第60話 ハニーメモリー①
「さらに磨かせていただきますね!」
「……お願い致します……」
張り切るエステティシャンにたじろぎながらも、表情を変えずに微笑む。昨夜と同じ女性に全身くまなく磨かれ、肌のコンディションは抜群だ。部屋で朝食を終えると、昼から行われる婚約披露パーティーに備え、昨日と同じ部屋にいるのは雪乃だけだ。
朝食を堪能した後は、同じ室内にいるが別々の場所で身支度が行われていた。
愛想笑いを浮かべながら応える度に施術する手が止まるが、何とか肯定通りに終わり、エステティシャンも安堵の息を着く。
「ーーーーいかがでしょうか?」
「わっ……ありがとうございます……」
さらに磨きのかかった雪乃にプロのメイクが施され、美しい女性が鏡に映る。匠と選んだ服に身を包み、髪もハーフアップに整えられ、彼の隣に並んでも何ら不自然さはないだろう。もともと人目を引く雪乃に一流品のオプションが付いて、美しくない訳がない。慣れているはずのスタッフが染まる程に破壊力抜群である。
リビング仕様の部屋に戻れば、スーツ姿の匠がペットボトルを片手に寛いでいた。
「ーーーーーーーー匠さん……」
振り向かれ視線が交われば、お互いに見惚れていた。パーティーの類で見慣れているはずの格好にも関わらず、相手が婚約者というだけで違う。
二人きりになった空間に雪乃の照れた様子が見てとれるが、それは匠も同じであった。見惚れる自身に気づき、染まらないはずがない。
「…………雪乃……綺麗だ…………」
「ーーーーっ、あ、ありがとう……」
抱き寄せられ、速まる心音を持て余しながら応える。
「…………キスしたいな」
「!!」
耳元で囁かれた本音に真っ赤に染まり、思わずぎゅっと瞼を閉じれば、耳に触れる感触に揺れる。視線が合えば、嬉しそうな彼に言葉にならない。
「本当、可愛いな……」
崩れないように配慮されながらも、腰を引き寄せられ腕の中だ。
「今日はよろしくね」
「はい」
改まる口調を微笑まれ、差し出された腕に手を伸ばす。
ホームパーティーとの規模の違いも、招待客の多さも、この場を設けた意味も理解していた。
大々的に発表してこそ雪乃に取り入ろうとする輩は減るだろう。また匠に関しても、あわよくば社長の妻の座を射止めようとしていた輩も減り、一條家と藤宮家の仲も周知の事実とかすだろう。
聡い彼女が策略に気づかないはずがないし、匠も分かっているからこそ冬時の提案を受け入れたともいえる。
「ーーーーーーーー緊張してる?」
「はい……」
素直な反応に微笑ましい視線が向けられ、言葉に詰まる。
「…………でも……匠さんが一緒だから……怖くはないです」
「あぁー……俺も、心強いよ」
まだ学生の彼女が自身をよく理解していた。藤宮の名は絶大であるが、それだけだ。彼女に差し出せるものはないに等しい。それが彼の本音であったとしても、そのまま受け止めるような彼女ではない。婚約者として隣にいたいならば、最近では行なっていなかった礼儀作法は必須であるし、社交もしなくてはならない。学生だからと免除にはならないのだ。
「……行こうか」
「はい」
はっきりとした口調で応えた彼女の横顔は眩しく、頼もしくもあった。
重厚感のある扉が両サイドからスタッフの手により開けられれば、煌びやかな舞台が整っていた。
正月に参列する親族及び関係者や愛理たち幼馴染を除けば、会社として交流のある者も一定数参加している。藤宮家と懇意にしたい者は多くいるが、私利私欲まみれの者を招き入れるような事はない。その辺りは抜かりなく冬時や匠によって選別されていたが、それを雪乃が知る事はない。
「おおー、二人とも美しいな」
『ありがとうございます』
真っ先に話しかけてきたのは他でもない冬時だ。揃って応える姿に満足そうに頷く。
この場を設けた祖父が司会進行役だ。今回の趣旨を表す最適者だが、会場は一気に騒々しくなる。公の場に出る機会の少ない冬時と、懇意にしたい者が後を絶たないからだ。
