ゼロからのスタート
はじめまして。
数ある作品の中から、本作『ドン底の1番』をご覧いただきありがとうございます。
この物語は、全米を制した投手が、野球の消えた学校で「魔球」を武器に、ゼロから――いえ、マイナスの「ドン底」から頂点を目指すお話です。
リアリティよりも「熱さ」と「ド派手な技」に全振りした、超次元女子高校野球エンターテインメントをお届けします。
蒼き閃光がマウンドを焼き切る物語、ぜひ最後までお楽しみください!
ー ー ー『帰国』ー ー ー
「三年ぶりか。……あんま変わってないな」
日本の空気は、アメリカよりも少しだけ湿っている気がした。
小学校の頃、男子に混じって地元のグラウンドを走り回っていた。
中学に上がると同時に、私はアメリカへ渡った。
全米の怪物が集う、女子硬式野球リーグ。
エース争いは、正直きつかった。マウンド上で、時速130キロ(女子の体感速度は160キロ近い)の剛速球が飛び交い、バットが悲鳴を上げる世界。
でも――勝った。
中学三年の夏、私は全米の頂点に立った。
そして今、日本に帰ってきた。
高校でも、野球をやる。それだけは決めている。
「離してください!」
「えー、そんなこと言わないでよ。少しくらい良いじゃん」
「俺らと遊ぼうよー」
「いや、嫌です…」
駅からの帰り道、公園の脇で、数人の男が小柄な少女を囲んでいた。
はぁ、全く。男のくせにだっさいなぁ。
うん? 足元に空き缶か……。
アメリカの硬球に比べれば、羽毛みたいに軽いな。まあ、これくらいなら。
本気で投げるつもりはなかった。
ただ、追い払えればそれでいい。
軽く、スナップを利かせる。――そのつもりだった。
「……っ!」
ドォォォォォォォンッ!!
指を離れた瞬間、空気が爆発した。
空き缶は物理法則を無視して加速し、真っ赤な摩擦熱の炎を纏う。
それはもはや空き缶ではなく、一本の赤い熱線だった。
シャンッ!
ジジジジジジィ――ッ!
ドガァァァァァァァァァン!!
熱線は男たちの頬を掠め、背後のバックネットに直撃。
金属が悲鳴を上げ、溶断されるような音と共に、直径一メートルの巨大な穴が空いた。
空き缶は形を留めず、跡形もなく蒸発し、白い煙だけが立ち上る。
「……え?」
私自身が、一番驚いていた。
日本の空気は、私の『力』を抑えきれないのか……?
「あ、空き缶… が、蒸発……? な、何だよ、コレ、化け物かよ…」
男たちは腰を抜かし、ガタガタと震えている。
「それ以上しつこいなら、次は顔面にあたるかもよ。……狙って」
「おい、こいつマジでやべぇって。人間じゃねぇ! 行こうぜ…」
男たちは蜘蛛の子を散らすように逃げ去った。
「あ、あの!助けてくれて、ありがとうございました」
「あー、全然良いよ。じゃあね」
「かっこいい人。同い年くらいと思うんだけど……あんな、『オーラ』を持った人、初めて見た」
「ひかりー!学校行くよー!」
朝の静かな住宅街に、幼馴染のゆいちゃん(月島 結)の声が響いた。
家も近所で、幼稚園も小学校も同じ。
中学で渡米するか迷っていた私の背中を押してくれたのも、親友のゆいちゃんだ。
今日からまた同じ高校に通えることがすごく楽しみにしていた。
「ゆいちゃん、今行く!」
二階の自室の窓から、ゆいちゃんの顔を見て、日本に帰ってきたんだと、改めて実感した。
「おかえり、ひかり。全米優勝おめでとう」
「ただいま、ゆいちゃん。ありがとう。今日からまたよろしくね」
話したいことがあり過ぎて、学校に着くまで無言の時間がなかった。
「うわぁー、ゆいちゃんと別のクラスだ」
「本当だ。私がいなくても、ちゃんとできる?」
「できるよ!もう高校生だし……たぶん」
ゆいちゃんはA組、私はB組になった。
チャイムが鳴り、先生が入ってきた。
「はい、皆さん。席に着いてください。
初めまして、1年間このクラスの担任の“神崎 しのぶ”と言います。
よろしくお願いします」
見た目は女子でも見惚れてしまう程、すごく綺麗だった。でも私はそれ以上に、その先生から感じるプレッシャーに冷や汗が出た。
担任の“神崎しのぶ”先生の簡単な自己紹介が終わり、クラスメイトの自己紹介が始まり、私の番が回ってきた。
