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慣れるために

 



 数日後の昼下がり、退廃地区の一角にサリアはいた。

 ギムレスにグラムの屋敷を訪問する日を伝えると、この場所に行けと指示されたためだ。

 ギムレス曰く、依頼に支障をきたさないように、暗殺者が傍にいる感覚に少し慣れろとのことだった。

 だが指定された場所に向かってみたものの、相手は見当たらない。


「ここのはずだが……どこにいるんだ?」


 この日のサリアは以前と同じ暗めの色をした古びたローブを身を隠すように纏ってはいるが、その下に鎧は着込んでいなかった。

 最低限の武器としてナイフは腰に括りつけてはいたが、退廃地区で長居するには心もとない。

 依頼者としてしばらく待ってみたものの、視線を合わせたくない住人が数名通り過ぎて行くだけだった。


「……帰るか」


 そう独りごちるとローブの裾が引っ張られる。

 サリアが視線を向けると、真横にはあの部屋で見た少年が立っていた。


「ちょっ、いつからいたんだ!」

「えっ、ギムレスの所からずっと一緒にいたよ?」

「はぁぁぁ?」


 確かにギムレスはここに行けとは言ったが、ここで落ち合うとは言っていなかった。

 驚きと怒りを抑えながら、サリアは改めて少年を観察するように眺める。


 年のころは自分よりも下。恐らくは15歳ぐらい。

 目線の高さは同じだが、その体は自分よりも細いくらいだ。

 何より目につくのは薄汚れているが白い肌と白い髪。

 ここまで目立つ風貌でよくその存在を隠せるものだと。


 ぼさぼさの髪の隙間から覗き見る好奇心旺盛な目がサリアの視線と絡むと、少年は無邪気な笑顔を見せた。


「短い付き合いだけどよろしくね。僕はスノー」


 暗殺者が自ら名前を名乗るのはどうかと思ったが、サリアは差し出された手を握った。


「サリアだ。よろしく頼む」

「よろしくね、サリアち・ゃ・ん・」


 その言葉にサリアの表情が引きつる。


「け、敬称など不要だ。呼び捨てでかまわない」

「女の子にはち・ゃ・ん・をつけるって聞いてたんだけど。分かったよサリア」

「な、なんでスノーは私が女だって勘違いしてるんだ?」

「勘違い? だってサリアは女の子だでしょ? あれ、もしかして隠してた? そういえば胸に布をまいて絞めつけてるもんね。でもサリアの大きさなら何もしなくても大丈夫だと思うよ」


