逃げられたはずの密室 〜バーチャルワールドを巡る事件を追う〜
これは記者として、私が取材を行った事件の手記を簡単にまとめたものだ。当時は奇っ怪な事件が起きたな、くらいにしか考えていなかった。そしてすぐに忘れていた。
記者人生で刷り込まれて来た常識の転換点、それがこの事件だったのだと手記を記していて感じた。
記者として取材を行う傍ら、私は自分なりに事件の全貌を推測することもある。
未解決事件ならば尚更だ。顔見知りの刑事にアドバイスを求められる事もあった。頼られてあてにされて、私は少し調子づいていたのかもしれない。
────奇妙な殺人事件が起きたのは都内某所の研究施設だ。この施設の研究内容は、バーチャルワールドにおける心理作用と行動。ネットワークが構築され、仮想世界に関しての研究が盛んに起き始めた頃の話だ。
研究施設では完成間近のゲームのテストを兼ねて、モニターを集めていた。
【バーチャルワールドのモニター募集。テストプレイヤー同士でバーチャルワールドを体験しながら賞金獲得を目指してみませんか?】
概要は初日クリアで一千万円もの大金。経過日数ごとに獲得金が減ってゆく仕組みだ。そして協力プレイも出来るゲームなのだが、クリア報酬はゴールに先着した一名のみが貰えるというものだった。
モニター募集なのでテストプレイ期間中の賃金が支払われる。また募集要項にはゲーム内にも表示されるメッセージが記載されていた。よくある「この画面はゲーム開発中のものです」 の表記だ。
ちなみにゲームにもしつこく表記されるメッセージは次の通りだ。
※【当ゲームによって起こり得るいかなる事象に関して、当開発会社は一切の責任を負いません】
※【プレイヤー同士の交流に関して、当開発会社は基本的に関与、制限を行いません】
※【ゲーム上のメッセージは、全て演出です。モニターの目的は、バーチャルワールドに関わる心理作用と行動を調べるものです】
【テストプレイ期間は最大十日間となります。プレイ時間は百時間以上を目安に行っていただきます】
【最初に脱出を成功したものにはクリア報酬として、獲得ポイントが賞金として得られます。成功者が出た時点で、他の参加者はゲームオーバーとなります】
【約束のプレイ時間に到達していない場合、成功報酬を得ることは出来ません】
このメッセージの内の※印のついた文言は、募集要項や契約書にも表記されていた。実際には※印などついていないが、重複して確認を取らせる意味はこの手の募集によくあるからわかるだろう。
そしてテストプレイヤーはこのメッセージの確認後に、バーチャルワールドの中へ飛び込む事になるわけだ。
一見すると現実世界での報酬を約束し、仮想世界において、被験者を自由に行動させ競わせるもの。ようするに懸賞金のついたゲームと言った所だろう。
バーチャル……仮想仮定を謳っているものの、ほしいのは非日常的な世界での心理状況だろう。
文章による心理テストとは違い、現実に近い状況だからこそ、人の本心を垣間見ることが出来る。
……しかし、現実は想定を超えた。
研究施設の関係者は全員身柄を確保された。彼らは研究員として施設で働き、実験を行っていた事はすんなり認めた。
ただし遺族の訴えた誘拐及び監禁は否定した。それと実験の最中の殺人に関しても、彼らは全員関与を否認していた。不幸な事故、予想外の事件が起きただけの事だ。
まず、誘拐ではないという理由は明白だろう。現場に集められた人間……即ち被害者達は、バーチャルゲームのモニター。試作ゲームのために、集められたテストプレイヤーだったからだ。
モニターの募集がかけられて、彼らは自分から立候補してやって来た。そこには当然強制などはない。
モニターである以上、契約書も存在している。契約書には集められたプレイヤーが自分の意思でサインを行っていた。
この募集要項を見て応募して来たものから、モニターとして採用されたののは男性二名、女性二名である。
彼ら四名は、研究施設の現場で亡くなっていた。死亡した四名の内、男性一名女性二名が首を締められて殺されていたという。
殺害したと思われる男は現場で臭気に塗れ、逃げることもなく亡くなっていた。外傷はない。死因は衰弱死だと思われる。
争った形跡も基本的にはなかった。おそらくゲームに夢中の間に、一人ずつ静かに殺されたのだ。
基本的にと述べたのは、衰弱死した男の腕には引っ掻き傷があったからだ。同性の男が一番抵抗力が強く腕を引き剥がそうとしたのだろう。爪の痕跡が一致したそうだ。
集められた彼らの仕事はテストプレイであるため、室内の様子はカメラでの記録など行われていない。実験の都合上もあり、監視付きだとプレイに支障があるためだった。
────映像はないが、現場である室内の写真や記録を詳しく見てみた。彼らが集められていた部屋は、とてもシンプルなつくりだった。
室内にはバーチャルワールドを体験出来るゲーム機器と大型モニターがある。それに人数分の小型のモニターと、VR用のヘッドセットが設置されていた。
