第56話 咲き誇るなら
花が綻べば、必然的に視線が集まる。アイスブルーの瞳が柔らかに微笑めば、それだけで虜になるだろう。今もフォークを取り落としそうになったり、ストローで上手く飲めなかったりと、注意力散漫者が続出である。ただカフェといっても高級店の部類に入るため、慌ただしく音を立てるようなマナー違反はかろうじていない。
「……雪乃」
「匠さん、お疲れさまです」
「お疲れさま」
外行き仕様の敬語であるが、その声色には嬉しさが滲み出ていて微笑ましい。菫が思わず表情を崩してしまうほどに分かりやすい態度である。
匠に負けず劣らず雪乃も婚約者には弱い。彼の場合は敢えて告げないだけで確信犯だろう。愛らしい姿は独り占めしたい反面、見せつけてやりたくもなるのだ。
ごく自然に髪に触れながらも、悪い大人な息子に菫も呆れ顔である。
「楽しめた?」
「はい、菫さんにたくさんプレゼントしていただきました」
「そうか……」
微笑まれればそれ以上の文句はないが、母に対して思うところがない訳ではない。せっかくの休日である二人きりの時間を減らされた感は否めないが、それでも菫が自身の娘のように着飾りたい気持ちは理解できる為、本音を胸にしまい込んだまま手を振った。
名残惜しそうな母に溜め息を吐きそうになりながらも、激しく同感な想いも持ち合わせている為、何とも言い難い表情になっていたのは、致し方ない事かもしれない。
「ーーーーーーーー匠さん……どうですか?」
「…………綺麗だ……」
引き続き着せ替え人形と化した雪乃のドレス姿は美しい。着付け担当のスタッフまで染まるほどだ。
「……少し、二人で選んでも?」
「は、はい!」
深々と頭を下げてスタッフが退出すれば、ぎゅっと抱き寄せられていた。
「た、匠さん……」
「あーーーー、誰にも見せたくないな」
「…………どのドレスがいいですか?」
「迷うな…………どの色も似合うからな……」
真剣な眼差しで告げられ、思わず笑みが溢れる。ウェディングドレスを連想させるクリーム色のドレスも似合っているが、背中の露出度が気になるところだ。とはいえ、社交の場では珍しい光景ではないが、婚約者の事になると話は別なのだろう。
「最初のピンクベージュも良かったし……」
「…………はい……」
堅い言葉は膝の上で抱き寄せられているからだろう。首筋に触れる柔らかな髪と腰に触れる手に、ますます染まっていく。スタッフを追い出したのは独占欲の表れともいえる。
「婚約披露の前に、ホームパーティーするだろ?」
「えっ……いいの?」
「あぁー、約束してただろ?」
「うん!」
愛らしさ全開の笑顔に押し倒したい衝動を抑え理性を保ち、ドレス選びを再開する。自身よりも婚約者を優先する匠の大人な対応であるが、着替える度に見つめられては保てそうにない。
持ち前のスタイルの良さに一点モノのドレスが映えないはずがない。感想はドレスによって違うものの、どれも似合っていて迷うのが本音だ。大規模な婚約披露パーティーになるとはいえ、結婚式とは違いカジュアル感はある。自身のスーツは即決に近かったが、彼女のドレス選びは一つに絞る事が難しい。もちろん全て買い取る事も可能だが、散財と思われる事は避けたいのだ。
「雪乃はどれか気に入ったのあった?」
「迷いますね……久しぶりに着るので……」
「そうか……」
「匠さんは……どれが気に入りましたか?」
「どれも似合うから迷うな……すみません、最初のをもう一度試着しても?」
「はい、かしこまりました」
美男美女カップルはそれだけで眼福であり、色白の彼女に似合うモノを手配したスタッフのセンスが光る。一流ホテルならではだが、そこまでの指示に関わっていない二人にとっては悩ましい時間が流れる。ドレスだけに限らず、どれも一流のモノが手配され、その厳選された中から一つを選ぶというのだから、長考になるのもある意味では当然といえる。
再びピンクベージュのドレスに身を包んだ雪乃が試着室から顔を出せば、甘い視線と交わる。
「うん……綺麗だな……」
「ありがとうございます……」
少し照れた様子がさらに追い打ちをかけるが、ようやくドレスが決まり雪乃としては一安心だ。彼の好みは今までプレゼントされた服で分かっていたはずだが、それでも彼の一番を最初に当てられた事にそっと安堵していた。
