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真導士サキと風渡りの日  作者: 喜三山 木春
第十章 晦冥の牙
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ぬいぐるみの尻尾

「あのさー、これってどういうこと?」


 キクリ正師の呼び出しを受け、大急ぎでやってきた中央棟。

 ちょっと前に、ローグが閉じ込められていた"治癒室"には、三台の寝床が並んでいた。もちろん患者が同じ数だけ待ち構えていたんだけども。

「……わからん」

 仏頂面で困り顔という器用なことをしているローグは、腕を組んだまま光景を眺めている。

 わからんって言っても、お前がわかんないんじゃオレだってわかんない。あんまりにも変な光景で、説明なしだと誰も理解できないってば。


 三台の寝床それぞれに、患者がいるのが普通のはず。

 でも三台の内、左側の二台が留守になっている。じゃあどこに患者がいるのかと言えば、全員が右側の一台に集まっていた。


 "治癒室"に、お嬢さん達の悲しげな泣き声が満ちている。満ちているっていうか、反響してえらいことになっている。

 右の寝床には顔色が悪いクルトが、面倒くさそうに胡座をかいていた。

 そのクルトに縋りついて、わんわん泣いているのはユーリちゃん。縋りついてっていうか、ぬいぐるみを抱き込んでいるみたいな格好だ。

 寝床の脇には、サキちゃんが座っている。

 こちらもこちらでしくしくと泣き、クルトの袖を握っている。重症そうな相手を心配してるのかと思いきや、小さな声で「ごめんなさい、ごめんなさい」と謝っているから謎だ。

 とりあえず、話だけはできそうなクルトに聞いてみる。


「何があったのさ?」

「さっぱりわかんねえ」


 おお……、絶望的じゃないか。

 いわく、起きたらこうなっていたらしい。

 決まりが悪そうなクルトの左腕に、派手な血糊が見える。二人のお嬢さんの衣服にも泥や血の汚れがついていて、大変なことがあったのだけは間違いない。

「ヤクス、どうするべきだ」

 弱り果てているローグが、オレに指示を求めてきた。この場面で押しつけられても困る。

「どうするって、診察するべきだけどさー……」

 団子になっている三人を引き剥がすのは、いまのところ無理じゃないかと思った。

 まあ、サキちゃんなら剥がせそうだけど、ユーリちゃんは絶対に無理。がっちりと腕を固めてるし。

「よし、キクリ正師を呼んでくる」

 時には強硬手段も必要だ。女神もきっとお許しくださる。




「面目ねえ」

 "治癒室"の泣き声が、ようやく止んだ。泣き声に変わって、可愛い寝息が聞こえている。

 眠りに落ちたサキちゃんは、寝床の上に無事収容できた。枕元にローグが腰掛け、熟れた頬から丁寧に涙を拭っている。

 困ったことにユーリちゃんは、眠っているにも関わらずクルトから離せなかった。

 無理と悟ったクルトは、甘んじてぬいぐるみ役を続けてる。

「一発殴ってくれてもいい。気が済むようにしてくれ」

 しゃべるぬいぐるみから事情の半分だけ聞けた。想像以上の事態だったようで、驚いたのなんのって。

 さすがのローグも、いまだけは恋人よりクルトを心配している。

「できるか。"魔獣"相手に三人とも無事だったのが奇跡だ」

「ほんとだよ、危なかったなー」

 "魔獣"一体で、一つの町が壊滅することだってある。それが六体。むしろこの程度の怪我で、よく帰ってこれたもんだ。

 三人の診察をした結果、やっぱりクルトが一番重症。

 傷口は治されていた。けど、牙の跡が真っ赤に残っていて、診ただけで背筋が寒くなった。

 お嬢さん達の怪我は、クルトに比べれば圧倒的に軽症。

 傷が治ったいまとなっては、真力が減っているくらい。大丈夫って言ってあげたいけども、気持ちの方が大丈夫じゃなさそうだよね。


「結局、救援の高士が助けにきたのかな?」

「わかんねえって。気がついたらあれだぜ」

 キクリ正師もまだ報告を受けていないとかで、真相は謎のまま。

 これ以上は、お嬢さん達の回復を待つしかなさそうだ。

「よい、今日はこれで終いにしよう。家に戻り休むがいい。必要ならヤクスも行ってやれ。血が流れていては身体に障ろう。しばらくは座学を免除するゆえ、心身ともに回復させるのだ」

