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もう少し、雨が止むまで

作者: 夢守紗月

梅雨をテーマに書きました。あっさりめです。

 初めて彼に出会ったのは、突然の大雨に困り果てていた時だった。


「さっきまで雲1つない青空だったのに」


 イザベラ・シャーリーは、額に落ちてきたダークブラウンの髪を耳にかけながら、恨めしげに灰色の空を見上げた。


 彼女は宮廷に出仕している官吏の一人。激務に追われながらも充実した日々を送っている。

 ただし、今週はいただけなかった。急な仕事が部署に舞い込んできて、イザベラを含め全員が馬車馬のように働いた。そしてやっと今日、定時で上がって自宅でゆっくりしようと官舎を出たところだったのに。きっちり結った髪を解いてゆっくりしようと思っていたのに。

 

 


 「「困ったな」」


 声が、重なった。

 びっくりして横を見ると、同じように目を丸くしている男性と目があった。栗色の巻毛に大きな眼鏡。ひょろっと背が高く痩せている。着ているのは官吏の服。あの裾の模様は…農業部だろうか。


 「し、失礼。人がいるとは思わなくて」


 どうやら、彼は建物の横道から駆け込んできたらしい。イザベラは銅像の影になって見えなかったらしい。焦ったように頭をかくと、その髪先から雨の雫がこぼれ落ちた。

 なんとなく、水滴を目で追ってしまった。


 「……部署の移動途中で傘を忘れてしまって」


 濡れてしまって余計に絡まりだした髪を必死で撫で付けながら、言い訳が付け加わった。


 きっちり束ねた髪と落ち着いた色合いから厳しいイメージを受けることが多いイザベラの視線に恐れを成したのかもしれない。だってこの人、なんか小動物みたいだし。図体はでかいけど。


 「いえ、そんな。私もわかりにくいところにいましたから」


 イザベラは殊更柔らかく話した。これ以上、必要以上に怯えさせたら申し訳ないと思ったのだ。

 彼は恐縮したようにお辞儀をすると、持っていたハンカチで髪を拭き出した。みるみるうちにハンカチが濡れそぼっていく。


 農業部がある建物は、ここからかなり離れている。急に土砂降りにあったせいで、とりあえず、ここ書庫部がある建物近くの東屋に駆け込んだのだろう。

 初対面で話しかけるのはいかがなものか。でも、彼はまだこれから仕事があるだろうし……。


 「あの、よかったらこれ」


 イザベラは、思わず自分が持っていた大判のタオルを差し出してしまった。


 「私、まだ使ってないので」


 「いや、そんな、それはさすがに悪いですよ。あなたもこれから使うでしょう?」


 「大丈夫ですよ。デスクに戻れば予備がありますし、すぐ拭かないと、あなた風邪を引いちゃうかもしれませんし」


 気を遣わせたくなくて、咄嗟に嘘をついてしまった。あとは帰るだけなのに。


 「それじゃ、有り難く使いますね」


 そう言って彼は、少し頭を下げながらタオルを受け取った。いそいそと濡れた頭や眼鏡を拭き出す。

 

 なんとなく、見るともなしに見ていた。

 あ、目の色緑なんだ。おっと頭を雑に拭いたせいで、髪の一部がぴょん、と飛び出してる……


 ふと彼と目が合った。

 

 「あ、えっと、自分、農業部のベンと言います。これから、外苑の試験用農業地に行くところでこの雨になってしまって。すっかり雨のシーズンなこと忘れてたんです。傘持ってくるべきでした」


 「私は、書庫部のイザベラです。私もです。すっかり忘れてて。でもこの東屋があって助かりました。」

 

 「イザベラさん……今までお見かけしたことはなかったと思いますが、書庫部だったんですね。ここから書庫は離れてますもんね」


 「はい、そして農業部の建物もここから離れてますよね。お疲れ様です」


 「いえ、そんなイザベラさんこそ……」


 そこで会話が途切れた。雨が東屋の屋根を打つ音が響いている。

先ほどよりは、少し止んできたかもしれない。


 

 「雨って」

 

