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五月病

作者: 田中27

 梅雨の到来を忘れさせるほどの夏日に、アスファルトは日光をよく反射して、原付の排気ガスがそれをさらさらと撫でる。大河から枝分かれしたクリークに架かった小さな鉄橋に、砂塵のように小さく揺蕩う儚げな羽虫が集り、石に弾ける雫が忙しなく鼓膜を揺らす。

 気温変化の激しい時分に胸を悪くして食欲を失くした私は、それでもと気持ちばかりの栄養剤を買い込み、叱られた子供のように首を垂れて、急かされるようにただ歩みを進める。学校に行かなくてはならない。義務感は焦燥を招いて、休養する足を失くしてしまった。靴底から伝わる地面の凹凸は焦燥に拍車をかけて、ついに足を止めることもなく、行くべき場所へとひたむきに向かう。照り返しは不眠の眼を刺激して、首を通って、末端まで供給される。それでも足は、歩くことしか知らぬ荒野のラクダのごとく、舗装されてはいるがしかし単調な道のりを進む。遠くに浮かぶ高層マンションに呼ばれて見上げる空に翳りはなく、屍のごとくのさばった生への渇望、それでいて死への憧憬を浮かばせるものをより一層増長させる。

 川を蒸発させる夏日に不似合いな青白い空に、しかし太陽は不在だ。肩にのしかかる鉛のような空気は淀みなく、それでいて流れもなく不穏に、まるで大儀のように居座る。空を飛ぶ鳥も、橋に集る羽虫も、立ち並ぶアパートメントの数々も名前を持たない。キュビズム的な世界にいて、それでも描かれることのない取り巻きに過ぎない。世界とはそういったものであるべきだ。

 かつて咲いた花は枯れることを知らなかった。都市部で流れる流行歌が易々として生き死にを唄い、切迫する病床に空きができたことに喜び希望に照らされて、ついに部屋の片隅で前転して見せる少年。額に大粒の汗を浮かべて、拭うでもなく、ただ行進する私の世界は明るい。

 氷雨に散った花のような生活の抜け殻が沈殿し、重心を重くした自意識は揺蕩うことを知らない。惰性と慣性の相違を知らぬ男が空き瓶に灰を落とし、脂に塗れた右手を洗うことはなく、また使うこともなく、所在なげにだらりと垂れるそれに幾何かの気まずさをもって、しかし男は言葉を知らず、悲哀に身を焦がして音もなく嗚咽する。権利と義務が与える実りを知らず、漠然と描いた桃源郷に身を委ね、香の灰に自らを重ねる。

 一天は雲すら浮かばず、しかし日は進む。


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― 新着の感想 ―
[良い点] あいも、変わらずの、文学的センスです。 ここで、短編から、三島由紀夫氏の、「憂国」の中編のような、死とエロが合体したような、作品を書かれたらどうでしょう……。 で、出来が良ければ、公募に応…
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