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真導士サキと風渡りの日  作者: 喜三山 木春
第十三章 風霜の彼方
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消えた望み

 左の扉の向こう側にあったのは、深い闇だった。


 暗く、深い。

 夢と現の間にある夜空の世界を、ただ落ちていく。


 いつからか、歯車の音が聞こえていた。

 落ち続けている自分の耳元で、音だけがずっとそこにいる。

 夜空には、たくさんの光。

 星達は、訴えるように激しく明滅している。


 涙が頬を伝う。

 これで何人目だろう?

 身体が光を通過するたび、喪われた人々の時を視る。

 交わることがなかった人々の……十二年前を生きた彼等の記憶が、こんなところに囚われていた。


 一人。


 また一人。


 額を貫かれ。悲鳴を上げては倒れていく、過去の導士達。

 ぼんやりと開かれている世界。積み上げられていく短い羽。築かれた白い山を、笑いながら見ている妖艶な女。

 幻色の星を通るたび、額の芯が熱くなる。

 彼等が言う。


 怖かった。

 そして悲しかった……と。

 大切な人と、これからのすべてを奪われて、どうしようもなく悔しかったのだと。


 歯車が回り、星が流れる。

 光に触れるたび、涙があふれた。

 星達が伝える最期の時は、どれも苦痛に染まっている。助けを求めて上げた手は、とうとう何も掴めないままだった。

 救いのない事実を伝えては流れていく、記憶の星々。

 光と共に渡される悔い。

 何一つ、取りこぼしたくなくて。思いだけでも守りたくて、両手をきつく握る。


 星々の中、どれよりも強く明滅している二つがあった。

 落下は止まらない。

 眩むような"二つ星"に落ちた時、歯車の音が、いままでで一番大きく聞こえた。




「無理よ、ジーノ!」

 女の声がする。

「一度、閉じましょう!」

 真っ赤だ。

 夕日よりも赤い光球が、見るものすべてを真紅に染めている。

「何を馬鹿な! 次の機会があるかもわからない。それを――」

 咆哮が、憎き番の声を消し去った。

 どっと押し寄せてくる圧。

 大気と同じように赤く染まった水晶の床が、びりびりと振動していた。

 隙間から、二人を睨めつけている誰かがいる。

 その人の世界は、とても狭い。

 すでに片目が見えていないのだ。機能していない左目は、痛みより熱さが際立っている。


 あの日、あの時のあの場所。

 光達が最期を迎えた場所――"封印の間"。

 悲劇によって埋め尽くされたと思っていた場に、まだ生き残っている人がいた。


 その人は、白い山の中で息を潜めている。

 目の前には躯。

 額を貫かれ。血を流し。目を閉じることもできないでいる、哀れな娘の遺体。

 姿を目に入れた瞬間、呼吸が乱れそうになった。

 咆哮に紛れて、一度だけ大きく息を吸い。自身に言い聞かせるかのように、細く細く息を吐く。


 ちくしょう――!


 胸中で悪態をつき、奥歯を噛み締めながら娘の目を閉ざした。

 娘のそばかすの上に、いくつもの透明な筋。赤に照らされて光る、水の道。

 それはまさしく、血の涙だった。

 彼の胸で怒りが燃えている。

 しかし、動かない。

 目と胸に、滾るような熱を抱えながらも、ひたすらに息を潜めて機を窺う。


 帰る。


 必ず帰る。


 あいつが帰りを待っている。


 繰り返し、繰り返し、心で念じ続けている。

 愛情に由来する熱が、極限の窮地にある彼を、密かに奮い立たせていた。

 一色に染められた"封印の間"。

 認識できるものが乏しい世界で、赤に慣れた片目が、女が手にしている禍々しい血色の杖と、床に片膝をついた男の姿を捉えている。

 呼吸を再び整える。

 けれども彼はまだ動かずに、視線を横へと滑らせる。

 視線が渡った先にも、数人の導士が倒れていた。抵抗の光の下、暴風に晒されるがままになっている短いローブ。

 その中に、風向きに逆らって動くものがあったように思えた。


「とても無理だわ。もう一つの遺跡を探しましょう。このままじゃ犬死よ!」


 小刻みに震える腕。

 ローブから覗く女の素肌に、ぽつぽつと斑点が浮かぶ。

 皮膚の下で、出血がはじまった。

 杖を制御している腕に、過大な負担がかかっている。

 女は急かすように相棒を呼び、きっと天を睨みつけた。睨んでいるのは、はるか上空にいる、おぞましい存在。

 どれだけ抑えていられるか。そもそも本当に抑えているのか。

 疑問と焦燥が、目から滲出していた。

 暴風の中、訪れたわずかな沈黙。


「……仕方がないか」


 そして、決定が下される。

 サガノトスの歴史が、断絶から免れた瞬間。

 そんな歴史の岐路で、片膝をついていた男が立ち上がる。憎き番が、揃って上空を見上げた。

 二人が並ぶ。

 こちらに、背を向けて――。


 時が来た。

 床に伏せていた者達が、暴風に逆らって走り出す。

 それを合図に、彼も場に躍り出た。

 先に動いた者達が男の反撃を受け、床に叩きつけられていく。


 間に合え――どうか、間に合ってくれ!!


