八
駅に近い、結構築年数が経っているマンション。でもオートロックでわりとセキュリティはしっかりしていそうだ。ファミリー向けのマンションらしく、朔也くんの部屋は想像していたより広かった。2LDK。一部屋使っていないらしい。家具は量販店で一人用のものをとりあえず揃えた、という感じで、家の感じに合っていない。なんだか、仮住まい、という感じだ。実際、何年かしたら持ち主はここに戻ってくる予定があるらしい。
お土産はいらない、というので、自分の分のペットボトルのお茶と一緒に買ったコーラをあげた。朔也くんは丁寧に頭を下げてくれた。
「座ってください」
二人掛けのソファと椅子が二つあるダイニングテーブルがあったので、椅子の方に座った。コーラを冷蔵庫にしまった朔也くんが、正面に座る。
「なんか、大変だね。少しは落ち着いた?」
「まあ……こういうこと、たまにありますからね……」
「そうなの?」
「高校時代にも、少し」
全然知らなかった。でもそれはそうかもなと思った。朔也くんは、本当に、かっこよくて、頭がよくて、サッカーもうまかった、らしい。
「大変だね……」
「母が」
「うん」
「あんたが男の子で、体が大きくてよかったって、言われたことがあります。女の子だったら心配でしょうがなかったって」
「そっかあ」
きっと切実な気持ちだったと思う。
「多分、得したことも多いと思うので……」
「でも大変なことは、大変でしょう」
「あの」
朔也くんが困った顔で私を見ている。
「こうして真奈さんが部屋に来てくれたから、大変です、とは、言いにくいです……嬉しい、から……心配してもらっているのに……」
「真面目だね」
「なんとなく、真奈さんのことでズルをすると、すぐにばれる、気がします」
朔也くんの中で、私はどういうイメージなのだろう、と思ってから、告白されたときのことを思い出した。受験に合格することと私と付き合うことは関係がないだろう、と言ったのだった。確かに、私はそういうの、気になるほうかもしれない。
じゃあもっと気楽に付き合える女の子がいいんじゃないの、と、思った。思ったけど、それを言ったところで否定されるだけだろうなと思った。無駄な会話。いや、付き合うって、無駄な会話を繰り返すことかもしれない。
「最近はマスクしてキャップ被って眼鏡かけてます」
「芸能人だね」
「お金ももらえないのに」
ぼやいている。お金とか言うんだなあ、と思ってしまった。弱っている朔也くん。
「早く落ち着いたらいいね」
「インタビュー、しつこいから答えた方が早く済むかと思ったんです。最悪でした」
「そういうことって、あるね」
どんなにしつこくされて、ちょっと嘘をつかれたとしても、結局受け入れてしまったら、自分のせいにされるのだ。
朔也くんは私を見ていた。なんだろう、と思って、首を傾げる。
「いや……そういえば、チョコレート買ってたんですけど、食べますか。紅茶淹れます」
「あ、うん」
朔也くんはアイランドキッチンでお湯を沸かして、紅茶を淹れてくれた。家から持ってきたという缶のダージリンだった。きちんとした手順で淹れてくれる。華奢な白磁のカップ。金色のチョコレートの箱に、可愛らしいチョコが詰まっている。
「バロタンだ」
「バロタン、って、なんですか」
自分で買ったのに。
「こういう、仕切りがないチョコレート入れる箱のこと、バロタンって言うの」
「そうなんですか?」
仕切りにちまちまっと並んでいるのも可愛いけれど、仕切りのない高さのある箱にごそっと入っているのも贅沢な感じでよい。
「ここのチョコ好きなの?」
「家でよく買うんで……」
そうなんだ。結構高いのにな、と思うけど、私も姉と買ったりするから、同じことかもしれない。お店は近所にないけれど、バレンタインの時期に行きやすいデパートによく出てるので、姉と行って買って、二人でこそこそ食べていた。ホワイトチョコレートのやつが特に美味しいのだ。ここのマンションのすぐ近くにも店舗があるらしい。
「朔也くんって、チョコだとどういうのが好き? 私はミルクかホワイトチョコが好き。あとブロンドチョコレートっていうやつ。甘いのが好き」
「俺は……ミルクですかね。あんまり、違いわかんなくて」
「そうなんだ?」
