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真導士サキと風渡りの日  作者: 喜三山 木春
第一部終章 希望の巣立ち
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巣立ち

 出立の朝がやってきた。


 明け方に雨が降っていたらしい。

 外に出たとき、軒が涙をこぼしていたのを見て。胸のなかのせつなさが、そこで幅を広げた。


「忘れ物はないか?」

「ええ。ジュジュも……ほらここに」


 伝えると、ローグは自分の足元でそわそわしている白イタチに目をやった。

 今朝は、とっても大変だったのだ。

 朝食を早々と済ませ、きっちり掃除も終えて。そこまでは何もかもが順調だったのに、家を出るのがこんなにも遅くなってしまった。

 まさか、ジュジュがここまで大暴れするとは予想外だった。

 修行先に動物を連れて行くのは禁じられていない。古来より、真導士と動物は相性が良いとされている。そのため、飼っている動物がいれば連れて行くことができる。

 動物との関わりで学べることもあるからと、動物連れを推奨する令師もいると聞いた。


 サガノトスから離れる三ヶ月間。

 その期間の里親を探すより、連れていった方が断然楽だ。

 それに、ジュジュといっしょなら、このさみしさもすこし和らいでくれるはず。

 そう考えて、この子も連れて行くことにしていたのだけど……。

 昔の自分よりも人見知りが激しいジュジュは、家から出るのをたいそういやがった。

 どれだけ宥めすかしても、抱きあげさせてはくれず。

 暴れに暴れた挙句、棚の上に身を潜めて、ちっともおりてきてくれなくなったのだ。

 結局、ローグが旋風を駆使してジュジュを捕獲し、干し肉で釣ってどうにか外まで出てきた。


「……いい加減、力のおさえ方を学ぶか」

 大捕物を終えたばかりの彼は、派手に棚を倒してしまったことを何より悔いているらしい。

「あまり気にしないでください。荷物は置いてなかったですし、壊れ物が出たわけではないので――」

 言ってから自分の落ち度に気づき、大慌てで口をふさぐ。

 やってしまったと後悔するのと、ひたいが軽く弾かれたのは、ほとんど同じときだった。

「これで七点。出立前に、もうひとつお願いができそうだな」

 くつくつとした笑いが、寒々しい朝にひびく。

「やっぱり、いきなりはむずかしいような……」

 「気がします」と続けたかったのを、意志の力でねじ伏せた。

 意識はできているのだが、いつもつけていた語尾を消すのは非常にむずかしい。

 昨夜、いっしょに寝て欲しいとお願いしたのは自分である。

 しかし、まさかこんなおねだりが返ってくるとは思いもしなかった。

 何ごとも気安く応じるものではない。

 それくらいのことかと思っても、思い描くのと実行するのでは、大変さが段違いである。

「もう、今日はしゃべらない方向でいこうかと」

「あ、それはだめだ。これから三ヶ月も会えないんだから、しゃべれるだけしゃべりつくしておくべきだ」

「では、せめてデコピンはなしで。修行前に真眼がだめになりそう」

 せつせつと言い募れば、ローグはお決まりのあごさすりをして、しかし明確な返事をせずに話を流した。


「さあ、家をしまうぞ。おどろくだろうからジュジュを抱いておいてくれ」


 この対応には多少の不満を残した。けれど、実際急がなければならない状況でもある。

 ちょっとむくれつつ、足元のジュジュを抱きかかえ、その場から十歩ほど後退した。


「いくぞ」


 ローグが真眼を開き、面談の日に渡されていた輝尚石を輝かせた。

 呆気ないというのは、こういうときに使うべき言葉かもしれない。

 そこに建っていたわが家は、一瞬で樫の杖にもどってしまった。

 いま視界にあるのは、家が建っていた痕跡と裏手にあった井戸。それから、葉を落とした若木のみ。

 つぎの春が巡ってくれば、ここは新たな雛たちの住処となる。

 馴染み深いこの景色とは、今日でお別れである。


「静かで良い場所だったな。……まあ、高士地区は広いから、似たような場所もあるだろう。帰ってきたらいっしょに探そうか」

「ええ」

 手を繋いで歩き出したとき、中央棟から "二の鐘" が届いてきた。

 その音色とともに、歩き慣れた道を行く。




 学舎の正門には、とっくに同期の面々がそろっていた。

 すでに涙を流している娘たちと、どこか照れくさそうにしている男たち。

 別れを前にして、自分も感情がおさえきれなくなってきた。

 正門の前には、急ごしらえの(ほこら)があった。

 修行地への転送は、このなかで行うらしい。(つがい)ごとに呼び出され、ひとりひとり順番に令師領へ渡っていく。

「その前に、いますこし(みな)で語らうがいい」

 キクリ正師が指示を出すと、同期たちがいっせいに別れの口上を述べ出した。


「サキちゃん、ティピアちゃん。レニーちゃんも……元気でね。帰ってきたら、またみんなで遊ぼうね」

 ユーリがぐずぐずと鼻を鳴らしながら言い、一番近くにいたティピアを抱きしめた。

「そんなに泣かなくて大丈夫よ。べつに、今生の別れでもあるまいし。三ヶ月経ったらまた会えるから、いい加減に泣き止んでおきなさいな」

 見かねたレアノアが、ユーリの涙を手布でぬぐう。

 けれど、ユーリの涙はあとからあとから流れ出てきている。泣き止む気配は、いまのところなさそうだった。

 一方男たちはと言えば、どこか神妙な顔でお互いの顔をちらちらと見合っている。

 こんなときにも、素直にさみしさを表現できないなんて、男の人は大変だ。


「ローグ、サキちゃん。はい、これ。そんなに量はないから、飲み過ぎには注意してくれよ」

 長身の友人から渡されたのは、二日酔いの薬であった。

 頼んでいたわけではないが、この日のために拵えてくれたらしい。

「冬に風邪をもらうと長引くから、まずは寄せ付けないこと。よく寝て、よく食べて、手洗いうがいを欠かさずして、何よりもあったかくすること。わかった?」

「ありがとう、ヤクスさん」

 礼を伝えたら、ヤクスはそこにいたイクサとディアを呼び寄せた。

 大先生は、ふたりにも似たような注意をうながし、薬の入った皮袋を手渡している。

 そうこうしていると、正師たちが名前を呼びはじめた。

 ついに、修行地への転送が開始されたようだ。

 最初の(つがい)を、みんなで手をふり見送った。


「ローグレストとサキは、一番最後になるはずだ。さっき、みんなで正師に頼んでおいたから」

 イクサが言った途端、ローグは澄まし顔のまま片方の眉を上げた。

「気が利くな」

「お互いのためさ。(ほこら)で隠されているとはいえ、万全を期した方がいいだろう。サキの転送は、ほかの面々よりもあとがいい。この順番なら、何が起きても修行地を知ることはない。……それに、先日のような場面に、そう何度も出くわしたくはないからね」

