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真導士サキと風渡りの日  作者: 喜三山 木春
幕間 夏の真導士
13/195

夏の真導士(5)

「バト高士って、あのバト高士?」

 常人より大きい藍色の目が開かれた。


 やってきた友人宅。

 土産の礼を……と、豪華な夕飯を作っている相棒の名代として訪れたところ、興味全開なレアノアに捕獲されてしまった。

 昨日はあれからどうなったのか。

 あの衣装は誰からだったのか。

 そもそも、自分達の関係は良好なのか。

 本人いわく「一番おもしろい部分を逃した埋め合わせ」だと言うのだが、困った姫君もいたものだ。

 やたら鋭い娘を誤魔化すのは不可能で、ならばいっそと一から十まで洗いざらい話すことにしたのだが――。

「知っていたのか」

 問えば、年頃の娘にしては短い添え髪を優雅に揺らして「知っている」と言った。

「サガノトスの有名人よ。慧師の同期にして右腕。里に在籍している高士の中で、もっとも強いと言われている」

 レアノアは、一度言葉を切って続けた。

「通称"鼠狩りのバト"。表を仕切っている慧師の代わりに、裏側を一手に引き受けている人物。"片翼"って呼ぶ人もいるわ。相棒がいないことでも有名だから」

 表情を崩さずにいるのは難しかった。

 里の深い事情まで知っているらしい相棒を、ヤクスがぽかんとした顔で眺めている。

「何で知ってるのさ?」

「血族に令師だの高士だのがいると、勝手に知識が増えていくの。普通の導士が知り合うような相手じゃない。実習が任務と被ったって簡単に言ったけど、それって大事だと思う。導士はもとより、高士だって滅多に顔を合わせない相手よ。災難だったわね」

 レアノアはさらりと言ってから、にんまりと笑んだ。

「最初から三角関係? おもしろい展開」

「……うれしくないな」

 どこが気に入ったのか、よりいっそうの興味を滲ませて娘が微笑む。

「そんな言い方したら駄目だよ。小慣れてそうに見えるけど、実は全然だから」

「あらごめんなさい、そうだったわ。すけこましにしか見えないけど、意外よね」

 これには二人してぎょっとした。

 令嬢以前に、娘が選んでいい言葉とは思えなかったからだ。

「レニーってば……」

 ヤクスは、額に手をやり天を仰いだ。どうやらこいつも、奔放な相棒に振り回されているらしい。

「で、自信はあるの?」

「何のことだ」

「あの娘を落とす自信はあるのかって聞いてるの」

 本当に、鈍いのねとつけ加えて、また茶をすする。

 横でヤクスがまた間抜け顔をさらしているが、これは放っておくことにして、自分も茶をすする。

「何言ってるのさ、レニー。二人はとっくに相思相愛だよ」

 呼ばれた娘は、柔らかく弧を描いている眉をぴくりと動かす。

「そう?」

 含みを持たせた返答を受けて、ヤクスに戸惑いが出る。

「貴方はわかるの。あの娘の方が、どうなのかなとは思うわ」

「どうって……」

「好意はあるんじゃない? それでも"恋してます"という雰囲気がないのよ。……言葉にしづらいけど、好きにも段階があるでしょう。その段階の一番手前で止まってる気がするのよね。――違うかしら」

 真意を探るように、目を覗き込んでくる。これだから真導士は厄介だというのだ。

「……いやなところを突くな」

「あら、自覚はあったの?」

「最初からわかっていた」

 彼女の歩みが緩やかなことも。自分の気持ちと比べて、まだまだ距離が遠いことも。

「サキは感情を扱いかねている節がある。会ったばかりの頃は、好き嫌いがないに等しかった。せいぜい"大丈夫"とか"苦手"とか言うくらいでな。最近はずいぶんと感情が豊かになってきた。それでも足りていない部分はある」

 ゆっくりと着実に。そうかと思えばいきなり飛び跳ねて、油断すると戻っている。

 彼女は本当に目が離せない。

「余裕ね」

「さあ、どうだろう」

「ちょっと煽ってあげましょうか」

「結構だ。間に合っている」

「そう、残念」

 拗ねた風に言っていても、楽しんでいるのは伝わってきている。

 完全にからかわれているようだ。

 しかし、レアノアの視点は友人達の誰より的確。

 貴族の仕事は恋と浮気。恋愛相談は奴らの十八番。ここは、味方に引き入れておくべきだ。

「面白がってないで、知恵くらい貸してくれてもいいだろう。さんざん首を突っ込んだからな」

「はいはい、わかってる。よっぽどでなければ相棒である貴方が優位なんだから、かりかりしないでよ」

「だってさー。よかったな、ローグ」

 能天気なことを言って、にっと笑ったヤクス。誰よりものんびりとした男の相棒は、ぐったりと肩を落とした。

「正鵠だからと思っておくべきかしら……」

「そうしておけ」

 何だかんだ言っても相棒は相棒。

 ヤクスがそれなりに心配らしい。割れ蓋、閉じ蓋とはよく言ったものだ。

 のほほんとしたヤクスに引きずられまいとしたのか、レアノアが軽く咳払いをした。その仕草にも気品を感じるのだから、貴族とは恐ろしい。

「まあ、いいわ。いまは夏だし、やりようは色々あるでしょう。何か誘ってみればいいじゃない」

 言われた内容が、送られてきた中身を想起させる。

「招待状でも送れといいたいのか」

 まったく気分が悪い。

 なけなしの矜持を振り絞ってみたものの、どのような中身だったのか気になってはいる。招待状だとしたら、またどこかへ連れ出す気なのだ。

 そればかりは許せん。止める権利はあるだろうから、釘をさしておかないと。

「同じ手を使ってどうするのよ。相手は年上で、しかも高士。同じ作戦じゃ勝ち目なんかないわよ。高士と導士じゃ、もらう給金だって違うんだし。半人前なら半人前なりのやり方ってものがあるでしょ」

