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真導士サキと風渡りの日  作者: 喜三山 木春
第十章 晦冥の牙
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赤い鼻

 聖都は道が入り組んでいて、まるで迷路のよう。

 自分がどちらを曲がったか覚えておかないと、後々大変なことになりそうだった。


 一つ角を曲がっては、慎重に方向を確かめる。同じ作業を三度してから、細い路地でうずくまる人を見つけた。

 しゃくり上げは続いている。

 脅かさないようにゆっくりと近づき、声をかけた。

「ユーリ」

 返事はなく、痛々しい呼吸が聞こえた。

「ねえ、ユーリ。そんなに泣かないで。後で話をしましょう」

 首が横に振られた。

 いやだと言いたいらしい。

「顔も見たくない。……大嫌いっ」

 鼻を鳴らして、本当に辛そうな声を出した。

 自分の手に入れた大切な品を、あんな風にされては当然だ。けれど、赤毛の友人はいじわるがしたくてやったのではない。彼女を案じてのことだ。

 言葉の限り伝えても、ひたすらに首を振る。

 泣き続ける彼女の背中を、さっきしてたように撫でさすってみた。

 ぽつぽつと雨も降り続いている。小さく丸くなって泣いている姿が心もとない。寂しそうでもあり、できることはないかと焦ってくる。

「あんな町、大嫌い。二度と帰らないんだから……」

 嫌いだ。大嫌いだと言い続けていても、きっと本心とは違う。

 昨日だって、故郷の大切な人達に手紙を書いていたはずだ。

 どうしようかと右往左往して、結局は泣きたいだけ泣かせるという結論を導き出した。たくさん泣いた後は、意外とすっきりする。そうしたら、ちゃんと話し合えるようにもなるだろう。

