終着点
「戻りましたわね」
開け放たれた大窓から、新たな季節と聞きなれたさえずりが飛び込んできた。
行方不明になっていた今年の導士達。
巣から落ちてしまっていたほとんどが、ついいましがた帰還した。
現れた気配を確かめ、細く息を吐く。
雛達の鳴き声は、冬の朝によく響く。合間に、それを静めて回る声もある。まだ半人前と思っていたが、なかなかどうして様になってきた。
「ナナバ正師。何処へ参られるおつもりですか」
扉まできたところで、後方から声が掛かった。
「……数羽ほど、戻っておらぬようだ」
数が足りない。
念を入れて確かめた。しかし、どう数えても欠けている。
扉を開けた時、さらに強い呼び止めがきた。
振り返り、呼び止めてきた同僚を見やり――そして大窓の中央に立つ、銀の背中へと視線を流す。
「ムイ正師、この場を任せる」
静かな朝だ。
十二年前もこのようだったか。
毎年やってくる風が、秋と喧騒とを連れ去ったあの日。
当たり前のように訪れた季節は、多くの知己と、巣立ちを間近に控えていた命を摘み取っていった。
「一羽たりとて欠くわけにいかぬ」
土くれに葬った姿は、脳裏に焼きついている。記憶の陰影は、歳月の流れから取り残されたまま。
二度と奪われてなるものか。
自らの力で、大空へ羽ばたくその時まで。
風が吹いた。
吹き込んできた冷気に促され、大扉の先を目指す。すると今度は、衣擦れに紛れるような声がやってきた。
「どうぞ、ご無事で」
祈りと秘めていた決意を胸に、追憶への一歩を踏み出す。
また、風が吹いた。
歩みよりも早く抜けていく風は、彼方までの標。
誘われるままに、透徹の道を行く。
「今回の目標である遺跡には、警戒すべき点がいくつかあります」
頭に直接響く音が、足音の余韻と混ざりあう。
解読部の男が、出立直前に寄越してきたものは二つ。追跡用の術具と、あの者の知識を蓄えた輝尚石。
(確証がなくともいい。無論、部隊の承認など得ずとも構わない。持てる知識と直感とで、出せるだけの仮説を出していただきたい)
ティートーンの依頼に応え、籠められただろう輝尚石から、絶え間なく知識が流れ出てきている。
もっと前に、この才を発掘できていたなら。
一年でも早く、あの者が生まれてきていたのなら。
茶化しながらも、悔しさを滲ませていた同期のぼやきに、遅れながら同調する。
だが、時は決して戻らぬ。
この時にしか見えぬ宿命だったと、割り切るのみだ。
「まず前提として、遺跡が意志を持っているとお考えください」
いかに古代の技術が栄えていたとしても、都合が良過ぎる話。
封印されし邪悪が、決して息絶えぬよう食事を求め。それでいてなお、封印への到達が不可能なように構築されている。
確かに、古代の技術は高度だった。
そうであったとしても、ここまで真導士を欺けるものか。
この十二年、徹底的な調査がされたにも関わらず、今日まで封印へ到達できていない。
それは遺跡が意志を持ち、侵入者を徹底的に拒んでいるためではないか。
つまり、この遺跡は――それそのものが生きているのではないか?
