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真導士サキと風渡りの日  作者: 喜三山 木春
第十三章 風霜の彼方
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 呼ばれた気がした。

 ゆっくりと目を開く。そこにあったのは一面の闇。

 目を覚ましたと理解するために、たっぷりと時を飲んだ。

 寝床の端に辿り着いていた身体は、掛け布をまとっていたのに寝汗で冷えている。

 左の壁に添うようになっていた姿勢を戻した時、視界に明るい色が入ってきた。もう朝なのかと驚きながら視線を流し、奇妙さに気づく。

 ランプの火が消えていた。

 おかしい。

 寝る前に、宿のおかみが油を足してくれた。一晩は余裕でもつだろうと、安心して床についたのだ。それがもう消えている。

 ここまで考えて、また引っ掛かった。


 宿の、おかみ……?


 あれ、と思って。それから身を起こした。

 何がおかしいのか。

 ここは聖都ダールの宿屋だ。

 昨日、馬車が聖都に辿り着いた。

 一緒に乗り合わせていたおじさんが、娘の一人旅を深く案じ、旧知の仲だというこの宿まで連れてきてくれたのだ。

 奇妙な気分を拭い去りたくて、部屋を確かめる。

 ほら、おかしいところはない。

 長旅で汚れが目立ってきた革靴も。少しよれてきた上着も。それから染みが多い天井も。全部、寝付く前と何ら変化していなかった。

 大丈夫だ。

 そうとわかったなら寝ようか。明日は儀式に行かないと。早めに儀式を終えて、すぐ働き口を見つけて――。


 ……あれ。

 やっぱり変だ。

 働き口を探す必要など、あっただろうか。


 背中がざわざわしている。

 全くおかしくないのに、とてもおかしいように感じてしまう。


 何が。

 何で。

 どこが。

 どうして。


 わからない。でも、落ちつかない。

 駄目だ、起きよう。違和感が叫んでいる。

 こんなことは初めてだ。初めてだったが、いつもそうだったように勘に従った。

 奇妙な気分が、どんどん強くなってきている。

 おかしいと感じているものの正体を、確認せずにいられない。


 革靴をきつく縛って、立ち上がる。

 そうしたら、さっきよりも部屋が明るくなっていた。違和感が急速に膨れる。まだ、朝になるわけがない。

 しかし、新たな違和感の正体は、探るまでもなく発見できた。


 化粧台が。

 部屋の隅にある鏡が、光っていた。


 その色は朝焼けよりも明るく、青空よりも濃い。

 眠る前に髪を整えた記憶はある。でも、後片付けはきちんとした。それなのに、きっちり閉じたはずの三面鏡が開いていた。

 開け放たれた鏡が、不思議な光を放っている。ちらちらと明滅している光は、見たことがないほどの澄んだ青。




 ――もう眠らないの?




 背中が震えた。

 自覚しているより高い音だったけれど、何故か自分の声だと瞬時にわかった。


 疲れたでしょう


 痛かったでしょう


 だから、もっと眠っていようよ


 そんなことを言ってくる鏡から、目が離せない。

 窓掛けが揺れた。

 閉め切った部屋で風が吹く。小さな笑い声が、風に紛れてやってくる。

 縛り付けられていた目が、人影を拾った。

 鏡の奥に、誰かいる。

 ひどく不明瞭な影に向かって、目を凝らす。

 じっと見つめていれば、少しずつ姿を成していく。朧げながらも形となった時、思わず後退ってしまった。

 薄い金の三つ編みが揺れている。

 だからこそ恐ろしく思った。

 だって髪を覆っている隠し布が、鏡のどこにも映っていない。




 ――ねえ、眠らないの?




 即座に駆け出した。

 とても耐えられない。這い上がっていくる背中の寒さに、我慢ができなくなった。

 宿の階段を下り。昨日の昼間、おかみがいた帳場の前を走り抜け――。


 昨日?

 いいや、昨日のはずはない。

 違う、間違っている。この世界は、何もかもがおかしい!!


