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第64話 同じ月を見ていた

 名残惜しそうに抱きしめられた感触が残り、何処か夢見心地のまま家を出た。


 「雪乃ちゃん!」

 「杏奈さん……」


 エントランスに向かえば、春翔の家に泊まっていたであろう杏奈も同じようにエレベーターから降りてきた所だ。


 「……今日は、どちらに?」

 「ふふふ、着いてからのお楽しみね♡」


 陽気な口調が親友と重なって映るが、雪乃にとっては義理の姉になる人だ。自身が平均身長より高めだからだろう。小柄な杏奈は愛理のように可愛らしく、とても八歳も離れているとは思えないほどに若々しい印象である。


 「本当、雪乃ちゃんはスタイルがいいから、着せ替え甲斐があるね♡」

 「あの、杏奈さん……まだ、買うんですか?」

 「当たり前でしょ! 向こうにも持って行ってもらうんだから!」

 「はい……」


 勢いに負け着せ替え人形化した雪乃も、さすがに持ちきれない紙袋からそっと目を逸らした。


 散財しない主義というが、明らかに散財しているだろう。自身で稼いだお金をどう使うかは彼女の勝手だが、兄と近しい着飾りっぷりであるし、最近で言えば匠の母とのショッピングが思い出された。


 「雪乃ちゃん、次はあっちの店に行くよ」

 「はい」


 手を引かれ、素直に頷き着いていく。義理姉とのデート自体は楽しみにしていたし、今のところ雪乃に拒否権はないに等しい。仮にあったとしても身内に対する甘さが出て、今と変わらずに従っていただろう。


 お目当てのショップを巡り終われば、紅茶専門店でひと休みだ。雪乃が紅茶好きだと知ってのチョイスだが、彼女自身も自宅でティーバッグを使用して飲む事は多い。


 「いっぱいあって迷うね」

 「はい……ダージリンだけでも何種類もありますからね」

 「うーーん、季節限定のにしようかなーー」

 「美味しそうですよね」


 春を先駆け緑茶をベースにしたお茶と、青い水色すいしょくの紅茶がそれぞれ置かれ、テーブル中央にはアフタヌーンティーの三段タワーが提供されれば思わず声が出る。食事系からスイーツ系まで、女子が好きそうな映える料理が盛り付けられていた。


 「美味しいですね」

 「ねーーっ、久しぶりに来たけど、やっぱりいいよね」

 「はい」


 相変わらずの敬語ではあるが、その表情は柔らかい。杏奈を本当の姉のように慕っているからだろう。匠ほど昔からの知り合いではないが、兄が【婚約者】と紹介したため強く印象に残っていた。


 「杏奈さん……」

 「ん? これも美味しいよ?」

 「はい……あの……これから、お義姉ねえさんと、呼んでもいいですか?」

 「勿論! 雪乃ちゃんが呼んでくれたら、嬉しい♡」

 「ありがとうございます……お義姉さん……」


 少し緊張した面持ちながらも、きちんと目を合わせて告げられれば、杏奈でなくとも抱きしめていただろう。アイスブルーの瞳は兄とよく似ている事もあり、出逢った当初を思い起こさせる。


 「ふふふ、やっぱり兄妹だね」

 「そうですか?」

 「うん、似てるよ。雪乃ちゃんの方が百倍可愛いけど♡」

 「もう、お義姉さん……」

 「結婚式で会えるの楽しみだなぁーー♡」

 「はい」


 素直な反応に婚約者の苦労が目に浮かぶようだ。自身の結婚式を喜んでいる義妹は可愛らしくも美しい。立ち姿や所作が綺麗な所は、特に春翔とよく似ていた。歳の差を感じさせない洗練された美があるといえる。


 ショッピングが再開され、戸惑う雪乃を振り回す杏奈は嬉しそうだ。

 たとえ自身の本音だったとしても社交辞令的にとられ、口約束で終わる事もある。学生の頃よりも時間の有限さを感じずにはいられない。だからこそ素直に受け止め、日本を離れる前に約束を果たす律儀さに綻ばせていた。


 実際に断る選択肢は最初からなかったのだろう。雪乃にとって杏奈はすでに家族の一員であり、尊敬すべき女性でもある。たとえ執筆で忙しかったとしても、時間を見つけて有言実行していたはずだ。