 ぽつりと彼が呟いた。


 「恵みとはわかっていても、こういうとき鬱陶しくなります。農業部としては不適切な発言ですが」


 「わかりますよ。大事とは理解していても、不便ですよね。そして、書庫部にとっては一年で一番大変な時です、カビとの戦いですから」


 「はは、間違いないですね」


 彼の瞳がエメラルドのようにキラッと輝いた。ひたすら申し訳なさそうだったから、少し元気になってくれたのなら嬉しい。というか日の光が


 「だんだん晴れてきましたね」


 日の光が差し込んできて、細かい糸筋のようになってきた雨を照らす。キラキラと水の粒が輝いた。

 なんというか、とても幻想的だ。自然と口角が上がる。


 「そうですね、この時期の雨は急に降ってすぐ止みますね」


 サーと降る雨の音と、雨に濡れる花々。それを照らす太陽を2人でぼーっと眺めた。

 この時期よく見られる光景なのに、なんとなく新鮮だ。


 「そうだ。結構乾いてきました。本当にタオルありがとうございます」


 「いえいえ、お気になさらず」

 

 「あ、そしたら自分、これを洗って返しま」「大丈夫、もらうわ」


 最後まで言わせず、タオルを受け取った。書庫の鬼と恐れられているシャーリー女史に、後日タオルを返すなんてことになったら、彼がかわいそうだ。それに、久しぶりに自分を知らない人と普通に会話ができて、嬉しかったのもある。「シャーリー女史」だと知られたくない。


 「では、ご機嫌よう」


 そして、くるっと振り返りながら、東屋を後にする。雨はもう止んで、暖かな日差しで外は明かるい。


 「あ、ありがとうございます」


 「あ、あと髪の毛、お気をつけて」

 

 そういって髪を指さすと、頭に手をやった彼がはっとしたような顔をし、赤面した。


「内緒にしておきますよ」


 「重ねがさね、お見苦しいところを……」


 「いえいえ、お仕事頑張ってくださいね」


 そして今度こそ、イザベラは足を踏み出した。キラキラ光る芝生の水滴を踏みしめながら歩き出す。久しぶりの会話に未練を抱えないように、爽やかな気持ちで。

 

 イザベラは振り返らなかった。だからこそ気づかなかったのだ。

 赤面しながらイザベラを見送っていた彼がハッと何かに気づいたような顔をしたことに。

 


 ***********


「あら」「あ、イザベラさん」


 あの邂逅から一周間ほど経った時、偶然にも農業部がある建物でベンと再会した。今日は髪の毛は跳ねておらず、心持ち背筋も伸びている気がする。

 今まで出会わなかったのでびっくりした。

 

 彼も驚いたようで緑色の目を丸くしている。


 「えーと、あの後、お風邪は大丈夫でした?」

 

とりあえず、あたり触りのない話題を。

 

 「はい、お陰様で。ピンピンしてます」


 「そう、それはよかったです。」


 「イザベラさんは、ここをよく通られるんですか?」


 「いいえ、今日は偶然。年に数回だけある会議の手伝いでここまで。そろそろ行きますね」


 「はい、お疲れ様です」


 そうしてベンと会釈しながら通りすぎる。これってすごく「普通の人」っぽい。私はいつも「厳しい人」って恐れられているから、こういう経験、あまりないのだ。少し嬉しい。



 それからも、何度か会う機会があった。ちょっと話してすぐ分かれるけど、なんとなく彼とすれ違うのが楽しみになった。





 ***********


 「こことここ、完全に様式が違います。マークスさん、前回もお伝えしたかと思いますが、報告書はミスがないようにしてください。これでは記録とならず書庫に保管できません。」