ゲーム用の椅子は身体の負荷を軽減する、最新式のもの。これも人数分が揃えられていたようだ。
室内の壁には、機器が熱で壊れないようにエアコンが常時作動していた。寒すぎず暑すぎず、快適な温度が保たれていたという。
また小型の冷蔵庫の中には炭酸飲料やお茶などが入っていた。冷蔵庫の上には市販のスナック菓子が入った籠が置かれており、自由に飲食が可能だったことがわかる。
食事も望めば宅配で頼めるようになっていた。予算の関係で、一食あたりの上限は二千円までだったらしい。私から言わせるとかなりの大判振る舞い、贅沢だと思う額だ。
研究施設に用意された、その部屋の窓はシャッターが閉められていた。シャッターには鍵も掛けられていた。
窓も遮光カーテンにより、外からの明かりが完全に遮られるように取り付けられている。
シャッターも窓も、内側から開けようと思えばいつでも開けられるタイプだ。これでは当然、密室の条件は成立しない。
入口にはドアがある。この入口も部屋側からはカーテンが掛けられていた。
入ってすぐの位置に大型モニターが設置されていて、部屋の中央からみると入口は死角になるのは確かだ。
カーテンで隠されていたと言われると疑問だ。調べればすぐにわかるだろう。それに……入口のドアの鍵は最初からついてなかったのだ。
入口を出ると、共用のトイレ、シャワー室がある。流石にここは鍵付きだ。また仮眠室も男性用女性用と二部屋あった。
現場の状況を見る限り、この場に集められた男女は、監禁に値する状況下になかったと言える。
少なくとも彼らの置かれている環境には、狂気を示すものは見られない。いつでも自由に動き回れる状況であるからだ。
施設の環境を見た限り、集めた側には監禁の意図も意思も見受けられない。
研究施設である以上、たとえ入口は解放されていても、警備の目、監視の目は当然ある。それらを踏まえた所で、せいぜい軟禁と言った所だろう。
◇
私が奇妙な殺人事件と感じたのは、この部屋が完全に閉じ込められていた密室……というわけではなかったからだろう。
犯行を行った男性は、逃げようと思えば逃げ出せた。しかし何故か犯行現場から逃げなかった。
────逃げられるのに、逃げない。私が理解しがたかった最初の理由がそれだ。
そして気になるのは殺害犯の動きだろう。殺害されていたにも関わらず、テストプレイヤー達は動きを止めていなかった。
これも推測された考えに過ぎないが、モニター仲間を殺害したプレイヤーが成り済ましを行い、違和感を漂わせぬようにしていたのだと考えられる。
実際、三人を殺害した後のゲーム内での動きが、それを証明している。誤魔化す必要がなくなったためか、殺害後のプレイヤーは犯人のもののみが基本的には動いていた。
テストプレイヤーとして自発的に集められた事。出入り口に鍵などなく密室に監禁されたわけではなかった事。以上の状況証拠から、研究施設の研究員の殺人への関与はないものと言えた。
研究員が罪に問われるとするならば、定時確認は朝と夕方に行うだけだった事だろう。
殺害されたのはゲーム開始、四日目の夜間だった。異常行動へのチェックのなかった管理監督責任や、ゲームの内容に関して問題視される事になりそうだ。
犯行の様子が窺い知る事が出来たのも、ゲーム内のログがあったためだ。室内は監視されていなかったが、テストプレイヤーのプレイ状況は細かく記録されていた。
集められた者たちの境遇や経緯も記しておくとしよう。
テストプレイヤー達は互いに面識はない。一人暮らし実家暮らしと生活環境も違う。学歴は大卒と高卒。成績は良くも悪くもないといった感じだ。共通しているのは独身、それにフリーターというくらいだろう。
募集要項に書かれていたように、テストプレイ期間は最大十日は取られている。演出の仮定ではあるが、それくらいはやって欲しい開発側の希望と、予算の問題だろう。
拘束される時間の事を考えると、いかにゲーム好きであっても参加条件は絞られる。
それにテストプレイヤーの参加モニター料は最低時給額と同じ。遊びながらお金を貰え、食事が出来るのでさほど酷い条件には見えないだろう。
しかし実働賃金が安いのは事実で、本来ならモニターが簡単には集まらないはずだ。研究施設が上手いのは、ゲーム内のメッセージを載せた事だろう。
モニター募集が魅力的に映ったのは、クリア報酬額の高さだ。演出であると明記されていても、ゲームを行うだけで一千万円貰える……のインパクトは大きい。殺害の動機も、結局の所、報酬金を巡るトラブルではないかと私は思う。
もっとも私ならこんな胡散臭い募集の時点で話には乗らないが……若さと境遇ゆえか好奇心のためなのか。暇があるのも強みか。
一攫千金、時間のある腕に自信のあるものがこぞって参加を望んだ。彼らの応募の実際の動機や理解力は、亡くなってしまった今となってはわからない。
