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真導士サキと風渡りの日  作者: 喜三山 木春
第十章 晦冥の牙
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炎と牙と

 地響きが聞こえる。


 白い幕の中、岩肌に触れながら体勢を保つ。

 暗がりに慣れていた目は、展開された奇跡の光を、一時的に拒絶していた。

 周囲を覆うは結界の気配。濃く刻まれた真円の向こうに、淀んだ光を放っている、六匹の獣。


「犬?」


 低い唸り声が、壁で跳ね返って振動を生んでいる。白楼岩から、絶え間なく痺れが伝ってきていた。

「二人とも、中央に寄れ」

 赤毛の友人は、真円ぎりぎりまで歩みを進めた。

 置かれた輝尚石の側近くにいるユーリが、自分をそっと招いている。

「クルトさん、この野犬は」

「違う」

 クルトは手に例の黄色い粉末をすりつけ、左足を下げて独特な体勢を取った。そうして渡ってきた獣の群れを睨めつけ、苦い顔をした。

 構えた棒先に、獣達が反応する。

 飛びかかるつもりだろう。牙をむき出しにして姿勢を低くしている。

 山で幾度か見かけた犬の集団。

 店の旦那さんと山菜を採りに行った時、川向こうからこちらを睨んでいたこともある。

 姿はとても近い。


 ――でも、このおぞましい気配と赤黒い光は。


「違うよサキちゃん。これは――」

「しゃべるなユーリ!」

 クルトの叱責に合わせて、先頭の獣が激しく吠えた。

「呼ぶな。……魅入られる」

 ユーリの表情が固く冷えた。

 赤毛の友人が、ひたすらに遠ざけようとしているもの。彼女を守り抜かねばと構える相手。


(……まさか!?)


 昔話で聞いたことがある。

 女神が討ち取った邪な神。かの邪神は、その力を封じられる直前。最後の力を振り絞って、大地に血の雨を降らせた。

 そして、雨が溜まった場所から、いつしか"魔獣"が生まれるようになった――と。


 "魔獣"。

 それは人の命を容赦なくもいでいく、邪悪の使徒だ。

 灰泥達の中に片生がいたのか。淪落と繋がりでもあったのだろうか。

「クルト、無茶だよ! 巫女様がいないのに勝てっこないっ」

 赤毛の友人の気配が動く。

 逼迫した真力が、言葉の正しさを無言のまま肯定している。

「結界の中にいましょう。救援も来ていますから、待っていればきっと――」

 悲鳴を出したのはユーリだった。

 同時に、頭を鈍器で殴られたような衝撃があった。半端に出していた音を飲み込んで、息を止めるのが精一杯だった。

 耳鳴りで収まらなかった予感。

 苦痛のあまり色あせた世界の中、白が赤に塗りつぶされる。

「……っ、こいつら火炎を飲んでやがる」

 "魔獣"と呼ばれる所以を、この時理解した。

 獣とは別の生き物だ。

 だって山の野犬は、火炎を吐いたりしなかった。

 続けざまに赤が広がる。自分達がいる円を残して、壁も天井も灰色に煤けていく。

 気力を束ねて衝撃に耐える。耐えながらも、長く結界を保たせようと真円の外側に守護を張った。

 だがしかし、襲い掛かってくる火炎を防げたのはたったの一度。力の重さに耐えかねて、二度目が来る前に真円を弾いた。

(強い!)

