第9話 受験生の本業は
静かな教室にペンを走らせる音だけが響く。全統共通テスト模試が行われていた。
受験生らしからぬゴールデンウィークを遊びと仕事に費やしていた雪乃であったが、高校の成績はいい。毎回、風磨と首位を競う実力はある。それは執筆の為に授業中、寝ずに取り組んでいるからだろう。記憶力がいいため覚えるのは得意だ。また外国の血も混ざっている事もあり、英語に限っては風磨に一度も負けた事はない。
「終わったーー!!」
外に出た途端、両手を伸ばして喜びを露わにする愛理に微笑む。揃って歩いていると声をかけられる事は多いが、風磨と清隆がいる為、それでも声をかけようとする勇者はいない。
「どこか寄って行くでしょ?」
「うん、何が食べたい?」
「カレー」 「天ぷら」
風磨と清隆の即答ぶりに愛理と顔を見合わせる。両方食べられる所となるとファミレスか、蕎麦屋くらいだろう。
「ファミレスかーー……」
愛理のテンションから乗り気でないのは明らかだ。
「ジャンケンする?」
「いいのか?」
「俺達はいいけど、雪乃と愛理は?」
即答した二人だが、彼女たちの意見を聞く事も忘れてはいない。この辺りにも回転の良さが垣間見える。
「ファミレスじゃないなら許す」
「うん、勝った方の行きたいお店に行くってことで」
『了解、ジャンケンポン!』
カウンター席に並んで座った四人の前には、ひき肉がたっぷりのドライカレーとプレーンカレーの二種類が一皿になったカレーと、ラッシーが置かれていく。清隆と風磨はとろとろ玉子に加え、唐揚げまでトッピングしていた。
「久しぶりに食べたけど、美味しい」
「だろ?」
何故かドヤ顔の風磨に、愛理は呆れ顔だ。
「うん、美味しいね」
「ああ、頭使ったから、腹減るよな」
「分かる。数式はもう忘れそうだし」
「愛理、それは早すぎるだろ?」
勉強から解放され、一気にリラックスムードだ。
これから受験本番を迎える為、勉強が第一になるだろう。それでも雪乃の中では執筆が第一で、その次が受験だ。デートの順位は低く、下手すれば忘れそうな勢いだが、雪乃はきちんと覚えていた。というのも、タイミングよく匠が連絡をとっていたからだ。
「そういえば、春翔さん、帰国したんでしょ?」
「うん、帰ってきたよ。しばらくは日本にいるみたい」
「もう本家にいないんだっけ?」
「うん、一人暮らしだよ」
「兄妹揃って一人暮らしか」
「キヨもしたいの?」
「ああ、大学からは出るつもり」
中等部の頃から昼休みに揃って食べる事が多い四人は、今でも話が尽きない。
「模試の結果で勝負しないか?」
「風磨、手応えあったの?」
「まぁーな、今回は雪乃に勝ちたいしな」
「それ、勝負の意味あるか?」
「いいだろ? この中の最下位が、学校でアイス奢るって事で」
「それ、キヨに決定!」
「愛理には負けてないからな」
「むっ! ちょっと、風磨、なんとか言ってよ!」
助けを求める愛理に、風磨は微妙な表情だ。
「愛理、諦めろ。この間も寝てただろ?」
「うっ、雪乃ーー!」
態と泣きつく愛理の頭を優しく撫でる。フォロー役には慣れたものだ。
「模試対策するって言ってたのに、寝てたのか?」
「だって、【星アカ】が面白すぎてーー」
「えっ……」
「じゃあ、雪乃のせいじゃん」
「ちょっと……」
「そうだな。それは雪乃が悪い」
悪そうな顔が並び、笑いが溢れる。
結局は寝ていた愛理も、面白すぎる【星アカ】の両成敗で落ち着く。雪乃としては聞き捨てならないが、感想には素直に喜んでいた。
「また発売日が決まったら教えてね」
「うん、ありがとう」
愛理だけでなく、風磨も清隆も、【月野ゆき】の売上に毎回のように貢献していた。
「今回の数学、結構難しくなかったか?」
「うん、応用が出てたよね」
「ああ、俺も思った」
受験生らしく勉強の話題に戻り、帰ったら自己採点するという風磨に同意する清隆。雪乃は時間があればするが、愛理はやらない主義だ。
「今回は雪乃もやらないのか?」
「うん、たぶん」
「やったーー! もう終わった模試は忘れて、遊びの予定立てようよーー」
食い気味で喜ぶ愛理に苦笑いの一同。勉強嫌いな彼女も成績はいい。雪乃と同じ大学に行きたいと豪語するだけはある。
綺麗に食べ終えると、呼び寄せた車に乗り込み帰路に着く。一人暮らしの雪乃は近距離の為、愛理が送っていく事になった。
「お腹いっぱいだねーー」
「うん、眠くなってきちゃうよね」
「分かるーー」
そう言って肩に乗せてくる上目遣いの愛理は可愛らしい。風磨なら抱きしめていただろう。
「…………愛理、聞いてもいい?」
「なぁに? 改まって」
