表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
真導士サキと風渡りの日  作者: 喜三山 木春
第十章 晦冥の牙
26/195

彼女の

 路地には三人だけ。

 他には誰の姿もない。両側をレンガで囲まれた場所は窓も見えず、自分達の声だけが響く。


「お前、これをどうしたんだ」

 怒り心頭の彼は、ユーリに詰問を続けている。

 同じ問いは、いまので三度目。

 しかし、これにも返答はなかった。問われているユーリは、すぐにでも泣き出しそうな顔のまま、口を曲げて無言の抵抗を続けている。

「これがどういうことか、わかっているのか」

 先ほどよりも、一段と低い問いが出た。成り行きを見守っているだけで心臓に悪い。

「返して……」

「買ってきたんだろ。お前、自分が何してるかわかってんのかよ」

「返してってば」

「駄目だ」

 球を打ち合うような応酬が続く。

 割って入りたいが、どこで入ろうか。呆然としてしまうほどの密度で二人のやりとりが続いている。

 路地から通りを行く人の姿が見えるけれど、誰もこちらの様子には気づかない。完全に忘れ去られた路地で、味方を見つけるのは難しいようだ。

「鏡を割ったのはクルトでしょ。自分が悪いのに、いじわるしないでよ!」

 はらはらとしながら、赤毛の友人の出方を窺う。

「町から出る時、おじさんに言われただろ。何度も言われたのに勝手なことすんなよ」

 クルトの言葉に、ユーリの顔がいっそうゆがんだ。


 困った。

 どうしたらいいのだろう。


 喧嘩の仲裁も初めての体験だ。

 村長がやっていたことを思い出そうとしても、焦りが記憶をかき乱して邪魔をする。

「悪戯ばっかりして、おじさんにもお父さんにも怒られてたのはクルトじゃない。急に大人ぶったって説得力ないんだから。しきたりだって面倒くさいって言ってたでしょ!」

「うるせえな、昔の話をほじくり出してくるんじゃねえよ。お前こそいい加減に理解しろ。やっていいことと悪いことぐらい、あるに決まってんだろ」

「町の中だけの話じゃない。他の娘だって、買い物できないなんて嘘みたいって言ってたよ」

「馬鹿っ、里で町の話はするなってあれほど言ったじゃねえか!」

 きつく言われてさすがに怯んだユーリが、泣きそうな顔で自分を見て――また噛みついた。

「クルトだってサキちゃんに話したんでしょ? 同じことしているのに、わたしばっかり怒るのは変だもん!」

「同じじゃねえって」

「同じだよ!」


 まずい流れだ。


 収まるどころかどんどん気配が荒れていく。

 幼馴染の番は、二人して真力が高い。真眼を閉じていても、大荒れになっている真力が感じられる。どちらかと言えばクルトの方がまだ冷静だ。しかし、それもいつまで持つのか。

