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第63話 捩花

 『ただいま』


 揃って告げて微笑み合う。


 婚約披露パーティーが終わりひと段落ついたが、雪乃にとってはこれからが新たな生活の始まりである。

 向こうでは藤宮家所有のマンションでの暮らしになる為、一人暮らし経験のある彼女にとってはさほど支障はないだろう。少なくとも生活面において不安はないが、彼と離れ難くなる一方である。受験を決意した頃よりも募っていく想いがあり、それはとても一言では言い表せないでいた。


 「……お茶にしない?」

 「あぁー」


 ティーポットを持って尋ねる雪乃は今までにも何度もある。紅茶好きの彼女が淹れると、自身で淹れるよりも美味しく感じた。基本に忠実な二人の腕にそこまでの差はないが、婚約者補正がかかっているからだろう。いつもと同じはずのセカンドフラッシュも、いつも以上に高貴な香りが広がっていくようだ。


 「……美味しい……」

 「よかった……お菓子も美味しいよ」

 「あぁー」


 広々としたソファーに並んで座り、穏やかに会話を交わす。今までと何ら変わりない雰囲気とは違い、雪乃の心情は揺れ動いていた。


 詰められた距離感は今に始まった事ではない。仮でも婚約者になった時から、彼は本当のように接してきたし、彼女自身も甘すぎる彼を自覚していた。ただ知らなかった頃には戻れないだけだ。


 「どうした?」

 「い、いえ……」


 形のいい唇を見ていた事に気づかれたと思い、喉を潤して誤魔化した。


 愛理たちが雪乃に近いものがあると感じていたとはいえ、経験値は彼の方が高く、歳の差の分だけ知識もある。

 微かに染まった頬は愛らしく、衝動にかられながらも留めた。いくら想い合っているとはいえ、尊重し合ってこその関係である。そうでなければ簡単に崩壊するだろうと、今までの経験からも分かっていた。


 「……卒業式は、今も後輩から花をつけてもらうのか?」

 「うん、そうだよ……私は部活に入ってないから、生徒会の子がつけてくれる予定なの」

 「そうか……懐かしいな……」

 「匠さんの時は、すごかったって聞いたよ……」

 「春翔から?」

 「ううん、先生から」

 「先生?」


 今も語り継がれるとは知らず、聞かされれば驚愕の事実だが、自身の事のように誇らしげにされれば抗いようがない。微笑まれる度に内心では気がきではないと、独占欲が疼く。


 「ネットの方は更新されてたんだな……」

 「うん、前もって投稿予約ができるから……匠さんに読まれてるって思うと、少し緊張するけど……」

 「雪乃の前では読まないようにしてるだろ?」

 「うん、ありがとう……」


 数々の賞を総ナメする彼女であっても、婚約者に面と向かって読まれる事には抵抗があった。今更ではあるが、全てを曝け出すような感覚があるからだ。

 感想を伝えられる事自体は幼馴染にも毎回のようにされている為、抵抗感は若干薄いが、それでも親友と彼とでは大きな違いである。


 「……雪乃の書く文章は、人を惹きつけるな……」

 「そう、かな……」

 「そうだよ」


 はっきりと告げられ、微かに頬が染まりながらも曖昧に微笑む。そうあって欲しい願いと、現実は違うものであると、自身がよく分かっていた。


 「本当だよ」

 「うん……」


 真剣な眼差しに素直に頷く。彼のことは信用しているし、率直な意見は有り難いが、時折り過ぎる感情は常に隣り合わせだ。誰に否定された訳でも、評価が悪かった訳でもない。ただ彼女自身の問題であり、欠点でもある。締め切り前に焦る事がないにも関わらず、感情の面では押し寄せてくる焦りがあった。


 たくさんの人に読んでもらえることは嬉しくて……言葉にならない…………ただ、匠さんが言ってくれるような物語を書き続けていけるか……


 消極的な思考が見え隠れする度、このままでは駄目だと自身を奮い立たせてきた。藤宮家の一員として恥じない生き方をしてきた自負はあるが、作品についてはまた別の話である。

 自身が投影されたような言葉で紡がれ、書籍とは違う媒体となって世に広がっていく事もあった。携わってくれた多くの人に感謝しかない。新人賞を受賞した【月野ゆき】は、数々のメディアにも取り上げられる話題の作家だが、顔出しをしていない事もありペンネームでしか彼女を示すものはない。映像化するにあたって監督や一部の演者と挨拶を交わした事はあるが、素性が外部に漏れる事はなく、この三年ほど活動してきた。