 ただ雪乃にとっては当たり前の事であり、今も楽しそうに笑みを見せる。


 「あっ、春翔が迎えに来るってーー」

 「春兄もお義姉さんとデートしたかったのかもですね。今日は私が独占しちゃいました」


 表情の豊かな雪乃を振り返る人は多く、春翔が溺愛するのも無理はないと悟る。杏奈でさえ心配になるのだから、婚約者はもっとヤキモキさせられる事だろう。


 「杏奈ーー、雪乃ーー」


 春翔が手を挙げ、車に乗るように促す。助手席に杏奈が座るのかと思いきや、後部座席に雪乃と並んで腰掛けた。定位置の助手席には、持ち帰った荷物が乗せられていた。


 「いいのは見つかったか?」

 「うん♡」

 「妹を着飾るのは俺の特権だったんだけどな」

 「ふふふ、いいでしょーー♡ 雪乃ちゃん、スタイルがいいから洋服が映えるよね」

 「だろ?」


 調子のいい兄には溜め息が出そうだが、仲睦まじい様子に笑みを浮かべる。素の兄が見れるのは彼女だからであると、雪乃にも分かっていた。


 春翔の家に直接向かえば、ダイニングテーブルにはシェフが作ったであろう和食が並ぶ。


 「おかえり」

 「ただいま……」


 婚約者のエプロン姿と見慣れた食器で手作りだと分かる。品数の多さからも休日にも関わらず、手間暇かけて作ってくれたと一目瞭然である。


 「うわっ、美味しそう!!」

 「本当、匠は凝り性だな」

 「春翔には言われたくないけど」


 自身の親友と同じような関係性に思わず綻ぶ。大人になっても続く関係は羨ましくもあり、何処か懐かしさを感じる。学生時代が思い浮かぶようだが、それは匠にとっても同じであった。満月の夜に交わした言葉が胸を焦がすようだ。


 「ビールにするか?」

 「あぁー」 「うん♡」


 目の前で繰り広げられる会話に歳の差を感じながらも、兄から手渡されたジンジャーエールに微笑む。飲み物は違えど同じグラスに注がれていた。


 雪乃だけでなく初めて口にした杏奈も上機嫌だ。美味しい料理とお酒に箸が進み、杏奈に至ってはすでに笑上戸である。


 「んーー、今日は楽しかったなーー♡」

 「お義姉さん、ありがとうございました」

 「ふふふ、また行こうね!」

 「はい」


 穏やかな会話をしていたはずの杏奈が、隣にいた春翔の肩に頭を乗せた。悪酔いはなく安心しきった様子で眠る横顔は気が緩んだ証拠だろう。


 片付けを済ませ部屋に戻れば、こちらも距離が近い。雪乃から微かに緊張感が漂うが、会話を続ける社交性を発揮していた。


 「匠さん、ごちそうさまでした……とても美味しかったよ」

 「よかった……一人で作るのは久しぶりだったからな」

 「そうかな? 受験前にも作ってくれたよ?」

 「簡単なものだけどな」

 「ううん、どれも美味しかったよ」


 ソファーに並んで座った距離は、先程までよりも明らかに近い。ぴったりと寄り添っている為、微かなアルコールが香る。


 「杏奈さんとのデートは楽しかった?」

 「うん」

 「それならよかった」

 「ちょっと、春兄のようだったけど」

 「あぁー」


 自宅に届くであろう荷物の量は不明だが、車に積み込んだ紙袋の数で春翔と同じような事態になったと、簡単に想像がつく。ただ自身にも覚えがある為、強く否定は出来ない。彼女を着飾る事ならば、匠も負けず劣らずである。


 顔色を変えず話を続ける彼に向けられるのは、澄んだアイスブルーの瞳だ。婚約者の大人な姿は憧れの対象でもあった。


 不意に寄せられた唇がチュッと、可愛らしい音を立てて離れていく。一瞬の出来事に瞬かせる隙もない。


 「…………雪乃?」


 肩が微かに揺れ、顔を覗き込む瞳と合えば真っ赤に染まる。誰から見ても分かるほどに上気した頬が愛らしく、呑み込まれそうになるのは匠の方だ。指先でそっと触れれば、潤んだ瞳が向けられ眩暈がしそうである。


 「…………匠さん……あの……」


 遠慮がちに袖を握り、言い淀みながらもまっすぐな瞳を向けるが言葉にならない。


 「……………………綺麗だな……」

 「……うん…………」


 逸らされた視線の先には満月が浮かんでいた。


 「……いつかの……満月のよう……」

 「あぁー……」

 

 即答され、幼い頃の記憶と重なり脈を打つ。


 「…………月が綺麗ですね」

 「……うん…………私と……ずっと、一緒に月を見てくれますか?」


 瞬かせたかと思えば次の瞬間、彼の腕の中にいた。


 「……あぁー……」


 抱き合った背後から覗く月に微笑む。あの頃とは違い、触れ合う距離が現実になったと実感する。


 ーーーーーーーー同じ月を、見ていたんだ……


 「……匠さん……」

 「ん?」


 並んで見上げた夜空と温もりに口にすれば、優しい瞳が映る。先程とは違い匠の驚いた表情に、雪乃が愛らしい笑みを浮かべる。


 重なった唇が名残惜しそうに離れていくさまは、今の二人のようでもあった。日本を離れる日が、すぐそこまで来ていた。

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