第6話 星空ランデブー②
採れたての海鮮や和牛に、新鮮な野菜はどれも絶品だった。二時間ほどバーベキューを楽しんだ一行は、それぞれのコテージに分かれていた。
「着いた時も思ったけど、広いね」
「はい……」
また単調な口調に逆戻りだ。三棟並ぶコテージといっても、一つ一つの敷地が広いため離れている。スマホで呼んでも、すぐに駆けつけられない距離だ。
「……愛理……西園寺家、所有のホテルですからね」
「愛理ちゃんに感謝だな。おかげでホテル代が安く済んだ」
匠の意外な言葉に沈黙が流れる。
「どうした?」
「いえ……少し、意外でした……」
「あぁー、気にしなさそう?」
「……はい」
失礼に当たらないかと考えながらも、素直に頷く。
「そうだね……金銭感覚は、割とマシな方だと思ってるよ。藤宮家もそうでしょ?」
「はい……」
藤宮家では月額のお小遣い制だ。それに加え、身だしなみに必要な衣類は別経費だ。月額のお小遣いといっても、インドアな雪乃では毎回貯金できてしまうほど貰える為、この返答が妥当かは微妙な所だ。
雪乃が今着ているハイブランドのワンピースも、今年の春休みに愛理と色違いで購入したもので、お気に入りの一つだ。
散財はしないが、好きなものにはお金を惜しまない傾向はある。
「何か飲む?」
「あっ、私が……」
「座ってて」
白いソファーで待つように促され、戸惑いながらも腰掛ける。リビングにある広い窓は海に面しており、夜景が楽しめる絶好のロケーションだ。テラスには温泉やプールが完備され、小さな間接照明が高級感漂う雰囲気を演出していた。
「ありがとうございます……」
匠からティーカップを受け取り、その水色からも紅茶である事は分かる。
「……これ…………」
「あ、分かった?」
「はい……」
飲み慣れたセカンドフラッシュの味だ。キッチンを振り返れば、紅茶を淹れたあとが残っている。
「君が好きな紅茶だろ?」
「はい……」
…………どうして?
「どうしてだと思う?」
「えっ?」
見透かしたような言葉に、胸がドキリと鳴る。
再会してまだ二週間も経っていない。お互いの今を知る為に電話のやり取りは行っていたが、表面的な近況報告ばかりで好きなものについて話した記憶はない。
「ーーーー昔……お話したこと、ありましたか?」
「半分正解かな」
「半分?」
疑問が残るだけで返答にはなっていないが、匠は腕時計で時間を確認するとローテーブルにティーカップを置いた。
「それより、星を見に付き合ってくれるだろ?」
差し伸べられた手を握り返す。
女性の扱いに慣れているからか、匠はスムーズに雪乃を連れ出した。
匠の運転する車で向かったのは茅打ちバンタだ。周辺集落の灯りが若干あるものの、天の川がすぐに分かると言われる人気の天体観測スポットだ。
静かに夜空を見上げると、満天の星が瞬いている。
「ーーーー綺麗…………」
…………こんな、星空だったのかも……
「雪乃ちゃん?」
「い、いえ……」
小説に思考が傾きながら、小さく首を横に振った。
「…………一條さん、連れてきて下さって、ありがとうございます」
「俺の方こそ、ありがとう……君と見られてよかった……」
栗色の瞳がまっすぐに向けられ、波のように引いては押し寄せていく。
「…………私も、です……」
すんなり出た言葉は本心だ。思わず口元を手で覆い、自身の言葉に驚きを隠せない。
「ーーーー雪乃ちゃんは…………」
続く言葉の代わりに出たのは、至極真っ当なものだ。
「……そろそろ、名前で呼んでみない?」
「えっ……あっ、そうですよね……」
「それと、敬語も」
仮とはいえ婚約したというのに、雪乃は今も『一條さん』呼びに、敬語のままだ。
年の差はあれど対等な立場でいたい匠としては、名前呼びが妥当なのだろう。今日も婚約者以外からは『匠さん』と、呼ばれていた。彼女たちにとって苗字で呼ぶ事の方が少ないのは、パーティーで挨拶をする際に名前を呼ぶ事がほとんどだからだ。『一條』と呼べば、一族全員が振り向いてしまうだろう。
こうした背景があるが、近年パーティーに顔を出してない雪乃にとっては関係ない事ではある。
「…………匠さん……」
「うん……雪乃ちゃん、寒くない?」
「は、う、うん……大丈夫……」
声を抑えて笑う匠に、頬を赤らめる。雪乃にとって名前呼びはともかく、敬語不要は中々のハードルのようだ。
「少しずつな?」
「はい…………」
すぐには変われず敬語に逆戻りだが、匠が気にする素振りはない。
「……あの、匠さん…………婚約者って、主に何をしたらいいんですか?」
「そうだなーー……休みの日に、デートとか?」
「デート…………」
黙ってしまった雪乃に、ハンドルを握りながら微笑む。