 クルトには、"魔獣"の呪いを受けた形跡もあるようで、あれこれと輝尚石の用意がされていた。

 呼ばれずとも無理矢理ついて行くつもりだ。

 文句が来ない内に、輝尚石を鞄に詰めておく。準備万端いつでも行ける。

 涙の後始末を終えたローグも、サキちゃんを抱えて立ち上がる。

 よーく見れば、ローグの裾にも泥がついていた。

 こいつは実習に出ていたんだとか。真力が有り余ってるから気づけない。膨大に放出されている真力のせいで、サキちゃんの気配が消えているように錯覚する。

「クルト、立てそうか」

 いま現在、軽症以上重症未満のクルトは、縋りついているお嬢さんの扱いに四苦八苦している。

 腰かけるのに一苦労し。腕を剥がすのに一苦労し。背中に乗せるのにまた一苦労。


 ……ふらふらしてるけど、大丈夫かな?


 背中に乗せたのを確認して、まず重軽傷二人組が転送で飛んだ。

 一緒にと思ったけど、輝尚石の説明があるとかで、オレは後で飛ばしてもらえるらしい。

 キクリ正師製の合鍵を手に、はたと気づいた。

 オレってば、すっかり正師の便利屋にされてるんじゃないか?


 まあ、いいか。

 患者がいるからね。しょうがないよね、……うん。


 しょぼくれながら、ローグに睡眠剤を渡す。両手が塞がっているから、親切にもポケットにねじ込んでおいてやる。

 お前の分じゃないぞと、念押しした親切なオレ。なのにこいつ、明後日の方を見ている。

「おーい、聞こえてるか」

 もっと言うと、見栄えだけはいいローグが、明後日を見ながらにやけている。いつものいやらしい笑顔だけど、どこかおかしい。

 羊さんの危機ではないようだ。

「なあ、見たか?」

 喉で笑い、至極楽しそうに聞いてくる。

「な、何が?」

 悪巧み面に変貌した友人は、延々と笑い続けている。

 ……すっごく、気持ち悪い。

「ローグレストよ、知らないふりぐらいしておいてやれ」

 お説教口調のキクリ正師が、困った奴だと笑う。

 二人して何なんだ。

 "魔獣"の呪いは、伝染性の笑い病だったのかな。

「あれは本人が悪いでしょう。何が離せないから放っておけだ。やればできるのではないか」

 笑うローグは、ぬいぐるみ役をこなしていたクルトを揶揄している。

 がっちり腕を固めていたユーリちゃん。背中に回っていた両手が、両手首に爪を立てていたので、剥がすのを断念した。

 しかし、あれを剥がすにはコツがあるようで、クルトが見事な実演をしていた。

 右手の隙間に手を入れて、他の場所へ誘導して握らせ。今度は左手の隙間に手を入れて、また他の場所を握らせる。

 つまり、握る場所を与えればいいらしい。

 さすが幼馴染。よく心得ている。


 ……ん。


 あれ。


 あれれ?


「離せるのか」

「やればな。やれば」

「つまり、やらなかっただけだよな」

「抱かれ心地がよかったのだろう。無償で世話を焼くにしても、手が込んでいた。親がどうこうと言い訳がましい奴だ。頼まれれば一肌でも二肌でも脱いでやるのに」

 やっと尻尾をつかんだと、カルデス商人が大喜びしている。

「ほとほと困った奴だ。人それぞれに進め方がある。放っておいてやるのも大事。情けを忘れぬようにな」

 忠告に、快活な返事をしたローグ。

 残念ながらにやにやは止まっていない。最も弱味を握らせてはいけない男に、尻尾をつかまれた重症のぬいぐるみ。




 ……あいつも今度、神殿に誘ってやろう。

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