「じゃ、次。風間 ひかりさん」
立ち上がった瞬間、視線が集まる。
その中で、担任の先生と目が合った。
胸の奥が、きゅっと締め付けられた。
理由は分からない。
でも、この人には隠し事ができない気がした。
「はい。初めまして、風間 ひかりです」
その瞬間、先生の指がほんの一瞬だけ止まった。
先生は私の顔ではなく、私の背後に揺らめく、蒼い炎のような投手の『闘気』をじっと見ていた。
神崎しのぶ……この先生、只者じゃない。私の『力』が見えている。
「中学の時はアメリカで女子野球をやってました。高校からは日本で野球をします。全力で投げます。マウンドには、絶対に立ちます」
言い切って、私は席に座った。
全米を制した自負。そして、日本でも暴れてやるという高揚感。
だが、返ってきたのは賞賛の拍手ではなく、重苦しい沈黙だった。
神崎先生の手元で、出席簿がわずかに震える。
彼女は何かを言いかけ、唇を噛み、そして逃げるように視線を教卓へと落とした。
「……そう。志は、立派ね。でも風間さん」
先生の声は、先ほどまでの凛とした響きを失い、どこか湿った砂のような響きを帯びていた。
「期待しすぎるのは、毒になることもあるわよ。……次の人、自己紹介を続けて」
その言葉の意味を、私はまだ理解できなかった。
ただ、窓の外で揺れるバックネットが、まるで巨大な檻の影のように見えた気がした。
ー ー ー『蒼き点火』ー ー ー
入学から二週間。
私の期待は、砂を噛むような虚無感へと変わっていた。
最初の三日間は「すれ違い」だと思っていた。女子野球部は人気があるはずだ。きっと専用のバスで、少し離れた豪華な私営グラウンドに移動しているに違いない……と。
だが、一週間が過ぎる頃には、私のカバンの中で出番を待つグラブが、鉛のように重く感じられるようになっていた。
「ねえ、野球部ってどこで練習してるの?」
休み時間に勇気を出して尋ねた私に、クラスメイトたちは怯えたような、あるいは「触れてはいけないもの」を見るような目を向けて、無言で散っていった。
校内には吹奏楽部の音色やテニス部の打球音があふれているのに、野球の匂いだけが、この学校から綺麗に消し去られていた。
そして今日、二週間目の放課後。
私はついに、校内案内図の端に追いやられていた『第二グラウンド』の前に立っていた。
「……何、これ」
そこは、私が夢見ていた聖地ではなかった。
錆びついた有刺鉄線が幾重にも巻かれたフェンス。その隙間から見えるのは、ひび割れたマウンドと、へし折られたまま放置されたバットの死骸。
かつて日本一を争った強豪校の面影など微塵もない、そこは『野球の墓場』だった。
「ひかり……」
後ろから、親友のゆいちゃんが声をかけてくる。
「知ってたの? ここが、こんなになってること」
「……噂では、少しだけ。でも、ひかりがあんなに楽しみにしてたから、言えなくて」
私はフェンスを拳で叩いた。鈍い金属音が、虚しく響く。
「何だよこれ。不祥事って何? 野球が、何をしたっていうの……っ」
足元には、泥にまみれて真っ黒になったボールの残骸が転がっている。それを拾い上げようとして、指先が激しく震えた。
全米の怪物たちをねじ伏せてきたこの右腕が、ここではゴミ以下の価値しかない。
私はその場にへたり込み、膝を抱えた。
「……もう、いいや。野球なんて、辞めればいいんだ。アメリカでやり切ったし。これ以上、何を頑張ればいいのか分かんないよ」
「ひかり……」
「日本なんて、帰ってこなきゃ良かった……ッ!」
最低の独り言をこぼした、その瞬間だった。
「――ふざけないでよ!!」
衝撃が走った。
ゆいちゃんが、私の肩を掴んで力一杯揺さぶる。
「日本に帰ってこなきゃ良かった? アメリカでやり切った? 嘘ばっかり! あんたの目は、まだ全然満足してない! 授業中も、家でご飯食べてる時も、ずっと右手の指を動かして、ピッチングのイメージばっかりしてたのを、私が知らないとでも思ってるの!?」
「ゆいちゃん……」
「不貞腐れて、悲劇のヒロイン気取って、それで終わり!? あんたが憧れた『野球』は、場所がなきゃ死んじゃうような、そんな程度のものだったの!?」
