

 人のことを珍妙扱いしてくれるけど、バトもかなり変わっている。

「怖いです。でも、負けたくありません」

 輝尚石から出ている光が、濃くなって大きく揺れる。

 失敬な。

 人の決意を聞いておいて、笑わないでいただきたい。

「吠え癖が悪化しているな」

「何度も言いますけれど失礼です。いい加減にしてください」

 揺れる輝尚石の奥に、冷笑が視えた気がした。

 頬杖をついたまま輝尚石から顔を逸らす。そうやって輝尚石の正面にきた右耳が、静かな声を拾う。

「恐ろしさを消す方法がある。教えてやろうか」

 お説教か。講義か。

 どちらかが来るだろうと油断していた耳に、冷たさが突き刺さる。


「里を下りることだ」


 息を止めた。

 耳から入り込んできた冷たい氷を、上手く受け止め切れなかった。

「バトさん……それは」

 言葉を出して呼吸の支えにする。

「何度でも言ってやろう。死んでからでは遅い」

 受け止め切れなかった氷が、心の中で溶ける。弱気が傷つけた溝に、ゆっくりと這って吸い込まれていこうとしている。

「わたしは――」

「知己がいないから、だったか。里を下りるならば例外なく記憶を消す。故郷がないお前には、さぞ苦痛だろう。しかし方法はある」

 語られた理解が、青銀の真導士の変化を如実に示した。

 うれしい事実だったはずなのに、どうしてこんなに心が苦しいのだろう。

「記憶を消されるのは下りた者だけだ。お前以外の連中には記憶が残る」

 下りる時には希望を聞いてもらえる。

 ほとんどすべての者が故郷を希望するが、同じように郷里を持たない者も過去にいた。

 そういう場合は、希望の地で居住できるよう取り計らってもらえる。下手に苦労を与え、"暴発"などされないよう里が心をくだき。諸事を整え。安定した暮らしを得られることになっているのだ、と。

「無論、聖都も希望できる。再会を禁じられることもないゆえ、連中がお前を訪ねていくだろう。お前は、ただ普通の娘としての暮らしを得ればいい」

 すべてを忘れさせるのは、真導士の里にまつわる秘密を守るため。そして、新たな暮らしに希望を繋ぐため。

 何もかもを忘れて、石畳の敷かれた道を行ける。

「里の手配で足りぬなら、俺が必ず叶えてやろう。娘一人の暮らしは不便やもな。必要ならコンラートに後見人をつけさせようか。もし、それでも不満だと。サガノトスの暮らしを得たいと言うなら、さらに方法がある」

「え……?」

「里の誰かと縁組をすればいい。養子を組むのはよくある話ゆえ」

 ドルトラントには、いまだ土地と血筋に紐づいた貧富がある。親族や知己を辿れば、辛い暮らしをしている者がどこかにいる。

 真導士の親兄弟。そして子供までならサガノトスで暮らせる。

 だから、親を喪った姪や甥。果ては友人の子供まで、養子縁組をして育てている真導士も多い。

「春まで我慢しろ。何もかもが終わったら、里に上がれるよう手配してやる。真術は失う。かわりに満足な暮らしを用意できる。任務もなくサガノトスで暮らし、あいつらと過ごせばいい。真導士の縁者となりサガノトスで居住するなら、記憶を取り戻すようにもできるはず。前例がないならば作ってしまえばいい。慧師には俺から願い出てみよう」


 悪い話ではなかろう。


 バトの声は、穏やかさすら見せて秋の中にただよう。

「でも、青が……」

「"青の奇跡"は、お前の危機にあらわれる。安全な場所で暮らしていれば問題はない。事実、お前は郷里で一度も力を発現させておらぬ。"青の奇跡"には禁術ですら効かなかったという話だ。里としては管理下に置きたい。しかし冬が来る」

 喉元に右手を置いた。指先が首筋の脈に触れる。

 混乱している頭とは別に、脈は着々と仕事をこなしている。それがどうにも不思議だった。

「"風渡りの日"に、何が起こるかまでは解明できておらん。不確定要素は減らしておくべきだ。"青の奇跡"はお前を守る。しかし、お前の同期までは守れぬ。下ろしたばかりの不要な荷を、また背負わずともいい」

 過日の一件は、もちろんバトにも報告をした。

 あの時は、何も言われなかったのに。……いまになってと憤りを作ろうとした。

 熱く、尖った感情でなければいけない。そうでもなければ、安息の場所が美しく見えてしまいそうだった。

「バトさん……」

 空虚を捏ねて作りかけた感情は、手の中でもろく崩れた。

「ゆっくり考えろ。まだ時間はある。"風渡りの日"の前日までは待ってやる」

 無理に決まっている。

 言葉の端々に、青銀の真導士の願いが滲んでいた。


「……はい、わかりました」

 返答をした後、すぐに展開が収束した。

 満足そうな光の余韻が、しばらく目の奥に残った。

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