 イクサが、からかいめいたことを口にすると、ローグは澄まし顔を引っこめて、右手に拳を作った。

 ふたりのやり取りを見て、思わず目を丸くする。


 イクサが、あんな風に話すのもおどろいたけれど、ローグの雑な対応にもびっくりした。

 このふたりは、これまでどんなに近くにいても、お互い一定の距離を持って接していたのに。いつの間にか、こんなにも近い位置で話すようになっていたらしい。

 風渡りの前日に、男たちの大活躍があったと聞いていたが、これもその影響だろうか。


「はいはい、これ以上はだめだからな。喧嘩なら帰ってきてからにしろよ」

 わずかに荒れた場を、大先生がすかさず収める。

 その直後、キクリ正師がイクサとディアの名を呼んだ。

「イクサ殿、ディア殿。順番が回ってきましたよ」

「ああ、そのようだね。行こうか、ディア」

「うん」

 イクサが周囲に挨拶をして、最後にローグと拳を合わせてから歩き出した。

 一緒に歩いていったディアだったが、途中でこちらをふり返り、小さく手をふってきた。

 いってらっしゃいと手をふり返すと、彼女は恥ずかしそうにぷいっと顔を背けて、そのまま祠へと入っていった。


 転送の(ほこら)は、休む間もなく同期たちを飲みこんでいく。


 最近、やっと仲良くなったばかりの(つがい)も。

 名前を知ったばかりの彼と彼女も。

 それから、よく見知った友人たちも。


 泣きべそをかき通しだったユーリと、やっぱり眠そうなクルトが飛んで。

 最後まで泣くのをこらえ切ったティピアと、いつも通りのジェダスも行って。

 三ヶ月後にと言い残し、さっさと歩いて行ったレアノアと、名残惜しそうにしていたヤクスが渡って――そして、とうとう自分たちの順番が回ってきた。




 なかに入ると、正面に大きな幕が垂れ下がっていた。

 神鳥の姿が入った垂れ幕の前に、ムイ正師とナナバ正師が立っている。

 入り口で、ふたり並んだまま神鳥に一礼した。

「進みなさい」

 キクリ正師の指示に従い、歩幅をそろえながら真円の前まで進む。

 つぎに正師から聞かれたのは、どちらが先に渡るかということだった。

「わたしから行きます」

 返事をすると、正師たちがみんなして意外そうな顔をした。

 飛ぶ順番は、昨日の夜に話し合って決めていたのだ。

 先に行くのは自分。

 ローグは、自分の旅立ちを見送ってから渡ることになっている。

 最後の夜にした最後の話し合いは、お互いの考えを口にした瞬間に結論が出された。

 先に口を開いた彼が、見送られるより見送りたいと強く主張し。

 自分は自分で、ひとりぼっちで残されたくないと主張したためだ。


「よろしい。では、真円のなかへ」

「はい……」


 そこに敷かれていた真円からは、転送を含め、多数の真術の香りがしていた。

 真円の中心に立ち、再び神鳥に一礼すると、最初にナナバ正師が口を開いた。

「愛し子よ。われらはこのサガノトスで、そなたの帰還の日を待つ。……達者でな」

 つぎに、ムイ正師が(つや)やかな声で語りはじめる。

「数々の試練を越え、よくぞこの日を迎えました。われわれは、あなたの無事を日々祈っております」

 語り終えたムイ正師が、目を閉じて旅路の無事を祈願した。やさしい祈りが終わるのを見届けてから、静かに背後をふり返る。

「……サキよ。お前は、ほかのだれよりも険しい道を歩いてきた。苦しいときもあったろう。お前が無事に巣立ちを迎えられたことを、親を名乗る者として心からうれしく思う」

 年若い親鳥の言葉と、そこに(にじ)んでいた心を受け取ると、緊張がすこしだけほぐれた気がした。