 「ネットはこれからも更新する予定?」

 「うん、向こうでの生活に慣れたらね。リモートでも活動はできるから、執筆ペースは落ちるかもしれないけど……続けていくつもりだよ」

 「そうか……楽しみだな……」


 口にされた言葉に脈を打つ。上手く表現できるようにと葛藤した日々が、報われたような瞬間だ。


 「……匠さん…………」

 「どうした?」

 「…………続けても、いいの?」

 「あぁー、当たり前だろ?」


 即答され、瞳を瞬かせる。

 一條の家督を継がないとはいえ、彼は社長職につき、社員の生活を担っている。それを支えるのが妻の役目であると、両親を見て知っていた。


 「勿論、一緒に参加してもらう会食とかパーティーが、これからはあるかもしれないけど…………雪乃、覚えてる?」

 「えっ?」

 「俺はイチ読者だよ?」

 「あっ……」

 「楽しみにしてるから」

 「……うん……」


 すんなりと心に響く言葉は、本心だと伝わるからだろう。


 「……ありがとう……」


 微かに染まった頬に手が触れれば、熱を帯びる。肌を重ねたからといって、急に縮まる距離感には慣れそうにない。


 「……匠さん……」

 「どうした?」

 「面白がってるでしょ?」

 「いや……」


 ジト目で睨んだところで、上目遣いが愛らしいだけで逆効果だ。さらに笑みを深められ、ぎゅっと抱き寄せられれば敵わない。


 「……本当、敵わないな…………」


 感慨深そうに呟かれても、敵わないのはこちらの方だと抗議したい所だ。頭に浮かぶ疑問に彼が答えをくれる事はなく、ぴったりと寄り添ったままの距離感に加速する。


 「……三年か……きっと、雪乃にとって貴重な学生生活になるよ」

 「うん……」


 揺れる瞳に映るのは、変わらずに愛おしそうに見つめる熱っぽさを孕んだ彼だ。


 「あーー、明日は杏奈さんとデートか……」

 「うん、夕飯は春兄が一緒に食べようって言ってたよ」

 「そうだったな」


 綻ばせる婚約者は愛らしい事この上ないが、自身がさせていないとなると面白くはない。藤宮兄妹の仲の良さは以前から知っていたが、だからこそ思うところはある。ただ、それを匠が悟らせることは無い。


 ソファーに並んで座り、穏やかな会話を続ける。

 映画を見ながらいつの間にか寝落ちした彼女に、肩の重みで気づいた。


 大々的に行われた婚約披露パーティーは、祖父の意向があったとはいえ、予算だけでなく招待客の人数も桁違いであった。挨拶する度に驚かされたのは、その記憶力だ。写真と名前が記載されていたとはいえ、たった二日で全てを覚えていた事に驚嘆である。

 作家として活動する中で、大人と接する場面はいくらでもあっただろうし、記憶力がいいと知っていたが、想像を遥かに超える回転の良さであった。


 「ーーーーーーーー雪乃……」


 甘さの孕んだ声が思わず漏れる。安心しきった横顔と柔らかな感触に高鳴りながらも、そっと横抱きにしてベッドに下ろせば、暖をとるかのように抱きついてきた。


 「…………本当……」


 あまりに甘い誘惑だが、寝込みを襲うような真似はしない。無防備な彼女の唇にそっと触れ、抱きしめ返せば心も温かくなっていくようであった。




 温もりに吸い寄せられるように抱きつけば、背中をなぞる優しい手があった。


 婚約披露が終わってからも、雪乃の生活に特に変わりはない。受験が終わり執筆に充てられる時間は増えたが、特段に増える気配はなかった。それは彼との時間を最優先にしているからだ。早朝の執筆は続けていたし、自身にその自覚がなくとも、婚約者は彼女の気遣いを分かっていた。再会当初は遠くに聞こえていたキーボードを打つ音が、今はすぐ側で感じる。縮まったのは、何も物理的な距離だけではないのだ。


 「…………寝ちゃったんだ……」


 昨夜を思い出し、抜け出そうとしても腕が緩む気配はない。少し幼さを感じる寝顔に婚約者の特権を感じながら微笑む。


 なんだか……ふわふわして、落ち着かない。

 志望の大学にも受かって、これから……また新しい生活が始まる。

 ただそこに、匠さんはいない…………再会した当初は、こうなるなんて想像すらしていなかった。

 

 隣で眠る胸元に額を寄せれば、ぎゅっと抱き寄せられる。さすがの雪乃も気づいたのだろう。熱視線を送れば、諦めたように瞼が開かれた。


 「…………おはよう」

 「おはようございます…………起きてたよね?」

 「ん? それより、準備するだろ?」


 素知らぬ顔で言われれば、頷き返すしかない。自身が無意識にとった行動を責められるよりはマシであった。

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