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真導士サキと風渡りの日  作者: 喜三山 木春
第十三章 風霜の彼方
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終着点

「戻りましたわね」


 開け放たれた大窓から、新たな季節と聞きなれたさえずりが飛び込んできた。

 行方不明になっていた今年の導士達。

 巣から落ちてしまっていたほとんどが、ついいましがた帰還した。

 現れた気配を確かめ、細く息を吐く。

 雛達の鳴き声は、冬の朝によく響く。合間に、それを静めて回る声もある。まだ半人前と思っていたが、なかなかどうして様になってきた。


「ナナバ正師。何処へ参られるおつもりですか」

 扉まできたところで、後方から声が掛かった。

「……数羽ほど、戻っておらぬようだ」

 数が足りない。

 念を入れて確かめた。しかし、どう数えても欠けている。

 扉を開けた時、さらに強い呼び止めがきた。

 振り返り、呼び止めてきた同僚を見やり――そして大窓の中央に立つ、銀の背中へと視線を流す。

「ムイ正師、この場を任せる」


 静かな朝だ。

 十二年前もこのようだったか。


 毎年やってくる風が、秋と喧騒とを連れ去ったあの日。

 当たり前のように訪れた季節は、多くの知己と、巣立ちを間近に控えていた命を摘み取っていった。

「一羽たりとて欠くわけにいかぬ」

 土くれに葬った姿は、脳裏に焼きついている。記憶の陰影は、歳月の流れから取り残されたまま。


 二度と奪われてなるものか。

 自らの力で、大空へ羽ばたくその時まで。


 風が吹いた。

 吹き込んできた冷気に促され、大扉の先を目指す。すると今度は、衣擦れに紛れるような声がやってきた。

「どうぞ、ご無事で」

 祈りと秘めていた決意を胸に、追憶への一歩を踏み出す。


 また、風が吹いた。

 歩みよりも早く抜けていく風は、彼方までの標。

 誘われるままに、透徹の道を行く。






「今回の目標である遺跡には、警戒すべき点がいくつかあります」


 頭に直接響く音が、足音の余韻と混ざりあう。

 解読部の男が、出立直前に寄越してきたものは二つ。追跡用の術具と、あの者の知識を蓄えた輝尚石。


(確証がなくともいい。無論、部隊の承認など得ずとも構わない。持てる知識と直感とで、出せるだけの仮説を出していただきたい)


 ティートーンの依頼に応え、籠められただろう輝尚石から、絶え間なく知識が流れ出てきている。

 もっと前に、この才を発掘できていたなら。

 一年でも早く、あの者が生まれてきていたのなら。

 茶化しながらも、悔しさを滲ませていた同期のぼやきに、遅れながら同調する。

 だが、時は決して戻らぬ。

 この時にしか見えぬ宿命だったと、割り切るのみだ。


「まず前提として、遺跡が意志を持っているとお考えください」


 いかに古代の技術が栄えていたとしても、都合が良過ぎる話。

 封印されし邪悪が、決して息絶えぬよう食事を求め。それでいてなお、封印への到達が不可能なように構築されている。

 確かに、古代の技術は高度だった。

 そうであったとしても、ここまで真導士を欺けるものか。

 この十二年、徹底的な調査がされたにも関わらず、今日まで封印へ到達できていない。

 それは遺跡が意志を持ち、侵入者を徹底的に拒んでいるためではないか。

 つまり、この遺跡は――それそのものが生きているのではないか?


「仮にそうであるとすれば、"風渡りの日"しか封印に到達できないようになっているはず」


 封じられた邪悪を、完全に解放できるのは風が渡ってきたその日のみ。

 そして封印に到達するのも、今日をおいて他にない。この脱出路とて、その例外ではないだろう。

 響き続けていた声が、一旦止まる。

 しかし、真術の展開は成されたまま。続きがあるだろうと見込み、足を進めながら待つ。




 脱出のために作られたであろう回廊を、足音と共に進んでいけば。深く、暗い道の先に丸い影が見えた。


(孤高と孤独は別物だ)


 敵かと身構えたが、どうも違う。

 そうと考えたのは、響いてきた声が知ったものだったがゆえ。

 道の先に見えた影は、椅子に腰掛けた老人。

 見知った相手だが、明らかに当人ではない。攻撃に転じる様子もないようだ。意図を探りかね、敢えてそれと相対する。

 かの人物は、出会った時すでに老人だった。

 真導士の生は長い。

 姿に変わりがないのは頷ける。そうであっても、ここにいるはずのない相手だった。


(時に一人になっても構わぬが、決して孤独を選ぶな)