「キクリ正師。ムイ正師。ナナバ正師。今日まで本当にお世話になりました。サガノトスに胸を張って帰ってこられるよう、精一杯修行に励んでまいります」

 自分の口上が終わるや、親鳥たちが神鳥に向かって一礼した。


「……行ってきますね」


 そう伝えたら、黒髪の恋人が真円のなかまでやってきた。

 じっと自分のことを見つめてから、おもむろにその場で片膝をつく。

 彼のこの行動を見て、あれれと思った。


 黒髪の相棒は、信心深い方ではない。

 だから、祈りを捧げる姿を見るのは、自分にとっても初めてだったのである。


 めずらしい行動に出た恋人は、真円に照らされたまま深く頭を垂れた。

 しばらく無言で祈ったあと、かじかみはじめた右手を取り。甲とひたいとを重ね合わせた。

 右手が、彼の体温と気配に触れる。

 それからすぐ、耳が想いの言霊を拾い上げた。



「わが愛しき相棒に、神鳥(サガノトス)の加護があらんことを――」



 たった一言だけの祈りが耳から胸に流れ、心のなかで黒鉄の支柱へと変化した。

 心に拠り所が生まれたのを悟ったように、骨ばった手がそっと離れていく。

 ローブを(ひるがえ)し、真円から離れていく相棒。

 その白い背中に向かって、声をかけた。


「ローグ」


 ふり返った彼は、いつものように笑っている。

 さようならは言いたくなかったから、その代わりに大事な名前を口にした。

 何度も呼んで、向こう側にいる半身の表情を――そして、その深い声と、気高いまなざしを心と記憶に刻みつけていく。


「サキ」


 低い音が、自分を呼ぶ。

 心といっしょに、背中の羽が震えている。


 光が一段と濃くなったとき、最後のひとことが耳に届いた。


「またな」


 輝きのなかで、恋しい色を思い描き――落としかけた涙をしまいこんだ。



 また、会おう。


 冬が終わるころに。


 春がやってくるその前に、またかならず出会うのだ。



 そのときまで、この涙はしまっておくことにしよう。

 ポケットに入り切らないほどの、たくさんの思い出といっしょに――。




 光に満たされた丸い舞台で、精霊たちが踊っている。

 すっかり馴染んだ奇跡の光に導かれ、輝く道を渡っていく。


 浮遊が終わったとき、白楼岩でできた小部屋の中央に立っていた。

 恋人も、親鳥も。神鳥の姿すらも、視界からかき消えている。

 小部屋にある唯一の扉を開くと、外でふたりの神官が待っていた。彼らは、自分の姿をみとめるや、言葉少なに向かうべき方向を示す。

 手短に礼を述べ、小さな神殿をあとにした。


 神殿の外は、銀世界だった。

 降り積もった雪が、日の光を受けて精霊のようにきらきらと輝いている。

 銀に埋もれた世界には、道がなかった。

 仕方なしに歩けそうな場所を選んで、示された方向へと進みはじめる。

 積りに積もった雪に足を取られ。汗をかきながら苦し紛れに空を見上げたとき、頭上に大きな大きな雲を見つけた。

 神鳥に似た白い雲をしばし眺めて、再び雪道を進んでいく。


 こうして、サガノトスを巣立った自分は、新たな地への一歩を踏み出した。

 向かう先にあるのは試練か。それとも、大いなる祝福か。

 胸に不安と期待を抱えたまま、雪のなかを進みつづける。




 おぼつかない足取りで進んでいく途中、うしろにあるはずのない気配を感じた。

 ふり返ってみたけれど、やはりそこにはだれもおらず。


 新雪の上に、自分が踏みかためた白い道がつづいているばかりだった。

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