 うん、そうだ。それがいい。

 よしよしと背中をさすり。頭をさすりして声をかける。

 様になっているだろうか。

 人を慰めるのも初めてな気がする。初めてだらけの今日であるが、喜んでばかりもいられない。

 ユーリの気配は大荒れだ。身体の内にある真力が、ざわざわと動いている。


「お嬢さん達、どうしたんだい?」

 声に驚いて振り返ったら、真後ろに老婆が立っていた。

「いえ、ちょっと……」

 泣き顔を見られるのをいやがると聞いた。

 泣き続けているユーリを抱き込んで隠す。これ以上、辛い思いをさせるのは忍びなかった。

「こんなところに長くいたら倒れてしまうよ。どこかの軒下で休ませてもらいなさい」

 親切な老婆は、通りにあるいくつかの茶屋を示した。憲兵がいるのは大きな通りだけ。娘二人では危険だから、お店の人の近くにいなさい、と。

 心配してもらったことに礼をして、ユーリを促し、一番手前に立っている茶屋を目指す。


 辿りついた茶屋は、狭い入り口からは想像できないほど奥に長く伸びていた。

 店員は二人。

 入り口にいた方の店員は、泣いているユーリを認め、黙って一番奥の席を勧めてきた。ちょっとした間切りがあって、通りからは目隠しされている。

 ここならいいだろう。

 泣き方がゆるくなってきているユーリの前に、運ばれてきたカノンテプスを置く。小さなありがとうが返ってきたので、胸を撫で下ろした。

 もう、大丈夫そうだ。

「ごめんね……」

「謝らないでください。苦しくはないですか」

 聞いたら、かすかにはにかんだ。

「恥ずかしいところ見られちゃった。こんな大喧嘩したの久しぶり。小さい時は、しょっちゅうしてたんだけど」

「そうでしたか」

「ほんとに恥ずかしいな。泣くと鼻が真っ赤になるから……」

 そう言って、細い両手で鼻を隠した。

「よくからかわれるんだー。だからあんまり泣かないようにがんばってるんだよ。ちょっと涙ぐんできたら、息を止めて我慢するの。そこまでだったら、赤くはならないから」

「わたしもからかわれますよ。泣いた後、まぶたが重くなって眠そうに見えるんですって」

 ぐすぐすと鼻を鳴らしていたユーリは、ほころぶように笑った。

「ローグレストさん? そういうこと言うんだね」

「言いますよ」

「喧嘩とかする?」

「しますよ。お互い譲れないことはあります。でも、後でちゃんと謝ります。カルデス商人相手に禍根を残したら、後々大変ですからね」

 そう、それこそ利子が跳ね上がってしまう。

 大変過ぎるので、絶対にごめんである。

 胸を反らして偉そうに答えたら、桃色が細められた。

「サキちゃんは偉いね。わたしは絶対に謝らないもん」

「クルトさんが謝るのですか」

 目を細めたまま、うーんと悩まれた。

「あんまり謝らないよ」

 これには首を傾げた。では、どうしているのだろう。

「謝るのなんて、お母さん達に怒られた時くらい。あとはそのまんまにしとく」

 くすくすと笑う彼女の気配は、普段の調子に近づいてきている。

 荒れていた気配が静まって、遠のいていた街の気配が鮮明になってきた。

 大通りを行く楽団の調べが、茶屋の奥にまで届いてくる。気合の入った太鼓と高い笛の音が、耳に触れた。

 ふと、入り口を見やった。

 強く大地を照らす日の光が、道いっぱいに広がっている。

「仲直りはしないのですか?」

「うーん、そうだなぁ。気がついたら元通りになってるからね」

 自分達を案内した店員が、開きっぱなしにしていた入り口の扉を閉めた。

 急に店内が寂しくなったように思える。楽団の調べが聞こえなくなったせいだ。

 静かになった店内で、ユーリの声が明るく跳ねた。笛の音だけはまだ聞こえていて、頭の中で反響している。

「でも、今回はさすがに……。いくら何でもひどいと思うんだ。だって、一月前まではここまで口うるさくなかったんだよ。最近なの、あそこまで頑固にしきたりを守り出したのは」


 高く高く、続いている音がある。

 これは――。


「また、妙な影響受けて大人ぶりはじめたんだと思う……。サキちゃん?」

 どうしたのと聞いてきた声に、店を出ようとかぶせた。ぽかんとしたユーリの後方で、もう一人の店員がこちらをじっと見ていた。


 強く、耳鳴りがする。


「行きましょう、急いで」

 大急ぎで銅貨を取り出し、値段表よりも多めに卓へと出す。

 小声で伝えた焦りは、ユーリに届いた。

 店内には自分達だけしか客がいない。通りへ続く場所に、大きな錠が下ろされようとしている。娘らしさをかなぐり捨てて、席を立った。

「お客さん、お帰りかい?」

 自分達をじっと見ていた店員は、前掛けの下に両手を隠しながら近づいてきた。

 じりじりと縮まる距離の中で煩悶する。


 使うべきか。使わざるべきか。


 この迷いが、結果的に自分達の足を引っ張った。

 そうと知ったのは、視界を白で染め上げられてからだ。描かれた真円と展開された白の中、慣れた真術が身体を浚う。

 転送だ。

 瞬間の判断で、ユーリの手を取った。離されて飛ばされないよう。

 しかし、これが精一杯であった。


 まばゆい白と浮遊感に巻かれる。そうやって運ばれていった場所には、鉄格子が嵌っていた。

「おお、こりゃいい」

 粘りつくような声がする。

 繋いだ手を強く引いて、互いが互いを抱くようにして守り合う。

「若い娘だ」

「修道女か。ただの町娘だとしても、擦れてなけりゃあ高値をつけてやる」

 鉄格子の扉を開けて、男達が入ってきた。ざっと視線を流し、数を確認する。

 音は高く喚き続けている。

 耳が痛い。

 ユーリは真眼を閉じたままだ。自分もまだ迷っている。

 いざとなったら、真術を展開して逃げられるだろう。しかし、ローブを着ていない状態だと、顔を覚えられてしまう。

 街中では真術の使用をひかえる。

 それが、サガノトスの規則だった。

「どれどれ……」

 一人の男が笑みを浮かべつつ、顔をランプで照らしてくるきた。

 顔を伏せ、拒否の姿勢を取りながらも、頭だけは必死に動かし続ける。

「十五、六といったところか。いい頃合だ。――よし、運べ」

 合図と共に、男達が近づいてきた。

「うおっ! こら、暴れるな、痛い目みたいのか」

「威勢のいい娘どもだ」

 暴れている内に、羽織っていた布が床に滑り落ちた。

 きれいな布に泥水が染みていく。

 縄を持って来いという怒声がした。怒声が響く中、汗臭い手を除けて全力で歯向かう。

「いい加減、大人しくしやがれ!」

 ユーリが腕に噛みつき、男の我慢が切れた。

 彼女の胸倉をつかみ、引き上げて怒鳴りつけるのを周りの男が制している。

「おい、やめろ。商品に傷をつけるな」

 男の腕を抑えた一人が、ユーリの胸元に視線をやる。

「まて、こいつは」

 はっと息を飲んだ。

 彼女の胸元から、黄色い紋が刻まれた木の飾りが覗いている。それに気がついたユーリの顔が、みるみる内に青く染まった。

「やっぱりだ。オレ達はついてる。こいつガルヤの娘だ!!」

 喜色に染まった声が、薄暗い場に轟いた。

 抵抗も虚しく、縄で括られ自由を奪われる。いざとなったらと考え続けている自分の隣で、病人のような顔色になったユーリが、祈るように俯いていた。


 耳鳴りは続いている。

 高い笛の音のような耳鳴りは、男達の声と交わって獣の咆哮のように聞こえてきていた。

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