第58話 サプライズと心得
「雪乃、持って行くよ?」
「うん、お願いします」
切り立てのローストビーフを盛り付けた大皿が並べば、綺麗にセッティングされたテーブルに色とりどりの料理が揃う。ビュッフェ形式の為、人数分以上の量がそれぞれ用意され、婚約披露パーティーの打ち合わせでも発揮したセンスが光る。何気なく飾られた切り花やテーブルランナー、食器やカトラリーにまで統一感があり、そのままモデルルームになりそうな空間に仕上がっていた。
「早く食べたいな……」
「味見してたでしょ?」
「それは別腹。端っこでも美味しかったから、ちゃんとしたのが食べたいし」
「ありがとう……」
切り分ける際に味見したローストビーフのソースまでお手製だ。テーブルに並ぶ料理はどう見てもプロ級だが、下準備をしていたとはいえ、時間配分まで完璧である。オーブンレンジが鳴れば熱々のグラタンが完成し、ほぼ同じタイミングでインターホンが鳴った。
「春翔たちだな」
「うん」
直接玄関先のインターホンを押せるのは隣に住む春翔だけであり、杏奈と一緒に来ると簡単に想像がつく。
二人を出迎え、リビングに案内した所で再びインターホンが鳴った。今度はエントランスからの呼び出しで、こちらも示し合わせたように三人揃っての訪問である。
「うわっ、美味そう……」
「雪乃の手作り?」
「うん、約束したから……匠さんにも手伝ってもらって」
「ありがとう!」
思いっきり抱きつかれ、何とか踏み止まった雪乃も笑顔を見せる。
キッチン前のダイニングテーブルに料理を並べ、ソファーでも食べれるようにローテーブルにも花が飾られているが、生花が飾られるのは珍しい事ではない。ほとんどが貰い物だが、雪乃自身も花を生ける機会があるからだ。
「今日は来てくれてありがとう」
『乾杯!』
シャンパンを注いだワイングラスを持つ匠たちに対し、雪乃たち高校生組はソフトドリンクで乾杯だ。
「んーーーー、美味しい♡」 「幸せーー♡」
杏奈と愛理の同じような反応に綻ぶ。好みのものを作ったつもりでも、実際に口にするまでは分からない。特に杏奈は兄と婚約が内定するまで会った事すらなかったのだが、今となっては杞憂だったと分かる。自身が作った料理を褒めてくれる事はあっても、批判するような事はないと。
「えっ、ホワイトソースまで作ったの?」
「はい、匠さんにも手伝っていただきました」
「匠くんも料理男子?」
「いや、普段はそこまでじゃない。必要であればするくらいで」
「でも、出来るんでしょ?」
「人並みには?」
「匠さん、とっても上手ですよ? 前に作って貰った料理は、どれも美味しかったですし」
『いいなーーーー』
揃った声がそれぞれの婚約者に向けられ、視線が逸らされる。風磨だけでなく春翔も普段は料理をしないからだ。とはいえ、ひと通りは何でもこなせるハイスペックな持ち主の為、やれば人並み以上の出来栄えにはなる。ただ杏奈が食べた事が数える程しかないだけで。
「春翔さんは作れるからいいじゃないですか……風磨は壊滅的なんで」
「悪かったなーー」
「少しは匠さんとキヨを見習って」
「俺も?」
「うん、キヨも料理男子でしょ?」
「別にそこまでじゃ……」
ハイスペックな面子が揃うが、それぞれ苦手や得意な分野はある。ただ周囲に悟られる事は少なく、有能なイメージを保っていた。
「このワイン、美味しい」
「匠さんが選んだんだよ」
「さすが匠、センスあるよな」
「料理に合うだろ?」
「あぁー」
弾む会話に、穏やかな笑顔が並び、自然と綻んいく。食事を楽しみながら時間になればインターホンが鳴る。雪乃が頼んでおいた品が届いたからだ。
「荷物? 受け取ろうか?」
「ううん、受け取ってくるね」
無意識に敬語が外れる姿に微笑ましい視線が向けられるが、理由はそれだけではない。彼女が考えたサプライズを婚約者以外の面子は知っているからだ。
「匠さん、五周年おめでとうございます!」
『おめでとうございます!』 『おめでとう!!』
秘書の島崎とリビングに戻った雪乃にも驚きだが、その言葉の意味は瞬時に理解できた。社の五周年はさまざまな場所で祝われ、その度に娘を紹介したがる取引先が後を立たなかったくらいだ。だからこそ最低な理由をつけて偽りの婚約者に名乗りをあげたのだから。