「……デートって、どうしたらいいの?」
「匠さん?」
「うん……」
すでに耳の赤い雪乃に、嬉しそうに微笑む。
最初こそ心配していたが、それは杞憂であったと改めて実感した。幼馴染にこの表情をさせる人を、愛理は彼以外に知らないのだ。
「どこに行くとか決まってるの?」
「ううん、洋服だけが決まってるかな……」
「洋服?」
偶然遭遇し、服を買って貰った日の事をかい摘んで話す姿に、顔がにやける。
男が女に服を贈るなんて、理由は一つしかないじゃない! そう思ってはいても、それをダイレクトに伝える事はしない。意識し過ぎてパンクしてしまっては意味がないからだ。
「ーーーー雪乃が楽しんだらいいよ。嫌な事は、嫌って言うのよ?」
「う、うん」
肩をガッツリと掴まれ、アドバイスする愛理にとっても彼女の些細な変化は喜ばしい事だ。
手を振り、ドライバーにもお礼を言って部屋に戻ると、ソファーへダイブしたい気持ちを堪え、制服から着替える。
水出ししている紅茶を氷と共にグラスに注ぐと、ノートパソコンと向き合う。【星アカ】の書籍化にあたり修正を行なっていた。
ピピッ、ピピッとアラーム音が鳴り、時刻を知らせる。大きく手を上げ伸びをすると、スマホのメッセージに気づいた。
『模試、お疲れさま。明日は会えそうかな? 雪乃ちゃんの体調がよければ、この間見たいって言ってた映画に行きたいと思うんだけど、どうかな?』
胸の辺りがじんわりと温かくなるのを感じ、笑みが溢れる。
『お疲れさまです。明日、楽しみにしています。』
少し迷いながら返信すると、電話がかかってきた。
『もしもし、雪乃ちゃん?』
「はい、お疲れさまです」
『お疲れさま、明日なんだけど、家まで迎えに行っていい?』
「はい、私は構いませんけど……待ち合わせでも大丈夫ですよ?」
送迎は有り難いが、電車に乗れない訳ではない。タクシーを使う事が多い雪乃も、日常的に電車は使っていた。ただし満員電車を除くが。
『ついでにドライブしたいから、いいかな?』
「はい、ありがとうございます……お待ちしてますね」
『あぁー、じゃあ、また明日ね。おやすみ』
「おやすみなさい……」
甘い声が耳に残り、無意識に触れていた。愛理がいたらハグを要求しただろう。分かりやすく上気した頬が麗しげだ。
今ではアラーム音だけでなく、匠との電話も、執筆を切り上げる合図になっていた。
「ーーーー楽しむ……か…………」
口にしても、想像がつかない。匠と再会してからデートをした事はないが、楽しかったのだ。
……【月野ゆき】の作家活動を匠さんが知ってから、電話の頻度は明らかに減ったけど…………代わりにメッセージのやり取りが増えた。
気をつかってくれてるんだよね……作業中の邪魔にならないように…………
またじんわりと胸の辺りが熱くなる。
匠が何気なくしている行為は、雪乃にとって有り難い事であった。執筆に集中でき、通話で注意力散漫になる事もなく、居心地のいい距離感だ。
…………デート……そういえば、はじめてだ。
祖父がやたらと孫を紹介したがる時期があった為、パーティーで紹介される機会は今までにもあった。
たいてい顔を赤らめられ、無言になってしまうか、無理に詰め寄ってくるか、雪乃の経験上どちらかのパターンがほとんどだった。
良くも悪くも藤宮家の長女として見られ、それ相応の対応が求められてきた。
あんなに避けていた私が、デートするなんて…………未だに信じられない。
翌日に控えているというのに、乙女心は複雑である。
執筆が一番な雪乃は納期が遅れた事がない。学校行事や幼馴染とのイベントに参加しても、デビューしてから一度もないのだ。
「はぁーーーー…………」
溜め息が漏れているが、縁談前日の憂鬱さを感じていない事に気づく。
リビングの灯りを消して空を見上げるが、沖縄で見た空のような輝きはない。どちらかといえば、遠くに見える夜景の方が光り輝いていた。
「次は……歳の差の話にしようかな……」
思考回路はいつの間にか物語に引き戻されていた。空想に実体験が少し混ざる事はあっても、題材にしようと考えた事まではない。雪乃にとって匠との再会は、創作意欲をかき立てられるものになっていた。
進学校に通っていても、受験生らしくはない。常に勉強しているわけではなく、放課後も遊んで帰るタイプだ。将来がほとんど決まっている彼らにとって、学生の遊べる時間が貴重である事は確かである。
ゴールデンウィーク中の旅行も、元を辿ればそれなりの成績を取っているから許可がおりたともいえる。
目下の心配ごとといえば、明日のデートと書きたい衝動を抑えて眠ることであった。