生花で飾られた席に着けば、参加者の視線が集まる。それは多種多様だ。ほとんどが祝福を送る中、やりきれない想いを抱いている者も少なくない。選別が行われたとはいえ、二人に好意を抱く者については対象ではなかったからだ。そこまで絞ってしまえば参加人数は減り、披露する意味が無くなってしまうだろう。とはいえ選別されている為、不機嫌さを隠せない者は少ない。雪乃に対する想いが減っている事もあり、表情に出ているとすれば、匠に好意を寄せていた取引先のご令嬢くらいである。本人は隠しているつもりかもしれないが、年長者には通じない。この場においては不適切だが、それもある意味では若さ故かもしれないと、穏やかに微笑む冬時が脳内でリストを作成しているとは思いもしないだろう。察していたとすれば、主に藤宮家と縁が強い者達だ。
「前途ある二人に乾杯!」
『乾杯!!』
結婚披露宴のような豪華な造りだが、料理はブュッフェ形式だ。本日の主役である雪乃と匠は、招待客に挨拶をしながら歩いていく。彼女はしっかりと腕を掴んでいるし、彼も穏やかな表情を見せている為、誰が見ても相思相愛だと分かる。
「一條社長、おめでとうございます」
「ありがとうございます」
スマートな彼の隣で微笑めば、分かりやすく上気する取引先が大多数だ。相手が藤宮家のご令嬢だと公になり、納得するしかない。
引退したとはいえ、今も多大な影響力を持つ冬時が司会進行役をしていた。その事実だけで、染まった色が一気に冷めていく。粗相があって損するのは招待客自身である。
「本日はご参列いただき、ありがとうございます」
「匠くん、おめでとう……楽しませて貰っているよ」
「それは光栄に存じます」
ワイングラスを片手に陽気な口調で応える男性に、見覚えがあった。雪乃は参列者のリストを完璧に把握しているが、詳細に書かれた情報をたったの二日で覚えたのは驚異的である。ただ彼は幼い頃に挨拶した相手の為、覚えていたのだ。
「芹澤さま、いつも匠がお世話になっております」
「これはご丁寧に……雪乃さんと会うのは、誕生日パーティー以来になるかな?」
「はい、ご無沙汰しております。お元気でお過ごしでしょうか?」
匠の隣で年長者に臆する事なく話しかける姿は流石である。雪乃がまだ学生だとは誰も感じなかっただろう。
次々と挨拶を交わす度に惹かれている者が全くいない訳ではない。幾ら厳選された面子が揃っているとはいえ、感情まではどうにもならないのだ。今も芹澤社長の秘書を勤める息子が一目惚れした瞬間が見てとれるが、当の本人は気づいていない。
「どうかされましたか?」
「いえ……」
凝視されていると気づき、具合でも悪いのかと疑問に思う辺りが彼女らしさかもしれない。
そもそも藤宮や一條家と関わりのある年長者は、一筋縄ではいかない者が大多数だ。その多くが敏腕経営者であり、人を見る目がある。観察眼が鋭く、決断力もあり、最適解を導く速さが尋常ではない。そして、それだけではなく恐ろしく嗅覚も優れている。勘を働かせ取り引きする事もあるが、ただの当て勘ではなく長年の経験からくるものだ。些細なミスが許されない職に就くからこその判断力ともいえる。
経験の差は埋まらないが、そのような猛者であっても匠や春翔は敵に回したくない部類に入る。そう思う者がいる一方で、おこぼれに預かれるならと悪知恵を働かせる者もいるが、この場においては不釣り合いな事もあり排除した流れとなった為、招待客には含まれていない。
時折、初々しい反応を示すのは若輩者に限るが例外もいる。
『匠さん、雪乃、おめでとうございます!』
『ありがとう』
彼女の幼馴染が揃えば一気に若々しさが増すが、礼儀作法は完璧なため少しも違和感はない。ただ言葉づかいに限っては、態と崩しているのだろう。騒ぎ立てる訳ではないが目立たせているのは、少しでも緩衝材になればと思っての事であり、彼女自身もその優しさを理解していた。
「またおいでね」
『ありがとうございます』 「ふふふ、楽しみにしてます」
「あぁー」
当たり前のように交わされる会話に雪乃が綻べば、思わず視線が釘づけになる。容姿端麗な人と対面する機会が多いはずの人々にも関わらずだ。
「雪乃、これ美味しかったよ」
「うん、ありがとう」
愛理から手渡された皿には、ローストビーフに温野菜やガレットが乗っていた。幼馴染の好物に親友が野菜を足したと分かるチョイスだ。
素直に口に運ぼうとして彼にフォークを差し出す。
「いいのか?」
「はい、愛理たちが選んでくれたので美味しいですよ?」
「あぁー、ありがとう」
ひと通り挨拶を終え、ようやく食事にありつけた二人の仲睦まじい姿に微笑ましい視線が向けられていた。