「二人とも落ち着いてください」

 搾り出した情けない台詞は、荒れる二人にあっさりと無視された。

「いい、これは処分するからな」

「勝手なことしないで!」

「勝手なことしたのはユーリだろ! 面倒事になってからじゃ遅いんだ」

「もう十分面倒になってるもん。わたしの給金で買ったんだよ。人の物を盗る方が、ずっといけないことじゃない!」

 幼馴染の手に収まっている鏡を取り戻そうと、ユーリが腕を伸ばして暴れ出した。しかし、残念ながら男女の違いは明白で、逆に壁際へ抑え込まれてしまう。

「痛い、痛いよ! 離して、返して!!」

「いい加減にしろっての!」

 一喝したクルトはこちらを見て、抑えてくれと頼んできた。

「で、でも」

 そんなこと言われても困る。

 何せユーリはいまにも泣き出しそうだし、彼女の気持ちだって痛いくらいわかる。

 どうにか平和的に収まらないか。慣れぬ思案にふけって固まっていたら、クルトがこちらの窮状を察したようだった。

「サキ、ちょっと離れてろ」

 片手でユーリを抑えていたクルトが、高く手鏡を掲げた。


「やめて!!」


 咄嗟に退いた自分を確認して、手鏡をレンガの壁に投げつける。

 ユーリの悲鳴と一緒に、鏡が派手に割れる音が路地中に響いた。

「ク……、クルトさん」

 問題の品を破壊したクルトは、そこでやっとユーリを解放する。

 ひどいと叫び、割れてしまった鏡へ向かうユーリを無表情で眺めて、小さく吐息を出した。

「自分で買ってきちまったもんだから、こうするしかねえんだよ。家に持って帰らせちゃまずいんでな」

 淡々と説明した後、腰に下げていた皮袋から黄色い粉末を摘んで取り出し、道に撒く。

 これもしきたりなのか。とても聞けるような状態ではない。

 路地の雰囲気は最悪で、どうにも息が詰まる。

 通りよりもじめじめとした大気がユーリの泣き声と相まって、より悲壮感を強くしている。

 粉を撒いているクルトをじっと眺めていたら、割れた手鏡が飛んできた。投げつけられた手鏡は、作業に没頭していた赤毛の友人の背中で、鈍い音を出してから道に転がる。

「ユーリ!」

 枠だけになった代物だとしても危険だ。

 これは咎めようと彼女を見て、続けるべき言葉を失う。

 桃色の瞳が滲むほど、いっぱいに涙を溜めたユーリ。彼女は全身を悲しみで染めている。明るく元気な彼女が見せた初めての怒りに、思わず怯んだ。


「もういやだ!!」


 叫んだ声が、壁をつたい、空に抜けていった。

「よーく見てみなよっ。みんな自分で買い物をしてるじゃない。それが普通なんだよ!? 欲しい物があっても自由に買いに行けない。かわいい物を見つけても、自分で買って帰れない。わたしだって普通に買い物を楽しんでみたい。そう思ってどこがいけないの!!」

 粉々に割れたかけらの上に、ぽつん、ぽつんと涙が落ちていく。

「わたし、もう町には帰らないもんっ。どこか遠くの……っ、しきたりなんて誰も知らないような遠くの場所に行く。鏡だって、髪飾りだって。他の町の娘がしているみたいに自分で選んで、自分で買って楽しむのっ。絶対にそうするんだからっ……」

 しゃくり上げながらの抗議の間中、ユーリからは大粒の雨が降り続けていた。

 泣き続けている彼女を宥めようと、手を伸ばして背中をさする。

 苦しそうな呼吸の合間に、ちらと様子を窺えば、彼は無表情なままユーリを見ていた。

「せっかく町から出られても、クルトがいたら何も変わらないっ。――ガルヤもクルトも大っ嫌いっ!!」

 まなじりを上げ、たくさんの雨粒を降らせたユーリは、路地の向こうへ走り去っていく。

「ユーリ!」


 仲裁したかったのに何もできなかった。これでは本当に役立たずだ。

 後悔と心配が胸いっぱいを占め、動悸が強くなった。何もできなかった残念な自分にできることは、どうすればと友人に縋ることくらいである。

「……重ね重ねで悪い。追いかけてくれねえか」

 腰を屈めて、鏡の破片を拾い集めながらクルトが言う。

「片づけて行くからよ」

 ぼそぼそと言った彼は、粉々になったかけらを、手鏡が仕舞われていた袋の中へ放り込んでいく。

「近くにいる。泣き顔を人に見られるのはいやがるから、大通りに出ないさ」

 地面に散らばっている中でも、一番大きな破片を手にし、少し傾けるようにして見てから袋に入れた。

「頼む」

 赤毛の合間で、額飾りを支えている紐が揺れている。小さく震えているその様は、ユーリの添え髪を思い出させた。

「……わかりました」

 伝えたかった言葉があったのに、結局は飲み下した。


 クルトは言われなくてもわかっているだろう。きっとそうに決まっている。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