 抵抗していた最後の一人が倒れ込む。男の目が、彼を捉えた。

 守りを捨て。一心に目指すは、赤い光。

 右手には、強い気配を宿した輝尚石。

 隠し持っていた水晶が、灼熱を生む。生み出された荒ぶる炎は、赤き神鳥の気配をまとっていた。

 床を焦がしながら、熱が一直線に抜けていく。向かった先には、身動きを封じられた状態で、大きく目を見開いた女。

 女の目が灼熱に染まり――唐突に、夜が下りる。




 何も見えない。

 あれだけ赤い光に満ちていたのに、夜に似た闇だけがそこにある。

 でも、聞こえている。

 夜の中、音だけが鮮明だ。

 かたかたと鳴っている歯車。鮮明な音に耳を澄ませて、やっと気づいた。

 これは歯車の音ではない。

 もっと小さく軽い、他の何かだ。

 小石が転がるような音と一緒に、笛に似た高い音がしている。

 細く、細く。

 いまにも途切れてしまいそうな音は、喉元から生まれている。


 突然、すさまじい叫びが上がった。

 真円が夜の向こうで輝いている。

 右へ、左へと旋回する蠱惑の円。明滅しながら輝いて……音もなく消えていく。

 次に鈍い音がした。

 どこかで重いものが落ちたようだ。

 その音が、何より意識に強く響いた。

 静かに瞼が上がっていく。もどかしいほどゆっくりと開かれた世界。そこに、左目と額から血を流し、絶命している導士の姿があった。


 一瞬、過去といまが混ざり、ひどい混乱が起きる。

 先ほどまで自分が乗っていただろう彼は。

 額を小ぶりの杖に貫かれ、息絶えてしまったその人は――グレッグによく似ていた。


 ひゅうと、喉から高い息が漏れる。

 名を呼ぼうとしたのだ。けれども、音が生まれることはついになかった。

「男でちょうどよかったわね。あら、どうしたのそんな顔をして」

「これは意外だ。まさか蠱惑で…………。やはり遺跡は如何ともし難い。君の言うとおり、今回は撤退が最善のようだな」

 さて、と男が言った。

 その瞬間、ふいに前髪が落ちて、力なく開かれたままの目にかかった。

 よく見知った色が、目の前で揺れている。

 その光景を見て、胸が潰れそうに痛んだ。


 この事実は――ああ、これだけは知りたくなかった。


 憎い男の額で、銀の飾りがぎらりと光る。

「往生際悪く、まだ息をしているものがいるな」

 声が遠ざかっていく。

 夢が。

 彼女の記憶が、終わりかけている。

 目尻から、熱い雫が伝う。

 笛の吐息を小さく鳴らして。現実を拒絶した彼女が、そっと目を閉じた。


 ――お前達に栄誉を与えよう。


 愉悦を滲ませている声が、大きくなり、小さくなりながら離れていっている。


 いくつか苦しい呼吸をした後、最後の力を振り絞り、彼女が再び瞼を開けた。

 一度は拒絶した世界で、何かを探す。

 傾斜のある水晶の床。笑う番と、背後に立つ大きな鏡。ところどころに空いた、小さな"真穴"。床の下にある血のような流れ――どこまでも続く、果てしない闇。

 そろりそろりと動いていた視線が、床の一点で止まる。

 止めた先は、片隅にある"真穴"。


 邪悪の咆哮が途絶えた場で、またもあの歯車の音を聞く。

 音の正体は、意外なものだった。


 すっかり動かなくなった視界に、使い込まれた皮袋が一つ。

 彼女と同じように力なく倒れている袋から、ささやかな光を帯びた茶色の粒がこぼれていた。

 かたかた、ころころと音を立てて。

 ゆるやかな傾斜に沿って、転がっていくのは小さな種。

 彼女の抱いていた未来が、一つ、また一つと"真穴"に飲まれ、消えていっている。


 間近で、ただ殺されるよりいいだろうと声がした。

 薄い金の前髪が揺れる。

 彼女の視線は、革袋に縫い付けられていた。

 もう、思考すらも消えている。それなのに彼女は、革袋から覗く色を追い続けていた。

 擦り切れた革袋の奥。大事に仕舞われていたのは記憶に残る、あの腕輪。

 その色に向かって、手を伸ばそうとした。

 しかし手は動かず。声を上げることもできない。


 だから、無心に色だけを追う。


 視線の先には、濡れたような青。

 夕暮れと花壇の思い出が宿る、きれいな色のとんぼ玉。

 彼女の目には、その色だけが映り続けていた。

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