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第54話 春待つ

 少し緊張した面持ちの雪乃が我に返る。握られた手の温かさに和らいでいくが、緊張していた事に変わりはない。正月に顔を合わせて以来の一條家に訪問であった。


 受験は結果待ちの状態であるが、一日観光してからの帰省だと知らせた事もあり手土産は大いに喜ばれた。次の休みは匠の母である菫とのデートを了承して解放となった。


 「母さんがごめんね」

 「いえ、楽しみですよ?」

 「そう言ってもらえると助かる。迎えに行くから」


 菫が雪乃と二人でのデートを希望した為、匠は婚約披露の打ち合わせで落ち合う事となった。言いくるめられた感もあるが、婚約者の柔らかな笑みに安堵していた。


 「うん、待ってるね」

 「あぁー」


 ご令嬢感は健在であるがようやく敬語が砕かれ、匠も微笑む。正月のように家族全員揃っていたわけではないが、それでも現当主である父と母が二人を嬉しそうに出迎えていた。

 雪乃としては緊張感があっても顔にでる事はなく、久しぶりにポーカーフェイスが健在であったが、終始穏やかさを保っていた。おそらく婚約者が隣にいた事が一番の要因といえるが、自身にその自覚はなく、きちんと振る舞えていたかが気掛かりであった。好意的に見られている自覚がある彼女であっても、婚約者の両親にはそれなりに緊張するものだ。


 「次は雪乃の実家だな」

 「うん……夕飯は一緒に食べようって言ってたよ。春兄たちも来るみたいで」

 「そうか……春翔と会うのも正月以来だな」

 「うん」


 助手席に乗り込み、今までの英会話から解放され慣れ親しんだ言葉が行き交う。

 時折運転する横顔をこっそりと見つめているつもりだが、匠にはバレバレである。些細な変化であっても彼が見逃す事はないだろう。特に婚約者の事なら尚更だ。


 大邸宅の車庫に駐車して向かえば、嬉しそうな顔が並ぶ。雪乃の両親が出迎えていた。


 「ご無沙汰しております」

 「お久しぶりね、さぁ、上がって」


 マイペースな母に促され、両親の後を追って客間に入れば兄夫婦がお茶をしていた。


 「来たな」 「雪乃ちゃん!」


 ハグしそうな勢いの杏奈に対し、春翔は落ち着いた様子だが内心では同じような想いだろう。歳の離れた妹は、婚約者と同じく甘やかしの対象である。


 すぐにダージリンティーの入ったティーカップが二人の前に置かれ、受験が終わった雪乃に労いの言葉が行き交う。合否はこれからだが、すでにお祝いムード感は否めない。


 自身の受験を思い出しても、受からない選択肢はないのだ。プレッシャーを物ともしない藤宮家次期当主でなくとも、受験前はナーバスになっていた彼女が想像するのも、婚約者と離れ離れになる四年間についてだ。なかなかの高慢さだが、それがなければ藤宮を名乗れはしないだろう。

 身贔屓抜きで客観視しても、必ず受かるという確信だけがあった。小説家になるべく書き続けた努力が、実を結んだ時に近い感覚である。


 お土産を手渡せば、懐かしい話に花が咲く。雪乃がこれから通うであろう場所は、彼らが最後の学生生活を楽しんだ場所だ。

 都心部から少し離れた場所にある大学には寮もあるが、雪乃たちが暮らす家はすでに手配済みであるし、長期休みになれば帰宅、もしくは彼女の元へ向かう事も躊躇わないだろう。


 八年前の記憶は今も鮮明に浮かぶ。試験の度に猛勉強していたし、休みの日にはカフェや図書室に入り浸った事もあった。社会人になり毎日のように顔を合わせていた親友と会う機会は減ったが、こうして今も繋がっている。少なくとも実家に顔出しがなくとも、匠と春翔は年末には毎年のようにプライベートでも酒を酌み交わしていた。


 長かったようで早く感じる年月に、自身と同じ境遇の彼女がこれから迎える日々が幸のあるモノであるようにと、願っている事は一目瞭然である。

 優しい眼差しに微笑む雪乃に、婚約者らしさを感じた兄も嬉しそうだ。婚約発表前に二人の距離が縮まった事は僥倖である。

 相思相愛でありながら歳の差もあり距離感があった二人は、同棲してから確実に縮まったように感じた。愛らしい笑みを見せるようになった雪乃に、安堵と共に妬きそうになったのは、春翔だけではないだろう。


 ティーセットが下げられ、テーブルに並ぶ趣向を凝らした和食の数々に箸を伸ばす。


 「来週は会場で打ち合わせだったね」

 「はい」


 ビールを注ぎながら応える匠に、雪乃の頬は緩んでいる。正月以来の対面は彼女も嬉しいのだろうと、彼はそう結論づけたが、それだけが理由ではない。当たり前のように婚約者と両親が会話をしながら笑みを見せているからだ。


 「私も雪乃ちゃんとデートしたいのにーー」

 「杏奈も忙しいだろうが」

 「うっ……そうだけどーー」


 結婚式後は家に入る予定の兄嫁も、今は現役のキャリア組だ。役職に就く春翔と同じく忙しくない訳がない。


 「……お仕事が落ち着いたら、ぜひ……」

 「うん!!」


 姉妹のようなやり取りに、春翔と匠の視線が交わったのは言うまでもない。微かに染まる頬とアイスブルーの瞳が相まって破壊力は抜群である。抱きつきそうな杏奈を宥める春翔も、妹の無自覚ぶりに溜め息が出そうだ。