イザベラは、できるだけ感情を込めずに淡々と述べた。目の前のマークスの顔が歪む。


 「ったく、毎回毎回細かいな、シャーリー女史は!」


 「私が細かいのではありません。国の書類を保管する書庫部の規定なまでです」


 「ちっ」


 そしてマーカスは乱暴に椅子から立ち上がると、肩をいからせながら部屋から出て行った。


 「シャーリーさん、気にすることないよ。あなたは職務を真っ当にやっているのだし」


 「今度はワシらが対応するでな」


 書庫の上司――おじいちゃん達が、わらわらと寄ってくる。優しいみんなの手を煩わせたくないし、彼らは彼らで、長年の経験を生かして、蔵書の整理や編纂も行っている。私がしっかりしなくちゃ……。


 「少し、お昼の休憩に行ってきますね」


 一度心落ち着かせなきゃ。いつも、こういう対応は慣れない。

 回廊の角を曲がろうとしたその時、


 「わ、経理部のマークスさんが激怒してる、何があったんだ」


 「あー、あれじゃね、鬼のシャーリー女史に当たったんじゃない?はは」


 「鬼のシャーリー?」


 3人目の声を聞いた時、私は顔から血の気が引いた気がした。

 ベンだ…。


 「え、ベン知らないの?書庫の鬼、シャーリー女史!どんなに時間かけた書類も冷たく突っ返す、まさに鬼!」


 「いや、知らなかった。怖いな」

 

 怖い……ベンにとって私は怖いのか。せっかく仲良くなれたと思っていたのに。


 近づいてくる声に恐れをなして、私は、回廊の横に広がる芝生の庭園に飛び出した。


 「あ、鬼のシャーリー女史!!」

 

「え、あれが……ってイザベラさん!?」


何か声が聞こえるような気がするが、私は気にせず、無我夢中で走り出した。タイミング悪く雨も降り出したが、とにかくここから離れたくて、自分でもわからないまま、どんどん走っていく。

 


 辿り着いたのは、あの東屋だった。


 「ハアハア」


 荒い息をつきながら、東屋のベンチに座り込むと、自然と涙が溢れてきた。書庫の人以外で普通に話せる、貴重な同僚だったのに。彼と話すのを楽しみにしてたのに。


「……さん!イザベラさん!」


 突然、誰かが走り込んできた。ベンだ。

 少しゆがんだ顔でこちらを見つめる。全身びしょ濡れだ。もしや走ってきた……?


 あわてて立ち上がり、距離を置く。

 

 「もうわかったでしょ。私が鬼のシャーリーよ。どうせあなたも私が怖いでしょ。でも仕方がないでしょ、みんな適当な書類ばかり持ちこむんだから。優しくしたら舐められるし、もううんざり!」

 

 「違う、そうじゃなくて!」


 ベンが慌てたように言葉を遮る。


 「自分、イザベラさんに謝りたくて。鬼のシャーリー女史なんて言って、そして仲間と騒いでて。申し訳なくて」


 「え?」


 「自分わかっています。イザベラさんが本当は優しいこと。だからシャーリーさんと結びつかなくて」


 どういうことなのだろうか。私が本当は優しい?


 「初めて会った日、あなたはデスクに戻ると言っていました。でも向かったのは書庫とは反対側、城門の方です。あなたは、自分に気を遣わせないように嘘をつきましたね?本当は帰宅途中だった」


 どうしてそれを……。


 「そして、その次に会った時も、真っ先に体調を気にしてくれた。ただの通りがかった奴のことなのに。それに……」


 ここで彼の頬はうっすらと赤くなった。


 「雨上がりの花をあんなに優しい目で見つめるあなたが、どうしても冷徹な女史だとは思えなかった。でも今、あなたの態度の理由を聞いて納得しました」


 私の頬も、今そこに生えているポピーくらい赤いだろう。


 「だから、あなたの話をもっと聞かせてください」

 

 私が小さくコクンとうなずくと、彼の顔がほころんだ。


 日の光が差し込んできて、まるでいつかの再現のようだった。


「ええ、もう少し、雨が止むまで、なら」



 そうして私達はにっこり笑い合った。



 

このお話は、私が初めて書き上げた小説です。2年ほど前、突然タイトルだけ思いついて、そこからストーリーを膨らませてみました。最後にこのタイトルをセリフとして言わせたかったので、梅雨のこの時期に書き上げました。

お付き合いくださり、ありがとうございました!

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