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真導士サキと風渡りの日  作者: 喜三山 木春
第十章 晦冥の牙
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小さい牙

 鏡の向こうにむくれた自分がいる。

 かわいくないのは承知の上。しかも子供っぽいとも思える。

 それでもいい。

 いまはそういう気分だ。


「――いいからやれ」


 輝尚石越しに、冷たい声が抜けてきた。

 近頃、頻々にやってくる声だけの訪問者だ。いざという時のためにとっておこうと思っていた輝尚石は、こちらの思惑から逸れてすぐに真術を出し切った。その後、代替わりを繰り返し、いまので三代目である。

「何度もやっていますよ」

 子供っぽくて結構だ。何せ相手は、どう転んでも子供扱いしてくる。

「……バトさん、任務に行かなくていいのですか?」

 もう、今日の修行は終わりにしたい。

「今日は何も予定しておらん。強いて言えば子犬の世話ぐらいでな。つべこべ言わず、続きをやれ」

 終わりにしたいのに、向こう側の高士が許してくれない。


 自分は、またもや軟禁状態に陥っている。

 連れがいない時は、外へ出ることを原則禁止とされている。これには一応の理由がある。自分達を襲撃してきた元見回り部隊の高士の一人が、行方不明となっているためだ。

「あの人は、まだ見つからないのですか」

「捜索は続けられている。発見の報も届いていない。しかし、外に出た形跡も出てきておらん。里の中に潜伏していると思っておけ。正師が守りを固めたとあれば滅多なことは起きぬだろうが、家を出るなよ」

 むうっと口を尖らせておく。

 確かに我が家の守りは鉄壁で、家を出なければ安全なのはわかる。

 噂となっている"青の奇跡"と"真実の青"を守り抜くため、キクリ正師が特別な結界を張ってくれていた。ちなみに、他の導士宅にもそれなりの結界が張られていて、窓を開けていても平気なようになった。

 夏の盛りも近い。これにはヤクス達も大喜びしていた。

「そろそろ倉庫に行こうかと思うのですが」

「同じことを言わせるな。一人で出るなと言っているだろう。じきに倉庫番がくる。必要なものがあれば伝えればいい」

「え……、そうなのですか?」

 尖らせていた口を、今度はあんぐりと開けた。

「手配済みだ。……お前、まだ何か隠してはおるまいな」

 次いでぎくりとした。

 輝尚石越しに届いてくる静かな苛立ちが、数日前の落雷を彷彿とさせる。

 そこまで根に持たなくてもいいのでは……。いや、口にするのはやめておこう。青の件だけでも機嫌を悪くしていたのに、"森の真導士"が追い討ちとなってしまったのだ。


 巡ってきた吉凶の年。

 何かがはじまっている。そして、何かが起ころうとしている。

 里の上層は、立ち向かうべく準備を進めている。明かされた事実と、明らかにされていない真実。複雑に絡み合った糸は"風渡りの日"に通じている。

 とても悩んだ。ローグも同じように悩んでいた。

 帰宅してから数日。それぞれに悩み、最後にお互いの結論を持ち寄って答えを出したのだ。

 答えを出したことにより、"森の真導士"の一件は、慧師達が知るところとなった。そして、慧師が知ったということは、右腕と言われているバトも当然知るところとなり――。

 あの時は、すごく怖かった……。もう、思い出すのもごめんである。

「違います。家にずっといるので、いい加減あきてきたのです」

 "青の奇跡"と称されている黒髪の相棒は、陽動の意味もあり、単独の行動が許されている。

 しかしながら、"真実の青"である自分には、かなりの制限がかけられている。

 青の力がどのような代物か。

 実態が把握できておらず、予想外の事態が起こる可能性が高い。青の力を制御できていないのも問題とされていて、極力、安全な場所で時を過ごすようにと言いつけられている。外に出る時は、正師かバトの許可が必要なのも面倒だ。自由に外出ができなくなっていて、いろいろと難儀しているのだ。