 「…………苦労するな」

 「あぁー……」


 二人だけに通ずる想いだろう。お互いに婚約者は弱点でもある。


 「どういう意味よーー?」

 「いや、それよりも杏奈、少しは控えろよ?」

 「分かってるわよーー」


 微かに上気した頬が色っぽい。外で飲んでいたなら、雪乃のように視線を集めていただろう。ただ雪乃ほど鈍感ではない為、気が緩んでいる証拠だ。数年前に婚約者になってから何度も本家に訪れている事もあり、家族だけに見せる杏奈の素が出ているともいえる。


 「雪乃ちゃん、パーティー、楽しみにしてるね♡」

 「はい」


 素直に頷きながらも実感は薄い。婚約者となり同棲を始め、親族に紹介した日はさすがにあったはずだが、受験でそれどころではなかったのだろう。何でもそつなくこなく彼女だが、心情までは思い通りにはいかない。

 決まっていたはずの婚約披露パーティーが近づく現実は、日本を離れる日が近づく事でもある。嬉しそうに頬を緩ませた雪乃の心情は、見た目よりもずっと複雑であった。


 手土産を喜ぶ両親と兄達に手を振り、車に乗り込む。


 「ーーーー喜んでたな」

 「うん……」


 押し寄せる感情に蓋をして微笑む。実家を出た時に似ているが、言葉を紡ぐ仕事をする雪乃であっても、適当な単語が見つけられずにいた。


 「……匠さん、今日はありがとう」

 「いや、こちらこそありがとう。実家にお土産まで」

 「いえ……楽しかったです……」


 緊張感が滲み出ながらも交わした言葉は本心だろう。どちらの実家でも同じような笑みを浮かべていた。


 思わず頭に手を伸ばせば、驚いた表情の雪乃に綻ぶ。婚約者だけに見せる顔だと、知っているからこその確信犯だ。腹黒さも春翔といい勝負であるが彼女には関係ない。不意をつかれれば急激に染まり、まっすぐな視線を逸らせない。あまりにも素直な反応に匠が心配するほどである。


 「ーーーー匠さん……」

 「ん?」

 「……ぎゅっとしても、いいですか?」


 敬語に戻りながらも遠慮がちに見上げてくる瞳は、愛らしい事この上ない。返事の代わりに両腕を広げれば、大きく跳ねる心臓はどちらだろう。自身とは違う感触にそっと瞼を閉じた雪乃は無防備だ。

 重なる心音に安心感があるのか、彼の腕の強さと温もりのせいか、おそらくその両方だろう。愛らしい彼女に耐え忍ぶ彼はいつもの図ではあるが、匠は違和感を覚えた。彼女らしくない行動は、不安を和らげる為の一つだろう。受験が終わり、婚約披露パーティーを控えているとはいえ、その頃には結果も出ている。留年は選択肢にない為、今後の道は結果次第だ。


 「ーーーー雪乃……発表の時は、一緒に見ような?」

 「…………うん……」


 頭上から聞こえる温かな声に顔を上げれば、優しい瞳と交わる。自身の我儘を包み込む彼には感謝しかないが、匠にとっては役得であり我儘という認識もない。可愛らしいおねだりの表現が正しいだろう。

 そっと頬に触れれば、自然と瞼を閉じる婚約者は、何よりも愛おしい存在であった。




 「ーーーーーーーー今日か……」


 車の後部座席で思わず呟く匠を、秘書である島崎が聞き逃すはずがない。


 「結果発表でしたね」

 「あぁー……」

 「雪乃様なら合格では?」 

 「そうだな……」


 迷いなく即答する姿はいっそ清々しいが、彼女の自己肯定感の低さを再認識させられてもいた。優秀揃いの藤宮家において直系である雪乃自身も優秀であるが、本人にその自覚はあまり見られない。何でも器用にこなしてしまう彼女ならではの欠点かもしれない。


 「…………どんなお祝いにするかな」

 「私からは花束をご用意させていただきますね」

 「ありがとう……」


 有能な島崎すらも彼女を認めていた。そこに歳の差は関係なく、人柄の良さや能力の高さも相まって流石としか言いようがない。


 島崎から受け取った花束と、自身が選んだプレゼントをもって帰宅すればエプロン姿の雪乃が出迎えていた。


 「匠さん、おかえりなさい」

 「ただいま……」


 彼女がいなかった一週間はおろそかにする事もあった食事も、今はきちんと取っている為、顔色がいい。むしろ生き生きしていると秘書に揶揄われたほどだ。

 

 揃って夕食を済ませ、リビングでパソコンを立ち上げる雪乃の隣には、ぴったりと匠が寄り添っている。緊張した面持ちの彼女がキーボードに触れれば、画面に並ぶ多数の数字は合格者の番号だ。


 「ーーーーっ、あ、あった!!」 「やったな!!」


 思わず抱き合い、画面に揃う数字に頬を緩ませる。雪乃から順に並んだ番号は、幼馴染も合格した事を示唆していた。


 スマホの振動が忙しなく鳴る中、耳元に唇が寄せられ心音が速まる。


 「…………雪乃」


 甘い囁きに分かりやすく上気すれば、触れる手に遠慮がちになりながらも重ねる。


 「おめでとう」

 「…………ありがとう……」


 瞳を瞬かせ、目の前に差し出された小さな箱と花束に綻ぶ。


 「頑張ったな……」


 目元に近づく指先に瞼を閉じれば、唇が重なり涙は消え去っていた。

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