 宿の外に出て、道を辿る。

 こっちだ。この道だったはずだ。透明な記憶をたぐり、夜が極まった都を駆け抜ける。

 後ろから声がついてくる。

 全力で走っているのに、一定の距離を保ったまま。

 振りほどけない細い声は、くすくすと笑いながら追いかけてきている。


 聖都ダールは、王都に匹敵するほど栄えている。夜も人通りが絶えることはないし、常に憲兵が見回っている。


 どこからか湧いてきた知識が、違和感をさらに膨れ上がらせた。

 広い道を駆けている音は、たったの一つ。

 話し声はおろか。風の音も、都らしいざわめきの一つも耳に入ってこない。

 無我夢中で駆けていき、広場に辿り着く。

 そこに、人形劇の舞台だけがぽつねんと残されていた。

 無人の広場で、人形達が踊っている。

 人形遣いはどこにもいない。

 誰もいない広場で、二つの人形が楽しそうに踊っている。

 同じようにお下げをした人形。その一つから、ほろほろと色が溶けていくのを見て、ぞっとした。


 逃げなければ。

 このおかしい世界から、一刻も早く逃げ出さなければ。


 恐怖にかられ、救いを求め、一心に目指したのはパルシュナ神殿。

 初めてやってきた神殿は、普段通りの静けさの中、そこに建っていた。

 瑠璃の装飾が施されている白楼岩の門をくぐり、長く広い階段を一気に駆け上がる。

 階段脇の灯籠に、小さな炎が灯っていた。

 青白い炎は激しく揺らぎながら燃え、階段の上に影を生んでいる。

 大蛇のように這っている影の列を踏み、息を切らして上りきった場所に大きな扉があった。

 金銀で飾られた重厚な扉が、触れるよりも早く自ら動き、大きく口を開ける。

 疑問を浮かべるゆとりは微塵もなく。開かれた場に、勢いをつけて飛び込む。

 そこでようやく足を止める。

 荒れていた呼吸は、すぐに収まった。

 そもそも乱れていなかった。苦しくないのに、苦しいと思い込んでいただけだった。

 そうと気づいたせいで、さらに悪寒が激しくなる。


 汗が背中を伝った。

 もしかしたら、これすらも錯覚だろうか?

 扉の奥には、闘技場によく似た場所があった。

 階段に囲まれた石畳の壇。整えられた壇上に、甲冑をつけた騎士がいまにも現れそう。そんな場所だった。

 闘技場は、本の挿絵でしか知らない未知の場所。

 それなのに、懐かしさを感じる。

 いまの自分は絶対におかしい。何もかもが奇妙な世界で、それだけは確かだった。


 円形の階段を、ゆっくりと下っていく。

 追いかけてきている何かがいる。だが、目の前にある光景も恐ろしく、歩みが自然と緩んでしまった。

 壇の上に、二つの大きな扉がある。

 見つけた時には、すでに開かれていた扉達。その対象的な趣が、混乱した自分をさらに惑わせてくれる。

 左の扉は、深い闇が覗いていた。

 迷い込んだら最後。それは予感ではなく確信。

 進んではいけない。この道だけは駄目だ。行けばきっと……。




 ――見つかってしまう




 生唾を飲み込んだ。

 振り返ることはしなかった。そしてそれが精一杯だった。

 側近くまできた声が、歌うように告げる。


 ――行っては駄目。もう戻って来れなくなってしまう

 ――だから帰って休もう

 ――そうしよう


 言われて一歩進む。嘘も偽りもないだろう言葉を、おかしな自分では受け取ることができなかった。

 すると、すぐに声が問うてきた。どうして……と。


 ――どうして行くの

 ――辛くて苦しい思いをしてまで

 ――そうだ。それなら


 こっちにしようよと声が歌い、右の扉の奥がきれいな青に輝く。

 先ほどまで動きがなかった景色が、音を立てていっせいに身を震わせた。


 何て、素晴らしい場所だろう。


 花だ。

 朝焼け色の花びらが、一面を覆い尽くしている。

 扉の向こうから、そよ風と一緒に薫香がやってきた。

 花びらの絨毯の奥に、大きな水晶が覗く。柱のように思えるそれは、上部をすっかり花で埋め尽くされている。

 降り注いでいる光は、夏の日差しより明るく、それでいて春のようにあたたかだ。

 ざわざわと花が揺れ。揺れる音に紛れて、人の話し声が届いてきた。

 楽しそうに語らい合う声。

 誰とも知れぬ声達は、胸に懐かしさを灯す。

 ああ、と吐息が出た。


 戻りたい。

 あの美しい場所に飛び込んで、花びらに埋もれて眠りたい。

 湧き上がってきた気持ちが、足を動かす。

 後ろで笑い声がしている。それももう、どうでもいいように思えた。


 歩いていく途中で、ざっと風が吹いた。

 左の扉からやってきた風は、情景に酔いしれていた心を、強く、冷ややかに打つ。

 その厳しさを確かめて、視線を投げた。

 扉の奥には、相変わらず闇が満ちていた。

 闇の果てで、風が鳴り響いている。嵐を思わせる風が、奇妙な自分の心を掴んで離さない。

 比べるまでもない。

 右か左かと問われたら、誰もが右と答えるはずだ。


 わかっている。

 それでも足が動いた。


 後ろで声がする。

 どこへと問う声は、奥側からやってきた音に遮られる。

 暗いところは嫌いだった。

 夜は苦手だった。

 目の前にある闇は、夜よりも深い。それなのに足が勝手に動いていく。

 一歩踏み入れた時、身体が傾いだ。

 荒れる闇にまかれ、歩みが止まりそうになる。


 ――どうして


 戻っておいでと声が言う。それに逆らって足が進む。

 風は絶えず、渡ってきている。


 ――か…………てよ


 声が飲まれていく。

 振り返らずに、黙々と進む。

 闇の奥に光が見えた。大小の光達は、思い思いの色を羽織って輝いている。

 戻れないと理解していた。

 いつか見つかる。そうと知っていた。

 それでも歩いていく。荊が生えていようと、泥濘に足を取られようとも歩いていくのだ。

 いつしか闇が色を変えていた。

 やさしく包み込んできた鮮やかな色。その色は、進み続ける自分の傍に、いつまでも寄り添ってくれていた。





 そう、最初から戻れないと知っていた。

 だから幾度問われても、自分は同じ答えを選ぶだろう。

 例え、その日、その時に帰れたとしても。

 再び選んで必ず赴く。

 そうしていつか。いつか踏み固められたそれを、我が道と呼んで誇る日がくる。


 きっと、そうなると信じている――。

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