 いまだ人々を恐れさせている存在。

 真導士ならばと思っていたけれど、浅はかな考えだったようだ。

 相棒の輝尚石を持ってくればよかった。言いつけだからと黙契だけでも死守すればよかった。

 勝機を見出せず、心が弱さをこぼす。

 悲観が、足元から這い上がってきた。

 導士三人の力では対抗できない。救援を待つことが全て。弱気な結論は、知らず訪れていた危機に、大きく揺さぶられることとなる。


「……あ、れ?」


 最初に察知したのはユーリだった。彼女はおかしいなと自分の襟元を緩めて、大きく深呼吸をした。

「息……できないよ?」

 言われて気づいた。

 自分の呼吸も浅くなっている。

 彼女を真似て深呼吸をしても、苦しさが胸に留まり続けている。見れば、構え続けているクルトの呼吸も浅く、速くなってきていた。

 結界の真円はいまだ保たれている。煌々と輝いている円は色濃いまま。

「焼かれてる」

 赤毛の友人から、低く搾り出された言葉。示す事柄に、火炎の追撃の中で思い至った。


「大気が……燃やされている?」


 馬鹿なと思った。

 けれども、息苦しさが事実として横たわっていた。

 待ち続けるという選択肢は、帰還に繋がる唯一の道であったのに……。それが、幻の如く消えゆこうとしている。

「ユーリ」

 荒い息の呼びかけがきた。

「二人で走れ。オレはおっさんのとこまで引き返す」

 無茶だ。

 即座に弾き出した答えを口にするよりも早く、クルトが強く言い募る。

「行け。このままじゃ、どっちにしろ全滅だ。輝尚石を持って二人で行け」

「いやだよ!」

 反発はユーリの方が早かった。

「背伸びばっかりして、全然似合わないって言ってるじゃない!」

 クルトは前を向いたまま微動だにせず、その背中で言葉を受けている。

「わたしたちは帰りません。三人で戦いましょう」

「無理言うな。オレにだって意地がある」

 構えを崩し、クルトは例の粉を自身の周囲に振りまいた。指についた粉で両目の下に一本ずつ、つりあがるような線を引く。

 しきたりの一つであろう儀式。ユーリの嘆きが強くなる。

 往生際悪く抜け道を探していた自分は、舞い上がった黄色い粉を見送り……その光景を見た。


 "魔獣"が、後ずさっている。

 厭うような動き。まるで黄色の粉を恐れているような――。


 火炎がぶつかり、描かれていた真円にゆがみが出た。

 結界の放出が、終わろうとしている。

 事実を見届けたクルトは、真円から飛び出し、真術を展開した。

 描かれた真円から霧があふれる。霧は充満した後、凝縮して形を成した。

 輪郭がぼけているものの、"魔獣"と似た形をした獣達があらわれた。

 霧の獣がいっせいに襲いかかる。もつれ込んだ獣達が、白の幕の向こう側で蠢いている。

 赤の人影が、狭い場で跳躍する。

 大きく跳び、天井で反転したクルトは、一匹の"魔獣"に強烈な突きを繰り出す。

 高い咆哮と共に、"魔獣"が通路を転がった。

 繰り出されたのは、黄色の粉をまぶした棒先。打撃以上の明らかな効果が見て取れた。


「危ない!!」


 涙交じりの警告は、しかし遅い。

 彼女の声を受けて後退したクルトより、"魔獣"の速さが上回っていた。


 咄嗟に構えを取った武器は、"魔獣"の一噛みで破壊される。

 武器を失いつつも身をかばいきったクルトに、またもや影が飛びかかってきた。

 悲鳴が響く。

 首筋目掛けての攻撃が、深く彼の身に食い込んだのだ。ぐらりと身体が傾き、そして力尽きたように倒れる。転倒に合わせて、霧の獣があえなく消失していった。


「クルトさん!!」


 せめてと展開した流水。

 押し流すほどの力もない水は、何とか"魔獣"の気だけは逸らしてくれた。

 守護を。

 そして癒しをとの算段を崩したのは、一陣の風。

 絶叫するように名を呼び。一人、真円から出たユーリは、一目散に幼馴染の元へと駆けていく。

 獣達の関心が、ユーリに集中した。赤黒い光が強く明滅している。

 駆けていく彼女は、白を帯びて円を描く。


 "魔獣"を省みることもなく選んだ真術は――"癒しの陣"。


 咄嗟に身を翻し、這い蹲るようにして輝尚石を手にした。

 ちらちらと弱さを出しはじめている水晶を握り、がむしゃらに投げつけ、拍子に挫きかけた足を引き上げて走る。

 "魔獣"の口が大きく開かれた。

 開かれた口の奥に濁った光を見つけ、さらに足を速めた。




 壁に当たり。ころころと転がった輝尚石は、倒れたクルトの腕の隣にに位置を定める。

 幼馴染の番をしっかりと包んだ円に向かって、勢いよく頭から飛び込んだ。

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