「仮にそうであるとすれば、"風渡りの日"しか封印に到達できないようになっているはず」
封じられた邪悪を、完全に解放できるのは風が渡ってきたその日のみ。
そして封印に到達するのも、今日をおいて他にない。この脱出路とて、その例外ではないだろう。
響き続けていた声が、一旦止まる。
しかし、真術の展開は成されたまま。続きがあるだろうと見込み、足を進めながら待つ。
脱出のために作られたであろう回廊を、足音と共に進んでいけば。深く、暗い道の先に丸い影が見えた。
(孤高と孤独は別物だ)
敵かと身構えたが、どうも違う。
そうと考えたのは、響いてきた声が知ったものだったがゆえ。
道の先に見えた影は、椅子に腰掛けた老人。
見知った相手だが、明らかに当人ではない。攻撃に転じる様子もないようだ。意図を探りかね、敢えてそれと相対する。
かの人物は、出会った時すでに老人だった。
真導士の生は長い。
姿に変わりがないのは頷ける。そうであっても、ここにいるはずのない相手だった。
(時に一人になっても構わぬが、決して孤独を選ぶな)
過ごした期間は、わずか数ヶ月。以来、一度も見えておらぬ。
師と仰いだ覚えもない。
その人物が、何ゆえこの場に現れるか。考えるまでもなく理由は得られた。
回廊が起こす、稚拙な誑かし。ただの幻影だ。
乗ってやるつもりなど毛頭ない。
語りかける以外に何をするでもない幻。存在に構わず真っ直ぐに歩めば、かの人物が塵と化した。
大仰に舞った塵。
煙のように伸び、回廊に充満した濁りが、十歩ほど離れた場所で渦を巻き、新たな姿に化ける。
もやをまとった後ろ姿にも、見覚えがあった。
飲んだくれたまま、卓に突っ伏した男。欠けて曇ったグラス。転がり落ちている酒瓶には、中身が一滴も残っていない。
足を止め、幻影を見ながら周囲を探る。
いまだ敵意はない。
殺意も飛んできておらぬ。
先を急ぐべきと判断し、再び足を進めた。
こちらが動けば幻影は塵となり、湿気を含んだ大気に溶ける。
さらに数歩行ったところで、また新たな影が現れた。
細く見窄らしい影は、すすり泣きながら腹を撫でている。
……存外に覚えているものだ。
とうに忘れたと思っていたが、人の記憶はしぶとい。もはや何を得るでもない過去を眺め、そして幻影の意図を悟る。
足を止めるのも億劫だ。
望むだけ探るがいいと、真眼を大きく開く。
最奥へと繋がっているであろう、煉瓦作りの脱出路。
通常、遺跡は白楼岩と水晶で構築されている。地表に露出していた部位も、枠から外れてはいなかった。
しかし、この通路だけは異質。
遺跡の肝たる最深部近くにあれど、脆い煉瓦だけで造られている。さらに指摘するならば、通路全体に敷かれているこの真術。
……どうやら、あの者の仮説は正しかったようだ。
すすり泣いている女の姿は、朧げながら残していた記憶そのもの。
読心術は失われた真術。
ゆえに古代真術の象徴ともされている。
されど、煉瓦に籠められている真術は、生華時代の遺跡と考えればおかしなもの。
発見されること自体が稀な神聖時代の遺跡は、侵入すらも安易に許されぬ。
翻って生華時代の遺跡は、足を踏み入れることはできるが、侵入者には容赦ない報復が行われる。
そのはずだが、この通路には"魔獣"も"堕殻"もおらず、命を狙うような罠もない。
生華時代の遺跡らしからぬ、奇妙極まりないこの道。
しかし、意図が読めれば納得するのは容易い。
幾度も現れ、帰れと唆す幻影は、決して攻撃に転じることはない。
攻撃を加えるような力を籠めれば、勘付かれてしまうのだろう。他の誰でもない、邪悪を飼いこんでいる、この生きた遺跡自体に――。
足を進めるたび、慄いたように幻影が揺れる。
常なら煩わしいと思えただろう動きだったが、いまは気にもかからぬ。
音も風も届かぬ静かな通路は、真力を鎮めるのに都合がいい。
触れた大気は、昨日までの季節を残している。それも何とも都合がいいと思えていた。
幻が動く。
慌てたようなもやの動きが、通路の終焉を予告している。
そのような時に見えた幻影は、先程よりも小さき影だった。
通路中央に立つ、貧相な子供。
とうに捨てた過去が、そこにいた。
――帰れ。
子供が口を開く。
開いた拍子に、あばら骨が浮き上がる。
――これ以上、進んではならぬ。
鈍く反響した声は、幼くも老いているようにも聞こえた。
声を無視して、先を急ぐ。
――近づくな。
幻影を正面から突き抜ける。それだけで、貧相な影が霧散していった。
懐古することもなければ、感慨に浸ったこともない。過ぎ去った時は何ももたらさぬ。
そう、何も。
何も成しはしない。
散開したもやが集まり、またも何かを作りはじめた。
無駄なことを。
半ば呆れながら動きを見ていたが、途中で気が変わった。
右手をかざし、風を放つ。
輝きを帯びた風が、白金の影を散らす。
鼓膜に強い違和感が出た後、煉瓦の果てに大きな穴が開いていた。穴の奥に覗くのは、ほのかに光る水晶の道。
