第8話 秘め事と告白
「雪乃、これはどう?」
「似合いそうだけど……」
「次は雪乃の服な?」
「えっ?!」
ハイブランドの一室にあるソファーに、雪乃は匠と並んで座っていた。目の前のカーテンが閉まり、兄は着替えの最中だ。
「ーーーー匠さん……なんか、すみません……」
「雪乃ちゃんが謝る事じゃないよ。もともと、さっきのカフェの下見と夕飯の予定だったから、気にする事ない」
「はい……」
そう言われても気にしてしまうのは、雪乃が真面目だからだろう。
「今日はお化粧してるの?」
「はい……ちゃんとした服装でないと、だったので……」
「そうか、似合ってる」
「……ありがとうございます」
匠の笑みに頬が熱い。
そう言った彼も春翔も、センスのいい恰好をしていたが、『スーツにする』と兄が言い出した為、今に至るのだ。
確かに雪乃の恰好はスーツと似合うワンピースではあったが、着替えるほど二人がラフ過ぎるわけではない。これから行く高級寿司店でも浮かない服装だ。
「匠も買ったら?」
「俺も?」
チラリと雪乃を見て頷く。匠も春翔と同じ考えのようだ。
「えっ、匠さんも?」
「ちょっと待ってて」
頭を撫でられ、春翔と入れ違いで試着室に入っていった。
「今日は仕事だったんだろ?」
「うん」
タグのついたままのスーツを着た春翔が隣に腰掛ける。
「ナンパされなかったか?」
「ナンパ? されるわけないでしょ? お仕事なんだから」
「そうなんだけどさ……そのワンピースは、愛理ちゃんとお揃い?」
「うん、よく分かったね」
「……やっぱりな…………」
正面から見ればスカート丈も長めで露出は少ない。ただ背中は一部空いているデザインだ。雪乃が選ぶには珍しいタイプの為、愛理チョイスだと兄にも分かったのだろう。
「春翔はそれにするの?」
「あぁー、匠が着てるのもいいな」
「着心地はな。既製品だから丈が微妙」
「仕事用じゃないから、いいんじゃないか?」
店員を呼び、このまま着ていく事を告げると、レディース用の新作を用意させた。
「春兄、このままでも」
「今日はそのままでいいけど、久しぶりに買ってやりたいんだよ」
「あんまり散財してると、杏奈さんに怒られるよ?」
「大丈夫、大丈夫。杏奈も使ってるから」
そういう問題じゃないと思うけど…………
「これも着てみて?」
「はい……」
匠からも服を渡され、逃げ場はない。楽しそうな顔が並び、抵抗するのは早々と諦める。
素直に試着室に入り、すぐに後悔する事になったのはいうまでもない。試着するようにかけられた服が十着以上になっていたのだ。
春翔と匠によって購入された服は、自宅に送って貰う事になった。雪乃が一人暮らしをするマンションに配送だ。
「ーーーー雪乃ちゃんも、マンション暮らしなの?」
「はい……匠さんもですか?」
「あぁー、今は春翔と同じマンションだな」
「そうだったんですね」
内心では気が気じゃない。一人暮らしも、作家活動も、婚約者に何も伝えていないからだ。聞かれれば答える覚悟はあるが、自分から進んで話すような事はない。
「二人とも、行くぞ?」
「うん」 「あぁー」
タクシーに乗り込み、予約していた寿司屋に向かう。その道中も、雪乃から打ち明ける事はないまま、時間だけが過ぎていった。
「大将、ご無沙汰しています」
「おお、春翔くんに匠くん、久しぶりだね。元気にしてたかい?」
「はい」 「大将もお元気そうで」
穏やかに話す彼が、ミシュランで星を獲得した事のある名店の大将だ。
「そちらのお嬢さんは?」
「妹の雪乃です」
「はじめまして、藤宮雪乃と申します。兄がいつもお世話になっております」
「いえ、こちらこそ、二人にはいつも贔屓にして貰っているよ」
席数は少なく予約の取りずらい店のはずだが、店内の客は三人だけだ。
大将の仕事は一つ一つが丁寧で、赤酢を使用したシャリは口の中でほぐれ、鮮度の良い魚の良さを感じる握りが楽しめる。その分、値段も高いだろう。おまかせコースの提供のみで、要望には応えてくれるが時価の為、雪乃には想像もつかない。
日本酒を飲みながら楽しむ大人に挟まれ、雪乃は緑茶を頼んだ。その際に大将が女子高生と知り、驚いたのは当然の反応だろう。今の雪乃は仕事終わりという事もあり、黒いワンピースに、髪は綺麗にアップされ、うっすらと化粧まで施しているのだ。
兄と婚約者に挟まれ、最初は緊張していた雪乃も、大将の人柄の良さから落ち着きを取り戻していった。
この楽しい雰囲気のまま一日が終わるはずだったが、兄は当初の目的を忘れてはいなかった。
「雪乃の家で話そうか?」
「ーーーーうん」