 過ごした期間は、わずか数ヶ月。以来、一度も見えておらぬ。

 師と仰いだ覚えもない。

 その人物が、何ゆえこの場に現れるか。考えるまでもなく理由は得られた。

 回廊が起こす、稚拙な誑かし。ただの幻影だ。

 乗ってやるつもりなど毛頭ない。

 語りかける以外に何をするでもない幻。存在に構わず真っ直ぐに歩めば、かの人物が塵と化した。

 大仰に舞った塵。

 煙のように伸び、回廊に充満した濁りが、十歩ほど離れた場所で渦を巻き、新たな姿に化ける。


 もやをまとった後ろ姿にも、見覚えがあった。

 飲んだくれたまま、卓に突っ伏した男。欠けて曇ったグラス。転がり落ちている酒瓶には、中身が一滴も残っていない。


 足を止め、幻影を見ながら周囲を探る。

 いまだ敵意はない。

 殺意も飛んできておらぬ。

 先を急ぐべきと判断し、再び足を進めた。

 こちらが動けば幻影は塵となり、湿気を含んだ大気に溶ける。


 さらに数歩行ったところで、また新たな影が現れた。

 細く見窄らしい影は、すすり泣きながら腹を撫でている。


 ……存外に覚えているものだ。

 とうに忘れたと思っていたが、人の記憶はしぶとい。もはや何を得るでもない過去を眺め、そして幻影の意図を悟る。

 足を止めるのも億劫だ。

 望むだけ探るがいいと、真眼を大きく開く。


 最奥へと繋がっているであろう、煉瓦作りの脱出路。

 通常、遺跡は白楼岩と水晶で構築されている。地表に露出していた部位も、枠から外れてはいなかった。

 しかし、この通路だけは異質。

 遺跡の肝たる最深部近くにあれど、脆い煉瓦だけで造られている。さらに指摘するならば、通路全体に敷かれているこの真術。

 ……どうやら、あの者の仮説は正しかったようだ。


 すすり泣いている女の姿は、朧げながら残していた記憶そのもの。

 読心術は失われた真術。

 ゆえに古代真術の象徴ともされている。

 されど、煉瓦に籠められている真術は、生華時代の遺跡と考えればおかしなもの。

 発見されること自体が稀な神聖時代の遺跡は、侵入すらも安易に許されぬ。

 翻って生華時代の遺跡は、足を踏み入れることはできるが、侵入者には容赦ない報復が行われる。

 そのはずだが、この通路には"魔獣"も"堕殻(だかく)"もおらず、命を狙うような罠もない。

 生華時代の遺跡らしからぬ、奇妙極まりないこの道。

 しかし、意図が読めれば納得するのは容易い。

 幾度も現れ、帰れと唆す幻影は、決して攻撃に転じることはない。

 攻撃を加えるような力を籠めれば、勘付かれてしまうのだろう。他の誰でもない、邪悪を飼いこんでいる、この生きた遺跡自体に――。


 足を進めるたび、慄いたように幻影が揺れる。

 常なら煩わしいと思えただろう動きだったが、いまは気にもかからぬ。

 音も風も届かぬ静かな通路は、真力を鎮めるのに都合がいい。

 触れた大気は、昨日までの季節を残している。それも何とも都合がいいと思えていた。


 幻が動く。

 慌てたようなもやの動きが、通路の終焉を予告している。

 そのような時に見えた幻影は、先程よりも小さき影だった。

 通路中央に立つ、貧相な子供。

 とうに捨てた過去が、そこにいた。


 ――帰れ。


 子供が口を開く。

 開いた拍子に、あばら骨が浮き上がる。


 ――これ以上、進んではならぬ。


 鈍く反響した声は、幼くも老いているようにも聞こえた。

 声を無視して、先を急ぐ。


 ――近づくな。


 幻影を正面から突き抜ける。それだけで、貧相な影が霧散していった。

 懐古することもなければ、感慨に浸ったこともない。過ぎ去った時は何ももたらさぬ。


 そう、何も。

 何も成しはしない。


 散開したもやが集まり、またも何かを作りはじめた。

 無駄なことを。

 半ば呆れながら動きを見ていたが、途中で気が変わった。

 右手をかざし、風を放つ。

 輝きを帯びた風が、白金の影を散らす。

 鼓膜に強い違和感が出た後、煉瓦の果てに大きな穴が開いていた。穴の奥に覗くのは、ほのかに光る水晶の道。


 それは、瞬きの間のことだった。


 水門を開いたかの勢いで水晶が流れ込み、一瞬にして脱出路は飲まれていった。

 煉瓦だったものは、真水と思えるほど透き通った水晶と化し。いまひとたび人影となろうとしていたもやは、薄暗い闇に吸い込まれ消失した。


 そこにはもう、何も残されていない。

 教え、諭そうとする者も。

 酒に落ちた男も。すすり泣いていた女も。

 骨と皮ばかりの子供も――風になびく、白金の添え髪すらも。




 開かれた最奥への道は、気味悪く蠢きながら誘っている。

 裏切り者の痕跡を喰らい。それだけでは飽き足らず、さらなる獲物を求め、舌なめずりしているような気配。