「…………ありがとう……」
目の前に差し出されたホールケーキには『五周年おめでとう』と書かれたチョコレートのプレートが乗っていた。
「……知ってたんだな」
「はい、お祝いするのが遅くなってしまいましたが……おめでとう……」
「ありがとう」
思わず抱き寄せるだけに留めたが、二人きりだったなら口付けを交わしていただろう。
「あれから五年かーー」
「早かったな……」
「だよな……」
同い年の匠と春翔には共通の想い出が多々あり、苦楽を共にしてきたからこそ分かり合える部分がいくつもあった。多少の規模や立場の差はあれど大企業の息子に変わりはなく、だからこそ辟易するような大人の事情も幼い頃から知っていた。
家督を継がない匠にとって学生の頃に立ち上げた社が軌道に乗ったのは、間違いなく彼の裁量によるものだが、『運が良かった』と語られる場面が多い。謙遜ではなく彼の本心であり、規模が大きくなった今でも、そう思っている節がある。春翔にとっては妹と似た部分であり、彼の人柄を気に入っているのだが、それはまた別の話だ。
「……島崎もありがとう……」
「いえ、今日はお招きいただきありがとうございます……」
取り分けておいたプレートを手渡す雪乃を見て、ようやく量を理解した。いくら食べ盛りの高校生とはいえ多すぎると感じたのは間違いではなかったのだと。
「島崎さん、ご協力いただいてありがとうございます」
「いえ、良かったですね」
「はい!」
満面の笑みに免疫のない島崎は、それだけでやられ気味だ。いつもの有能さが薄れる様子に、匠が微笑ましげな視線を向ける。
三時間近く続いたホームパーティーが終わる頃、再びインターホンが鳴った。
「今度は俺が出るね」
「うん……」
肩に触れソファーを立つ匠に何ら不自然さはなく、驚いたのは雪乃だけだろう。お互いにサプライズを用意する姿が微笑ましいと、幼馴染も感じていたはずだ。
「ーーーーーーーー匠さん……」
特大のバラの花束が手渡され、アイスブルーの瞳が揺れる。
「雪乃、合格おめでとう」
「……ありがとう」
感激した様子に拍手する一同にも花束が手渡された。
『えっ……』
「みんな、合格おめでとう」
「これも、俺たちからな」
小ぶりな花束と共に同じブランドの箱が手渡される。
「ーーーー開けていいですか?」
『あぁー』 「うん♡」
顔を見合わせてリボンを解けば、お揃いのキーケースが入っていた。
「……イニシャル入り……」
「まさか俺たちまで……」 「ああ」
サプライズを仕掛ける側だと思っていた愛理たちにとって、驚きのプレゼントだ。
『ありがとうございます!!』
感激した様子で揃って応えれば、大人たちから微笑ましい視線が向けられていた。
「ーーーーサプライズは成功だな?」
「うん」 「あぁー」
想い合っての行動に揃って頷き、笑みが溢れる。これでサプライズは終わりのはずだが、兄から差し出された箱に驚いた様子が見てとれる。
「匠、雪乃。婚約おめでとう! パーティー、楽しみにしてるからな!」
『おめでとう!』 『おめでとうございます!!』
『ーーーーありがとう……』
こちらもリボンを解けば、お揃いのマグカップが入っていた。
「雪乃がブルーな? 匠だと思って持っていけよ?」
「……うん」
「マグカップが匠くんって……」
「おい、杏奈も乗り気だっただろ?」
「そうだっけ?」
仲の良いやり取りに微笑む。夫婦漫才的な乗りは愛理たちに限った事ではないのだ。
ひと足先に祝われ、満面の笑みが並ぶ。匠との再会がなければ今も見る事がなかったかもしれないと思うと、愛理が妬かないわけではないが、今も親友の笑顔に救われていた。
「雪乃、春からもよろしくね!」
「うん!」
抱き合う彼女に妬くのは匠も風磨と変わらないだろう。仲睦まじい姿は癒しでもあるが、明らかに堪能する確信犯な愛理に溜め息が出なくはない。
珍しい匠に春翔が笑みを浮かべたのはいうまでもなく、本心を語る事の少ない二人が、婚約者だけに見せる素顔を垣間見た気がした。
気づけば花が微かに香る室内で、大切な人たちに囲まれ実感していた。少しずつ変わっていった関係と変わらない想いが、確かにあることを。