「匠も行くだろ?」
「えっ?」 「え?」
揃って応え、顔を見合わせる姿に春翔は吹き出しそうだ。
「匠は行った事ないのか?」
「ないよ。再会したのだって、最近なんだし」
「ふぅーーん、雪乃が匠の家に行った事は?」
「ないよ……模試が終わるまで、会わないつもりだったのに……」
「そういえば、匠も言ってたな」
タクシーに乗り込み、揃って雪乃の住むマンションに向かっている為、逃げ場はない。強引な兄はいつもの事で半ば諦めているが、明日から仕事のはずの匠には申し訳なく思う。
そんな雪乃の感情を無視するかのように、高層マンションに辿り着いた。
エレベーターで最上階まで上がり、大きな玄関をカードキーを使って開ける。春翔も物件選びに付き合っていた為、セキュリティーの万全さを再確認していた。
「どうぞ……」
「お邪魔します」
自分の家のように入って行く兄に対し、匠はきちんと靴を揃えリビングに向かった。
「お酒はないですけど、コーヒーか紅茶なら出せますよ」
「紅茶で」
「春兄には聞いてない」
匠の代わりに応えた兄をジト目で睨み、電気ケトルでお湯を沸かす。兄が妹に甘いように、妹も兄には甘いのだ。
「俺も手伝っていい?」
「はい、沸いたらポットにお願いします。ティーカップを出しますね」
「あぁー」
キッチンに並ぶ二人に違和感はない。
匠の理由は分かっていても、妹については分からない。仕事のできる社長であっても、人の心を読み解く事は難しいのだ。
「匠さん……今日は、ありがとうございます」
「いや……こっちこそ、付き合ってくれてありがとう。洋服はデートする時に着てきてよ」
「はい……」
当たり前のように次の約束がある事に戸惑う。
いつもだったら、口約束で終わりにするはずなのに…………
「雪乃、匠から話は聞いてるけど、俺に相談すればよかっただろ?」
「うん、でも……お爺ちゃんが持ってきたから……」
孫たちに甘い祖父のように、雪乃自身も身内や幼馴染には甘いのだ。
「俺が結婚すれば、そこまで言われなくなると思うから、それまで我慢な」
「うん」
「匠でよかったよ」
「それは俺もだよ。雪乃ちゃんがよかったんだ……」
赤らめる雪乃は可愛らしいが、兄としては正直面白くはない。匠がいい男であると親友として知っているからこそ、文句のつけようがないのだ。
「この際だから、共有しておいたらどうだ?」
「うん……」
「匠だって気になっただろ?」
「それは…………でも、雪乃ちゃんが言いたくないなら無理にはいいよ」
「匠さん……」
見つめ合う二人に居た堪れない気持ちになる兄。春翔も婚約者が恋しくなる場面だ。
「…………匠さんは、【月野ゆき】をご存じですか?」
「あぁー、今話題の作家だろ? 春翔に薦められて読んだことがあるよ」
「それ……私、なんです…………」
「…………雪乃ちゃんが書いたの?」
「はい……」
「でも、【月野ゆき】は確か……三年くらい前にデビューしてなかったっけ?」
「はい……」
流石の匠も驚いていた。一人暮らしをする理由があるとは思っていたが、話題の作家が彼女だとは思いもしなかったのだ。
「すごいだろ?」
「あぁー」
自分の事のように自慢げな兄に睨んで見せても効果はない。匠は感心したように頷いていた。
「俺は読者だったんだな」
「えっ?」
「最近、WEB版の【星アカ】、仕事の合間に読んでたんだ……」
「そうなんですか?」
「あぁー、【月野ゆき】にしては珍しく、ミステリー色が強くて面白くてね」
「あ、ありがとうございます……」
身近にいる読者の反応は雪乃にとって励みだ。作家活動を知る愛理たち幼馴染のおかげで、この三年間を乗り越えてきた。少なくとも雪乃はそう思っていた。
「すごいな…………これから忙しいんじゃない?」
「えっ?」
「映像化になるんじゃないかって、言われてるから」
「ーーーーそうですね……今日は、その挨拶でした」
「あぁー、それで雰囲気が違ったのか」
いつもと変わったところは無いと本人は思っているようだが、カフェに入った際の視線は間違いなく雪乃に集まっていた。異性だけでなく、同性から見ても、美人オーラが出ていたのだろう。『ナンパされなかったか?』と、聞いた春翔の反応は当然の事であったが、本人にとっては疑問にしかならないのであった。
「改めて、よろしくね……雪乃ちゃん」
「はい……よろしくお願いします」
秘密を共有した事により改めて握手を交わす姿は、どこから見ても想い合っている二人にしか見えない。
匠の気持ちを知っていれば尚更だ。まだ無自覚な妹に、先は長いと不憫に思う春翔がいるのだった。