 サリアの顔が真っ赤に染まる。

 確かにサリアの胸は平均と比べても小さい。

 だがサリアはまだ17歳。まだ成長期は終わっていないとサリアは信じていた。

 いや男装するために小さいほうが都合がいいと自分に言い聞かせていた。


「くっ、これからどうすんだ?」


 殴りたい衝動を抑えつつ、顔をそむけたサリアはぶっきらぼうに言い放った。


「どうするって言われても……僕が勝手についていくから普通に生活してくれればいいよ」

「普通に?」

「いつも通りにって意味だよ。いるのにいないって振る舞うのが今回の目的でしょ?」

「そ、そうだな」


 サリアがなにかムズ痒さを感じながら答えると、目の前にいたはずの存在が消える。

 慌ててサリアは周りを見渡すが、スノーの姿はない。


「大丈夫。ちゃんと傍にいるから」


 声だけが聞こえてくる異質さにサリアの肌が粟立つ。

 理屈が分からなかった。

 サリアとてこの世には異常な身体能力を持つ者や、常人では計り知れない頭脳を持つ人間がいることは知っている。だがそれは理解の範囲内の話だ。

 目を凝らそうが感知できない存在など簡単に飲み込めろわけがない。

 サリアは改めて思い知らされる。

 もしこの少年がその気になれば、簡単に殺されてしまうだろうと。

 先ほどは少年らしい無邪気な笑顔を見せていたが、紛うことなき暗殺者なのだと。


 これは秘密裡に行わなければならない重大な仕事だ。余計な感情に振り回されてる場合ではないと、サリアは気を引き締め直すのだった。





 退廃地区を出て、サリアは街中を歩く。

 流石に暗殺者を連れて騎士団本部に戻るのは良くない。

 第四騎士団長から受けた今日の任務は、ギムレスへの報告だけ。任務が終わった以上、自由に活動していて問題はない。

 それならばとサリアは街を見て回ることにした。




 3年前まで戦いがあったとは思えない活気。

 サリアが戦場に立つことはなかったが、瞼には焼け崩れた街並みがやき付いている。

 退廃地区はその面影を残しているが、当時のありさまは比べるまでもなく、地獄と呼べるものであった。


「人はたくましいな」


 あらためて実感する平和な光景に、サリアは目を細めた。

 その平和を崩そうとする者がいる。

 出来たばかりの帝国は騎士団の武力によって隣国との均衡を保っていた。

 もし第二騎士団副団長のクーデターが起きれば、阻止したところで騎士団の弱体化は免れない。

 それは隣国からの侵攻を意味する。


 サリアは目を閉じて拳を握りしめた。

 暗殺など卑怯な手段を選んだ父に思うことはあった。

 だが、平和のために苦渋の決断をした気持ちも痛い程理解できる。

 例え後に汚名を着させられようともなさなければならない。


 再び決意したサリアの手が不意に引っ張られる。


「気づいてないみたいだけど、つけられてるよ」


 突然耳元で囁かれた言葉に体を固くし、サリアは小声でこたえた。


「いつからだ?」

「この街に入ってからだよ。退廃地区から出てきたサリアの行き先を知りたいんじゃないかな。他にも入口に何人かいたからサリアを特定してついてきてるんじゃないと思うよ。依頼外になるけど消しておこうか?」

「いや、私の身元がバレなければいい。撒けるか?」

「じゃあ次の路地を右に曲がってから走ってくれる? そこからさらに二つ目の路地を左に、一つ目の路地を右に、三つ目を右に曲がって待ってて。足止めしてから追いつくから」

「分かった」


 スノーの指示通りに路地を曲がるとサリアは駆け出した。

 追跡していた男もそれに気づいて走り出そうとするが、不意に何かにつまづき大きく転倒する。

 スノーが足を引っかけただけではあるが、男はどうして転んだかさえも分からない。

 男はサリアを見失っていた。


 スノーの言った場所に辿り着き、呼吸を整えるサリアの手が不意に捕まれる。


「足止めはしたけど離れた方がいいね。ついてきて」


 優しくサリアの手がひかれる。

 ゆっくりとした速さでいくつかの路地を抜けると、サリアは大通りに導かれていた。


「ここまでくれば大丈夫かな。でももう騎士団に戻った方がいいよ」

「そうか。助かった」


 スノーの手が離れるのを感じ、サリアはローブを脱ぎ捨てた。

 下に着ていたのは男物の服ではあったが、ローブがないだけでも目くらましにはなる。

 気が付けばサリアの横にスノーが姿を現していた。


「依頼主を守るのも仕事のうちだよ。サリアは僕が守るさ」

「私を? お前が?」

「そう。僕が」


 意外な言葉にサリアは小さく笑った。

 年下の無邪気に笑う少年。

 もしこの場で取っ組み合いの喧嘩にでもなれば、サリアが勝てそうな頼もしさのない風貌なのに、奇妙な安心感が心に広がる。


「そうか。ならばグラムの屋敷でも安心できるな」

「うん。任せて」

「では二日後だな。日が城壁に隠れるころにグラムの屋敷前で落ち合おう」

「うん。じゃ、またね」



 すでに姿を消したスノーがこの場を去ったのかはサリアには分からない。

 だがサリアはしばらくそのまま動かず、スノーに捕まれた右手を見るのだった。











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