暗殺依頼
建物の2階にある一室では、話し合いが始まっていた。
長身で線の細い壮年の男が、この退廃地区には相応しくない豪華な椅子に座っている。
その前には身を隠すようなローブを纏ってはいるが、歴戦の猛者たる雰囲気を漂わせる中年の男。
傍には中性的で顔の造りの整った若い騎士が立っていた。
「なかなかに大きな仕事ですね。第二騎士団副団長の暗殺ですか?」
「だが、やらねばこの国は再び戦禍にさらされる」
「騎士団では対処出来ないと?」
「騎士団とて一枚岩ではない。小さな火種すら燃え広がり致命的な状況を生み出すだろう」
壮年の男、ギムレスは顎に手を置く。
依頼内容を聞いた以上断るという選択肢は無いに等しい。
もっともギムレスは依頼主を見定めた上で会うかどうかを決めている。
目の前の相手、第四騎士団長モーリスのあらかたの事情など収集済だ。
帝国となって3年。
表面上は平和に見える帝都。ある程度足元が固まれば、よからぬ野心を表に出そうとする者が現れる。
第二騎士団副団長グラムなど、その典型的な例だろう。
無類の強さを買われて副団長まで上り詰めた男は、現状に満足しなかった。
その強さゆえ若い騎士から人気のあったグラムだが、よその隊の有望な若者を見つけては自分の配下にしようとしてきた。
自分の思想を語り、さらなる飛躍を夢に描くまではまだ良かった。
いつしか自分が変革者だと見誤り、都合の良いことだけを正とするようになれば、逆らうものを遠ざけ、自分の思い通りに動く者だけを傍に置くようになる。
有能なだけでなく、そこに自分の欲望が介入し始めたのはこの頃からであろう。
今ではグラムの周りは男女を問わず、美形ばかりが揃っていると噂されている。
そんな男が騎士団すべてを掌握するために、大掛かりな準備をしていることはギムレスの耳にも届いていた。
「確かに、第二騎士団副団長のクーデターが成功するとは思いませんが、火種が燃えれば騎士団の弱体化は避けれないでしょうね。隣国との関係も悪化する可能性が高いでしょう」
「ここでやつさえ急死すれば、その取り巻きどもはどうとでも対処できる。被害を最小限に抑えることが私の務めだ」
傑物と呼ばれる皇帝でも、騎士団の問題を解決するにはなさねばならない事が多すぎて手がまわらないか。
ギムレスが思考を深めると、音もなく扉が少し開き再び閉じる。
僅かに視線を動かしたギムレスは口元を少し緩めた。
「分かりました。依頼はお受けしましょう」
安堵の表情を浮かべたモーリスを見て、ギムレスは言葉を続ける。
「しかし、暗殺の依頼自体はさほど難しくはありませんが、こちらのリスクは大きい。後になって蜥蜴の尻尾切りにあってはたまりませんからね」
「帝国騎士団の名に懸けてそのような不義理な事などせぬ」
「人の口約束ほど簡単に破られるものはないのですよ。人の気は変わるものです。聡明、誠実と評判の貴方が第二騎士団副団長の暗殺を依頼するように、追い詰められた人間はなんでもしますから」
「では、どうしろと?」
ギムレスは険しい顔つきになったモーリスから隣に立つ騎士に目を移した。
「モーリス殿のご息女ですね、第四騎士団のサリア殿。貴方が第二騎士団副団長の元まで案内してください。誘いを受けている貴方ならば案内も簡単でしょう? これで立派な共犯者となれる」
この男はどこまで実情を知っているのかと、モーリスは驚きを隠せなかった。
隣に立つ騎士は確かにモーリスの子であるが、その性別を知る者はごく一部の人間だけ。
男して育てられ、そう振る舞う彼女を女だと疑う者はいない。
「し、しかし」
「モーリス団長、事がなされるならそれで良いではないですか。その条件で構いません」
「契約成立ですね。では詳細を詰めていきましょうか」
モーリスは納得のいかない顔をしたが、サリアは反論する間を許さぬように質問を始めた。
「案内とはいいましたが、グラムの屋敷に入る手引きをすると考えればよろしいのか?」
「そんなに難しい事は言いません。サリア殿は第二騎士団副団長から誘いを受けているのでしょ? その誘いにのって屋敷を訪れるだけで十分です。こちらの者が勝手についていって、その場に残り、暗殺して戻ってくるだけです」