 生きている。

 確かに、これは生きている。


 足を踏み入れただけで、獣の腹に入り込んだ心地がした。

 硬い足音を響かせている水晶の下、場違いなほど鮮やかな小川が這っている。巨大な血管に似た水の流れは、徐々に太さを増しながら何処かへと続いていた。

 心音が、わずかに騒がしくなる。

 間違いない。

 この道の先に、目指すべき終着点がある。

 十二年かけて探してきた場所まで、あとわずか。


 このようなものか。

 自らが生んだ内心の声を、踵が踏み潰して消す。

 無論そうだ。特別なことなどない。

 戦いは常にあった。見せかけの平穏の下、途切れることなく続いていた。

 誰にも知られずにはじまり、終わる。

 常と同じこと。

 そうは思えど、真眼が疼いている。

 大気に撒いた真力の中、気の荒い精霊がその時に至るのを待ちかねていた。

 勘が導く先に、巨大な気配が眠っている。

 この距離であれば、迷いようがない。




「ようこそ」


 声がやってくると同時に、視界が切り替わった。

 延々と続いていた道は失せ、代わりに広がっているのは水晶でできた場。

 情景の変化は、正しく入り込んだという事実だけを示す。

 輝尚石の展開を収束させ、深く呼吸をして意識を一つにまとめ上げる。

 辿り着いた円形の広場には、無数の"真穴"が存在していた。

 天井はない。

 重く垂れ込めた闇が、水晶の広場に覆い被さっているのみ。

 水晶の下には、先ほどと変わらず巨大な血管が這っている。

 複雑に絡まりながら、中央の一点を目指し流れていく赤き川。川の流れが行き着いた先に、古びた鏡が立っている。


「きっと、いらっしゃると思っていました」


 鏡のほど近くから、声がしている。

 気配はそこにない。だが、声の主がどこにいるかは一目でわかった。

 鏡の前に、大きく円が描かれている。

 左右に旋回している光からは、一味の女の気配がしていた。そして声は、紛れもなく真円の中からやってきている。


「どうぞお進みください。宴の席を用意してあります」


 声を聞きながら、頭に入れた情報を手繰る。

 調査報告書という紙屑に記載されていた内容は、ほぼ記憶に残っていない。

 記憶に残るような箇所がなかったと、表現するのが適切やもしれぬ。


 燠火であることは確実。

 得意とする真術は不明。導士時代の評価も、高士となってからの評価もたいして変わりがない。

 慧師が代替わりした後、重ねて隠密の調査が行われていた。

 しかし、幾年も時間をかけた挙句、無駄な紙が作り重ねられただけだった。

 特徴がないという特徴を、ティートーンが殊更気にしていた。それも事ここに至れば、もはやどうでもいい話。

 真円は罠だろう。

 言われずとも察しはつく。だが――


「貴方には、たいそうもてなしていただいた。いつか礼をせねばと思っていたのです」


 頭上に新たな真円が描かれた。

 触れた気配は、無類の真術。

 攻撃ではないと動かずにいれば、目の前に何かが降ってきた。

 床にぶつかり。破片を飛ばし。砕けながら水晶を滑る。

 一見して何体あるかも判別できぬ骨の山に、古びた白い布が混じっていた。


「まずは、お受け取りください」


 風も吹かぬ場所で、短い羽が揺れる。

 赤茶けた斑の染み。

 崩れては欠けていく骨。


 愉快だと言わんばかりの声と余韻が、広場を渡っていく。

 声が響いている間も、山から骨が滑落してきていた。床に転がった一つが、つま先に当たり、そこで動きを止める。

 こちらを見上げる格好となった髑髏の額は、大きく穿たれ、真眼ほどの穴が開いていた。


「お気に召していただけましたか」


 身の内に、熱が巡った。

 心地いいとすら感じる熱が、行き先を告げる。


「どうぞ、こちらへ」


 蠱惑の真円が、加速しながら旋回していた。

 無風の場に、笑い声だけが渡っていく。左の小指に嵌めた金の指輪が、強く煌めいたようだった。

 一点を目指して足を動かす。

 思考を封じ、ただ前へと進み出る。


 足が円に触れたのを契機に、展開が起こった。

 白い輝きの中、天が広がっているだろう場所を見上げる。

 そこにあったのは闇。

 星すらも輝かぬ闇の中、あの色を見かけた。

 恐らく気のせいだろう。


 この先に、終わりがある。

 ようやっと辿り着いた場所で、決着を見るだろう。

 一体、どのような光景か。

 まあいい。

 どのようでも構わぬ。どうあろうが終着点は一つ。




 その一つがあれば、それでいい。


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