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*番外編* あなたと見る月だから④

 「…………あの頃から雪乃は……立派なご令嬢だったよ」

 「そう、かな?」

 「あぁー」


 迷う事なく即答され、顔を見合わせて微笑み合う。当時のずるさは可愛いものであった。


 「……お見合いで……再会した時は、驚いたよ……」

 「雪乃は知らなかったのか?」

 「うん……匠さんがいるとは、思わなかった」

 「そうか……そうだよな……」


 一人で納得した様子の匠に、疑問符ばかりが浮かぶ。孫が見たいが為のお見合いだと知らされていたからだ。たとえ話に裏があったのでは? と、疑問に感じた所で口にする事すら憚られた。


 「…………知らないよな……」

 「う、ん?」


 分かっていない様子に微笑まれ、疑問は増すばかりだ。彼が出した条件について聞いていたが、自身だけがそれに当てはまる訳ではない。

 家督を継がないとはいえ、わざわざ親友の妹を選ばなくとも、彼ならば相手に困らなかったはずだ。春翔と並んでも見劣りしない美丈夫であり、語学も堪能だ。規模が小さいとはいえ社長という事もあり、縁談は山のようにきただろう。兄に婚約者がいると大々的に発表するまで、引っ切りなしに縁談が舞い込んできたように。それほどまでに藤宮と懇意にしたい家は多く、昔から付き合いのある一條家も同じような境遇であったと、簡単に想像がついた。


 「……雪乃がよかったから、あの条件を出したんだ」

 「えっ……でも……」

 「俺には、雪乃しか思い浮かばなかったよ……もちろん、親もね」


 返答に困り、ただ見つめ返す。『そんな事はない』と彼も分かっているはずだ。それにも関わらず、自身しか思い浮かばなかったとは、信じられないと同時に心音が速まる。祖父の条件を分かっていて打診したのだと。


 「冬時さんには、俺の策略なんて手に取るように分かっただろうな……俺は藤宮じゃなくて、雪乃……君が欲しかったんだ……」


 藤宮家があってこその価値も正しく理解していた。幼い頃から汚い大人を相手にすれば、嫌でも自覚が芽生える。簡単に割り切れるような想いではないからこそ、それらしく振る舞うことに慣れていったのだから。


 「…………いつ、から……」


 聡い彼女には疑問でしかないだろう。兄と同じく歳の離れた婚約者が、自身を女性として見ていたとは思いもしなかった。胸の奥にしまい込んだ想いは幼いながらも憧れだけではなく、確かな恋心であった。その自覚があり、周囲を察する能力に長ける彼女であっても、伝えたい事の半分も伝えられていないし、発言力の強さも理解していた。

 他人との距離感は分かっていた。近しいのは幼馴染くらいで、必要以上の付き合いを避けてきた。子供だから無害とは限らないのだと、身をもって知っていたからだ。


 「あの日……本家に、最後に行った日は……雪乃に会いたかったからだ…………今なら、はっきりと言えるけど、当時は口にする事もできなかった……」


 自身の感情に戸惑っていたのだと、彼の反応からも分かる。


 打診したい衝動に駆られたことくらいはある。告げてしまえば後戻りできず、彼女の可能性を狭めるものだと理解もしていた。分かっていたからこそ、告げることなく日本を離れた。

 告白をされれば受ける事もあった。彼女をつくり、それなりの付き合いもしてきた。いつしか少女の横顔も、忙しくしていれば忘れられると思っていた。忘れるつもりでいたのだ。


 「…………以前、本屋で見かけたと言っただろ?」

 「うん……」

 「今思えば、偶然じゃなかった……元々あの本屋を薦めてきたのは、春翔だったんだ……」

 「春兄が?」

 「あぁー」


 そう聞かされても、意図的に引き合わせようとしたとは思えない。学生時代から度々名前が出てきた一條匠の印象は、幼い頃から変わっていない。

 少し崩したように微笑まれる度、兄とは違うと本能的に感じていたが、その本質に気づくのは遅かった。自覚した時には日本を離れる事はすでに決定事項であり、本音を告げて関係が壊れたまま遠ざかる距離が怖かった。だからこそ、曖昧さを残した告白になったのだ。

 返された言葉に高鳴って、頬が上気していくと分かったからこそ平然を装った。そうしなければ、手を伸ばしてしまいそうだった。実際に縋り付く事はなくとも、兄の腕を掴んで間もなかった事もあり、心配そうな顔は見たくなかったからともいえる。家柄の関係ない、言語も文化も違う土地でこれから生活を始める兄に、気の利いた台詞が言えればと後悔したくらいだ。

 文章でなら自身の想いを代弁してもらうことも可能だが、現実はそんなに簡単なものではない。自身の言葉にはある意味で重みがあると理解していたからこそ、閉ざしてしまう瞬間があった。


