四
今日はデートだ。朔也くんから誘ってくれた。メイクをするとき、すっぴんのほうが好きなのかも、と思い出して薄くしようか迷ったけれど、結局いつも通りにした。いつも通り、というと学校とバイトならわりとすっぴんなので、遊びに行くときの標準、ということだけど。少し可愛い服を着たいから、すっぴんだとバランスが取れない。
デートはまた水族館だった。今度は商業施設の中にある水族館だ。私の家から行きやすい場所にあるので、子供の頃から何度も行っている。
駅で待ち合わせる。平日の午前中なので、混雑を避けられる。水曜日、私は休みで、朔也くんも一限しか授業を入れていない。平日に遊べるのは大学生の特権だ。
「真奈さん」
まだ一ヶ月も経っていないのに、朔也くんはすっかり大学生っぽくなっていた。なんでだろう。白いシャツと黒いパンツという格好だけど、よく似合っていて大人っぽい。自分が野暮ったくて、少し嫌になる。多分何を着てもおしゃれには見えないんだろう。悩むだけ無駄だ。
「場所わかった?」
「はい。ここ来たの久しぶりです。小学生ぶり」
「本当?」
「近くまでは来るんですけど」
「まあわざわざ来ないかもね」
「よく来るんですか?」
「まあまあ」
前の彼氏がこの辺に住んでいたので、何回かデートした、とは、言わないでおいた。ここはプラネタリウムもあるのだ。
水族館のチケットは、今日は割り勘だった。朔也くんはバイトを始めたらしい。家庭教師だそうだ。バイトを始めたので、と払いたがったけど、バイト代はまだ入ってないだろうと言うと、諦めた。
「くらげだ」
入場して少し行くと、くらげコーナーになる。色々なくらげが水槽に展示されている。青くて暗い。くらげのからだがうっすらと白く光って、漂っている。丸いもの、脚が長いもの。
「くらげ好きですか」
「普通かな。でものんびりしていいよね。あ、絡まってる」
「本当だ」
細くて長い脚を持つ小さなクラゲが、絡まってしまっている。脚は糸のように細く、簡単にほどけるようには見えない。
「海でああなったら、ずっと一緒に漂ってるのかな」
「どうでしょうか……」
くだらないことを言っても、ちゃんと話を聞いてくれるのが面白い。
この水族館はペンギンが有名なので、二人で並んで座って、ペンギンを見た。ペンギンの相関図があり、どの子がどの子なのか照らし合わせようとするが、ペンギンの見分けなどつかないし、たくさんいるのですぐに紛れてしまう。朔也くんに聞いてみても、わからないと言う。
「愛があれば見分けられるのかな」
「飼育員の人はわかるんでしょうね」
これだけのチャイニーズクレステッドドッグがいたら、私はゆたんぽを見分けられるかな、と考えた。あんまり、自信はない。ほかのチャイニーズクレステッドドッグもほとんど見たことがないし。
「誰かはわかんなくても、かわいいね」
でもゆたんぽは私を見つけてくれるだろう。そう信じている。
「可愛いですね」
朔也くんは私を見て、そう言った。私は小さく首を傾げて微笑んだ。
「大学、楽しい?」
「楽しい……どうですかね。本当にこれでいいのか不安になることが多いです」
「最初は色々戸惑うよね。朔也くん一人暮らしも始めたし、バイトもしてるし、忙しいよね」
「あ……」
朔也くんが何かに気づいたように言葉を切る。私はペンギンを見ながら、朔也くんの言葉を待った。やっぱりペンギンの見分けはつかない。みんな同じで、みんな可愛い。
「そのうち……招待、したいな、と、思ってて……」
「招待?」
優しく聞こえるように尋ねると、朔也くんが頷く。
「俺の部屋に、真奈さん、を……」
ああ、と私は頷いた。
「そうなんだ。今度お邪魔してもいい?」
「な、なんでですか?」
「ええ?」
二人とも混乱している。朔也くんは慌てたように
「すみません!」
と頭を下げた。
「びっくりしました……すみません」
「びっくりって、だって、朔也くんが言ったんじゃないの? 招待したいって」
「え、いや、そう……ですけど……」
ここは暗いからわからないけど、顔が赤くなってるんだろうなと思った。
「遊びに行くって、遊びに行くってだけで、何もさせないよ?」
「な、な、な、な、な」
「それじゃだめなら、遊びには行かないけど」
朔也くんは深呼吸をした。
「すみません……」
どういう意味のすみません、だろう。この話自体、聞かなかったことにしたほうがいいんだろうか。付き合っているのに、聞かなかったことにしてあげる、という選択肢が、まだある。それって、私はまだ、朔也くんのことをそこまで好きじゃないんだな、と実感した。
「怖がらせましたよね……本当にごめんなさい」
驚いた。驚いて、なんだか、一瞬泣きそうになった。首を振る。
「怖くないよ。別に」
素っ気ない言い方になってしまった。
「あの、俺、真奈さんが嫌がることは、絶対にしません」
絶対にしません。
言い切ることに、驚いた。男の子って、言い切ることが嫌いだと思っていたから。約束をしないことを、誠実さだと思って、それを女の子に評価されたいと思っている。朔也くんは約束をして、それを守ろうとしている。評価されるための誠実さじゃなくて、何かもっと、違うもののために。
「絶対に、しません、けど……色々、その、したいとは、思ってるんで、怖かったら、教えてください……」
朔也くんはぐじぐじ言っている。私は何か、なんだかよくわからなくなって、何かかたちのあるものがほしくて、朔也くんの指に、指先で触れてみた。
「えっ!?」
黙って指先で、ごつごつした手を触って、それから離した。
「手、大きいね」
この照明でも、朔也くんの顔が真っ赤になっているのがわかった。
「あ、の、」
「なに?」
朔也くんは消え入りそうな声で、続けた。
「俺……調子に乗りそう、で、」
「うん」
「調子に乗って、怖かったら、言ってください……」
怖くないよ、と、思った。朔也くんのこと、怖くなかった。少なくとも今は。でもうまくそれを言えなくて、
「ちゃんと言うね」
とだけ言うと、朔也くんは何回も頷いていた。
「朔也くん」
呼んでみたけど、特に言いたいことはなかった。
「はい」
呼んだだけ、とは言いたくなくて、どうにか言葉をひねり出す。
「今度、ゆたんぽに会わせてあげるね」
これは確実に愛の告白ではなかった。告白するような愛も、多分まだここにはないから。
「はい!」
でも、似たようなものではあった。