「……はっきり言い過ぎだろう」

 この性格、前評判通りといったところか。半人前の自覚はあれど、いやな気分だ。

「じゃあ招待状はなしってことで。で、他に何があるんだ?」

 そもそも同じ家に住んでいて、招待状はない。

「手当たり次第に誘ってみればいいじゃない。ローグの方が知っているんじゃないの。いやな思いをさせなければ平気よ。相手だって半人前なんだから。自分が好きなものだって、まだわからないと思う。お誘いだって、あまり受けたことがないんでしょう」

 それもそうか。

 よくわかっていないまま流されている彼女。

 ふわふわとただよっているサキの好みは、そもそも存在していない可能性があった。存在していない好みを探ろうとしていたのが、まず間違いかもしれん。この発見だけでも、相談してよかったと思える。

 腕を組み、漫然と天井を見上げる。

 何でもいいと言われると、これまた悩みどころ。何か買い与えようにも、あの衣装と比べれば、見劣りする危険性がある。

 できれば二人きりでできること。彼女がまだ試したことがないような……、それでいて楽しめること。

 そして――彼女と離れなくて済むような何か。

 風が出てきたのか、友人宅の扉についている鈴がちりちりと小さく鳴っている。

「どう、何か思いついた?」

 鈴の声が響いた時、ようやく閃いた。

「ああ。今夜にでも行ってみるか」







「散歩の時間か」

 手の平からの声に眉を顰める。

「……バトさん」

「違うなら何用だ」

 声に反応してか、輝尚石が強く光る。そのうるんだ輝きをむっとしたまま睨みつけておく。

 運んでいるのは声だけ。

 知ってはいても睨まずにいられない。そんな言い方をするなら、今度きのこ料理をたくさん拵えてしまおう。苦手なのはわかっているのだ。

 送られてきた、三つの輝尚石。籠められていた真術はすべて黙契だった。どういう意味があるのか手紙からは読み解けず。かといってもんもんとしているのも気分が悪く。思い切って展開してみたらあっさり応答があった。

「衣装が届きました。これはどうしたら……」

「好きにしろ」

「高価なのでは」

「気にするなと言っている」

 金銭感覚のずれは治りそうにない。

「この衣装を着て料理はできませんよ」

「料理以外にもあるだろう」

「掃除にも向いていません」

「あのな……」

 輝尚石が薄く明滅した。バトの真力が術にゆれを生み出しているのか。静かなうるみが大気を撫ぜる。

 わずかな間を、ゆるやかな沈黙が包んでいく。

 開け放っている窓から、草の香りが侵入してきた。静穏な緑の時間。手の平からの冷気と混ざり、高原にいるような錯覚を覚える。緑の大気は、かつていた牧歌的な村を思い出させてくれる。


 バトは、あの時を境に少しだけ変わった。

 彼女の思いが届いたのだ。密かにこの人の変化をうれしく思っている。

「手紙は読んだのか」

 唐突に話が切り替わった。

 今日も任務で忙しいのだろうか。こんなに暑い日なのにバトも大変だ。

「……ごめんなさい。読めませんでした」

 バトの書く流麗な文字は、難易度が高い。

 その上、とても難しい言葉が散りばめられていて、さらには見たこともない言葉も散見された。文字が読めない恥ずかしさもあって、努力をしてみたけれど……無理だったのだ。

「しょうがない奴だ」

 呆れ気味の台詞に、笑いが入り混じっている。

 耳に触れる音から、確かな温度が伝わってきた。

「導士地区で変化があれば、些細なことでも報告をしろ。里の中にいれば真術が届く。お前の体調に変化があっても報告を上げろ。"青の奇跡"とやらの全容は把握できておらぬ。害が出てからでは遅い」

「はい」

 黙契の輝尚石は、報告用であったらしい。手紙で連絡するよりずっと楽になる。いざとなったら助けを呼ぶことも可能だ。

 バトを呼びつけるのは気が引けるけれども、現状を考えれば必要な代物だった。

「俺もしばらくは里にいる。連絡を躊躇うな。前にも言ったがお前は他の真導士と違う。己の直感を信じろ」

「はい、わかりました」

「いまは大丈夫だな」

「そうですね。学舎でも修行場でも大きな騒動はありません。組み紐している人はいますけど、正師達が真術を弾いたそうです」

 戻ってきた日常。

 戻る前までは、果てしなく遠い道のりのように思えていた。でも、意外と簡単に戻ってこれた。

 学舎に行って。友人達と過ごして。ローグと一緒にその日を終える。

 何一つ変わらない毎日だ。


 いくつかの報告を上げ、とりとめない話をしてから展開を収束した。

 友人達もそうだけど、バトも態度が変わらない。

 自分達が気にしすぎていただけで、"青の奇跡"は大した驚きを与えなかったのだろうか。

 それとも――。


 輝尚石を袋に入れて、うんと背伸びをした。

 背伸びをしたらころんと鈴が鳴った。レアノアからのお土産。小さな鈴のお守りがローブの中で転がっている。

 鈴は、古より魔除けとして使われていたらしい。失われた真術の中には、鈴や鐘を利用したものがあったのだとか。いまでも貴族達は古よりの風習を守っている。そのため、ことあるごとに鈴のついた小物を贈り合うと言っていた。

 煌びやかな品々の中で、小さくなっていた鈴の飾り。何だか人事とは思えず、つい引き取ってしまった。


 楽しげに鳴る鈴をポケットの上から軽く叩いて、よしと気合を入れなおす。

 知らぬ間に得たたくさんの繋がりをかみしめ、ゆっくりと自室を後にした。

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