 「……春翔には、分かってたんだろうな…………」


 不思議そうな彼女に表情が緩む。経営者として厳しい面もある彼の心を許した人にしか見せない表情だ。


 「……俺が、雪乃をすきだったこと」

 「!!」


 はっきりとした口調だけでなく、その視線もまっすぐに彼女を捉えて離さない。


 兄に気を許す場面は何度となく見てきた。近くで見ていただけで、自身に向けられる視線は兄と同じだと思っていた。男兄弟しかいない彼にとって妹が珍しいのだと。


 「……………………雪乃?」


 間近で覗き込まれても言葉に詰まる。婚約者になり、好かれてる自覚はあった。彼の甘さは幼馴染が相手に寄せる表情と似ていたし、あれだけ溺愛されればいくら鈍感な彼女でも気づかないはずがない。それでも、あの頃から特別であったはずがないと思っていた。


 「…………匠さん…………すきです……」


 潤んだ瞳でまっすぐに見つめられれば、争いようがない。理性を総動員させたところで追いつくはずもなく、ぎゅっと抱き寄せる。

 速まる心音はどちらも感じていただろう。


 「…………すきだよ……」


 耳元で囁かれ真っ赤の染まった頬に、容赦なく唇が触れる。大人なずるさを秘めた彼もまた婚約者の一面である。


 触れられれば、ピクリと肩が揺れ、無自覚にも程があると感じながらも、翻弄されっぱなしも悪くはないと思うあたり惚れ込んでいると分かる。余裕の無さに心中で苦笑いしながら触れ合えば、満たされていく。


 「…………匠さん………」

 「雪乃……」


 返される言葉に瞳が潤む。そっと触れてくる指先に頬を寄せれば、一瞬だけ驚いたような表情に気づく。雪乃だけが知る姿だ。


 「……ありがとう…………私が【月野ゆき】としていられるのは、匠さんのおかげだから……」

 「それは……雪乃が頑張ったからだ」

 「ううん……」


 当たり前のように努力を認めてくれる。

 それが、どれだけ有難いことか…………

 『……きっと、君なら叶うよ』

 あの頃から匠さんの優しさは変わっていない。

 否定することなく『叶う』と言ってくれた……それが、どれだけ励みになっていたか……


 「…………匠さんに……読んでもらいたい本があるの……」


 続きを待つかのように静かに頷く彼に微笑む。


 「……書き上げたら…………届けにいくから……」

 「あぁー、楽しみだな……」


 まだ未完成な作品に期待する声で潤む。

 どちらからともなく唇が触れ合い、そっと離れていく。


 「…………雪乃なら大丈夫だよ」

 「ーーーーっ、うん……」


 腕の中で綺麗な涙を浮かべる彼女は美しい。できることなら、このまま囲ってしまいたいだろう。実際にそれだけの財力はあり、離れれば不安は過ぎる。それでも自身が一番の理解者でありたいと思っているからこその言動であり行動力だ。オーバー気味になる仕事を抑えて今回の時間を作った事からも明らかである。


 「…………離れ難いな……」

 「うん……」


 素直に頷く愛おしい婚約者は健在であり、彼の不安はこれからも尽きないだろう。ただ自身が示したように返される感情に綻ぶ。指先からも熱が伝わり、心を捉えて離さない。


 夜空を見上げる度に想い出すのは、幼い頃に交わした言葉から婚約者として過ごした日々に少しずつ変わっていく。まるでそっと月が満ちていくように。


 「…………匠さん、気をつけて……」

 「ありがとう……雪乃……」


 空港で見送られた日が重なり腕の中に飛び込めば、約半年ぶりに触れ合えた日々に想いは巡る。またスマホ越しでの会話がメインに戻り、それが今の日常だ。執筆作業と講義の両立には慣れても、そばにいない日々には慣れそうにない。

 拭えない寂しさとは対照的に、口にした声色から愛おしさが溢れる。


 「……いってらっしゃい」

 「あぁー、いってきます」


 大きく手を振り、遠ざかる背中を見送る。雪乃は笑顔で振り返していた。


 「ーーーー行っちゃったね」

 「……うん……」


 買って来たばかりの飲み物を手渡され、曖昧に微笑む。

 悲しくないはずがないと、茉莉奈と清隆を見ていても感じるものは愛理にもあった。それでも気丈に振る舞う親友に本来のらしさを感じる。

 

 「…………約束、したから……」

 「約束?」

 「うん……愛理、飲み物ありがとう」

 「どういたしまして♡」


 表情が切り替わり、これ以上は語らないと悟る。感情の豊かさは戻っても、人前で泣くことは滅多になく、不特定多数がいる場所では特にだ。見送られた時の方が稀であり、彼だからこそ表情を崩してしまったともいえる。


 「雪乃ーー、愛理ーー、行くぞーー」

 『うん』


 揃って応え、駆け出す。


 「夕飯、ここはどうだ?」

 「美味しそうだね」 「うん」

 「決まりだな!」


 たった数日でも、されど数日だろう。彼と交わした約束は確かに強さをもたらしていた。

 誰もが思わず振り返る彼女の横顔は、ただ綺麗であった。

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