募集をかけた研究員達の感覚は私に近いようだ。制作側として絶対にあり得ないとわかる条件の提示である。そのため応募の殺到する事態に、困惑したという証言が残されている。
彼らの苦笑いの理由は簡単だ。褒賞金に一千万円と盛ったものの、そんな大金が即座に得られる事がないゲームだと、メッセージを見れば明らかだからだ。
そもそも何度もテストプレイが目的であると、名言されている。わずかながら給料も出る。またゲーム内メッセージは演出であると何度も確認させている。
ほんの少し注意すれば、そんな上手い話しはないとわかる代物。三食保障された短期住み込みアルバイトのようなものだ。
研究員は自分達でも胡散臭いと思う研究の怪しい広告だとわかって告知している。それが開発中のゲームの目的にも沿うため、あえて馬鹿馬鹿しいと思う宣伝文句を使ったそうだ。
間接的に凄惨な殺害現場を作り出してしまった彼らの心情に、同情の念を抱く私も歪んでいるのだろうか。
ゲーム内の行動や状況証拠と、モニターとして集められたテストプレイヤー達の境遇から、殺害の動機はクリア報酬の一人占めをするためと位置づけられた。
研究員の想定を超えた理由はまだある。テストプレイの為の環境を整えたと言うのに、彼らは殆ど眠らず、飲まず食わずに近い状態でプレイし続けたのだ。
インパクトを持たせる為の賞金が徒になった形だ。経過日数による減額や、プレイ時間の縛り、最初の一人など全て演出なのだが、彼らは信じてはいけない情報を信じて真剣になった。真剣になり過ぎた。
仮想のもの、ゲームだとわかっているはずなのに……やってしまう。研究員も、まさか殺人を犯してまで熱中し、律儀に演出で提示されたプレイ時間条件を満たそうとするなどと考えてなかった。
────この研究施設の最大の罪は、人は欲望を前にすると、現実と仮想の区別がつかなくなる事を世界中に知らしめてしまった事だ。
また都合の良い情報のみを信じこみ、時に狂気と見られる行動を取ってしまう。人が人を信用出来ず、自らの世界、現実を壊していく。
時代の最先端を行くこの研究施設の事件は、いつの間にか消えた。まさに仮想世界そのものだったかのように現実世界から消されてしまったのだ。
ようやく接触出来た研究員の一人が重い口を開いてくれたおかげで、事件の全貌が明らかになった。ただ、すでに終わった事件であり、公表は避けて欲しいとのことだった。
皮肉な事に彼らの研究が、たとえ終わった話であっても人の悪意を駆り立てる事を証明してしまっている。
隣近所の悪い噂を振りまく話好きの法螺話しですら、知らない人々に悪意を振りまく事が出来る。
ネットワークの発達はそれが本当かどうかなど関係なく、情報として世界中に拡散されてしまう。
フェイクニュースが飛び交う現代。すでにこの研究施設で行われたようなシステムは悪用され、様々な人々にメッセージを送り込み混沌に陥れている世の中になった。
現実にいる眼の前の人間の言葉や行動よりも、正しいと思わされ思い込まされる事も多々ある。意図を持って築かれたAIの判断を重視することも増えた。
研究の黒幕は私のような一記者にはとうてい及ばない所で暗躍を続けているように思う。
ようやく人と人の繋がりを大切にして、強固なマンパワーを発揮する国の牙城を崩す事には成功したのではないか。
この研究施設に政府や他国の機関が関わっているのかは、現在も調査中だ。殺人事件に至る状況と証拠は揃っていても、研究施設を築いた者達の証拠はとっくに消されている。
ゲーム内のエンディングに表記された最後のメッセージ。
【バーチャルワールドで、正しい行いを学ぼう】
悪意に取られがちだが、最初に開発を考えたものは、正しく善意を持った志の持ち主だったのかもしれない。
この研究により完成されたゲームは、教育現場に教材として配布まで計画されていたという。
事件の発覚により計画は一旦見送られたが、外圧により再び名を変えて政府一丸となって計画が動き始めたのは周知の通りだ。
……私はいろいろと知りすぎた。欲望のままに殺人まで起こした若者達の愚かさを馬鹿に出来ない。
※【当ゲームによって起こり得るいかなる事象に関して、当開発会社は一切の責任を負いません】
※【プレイヤー同士の交流に関して、当開発会社は基本的に関与、制限を行いません】
※【ゲーム上のメッセージは、全て演出です。モニターの目的は、バーチャルワールドに関わる心理作用と行動を調べるものです】
この三つのメッセージは誰に向けられたものだったのか、もっと深く考察していればわかったはずだった。
テストプレイヤー達が、現実と仮想世界の区別なくルールを考えてしまったように、愚かな私はプレイヤーがゲームを行うものだけだど決めつけていた。
この手記は愚かな私の最後の抵抗の証。ゲームはまだ終わってなどいなかった。愛する家族に決して関わらないように、そう伝えるための────。
お読みいただきありがとうございます。春の推理2024 メッセージ、公式企画参加7作品目となりました。
お楽しみいただければ幸いです。