「そんなに、難しく考えなくていいよ。もっと気楽に。雪乃ちゃんのおかげで、俺は仕事に集中できてるし」
「はい……」
それは雪乃にも言える事だ。ひ孫はともかく、婚約者が出来たおかげで祖父から縁談の誘いはなくなり、執筆作業は捗っていた。
「…………週末は忙しい?」
「はい……」
「そうか……受験生だもんな」
「はい……でも、模試が終われば……」
「じゃあ、模試が終わったらデートしようね」
「はい……」
小さく頷き、窓の外へ視線を逸らす。時折感じる視線に、ぎゅっと胸が苦しくなった。
「ーーーーんっ…………」
…………知らない天井……
ベッドから勢いよく起き上がる。
日中の遊び疲れと車の揺れが相まって、眠ってしまったのだ。
……途中から、記憶がない…………
「起きた?」
「あっ、匠さん……私……」
「たくさん遊んで勉強もしたし、疲れたんでしょ。水、飲む?」
「…………はい」
バスローブ姿の匠からペットボトルを受け取り、喉を潤す。また視線を感じ、落ち着かない様子だ。
「雪乃ちゃんも外風呂、入ってきたら? 星が見えて綺麗だったよ」
「はい……」
水分補給をしても落ち着かないままだが、匠に促されるまま外風呂に直行した。
彼の言っていた通り、空には星が瞬き、波の音も聞こえる最高のロケーションだ。
西園寺家のホテルの中では、最近建てられたばかりで最高のグレードだ。『ホテル代が安く済んだ』というのは、あながち間違ってはいない。普通に泊まっていたら一泊何十万もする部屋を、格安で利用させて貰っているのだ。
格安利用は幼馴染の特権だが、場所により保有するホテルが違う為、ロケーションによっては藤宮家が保有するホテルに滞在する事もある。
「ーーーー綺麗……」
浴槽の淵に腕を乗せ、波の音を聞きながら広々としたお風呂に入る贅沢な時間だ。時間との戦いが多い雪乃にとっても、癒しの時間といえるだろう。それでも頭を占める執筆の割合が変わらないのは、さすがは売れっ子作家というべきかもしれない。
同じバスローブ姿でリビングに戻ると、グラスを傾ける匠がいた。
「あ、お疲れさま」
「お疲れさまです……」
匠の足元にくるように促され、素直に従うと、ドライヤーの音が響く。
「乾かさしてね」
「はい……」
長い指がさらさらの髪をすきながら乾かしていく。
「……なに、飲んでたんですか?」
「麦茶だよ。一応、保護者だからね」
「そうでしたね。普段はビールを飲まれるんでしたっけ?」
「あぁー、付き合い程度には。家にあるのはウイスキーが多いかな」
「美味しいですか?」
「んーーーー、面白いかな」
「面白い?」
「はい、前向いて」
話す度に振り返っていては乾かせないのだろう。まっすぐに座るよう促されたかと思えば、耳元に唇が近づく。
「紅茶と一緒で、ウイスキーも種類があるからね。ビールとかもそうだけど……今度、飲んでみる?」
「えっ?!」
声を出して笑う横顔に、頬が熱を帯びる。いつもクレバーな雪乃にしては大きな声が出ていた。
「ーーーー匠さんって……意外と、意地悪ですね」
「今頃、気づいたの? 春翔の友人なんだから、こんなもんだろ?」
「そうでした……」
顔を見合わせ笑い合う姿は、友人以上の関係のようにも見える。昼間のように客観視する者がいたなら、誰もがそう思っただろう。婚約者と聞かされても納得だ。
距離感が近づいたと感じたのは、雪乃の気のせいではない。匠は距離を縮めるために、保護者として参加したのだから。
「できたーー!!」
「愛理、うるさい」
「ちょっと、キヨ! 茉莉奈ちゃんに言いつけるわよ!」
「茉莉奈は関係ないだろ?」
朝食を終えると、また小テストが行われていた。親御さんの要望に応えるべく、タブレットに送られてきた問題がようやく終わったのだ。
「雪乃も風磨も解くの早すぎだろ?」
「そうか?」 「そうかな?」
「出た、学年ツートップ……」
「キヨ、次は負けないから」
「俺だって」
学内の成績は上位五位のうち四人を幼馴染が占めている。小テストを作成した匠も、彼女たちの応用力の高さに内心では驚いていた。
「みんな、よく勉強してるね」
「匠さん、そう思うなら、ご褒美が欲しいですーー」
「愛理、たかるなよ」
「えーーっ」
「今日は何も予定入れてないって聞いてたから、パラセーリング予約しといたけど、どうする?」
「行く、行くーー!!」
大喜びの愛理だけでなく、基本アクティブな風磨や清隆も乗り気だ。
「茉莉奈は大丈夫?」
「はい、やってみたいです!」
泳ぎが苦手な茉莉奈も嬉しそうに応え、清隆が穏やかに頭を撫でた。
「ラブラブは後でやって下さい」
「年がら年中のお前らに言われたくない」
「どういう意味よ!」 「どういう意味だよ!」
揃って応える姿に、雪乃が微笑む。それは久しぶりに幼馴染も見る心からの笑顔だった。