あの後の二人
どうしてこうなる。
自分をじっと見てくる琥珀を見返しつつ、心で嘆いた。
「……何ででしょう」
「いや、だからな」
「また怒っているのですか」
またって何だ。
怒っていないと伝えたのに、誤解が根付いたままではないか。
「何度も言うが怒ってはいない。わかったなら枕を返してくれ」
枕を受け取ろうと手を伸ばしてみたけれど、蜜色の相棒は枕を抱きしめたまま離そうとしない。
むうっと眉を寄せ、毛を逆立てて抵抗の姿勢を示している。
今回は絶対に自分が正しい。
そうだとしても、彼女から抵抗を受けると怯んでしまうのも事実で……。すっかり尻に敷かれてしまったことを追加で嘆いた。
頑なにそうはなるまいと思ってきたが、自分もあの海の男だということか。
カルデスの男は喧嘩に滅法強く。女には滅法弱く。そして女房には絶対に頭が上がらない。
まだよくわかってなかった子供の時分は、何でどこも嫁さんばかりが強いのかと疑問に思っていたのだが。多分、どこの家の親父もこういう経緯で尻に敷かれていったに違いない。
……華の季節はかわいいわがまま。年月経てば女房の小言、だ。
「何で今日は駄目なのですか」
蜜色の猫が、枕にじゃれつきながら鳴き声を上げる。いつの間にか、ねだり方が上手くなってきている。
ああ、これはいかん。
変な方向に急成長をはじめているサキの行く末を案じた。
真っ直ぐ育つよう、慎重に添え木を差していたのに。あっちこっちから余計な添え木を差し込まれて、ツルが絡まってしまったのだ。まあ、自分も余計な行いをしていた自覚はある。大いに反省して、今後は彼女の道を正していかねばと決意する。
「サキ、もう眠り病は治っただろう。俺も体調が整ったから、お互いの看病は必要なくなった」
惰性から生まれてしまった習慣だったけれど、そういうことにしてしまえ。
表情を保ち、できる限り真剣な顔を作っておく。
「だから、元通り別々に休もう」
「……いやです。一緒に寝ます」
完全にいじけた猫が、拒否を出して枕に顔を埋めた。どうあっても枕を返すつもりはないらしい。
「どうして急にそんなことを言い出したのです?」
「看病の必要がなくなったからだ……」
「いやです」
「何でだ」
普通は逆だろう。
普段あんなに慎み深いのに、どうしてこうなるのだ。
「だって……。だって……」
猫が小さく鳴いている。折れそうな心を補強しつつ、表情を崩さぬ努力を続ける。
「一緒に寝るとあたたかいです」
焼け石扱いか。
「これから暑くなっていく」
「でも、朝は肌寒いです。倉庫からもらってきた掛け布があれば、暑い日も寝苦しいことはありません」
真導士の里は至れり尽くせりで……迷惑な時もある。
「一緒にいたいです」
これにはぐらっとした。
大急ぎで補強を重ね、どうにか乗り切ろうと気力を整える。
「……それに」
「それに?」
サキは少しだけ言い淀み、夢を……と切り出した。
「ローグと眠るようになって、あの夢を見なくなりました。朝まで眠れるのがうれしくて……」
一緒にいると、安心するから。
「どうしても駄目でしょうか」
補強に勤しんでいた手が、ついに止まってしまった。上手くつぼを突かれ、思わず天を仰ぎ女神に苦情を上げた。
時として荒れ狂う、故郷の海。
あの海に生きる男達に、脈々と受け継がれているその癖は、確かに自分にも受け継がれている。
これは卑怯だ。
誰かから入れ知恵されたのか。もしそうなら、きっとそいつを湖に沈めてやろう。
「サキ」
枕に顔を埋めている彼女に、諦念を抱えながら語りかける。
「今晩だけだぞ」
ぱっと顔を上げた猫は、鼻を赤くしている。
枕に押しつけたせいだろう。
「――うん」
喜びと混ざって出てきた返事。その返事を聞き、甘やかし過ぎたかという後悔は、海の彼方へと飛んでいった。
いそいそと枕を寝床に並べているサキの向こうで、白の獣がこちらを睨んでいる。
ちらと牙を覗かせている姿が、あまりに不穏だ。
獣の視線から逃れ、寝支度を整えようと自室に戻る。
頭を冷やし。気力を整え。よしと気合を入れてから、衣装棚を開ける。
夜着の脇に隠しておいた小さな包み。長身の友人から貰い受けた心配と気遣いを手にし、口を開く。
今晩だけとは言ってみたものの、思ったような流れになるか正直不安だ。
明日にでも睡眠剤の追加を依頼しておこうと、ヤクスの顔を思い浮かべ。気を紛らわしながら支度を整えて、自室を出る。
初恋に苦戦するカルデス商人は、奔放に育つ恋人に、今日も振り回されている。