「打ち合わせに戻られる前に、お写真をお取りしましょうか?」
「はい」
即答した匠の隣に並び手を伸ばせば、見つめ合う二人が手渡したスマホに視線を移す。ドキリと高鳴るスタッフを他所に、綻ぶ笑顔で収まっていた。
ホテル内の打ち合わせ場所に戻り、テーブルセッティングを選んでいく。大まかな花の装飾については相談済みの為、それに似合うテーブルクロス等の布製品の類だ。菫の言っていた通り、結婚式の準備に近いものがある。ただ式よりもカジュアルな装いになるだけで、招待客の面子からも華美になるに違いない。
「ーーーーこちらにします」
「かしこまりました」
ほとんど即決に近い雪乃の判断力はさすがである。自身のドレスとは違い、その場に相応しい色合いやデザインを選ぶ美的センスの良さは段違いだ。
「いい仕上がりになりそうだな」
「はい」
隣り合った席に座っている為、その距離は近いままだが雪乃から離れる事はないし、その逆は更にない。腰に腕を回し、自身の方に寄せるくらいだ。完全な個室でない事も要因ともいえるが、試着の撮影よりはマシなのだろう。雪乃が抵抗するそぶりもなく、会話は続いた。
「次の打ち合わせで最後になりますが、前日から二泊三日のご宿泊でよろしいですか?」
『はい』
冬時の計らいによりパーティー前後に宿泊する手配がされていた為、素直に甘える事にしたのだ。自宅からでも近い距離だがヘアメイクやエステ等至れり尽くせりの待遇に、数少ない婚約者とのお泊まりも相まって断る理由はない。もちろん費用は自分達で賄うつもりでいたが、『年長者の好意は受け入れるものだ』と押し切られれば、断れるはずもない。そもそもパーティー自体が冬時たっての希望の為、無下にはできないし、顔見せの意味合いはよく理解していた。
エスコートされるまま自宅に戻れば、一気に現実味が増す。車内では自然とホームパーティーが話題になり、親友の希望を叶える形で雪乃と匠が手料理でもてなす事になった。
早々と決まったメニューは前日から仕込みをするものもある為、金曜日に二人で食材を購入しに行く事で話がついた。
食後の紅茶を飲みながらテレビを見ていると、ソファーの上でバイブ音が立て続けに鳴る。
「匠さん、スマホが鳴ってるよ?」
「あぁー、母さんからだ……」
「菫さん?」
「雪乃の写真を送るように言っといたんだよ……だいぶ着せ替えさせられたんだな……ありがとう」
「いえ……」
どんな写真が送られたか気になる所だが、雪乃自身にも届いていた為、似たり寄ったりであると想像がつく。問題は試着数以上の枚数だろう。一着につき何枚か撮られた感覚はあったが、話しながらのため記憶にないものも多い。自身の表情に驚くものも幾つかあり、おそらく彼の話を振られた時だろうと想像がついた。
「この服も可愛いな……」
「…………持ち帰ったなかにあるよ?」
「本当? 着てるところが見たい」
「うっ…………少しだけだよ?」
「あぁー」
懇願されれば断る事はできず、自室で着替えてリビングに戻れば嬉しそうな表情にみるみるうちに染まっていく。
両手を取られ、距離が縮まり言葉に詰まる。雪乃も婚約者に弱いが、素直に従う姿に匠も弱い。
「可愛い……雪乃はスタイルがいいから、なんでも似合うな…………一番に見たのが母さんでも妬けるけど」
「ふふふ……ありがとうございます……匠さんのスーツ姿、かっこよかったよ?」
「そう? いつもとあまり変わらないでしょ?」
「そうかな? ジレはあまり見られないから、新鮮だったよ?」
「雪乃が気に入ったならいいけど」
「うん」
嬉しそうにスマホの写真を見つめる婚約者の装いは、膝上丈のワンピースだ。これからの挨拶回りにも着られる服に、母の本気度が垣間見えるが、それでも貰った写真よりも自身で撮った彼女の方が愛らしい笑顔が多い。そう自負していたが間違いではない。婚約者にだけに見せる表情の変化があった。
「ーーーーあ……」
シャッター音に思わず声が漏れる。スマホを向けた自身に驚きながらも、理由は分かりきっていた。
「うっ、変な顔してない?」
「いや、可愛いよ」
スマホを覗き込む至近距離から甘い香りがして削っていくが、雪乃が気づく気配はない。
ただ自身の写真に気づかされていた。こんな表情をしていたのかと。