「なにやら簡単そうな言葉に聞こえますが、グラムの屋敷には精強な衛兵が常駐しています。具体的な話をしませんか?」
その時、モーリスは首元を指で軽く押される奇妙な感触を感じ、視線を横にずらした。
「なっ」
短い驚きの声にサリアが反応すると、モーリスの首に人差し指をあてる少年が現れていた。
とっさに剣の柄に手が伸びるサリアを見て、少年は大きく1歩後ろに逃れた。
「怖いなぁ。落ち着きなよ、なにもしていないよ」
敵意がないことを示すように、少年は両手を上げる。
それでも警戒心をあらわにするサリアにギムレスが口をはさむ。
「この方が話が早いと思いましてね。私がやらせました。暗殺者はその存在を周囲に悟られません。私が言った意味がこれで理解出来たでしょうか?」
これはギムレスが良く使う手口である。
手っ取り早く暗殺者の能力を見せつけ、同時に警告する。
なにかあった場合、いつでも出向いて寝首をかくことが出来ると。
その意味と暗殺者の本質を理解したモーリスは生唾を飲み込んだ。
覚悟はしてきたが、これでもう本当に後戻りは出来ないと。
「それでは詳しい日時が決まったらご連絡下さい。こちらはそちらの都合に合わせますので」
「……分かった。また連絡する」
モーリスとサリアが何度も背後を気にしながら部屋を出ていくと、ギムレスはスノーに粘りつくような視線を向けた。
「まったく。遅いですよスノー」
「そんなことないよ。ロコ婆に起こされてすぐに水浴びして来たのに」
前回の注意をそう捉えてきたかと、ギムレスはため息を吐く。
「まったく。貴方が私の話を少しでも聞いていたということにしておきましょう。今回の依頼は分かりましたね。いつもと違うのは好き勝手進入するのではなく、先ほどの騎士について入るといった点くらいです。スノーならば簡単でしょう?」
「あぁ、あの怒りっぽいお・姉・さ・ん・についていけばいいんだね?」
ギムレスは目を細める。
やはりこの少年の観察眼は大したものだと。
顔立ちが整っているとはいえ、あの格好のサリアをみて女性だと思う人間は少ないだろう。
長身で褐色の肌に短く黒い髪。しかしその外見よりも、佇まいは男性と錯覚させる。
「えぇ。日時が決まり次第連絡しますが……そうですね、今回は事前に一度サリア殿に付きそう時間も作りましょうか。目に見えない人間が傍にいる感覚は少し慣れてもらわないと。もし何かしらの問題が起こるならそれしか考えられませんからね」
「分かったよ。じゃあ僕は戻るね」
能天気に手をひらひらとさせ部屋から出ようとするスノーに、ギムレスは待ったをかけた。
「スノー。貴方の能力は私が一番よく知っていますが、今回は一人ではなく相棒がいます。くれぐれも相手を怒らせないようにしなさい」
「大丈夫だよ」
「大丈夫ではありません。貴方が考えてる以上に、貴方は失礼ですからね」
腕を組んで考えるスノーであったが、すぐに「分かったよ。気を付ける」と笑顔で軽い返事を返した。
何も分かっていないその顔を見て、ギムレスは再度念を押す。
「深く心に刻んでおいてください。それでも、もし相手を怒らせたなら……」
「怒らせたら?」
「すぐに謝りなさい。あとはそうですね、相手を持ち上げなさい。って、物理的にではないですよ。女性は褒められると嬉しいものです。頭に上った血を抑えるように、さりげなく褒めて怒りの方向を変えなさい」
「分かってるって」
スノーの存在がかき消えると、静かに扉が開閉される。
ギムレスは余計な一言だったと後悔していた。
スノーにコミュニケーションを求めるのは無理な話だと。
付き合いがそれなりにあるギムレスや老婆はその扱いに慣れているが、スノーという少年は異質過ぎた。
存在を消すことにかけては他の追随を許さないほどに極まっている。だが反比例するかのように心を隠すのが下手なのだ。
思ったことはすぐに口にする。嘘もつけない。ついでにこんな生活をしているせいか、常識もあまり持ち合わせていない。
表裏ないといえば聞こえはよいが、見知らぬ相手とうまく付き合うなど賭けに等しい。
いや、少しでも慣れさせようと、わざわざ今回の依頼に注文を付けた訳だが。
最悪自分も動くことを想定しながら、ギムレスは考え込むのであった。