 早く帰ってきてくれればいいのに。

 何かと忙しそうな相棒は、今日もどこかへと出掛けている。寂しいものである。


「家にいるからこそ、邪魔立てされず修行ができると思え。天水だというのも僥倖だろう」

「浄化が難しすぎるのです……」

 つい、言葉尻が弱くなる。

 投げ出したい気分を、鏡台に突っ伏すことでどうにか誤魔化した。

「サキ」

 声に導かれて、うるむ輝尚石へ目を向けた。

「どうした、今日は妙に大人しいな。身体に異常が出ているなら早めに言え」

「違います」

 変な人だ。

 あれこれと報告すれば、落ち着けとか、不安に巻かれるなとか言ってくるのに。何もしゃべらなければ、こんなことを言ってくる。

 思考の流れが、まったくと言っていいほどわからない。

「途中まで上手くいっているのです……。何でできないと思います?」

 わずかに震える光。

 ゆるく落とされた冷笑が、気配を撫ぜている。

 近頃、聞きなれてきた静かな音。水滴のように落とされ、緑で満ちた大気に溶けて、馴染んでいく。

「どこで躓いている。真円が弾けるのか」

「はい。描くだけなら大丈夫なのです。けれど、展開の最中に弾けます」


 ここまで失敗し続ける真術ははじめてだ。

 いつもなら、真術を展開する時にしっかりとした手ごたえがある。願いを聞き届けた精霊達が、ちゃんと応えてくれる感覚。

 でも、浄化を展開している最中だけは、その手ごたえがつかめないのだ。願いを聞いた精霊達が、こちらの意識と寄り添ってくるまではいい。

 しかし、途中でそっぽを向かれてしまう。

 子供のような彼等は、それこそいっせいに離れていく。最初は楽しそうに遊んでいるのに、何が気にくわないと言うのか。


「対話ができておらんな」

 間を置いて、どこかで聞いたことがあるような話が出てきた。

「対話ですか?」

「精霊と上手く対話できておらんのだ。言葉を話さぬ存在だが、協力を仰ぐには対話が必要となる」

「どうすれば対話が上手くいきますか」

「慣れだ」

 静かな声が断言をする。

「系統によって対話の方法が微妙に違う。俺は燠火ゆえ、天水の対話には長けておらぬ。だが、どの系統も一貫して言えるのは、慣れるしかないということだ」

 赤子が幾度も失敗しながら歩きはじめるが如く。身体で感じ取り、学び取っていくしかないという。

「場数を重ねろ。道はそれだけだ」

「もう、何度もやってますよ」

 つい、むくれたような口調になってしまう。

 自分だって毎日がんばっているのだ。それでも一向に上手くいかず、さすがに辟易としてくる。

「まだ足りぬ。本来なら冬になってから覚えるような真術だ。浄化だけでなく他の真術にも慣れておけ。教本の順にやっていけば覚えられんことはない」

 至極まっとうな教えなのに、むくれたいまの気分では受け取るのが難しい。

 ただでさえ斜めに傾きかけていた気分は、あっという間に急斜面へと変貌を遂げた。


「とはいえ、根をつめ過ぎるな」

「言っていることが真逆です」

 大気が静かに震えた。バトは今日もそれなりに機嫌がいいようだ。

「聖都に下りてみるか」

 想像していなかった突然の誘い。斜めだった機嫌は驚きのあまり、元の形へと戻っていく。

「急にどうしたのですか」

「最近、コンラートがうるさいのだ」

 アンバーの鎖や、薄紅の衣装の感想を聞きたがっていると疲れた風に語る。

 壮年の店員は、顧客の満足よりも使用者の満足を気にする性分らしい。売る物が違えど商人は商人だ。彼等の商いにかける情熱は底がない。商人の性質を知りはじめているためか、バトがくたびれているのも理解ができた。

「大変ですね」

「半分はお前の責任だ。相手をしろ」

 このままでは必要な荷物を取り行くのが面倒になるから、話相手をして誤魔化しておけ。

 気が利かない高士は、相変わらず気が利かないことばかり言ってくる。まったくもう……と思い。ふと、悪戯心が騒ぎだす。

「"ただ"ではいやです」

 脳裏に悪徳商人の顔を思い浮かべ、できる限り真っ黒に笑ってみた。

「世の中で無償の貸しほど、後々の負債が大きくなるものはないのですよ?」

 例えば自分のように、利子の雪だるまになってしまうことだってあるのだ。

 一度だけ強く明滅した輝尚石の向こうから、面白がる声が返ってきた。

「……ほう。どこでそのような知恵をつけてきた。癖がつく前に躾け直さねばな」

 年頃の娘に向かって、大変失礼な物言いである。

「希望を聞いてやらんでもないが、どのような報償を得るつもりだ」

 あれ、と思った。

 乗ってくるとは思わなかった。今日は本当に機嫌がいいようだ。

 それはそれでいいけれど、こちらとしては予定が狂う。一笑に伏されて終わるつもりだったのに。

「そうですね……」

 聞かれても、欲しい物などそうそう思いつかない。

 悩みながら鏡台の上を見渡す。

 香油と櫛はある。美白粉もあればゼニールの腕輪もある。はっきり言って、十五の娘にしては物持ちである。

 ちょっとした悪戯心だったが、そもそもバトを困らせるのは無理そうだ。何せ、お金は無尽蔵に使える人である。ううんと悩んでみたけれど、思うような答えに辿りつけず、今回は諦めようとの考えに至る。

 にょきりと出した小さな牙。ささやかな反抗の証を引っ込めかけた矢先、扉の向こうから聞きなれた声がしてきた。

 おや、と思った。

 来客だ。

「バトさん……」

「行け。念を押すが家から出るなよ」

 それだけを言い残し、止める間もなく展開が収束していってしまう。やっぱりなしにしてくれと言おうと思ったのに。撤収の早さも相変わらずだ。

 奇妙な形で残ってしまった約束。いまさらながらに失礼だったかと思えど、もはや後の祭りである。


 光が消えたのを見届けて、ゆっくりと立ち上がり居間へと向かう。

 扉の向こうには、すっかり覚えた相手の気配。

 めずらしいなと思った。相棒がいない時に、一人で訪ねてくることはあっただろうか?


 扉を開け、太陽の眩しさに目を細めた。

「よっ」

「こんにちは、クルトさん」

 赤毛の友人の来訪だ。

「楽しく暇しているか?」

 にっと笑った友人は、手土産と思しき籠を掲げた。

「暇で暇で大変です。ユーリは?」

「家で手紙書いてるぜ。上がっていいか」

 どうぞと招いて、扉を閉める。

 扉を閉める前に覗いた道に、元気な友人の姿はなかった。


 本当にめずらしい。一体、何用だろうか。

 不思議に思いつつも、炎天下を歩いてきた友のため、まずは冷茶を用意しよう。

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