表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
71/72

*番外編* あなたと見る月だから③

 茉莉奈も合流し存分にハワイを満喫した一行は、ニューヨークに飛んだ。今回はプライベートジェットでのフライトだった事からも、冬時の影響力が健在と分かる。といっても、経営者一族とはいえ分家にあたる茉莉奈にとっては、有難い申し出であった。いくら親にお金があったところで高校生に旅費は高額であるし、清隆が大半を出しているとはいえ、婚約者に全てを頼るのは気が引ける。そういった事情も加味され、プライベートジェットを利用したともいえた。


 目の前に並ぶ巨大な電光掲示板が懐かしい。幼い頃から何度も訪れた事のある場所だが、茉莉奈にとっては初めて尽くしの為、口を開けたまま静かに見上げていた。


 「茉莉奈ちゃん、映ってるよ」

 「あっ!!」


 思わず声を上げてしまうほど、大画面に映る姿に驚く。思い思いの撮影を終えれば、再び自由行動の再開だ。カップル同士で行動予定だが、夕飯時にはホテルのレストランに集うと決めていた。最終日を前に匠が帰宅する事もあり、計画的な行動力は相変わらずであった。


 「ーーーー行こうか」

 「うん」


 素直に握り返され、些細な事に実感する。あの藤宮家の一人娘が婚約者であると。土地勘があるとはいえスマホで検索する事もあるし、ハワイでも当たり前のように英語で会話していた。世界的に見ても匠たちが卒業した大学は名門であり、話せなければ成り立たない。会話は最低限の必須事項であり、理解力がなければ講義で学ぶ事は叶わないのである。


 日本からニューヨークに場所が変わっただけで、彼女自身の引力に変わりはない。匠が常にそばにいることから強引なナンパの類には合わないが、視線だけは嫌というほど感じていた。

 雪乃に注がれる視線は、匠にも向けられていたが、そこは似た者同士のカップルだろう。自身よりも婚約者に向けられる視線を強く感じていた。


 「匠さん、本屋さんに行ってもいい?」 

 「あぁー」


 滅多にない要望に即答すれば、愛らしい笑みが浮かぶ。策略を巡らせて同棲までしたが、その期間は留学期間に比べるまでもなく僅かだ。三年で卒業するとはいえ、まだ半年ほどしか経っていない。今更のように実感する距離感は否めない。とてもすぐに駆けつけられる距離ではないのだ。

 そして、公認されているとはいえ婚約の立場では夫婦よりも弱い。指輪を渡して、想い合っていると分かっていても、そう簡単に割り切れる想いではない。少なくとも春翔の親しい友人は、妹の雪乃が彼の婚約者だと理解しただろう。その為の牽制はしたつもりであった。


 ただ二人の関係を知っても、彼女に取り入ろうとする者は出るだろう。いくら聡いとはいえ、まだ十代であり、人の心は移ろいゆく。それは、匠自身の経験談でもある。

 普遍なモノはないと知っているからこそ、絆を結びたがると。【月野ゆき】の著書にもあった一節が思い浮かぶようだ。その語彙力は確かなものであり、今も書き続ける彼女は尊敬に値する。自身が恵まれた境遇であると自覚し、その心根は実に穏やかだ。猛者に囲まれれば損な性格に見えるが、紡ぎ出す声色には感嘆すら覚える。言葉に魂が宿るとはよく言ったものだと、再認識させられていた。

 

 欲しい本を店員に自身で聞いているし、その表情からも理解していると分かる。書籍を手にする横顔に、幼い頃の記憶が重なる。蔵書数が多い藤宮家の書庫をほとんど読破したと知った時は驚いた。まだ小学生の彼女が習っていない漢字や単語が数多くあったからだ。辞書やスマホを片手に読み進めたにしても、その速度は感嘆に値する。暇さえあれば活字を読むようにしている彼だからこそ、知らない単語を調べながらの速度を分かっていたのかもしれない。


 「ーーーー雪乃」

 「匠さん……これ、読んだことある?」

 「あぁー……雪乃は意外とミステリーが好きだよな」

 「うん……いつまでも色褪せないから……」

 「そうか……」


 その言葉に重みがあると感じたのは、彼が正しく理解していたからだろう。

 自身の紡いだ作品にも読者がいる。それは喜ぶべきことであるが、同時に継続される難しさを知ることでもあった。いくら自信のある作品を世に出したところで、読んで貰えなければ意味がない。自己満足の完結になってしまうだろうと、簡単に想像がつく。ただ、それで終わりになるかは読み手次第だ。自身の過小評価は関係ない。多くの人に読まれなければ、使い捨てられていくようだと分かっていた。ランキングに載る度に思うのは、これが低ランクだったらと過ぎる。読み手は自由に選べる。それこそ書籍を購入しなくとも、電子で読む事もできるのだから。


 「それが気になるのか?」

 「うん……」


 手に取られた一冊の本は、当然のことながら英語表記であり、日本語で描かれた部分は一つもない。ミステリーには普段使わない単語も使われていると、匠が知っているからだが、その横顔に迷いは少しも感じられない。現役で世界屈指の大学に合格しただけあり、その能力は桁違いだ。読めるとはいえ速読ができるのは、彼女のスペックの高さだ。それが随所に見られるからこそ、もっと主張するような性格であれば表舞台で活躍していたことだろうと、そう思わずにはいられない。それ程までに抜きん出ていた。