ゆいちゃんの瞳には、大粒の涙が溜まっていた。自分のこと以上に、私の情けなさに怒ってくれている。
その熱が、冷え切っていた私の胸の奥に、ジリジリと火を灯した。
「――そこまでよ」
鋭い声に振り返ると、担任の神崎先生が立っていた。
彼女の瞳には、憐れみと、それ以上に深い拒絶の色がある。
「帰りなさい。その場所は、理事会によって封鎖されているわ」
「先生……どうして。どうして野球部を潰したんですか」
「野球という名の『暴力』が、この学校から日常を奪ったからよ。……一度壊れたものは、二度と元には戻らない。風間さん、ここでマウンドに立つことは、法律を破るのと同じことだと知りなさい」
暴力。法律。
神崎先生の言葉は冷酷だった。だが、彼女の視線が、一瞬だけ荒れ果てたマウンドへ向いたのを、私は見逃さなかった。
その瞳に宿ったのは、憎しみではなく――耐え難いほどの「後悔」だった。
(……この人、知ってるんだ。この場所が、一番輝いていた時を)
私はゆっくりと立ち上がった。
ゆいちゃんに喝を入れられ、先生の拒絶に触れて、逆説的に「答え」が見えた。
場所がない? 法律で禁じられている?
――そんなもの、全米の頂点に立った私の球を止める理由にはならない。
「……先生。野球が暴力だって言うなら」
私の背後から、蒼い闘気が揺らめき立つ。
空気が急激に冷え込み、湿り気を帯びた突風が吹き荒れる。
神崎先生が目を見開き、元・最強のキャプテンとしての本能からか、わずかに身構えた。
「その『暴力』で、全部ひっくり返してやるよ。見ててください。これが、私の野球です」
私はフェンスの隙間に腕を通し、足元に転がっていた「ボールだった塊」を拾い上げる。
泥を払い、指先に意識を集中させる。
ゆっくりと、大きく両腕を頭上に掲げた。
ワインドアップモーション。
溜め込んだオーラが右腕に凝縮され、パチパチと青い火花が散る。
全身のバネが、一気に圧縮され――。
「『――ブルー・イグニッション(蒼き点火)』!!」
ドッ!!
放たれた球は、もはや物理現象の域を超えていた。
大気を加熱し、青白い閃光へと変貌したボールが、一直線に空間を切り裂く。
キィィィィィン――ッ! という鼓膜を刺す音と共に、通過した軌道上の地面がクレーターのように爆ぜる。
ドォォォォォォォンッ!!
雷鳴のような衝撃音。
二週間、私を拒んできた分厚い有刺鉄線のフェンス。
それが、蒼い光の花に呑み込まれ、紙細工のように貫通された。
鉄柵は熱で溶け落ち、その向こう側のコンクリート壁にボールが深く、深く埋まっている。
立ち上る白煙。焦げた匂い。
静まり返った校舎の窓から、無数の生徒たちが驚愕の面持ちでこちらを覗き込んでいる。
「……なっ」
神崎先生の声が震えていた。
彼女が見つめていたのは、破壊されたフェンスではない。
私の右腕――かつて彼女が追い求めた「理想」の、さらに先にある輝き。
「文句があるなら、私の球を打ってから言ってください」
私は、震える指先を隠しもせず、先生を真っ直ぐに見据えた。
「私が、ここにもう一度、野球部を作ります。絶対に」
ひかりの宣戦布告が、夕焼けの空を蒼く染め上げた。
神崎しのぶの手元で、出席簿が力なく地面に落ちる。
彼女の脳裏には、かつて最強と呼ばれた自分が、この場所で高らかに笑っていた記憶が、鮮やかに蘇っていた。
第1話「ゼロからのスタート」を最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
「日本なんて帰ってこなきゃ良かった」という絶望。
そこからの、親友の叱咤と、有刺鉄線を焼き切る魔球。
ひかりの宣戦布告によって、ようやく物語が動き出しました。
かつて最強の主将だった神崎先生との出会い、そして「不祥事」によって廃墟化したグラウンド。
果たしてひかりは、文字通り「ドン底」からエースナンバーを取り戻せるのでしょうか。
「続きが気になる!」「ひかりを応援したい!」と思ってくださった方は、応援いただけると、執筆の大きなエネルギーになります!
次回、第2話もお楽しみに!