「好きなの食べてください」
「わーい」
軽薄に言うと、朔也くんは嬉しそうにした。
「ここのホワイトチョコ美味しいよね」
「確かにそうかもしれないです」
人間の味覚を理解しはじめたロボットみたいなことを言うのが面白い。
「高いチョコレートって苦みの種類で美味しさが決まるみたいな感じだけど、結局子供舌だから苦みって、苦いじゃんってなっちゃうんだよね。だから甘くて美味しいのが好き」
言いながら、私も人のこと言えないなと思った。甘くて、滑らかなやつが好きだった。単純。
「可愛いですね」
案の定、というか、朔也くんが笑った。
「うるさいなあ」
言いながら、ホワイトチョコのやつを摘まんだ。中にナッツが入っている。
「おいしーい」
朔也くんが微笑ましい、という顔で笑っている。
「朔也くんって、自炊するの?」
「自炊の定義に、よりますね……」
「普段どういうご飯食べてるの?」
「米炊いて、肉焼いて味噌汁作ってます」
偉い。
「めちゃくちゃ自炊してるね」
「自炊、というか、自分の餌を、自分で作っています……」
それが自炊ではないのだろうか。
「私は餌も作れなくて、ただ美味しいご飯をお母さんに作ってもらっているから、偉いよ」
「あんまり料理しないんですか」
ちょっとしたご飯ぐらいは作るけど、家族四人のちゃんとしたご飯を作る自信はない。
「お手伝い程度……」
「家にいると、そうですよね」
「自分で自分のことしてるの、偉いよね」
「でも本当に、餌ですね……俺の家は父親が料理担当だったんですが、父親は偉かったんだなと思います」
そう言えばお母さん、弁護士だった。
「今は……餌しか作れないんですが」
「うん」
「そのうち、真奈さんに食べてもらえるようなものも作ります」
「え、餌でいいよ……別に……」
「俺は真奈さんに餌を食べさせられない……」
「朔也くんって、私をなんだと思ってるの?」
流れで出ただけの言葉だったけれど、本質的な問題かもしれない。いつも、それがよくわからないなと思っている。
朔也くんは真面目に考え込んでいる。
「真奈さんは……真奈さんは、かわいくって……」
またそれだ。いい加減飽きてきたけど、言わなくなったらなったで気になってしまうかもしれない。
「優しくて、賢くて、なんていうのかな……ちょっと意地悪で、隠し事がうまい人、です」
「……悪口?」
「う……すみません。うまく言えなくて」
「隠し事、うまい?」
「うまいって言うか……俺には言ってないこと、たくさんあるんだろうなって、いつも思います」
意識していないけれど、わりとそう見られたいと思っているかもしれない。
「隠してること、教えてほしい?」
朔也くんは少し迷って、頷いた。
「でも無理に教えてほしいわけじゃないです。そうじゃなくて……信用されたい、というか」
「信用」
「信頼、のほうが、近いかもしれないです。頼りに、されたいです」
難しい。
「難しいですよね」
考えていたことを普通に当てられた。隠し事、下手なのではないか。
「別に朔也くんがどうとかじゃなくて、私が、あんまり、そういう、タイプじゃないっていうか……」
「真奈さんはそのままでいいです。俺が頑張ります」
「うーん、そう?」
なんだかよくわからないけど、そうしたいというのなら、そうしてもらうしかない。
「朔也くんに、不満とかないけど」
「それって、俺に期待していないってことじゃないですか?」
本質だった。
「あの、すみません。だから、なんていうのか……俺は……真奈さんに優しくしてもらいたいんじゃなくて、好きになって、もらいたいんです」
朔也くんが、そういう言語化をするのだ、ということに、まず驚いた。
「すみません」
「謝らないで」
朔也くんが困った顔で私を見た。かっこよくて、かわいい顔をしている。私に好かれたがっている男の子。何も不満はない。ちょっとした動画がバズってしまって、外でデートをできなくなっているぐらいかっこよくて、みんなに注目されている男の子。いい紅茶も素敵なチョコレートも、なんでも好きなものを簡単に手に入れられるのに、なぜだか私を好きな男の子。
でも、私が朔也くんを好きになったら、今より私はきっと苦しくなる。それを、朔也くんはどのぐらいわかっているんだろう。