それは、瞬きの間のことだった。
水門を開いたかの勢いで水晶が流れ込み、一瞬にして脱出路は飲まれていった。
煉瓦だったものは、真水と思えるほど透き通った水晶と化し。いまひとたび人影となろうとしていたもやは、薄暗い闇に吸い込まれ消失した。
そこにはもう、何も残されていない。
教え、諭そうとする者も。
酒に落ちた男も。すすり泣いていた女も。
骨と皮ばかりの子供も――風になびく、白金の添え髪すらも。
開かれた最奥への道は、気味悪く蠢きながら誘っている。
裏切り者の痕跡を喰らい。それだけでは飽き足らず、さらなる獲物を求め、舌なめずりしているような気配。
生きている。
確かに、これは生きている。
足を踏み入れただけで、獣の腹に入り込んだ心地がした。
硬い足音を響かせている水晶の下、場違いなほど鮮やかな小川が這っている。巨大な血管に似た水の流れは、徐々に太さを増しながら何処かへと続いていた。
心音が、わずかに騒がしくなる。
間違いない。
この道の先に、目指すべき終着点がある。
十二年かけて探してきた場所まで、あとわずか。
このようなものか。
自らが生んだ内心の声を、踵が踏み潰して消す。
無論そうだ。特別なことなどない。
戦いは常にあった。見せかけの平穏の下、途切れることなく続いていた。
誰にも知られずにはじまり、終わる。
常と同じこと。
そうは思えど、真眼が疼いている。
大気に撒いた真力の中、気の荒い精霊がその時に至るのを待ちかねていた。
勘が導く先に、巨大な気配が眠っている。
この距離であれば、迷いようがない。
「ようこそ」
声がやってくると同時に、視界が切り替わった。
延々と続いていた道は失せ、代わりに広がっているのは水晶でできた場。
情景の変化は、正しく入り込んだという事実だけを示す。
輝尚石の展開を収束させ、深く呼吸をして意識を一つにまとめ上げる。
辿り着いた円形の広場には、無数の"真穴"が存在していた。
天井はない。
重く垂れ込めた闇が、水晶の広場に覆い被さっているのみ。
水晶の下には、先ほどと変わらず巨大な血管が這っている。
複雑に絡まりながら、中央の一点を目指し流れていく赤き川。川の流れが行き着いた先に、古びた鏡が立っている。
「きっと、いらっしゃると思っていました」
鏡のほど近くから、声がしている。
気配はそこにない。だが、声の主がどこにいるかは一目でわかった。
鏡の前に、大きく円が描かれている。
左右に旋回している光からは、一味の女の気配がしていた。そして声は、紛れもなく真円の中からやってきている。
「どうぞお進みください。宴の席を用意してあります」
声を聞きながら、頭に入れた情報を手繰る。
調査報告書という紙屑に記載されていた内容は、ほぼ記憶に残っていない。
記憶に残るような箇所がなかったと、表現するのが適切やもしれぬ。
燠火であることは確実。
得意とする真術は不明。導士時代の評価も、高士となってからの評価もたいして変わりがない。
慧師が代替わりした後、重ねて隠密の調査が行われていた。
しかし、幾年も時間をかけた挙句、無駄な紙が作り重ねられただけだった。
特徴がないという特徴を、ティートーンが殊更気にしていた。それも事ここに至れば、もはやどうでもいい話。
真円は罠だろう。
言われずとも察しはつく。だが――
「貴方には、たいそうもてなしていただいた。いつか礼をせねばと思っていたのです」
頭上に新たな真円が描かれた。
触れた気配は、無類の真術。
攻撃ではないと動かずにいれば、目の前に何かが降ってきた。
床にぶつかり。破片を飛ばし。砕けながら水晶を滑る。
一見して何体あるかも判別できぬ骨の山に、古びた白い布が混じっていた。
「まずは、お受け取りください」
風も吹かぬ場所で、短い羽が揺れる。
赤茶けた斑の染み。
崩れては欠けていく骨。
愉快だと言わんばかりの声と余韻が、広場を渡っていく。
声が響いている間も、山から骨が滑落してきていた。床に転がった一つが、つま先に当たり、そこで動きを止める。
こちらを見上げる格好となった髑髏の額は、大きく穿たれ、真眼ほどの穴が開いていた。
「お気に召していただけましたか」
身の内に、熱が巡った。
心地いいとすら感じる熱が、行き先を告げる。
「どうぞ、こちらへ」
蠱惑の真円が、加速しながら旋回していた。
無風の場に、笑い声だけが渡っていく。左の小指に嵌めた金の指輪が、強く煌めいたようだった。
一点を目指して足を動かす。
思考を封じ、ただ前へと進み出る。
足が円に触れたのを契機に、展開が起こった。
白い輝きの中、天が広がっているだろう場所を見上げる。
そこにあったのは闇。
星すらも輝かぬ闇の中、あの色を見かけた。
恐らく気のせいだろう。
この先に、終わりがある。
ようやっと辿り着いた場所で、決着を見るだろう。
一体、どのような光景か。
まあいい。
どのようでも構わぬ。どうあろうが終着点は一つ。
その一つがあれば、それでいい。