 何の心配もなく当たり前のように購入する姿は、日本にいた頃と少しも変わりはない。使う言葉が違うだけで、彼女にとってはごく自然な事であった。

 購入したての本を嬉しそうに見つめる姿に高鳴るのは、婚約者に限った事ではない。明らかに熱い視線を送る者もいれば、態とらしくぶつかりそうになる者もいた。微かな苛立ちとは対照的に阻むように肩を寄せれば、淡く色づく頬に愛おしさが増すばかりだ。


 素知らぬ顔で外に出れば、明らかに疑問符だらけの表情だ。この半年で随分と豊かさが戻った事に安堵する一方で、自身の知らない所で変わってく姿にはどこか寂しさが滲む。春翔の結婚式でも感じた独占欲の強さを再認識させられていた。


 「…………匠さん?」

 「雪乃……他に行きたいところはある?」

 「いえ……あの……匠さんは……」


 優しい眼差しに思わず言葉が詰まる。何でも卒なくこなす雪乃の弱点は、いつだって彼であった。


 握られた手の温もりに高鳴りを隠せない。観光地を巡る間中繋がったままの右手から熱が広がっていくようだ。

 都心部らしい高層ビルから望む夕暮れは、摩天楼と呼ぶに相応しい景色だ。初めてではない場所も、婚約者と共に初めて訪れたというだけで映る景色が変わる。彼女の胸中は目まぐるしく変化していた。数えるほどしかない貴重な彼との時間に、伝えるべき言葉はない。告げた言葉は本心であったし、ずっと秘めていたモノだったが、それだけで足りるような想いではないのだ。

 本音をいえば、ぎゅっと抱きしめて欲しいし、抱きしめていたい。はじめての感情に振り回され気味になりながらも、口にした言葉に彼は嬉しそうにしていた。それだけで胸がいっぱいになり、心が穏やかになるが、それだけで足りるものでもない。


 隣で眺める景色に、瞳を瞬かせる横顔に視線が集まる。背筋の伸びた彼女は、婚約者の贔屓目なしに美しい。

 彼を見上げれば、柔らかな表情に自然と綻ぶ。この半年間の距離が埋まっていくようだ。


 待ち合わせしたレストランで夕食を終えれば、匠と二人きりの空間だ。広い部屋とはいえ、数分前までの賑やかな雰囲気とはほど遠い。部屋に入るなり背後から抱きしめられ、微動だにしないのだから。


 「ーーーーっ、匠さん……」

 「ん?」


 素知らぬ顔で腕に力を込めるずるい大人に、上目遣いで睨んだ所で可愛さが増すだけだ。無自覚な雪乃にその思考は皆無だが、側から見れば愛理たちに負けず劣らずのバカップルである。


 「…………あの……近くない、ですか?」

 「そう?」


 思わず敬語になってしまうほど、寄り添っている。彼女から離れようとしないのをいい事に近づいたとも言えるが、そばにいる時間は限られている為、躊躇っている場合ではない。

 学生の半年は貴重な時間だと自覚はある。だからこそ、後悔はないと言い切れた。とはいえ感情はまた別だ。いくら最良の選択であったと分かっていても、遠距離に抵抗がなかった訳ではない。ただ婚約者だからこそ、大丈夫であると、何の確証もなしに信じていたのだ。


 「…………匠さん……月が、綺麗ですね……」


 遠い記憶が目の前で蘇る。あの幼かった少女は知っていて口にしたのだと。


 「あぁー…………雪乃と見てるから、かもね」


 曖昧さを残したまま口にした言葉は、仮に覚えていたとしても頭の片隅にしか残っていないと思っていた。歳の差は今よりも大きく感じていたし、叶うはずがないと分かっていた。兄の友人であり、本家にまで招かれるということは、それだけで婚約者がいてもおかしくない人物を指していたからだ。

 幼いながらも身につけた処世術により、自身の存在を正しく理解していた。自身に言い寄れば、口添えをしてもらえるのかと、態度を見れば明らかだった。何の力もない自身にまで媚を売る。親戚一同や身内を除く大人に対して、あまりいい感情を持てないでいた時期でもあった。


 「…………満月は……吸い込まれそうで……」

 「そうか……そうだよな……」


 都会を照らす眼下の灯りとは対照的に、静かに夜空を照らす月はまさに彼女のようだ。


 「……今も?」

 「ううん……前ほどではない、かな……」

 「そうか…………俺には今も、眩しく感じるよ……」


 そっと頬に触れる指先に意図が伝わる。いくら比喩的表現を使ったところで、意味を感じ取れないはずがない。


 「…………本当に……」

 「あぁー……」


 頭の片隅に追いやったのは自身だ。初恋の想い出として十分だと言い聞かせ、気づかないふりをした狡さは知っていた。返事はなくていいからと告白してきたにも関わらず、見返りを求められることは多々あった。自身に覚えがなくとも、好意から優遇されていたと知り、いつしか愛想を振り撒くこともなくなっていったのだから。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