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真導士サキと風渡りの日  作者: 喜三山 木春
第十二章 譎詐の森
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失踪

 彼女の部屋から、明るい鼻歌が聞こえてくる。

 針仕事が上手くいったのだろう。変化が激しい相棒のご機嫌は、わかりやすいという特徴も持っている。


 着替えついでに掃除もするからと、ジュジュが部屋から追い出されてきた。扉の前で抗議の鳴き声を上げていたが、いまのサキには届かんと諦めた様子。いじけた獣は、肩を下げながらやってきて、足元で丸くなろうとする。

「いじけるな。すぐに終わる」

 小声の説教に小声の反発がきた。

(うるさいなぁ。君に言われたくないってば)

 獣が尾で床を叩く。行儀の悪いことだ。あとで言いつけてやろう。

 今夜の干し肉を没収されてしまえばいい。

「真眼の中で、"サキ"が泣いていた」

 行儀の悪い獣と、視線がかち合う。

(かわいそうに……)

 口は閉じたまま、鼻と耳がひくひくと動いていた。

 こいつ、音を出していないのか。

「ジュジュ。一つ聞きたい」

 黒い瞳が、日の光を反射している。

「"青の奇跡"は、東の邪悪に勝てるか」

 視線が途切れる。

 床をなめるようにして見ている獣は、たった一言「無理だよ」と答えた。

(半分が一つに戻っても無理。一人じゃ絶対に無理)

 だから万が一の時は彼女を眠らせる。そのつもりでいるからと語り、今度こそしっかりと丸まって目を閉じた。


 ……まったく。どこもかしこも敵だらけで休まる暇がない。

 共に在るという願いは、そこまで分不相応か。


 腹立ちを誤魔化そうと手早く頁をめくる。

 気分を変えるために手を伸ばした金縁は、真術書より読みやすく進みがいい。

 高齢となった著者が人生を振り返り、ああしておけばよかったと悔いる内容だが、軽快な文章のせいで楽しくも感じる。中でも、およそ三十年に渡り戦いを繰り広げてきた、隣人との話がおもしろい。

 本人いわく死闘。しかし周囲から見れば爺同士の小競り合い。爺になっても喧嘩の種はささいなものだなと笑い、ゆるやかな時間を過ごす。

 いつしか窓を叩く風がなりを潜めていた。出掛けるならいまがよさそうだ。

 今日の集まりはジェダスの家。友人達も飯を食い終えた頃だろう。

 さあ、行くかと背伸びをして、彼女に声をかける。

 すると「いま行きます」と返答がきた。扉越しのくぐもった声が焦りを含んでいる。もうそんな時間ですかと言っているようで、口角が勝手に上がっていく。

 本を閉じ、脇机にある真術書の上に重ねた。

 長い夜になりそうだ。この二冊は正師の家に持っていこうと決める。


 すっかり冷えた茶を一口飲んだ時、"三の鐘"が鳴った。

 サガノトスに響く、独特の深い音色。ジョーイから聞いた話だと、里の鐘にもそれなりのいわくがあるらしい。

 あの高士の知識には、ものめずらしい話が埋もれている。明日を無事に越したら、二人で彼等の家を訪ねるのもいいだろう。老人に囲まれて育った彼女は、相談しづらいからと黙ってしまう時がある。その点、年が近いアナベルなら大丈夫なはず。

 幾分か過ごしやすくなった里で、知己を広げていくのも悪くない。

「サキ、あいつらが待っている。早く行こう」

 悪いとも思ったけれど、再度声をかけた。彼女にしてはめずらしくのんびりとしている。いつもだったらすぐに出てくるのに。

 さては、興が乗って洗濯でもはじめていたな。

「サキ?」

 それにしても遅い。変だと思い一抹の不安を抱く。

 まさか眠ってしまったとか。もし眠ってしまったとしても置いてはいけない。一人にするなと正師にも言われている。

 仕方ない……抱きかかえていくか。

 眠り猫の捕獲大作戦だ。

 念のため、もう一度だけ声をかけて扉を叩く。これで着替え中だったら大変だ。引っかかれるだけでは済まないだろう。

 再三の呼びかけにも、やはり返答はなかった。これは完全に寝入っている。最後に「開けるぞ」と伝えて扉を開く。それから寝こけているだろう寝床を覗き、思考が止まった。

 そんな馬鹿なと驚倒し、部屋中を探し回る。

 窓は開いていない。外から侵入した形跡は見当たらなかった。自ら出ていったとも考えづらい。サキは自身に課せられた責務を、重々理解していた。人知れず姿をくらますことはあり得ない。

「サキ、サキ!」

 呼んで回り、気配がないと確認して、冷たい輝尚石を取り出した。




 ジェダスの家では、男ばかりが雁首揃えて食卓を囲んでいた。

「ローグレスト殿、どうしました?」

 舞い込んできた自分を、友人達が驚いた顔のまま迎える。口早にサキが消えたこと。それから中央棟に集まれとの指示を伝えた。

「サキの気配を追うには頭数がいる。第一部隊と合流して……」

 伝達の最中に、後方から影が飛び込んできた。

 勢いあまって食卓に手をついたのはクルトだった。

「おい、ユーリは来てねえか!?」

 部屋にいたかと思ったら突然姿を消した。誰か姿を見なかったかとの台詞に、血の気が下がる思いがした。苦しげな呼吸の合間、並んだ顔を見渡したクルトは、望んだ娘の姿がないと確認して、顔を強張らせる。

「ユーリも……」

 呟き、そして考えが頭をよぎった。

「ジェダス! ティピアは!?」

 弾かれたように動いたジェダスは、扉を叩くことすらせず部屋を開く。開かれた扉は物に当たり、大きな音を響かせた。

 次に聞こえたのは、ティピアを呼ぶ叫びだった。


 部屋にいたはずの小さな友人も、忽然と場から掻き消えていたのだ。

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