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第53話 君がいないと

 美味しいものを食べると、匠さんと食べたくなった。

 お土産選びはキヨほどじゃないけど、かなり悩んだ。

 婚約者に渡すものだから…………


 「雪乃、おかえり」

 「ーーーーっ、匠さん……ただいま……」


 一週間ぶりに包まれる温もりに潤む。空港では抱き着くまでには至らなかったが、今は玄関先だ。改めて告げられた言葉に花が綻んだような表情を浮かべた。


 吸い込まれながらも装って帰宅まで耐えた匠も、室内に入った途端に緩んだのだろう。思わず抱き寄せていた。

 優しく背中に触れる手に、胸の中心が温かくなっていく。それは雪乃だけでなく、遠慮がちに背中に伸びた手にも感じていただろう。


 「……お土産……匠さんの実家にも渡しに行ってもいい?」

 「あぁー」


 相変わらずな婚約者に相好を崩す。遠慮がちでありながらもまっすぐに向けられる視線に思わず手が伸びれば、染る頬に釣られていた。


 たった一週間なのに、もっと……ずっと、離れていたかのようで……抱きしめられた瞬間、なんだか泣きそうになった。

 はじめて知ったの…………いつの間にか、眠る時も隣にいることが当たり前になっていたこと。

 無意識に探した手に驚いて目覚めた時、会いたいと……心の中が叫んでいるようだった。


 「ーーーーん……」


 寝返りをうち、こちらに傾いた顔に、頬を緩ませる。


 帰宅した事を実感して寝室を抜ければ、出発前と変わらず片付いたリビングに向かう。お湯を沸かして紅茶を注ぎ、ほっと息を吐き出して実感する。すでに彼のそばにいる事が当たり前の日常に変わっていた事に。


 タイピングの音が静かな部屋に響く。結果を待つだけになった事もあり、執筆を長く続けても何の問題もないが、早々と切り上げて朝食の準備を行う。受験が終わったからと、急激に何かが変わる事はない。

 ただ雪乃に限っては滑り止めを受けていない。少なくとも彼の望みを汲んでの事だろうが、周囲からも少しも心配した様子は見られない。不合格になるとは誰も思っていないのだろう。そんな周囲の思惑すら普通ならプレッシャーに感じるはずだが、雪乃にもそういった反応は見られなかった。藤宮家の娘としての対応が求められるよりは、幾分もマシなのだろう。


 「うん、いい感じかな」


 出来上がったお弁当に頬を緩ませる。たった一週間とはいえ忙しい日々が続いていたのだろう。空港まで迎えにきた婚約者は、少しやつれていたような気がした。雪乃の直感は正しく、土日を必ず休日にできるように詰め込んだとも言える。

 長期休みに帰ってくる約束をしているとはいえ、自身がそうであったように億劫になるかもしれないという懸念が少なくとも匠にはあった。海外で過ごす四年間は、家柄の関係ない場所で一個人として、様々な人々と知り合ういい機会でもある。学生時代は社会人に比べればずっと短く貴重だ。そう彼自身が感じてきたからこそだろう。


 「あっ、おはようございます」

 「おはよう」


 向けられる笑みに頬が緩む。それはお互い様であった。


 「美味しそうだな……」

 「一緒に食べれる?」

 「あぁー」


 向かい合って口に運ぶ短い時間の会話は、観光についてがほとんどだ。やり切った感のある彼女に伝える事はないし、自身を弁明する事もない。


 「弁当も作ってくれたのか?」 

 「うん……よかったら食べてね」

 「あぁー、昼が楽しみだな」


 綻ぶ頬を引き寄せそうになりながら止めたが、玄関先では当たり前のように唇を重ねていた。


 「ーーーーっ、た、匠さん、電話が……」

 「あーーーー……」


 見計らったかのような秘書からの着信である。今日は朝から取引先に向かうと言っていた為、迎えの車が到着したと雪乃にも察することができる。


 「匠さん、いってらっしゃい」

 「……いってきます」


 後ろ髪を引かれながら、玄関を後にする彼に手を振る。


 一人になった室内をより広く感じながら、雪乃も部屋を後にした。久しぶりに一人での登校になる事はなく、エントランスを抜ければ愛理が車窓から手を振っている。


 「愛理、おはよう」

 「おはよう、雪乃」


 乗用車の後部座席に愛理と並んで座り、気づけばすぐに学校に着く。運転手にも変わる事なくお礼を告げる人柄は、幼い頃から少しも変わっていない。揃って手を振り遠ざかる背中に、送迎も残り少なくなってきたのだと専属の彼も気づいていた。


 進学校という事もあり三年生の教室では、自習の時間が増えていた。

 チャイムが鳴れば、愛理と揃って食堂に向かい幼馴染と合流する。数日ぶりに見かける四人に向けられる視線は様々ではあるが、アイドルに近いものである事は確かだ。


 「お疲れーー」 「お疲れさん」

 『お疲れさま』


 本人たちは騒がしい周囲に戻ってきた事を実感していた。長いフライトの疲れもなく、時差ボケもない。残り少ない高校生活という現実だけだ。

 

 「キヨはお土産渡せた?」

 「ああ、喜んでた。アドバイスありがとな」

 「ううん、よかったね」


 微笑んだ雪乃に、周囲では顔を赤らめる生徒が続出である。それも男に限った事ではなく男女問わずだ。生徒会役員を退いてなお四人の人気は高い。


 「キヨはラブラブだからねーー」

 「ぶっ……」


 珍しい清隆の反応に愛理のしてやったり顔が並ぶ。吹き出しそうになった味噌汁を飲み込み、睨んだところで意味はない。相手の名前を言わないだけの分別はあるし、小声のため周囲には少しも聞こえてはいない。ただ学園内であっても外というだけで見られている感はある為、用心するに越したことはない。

 あからさまなアプローチをする者はいないが、それでも名を知っている者にとっては雪乃も清隆も甘い蜜のようだろう。吸い寄せられる輩が後をたたなかった経験もあり、今の行動に反映されているのだ。


 「二人してつけてるんだな」

 『うん』


 揃って手首を見せれば、揃いのブレスレットが目に入る。都内有数の進学校ではあるが、校則はそこまで厳しいものではない。良家のご令嬢やご令息が一定数在籍している事もあり、ある意味では個人の自主性に任せている部分も多いのである。


 「あ、あの……藤宮先輩……」

 「はい……?」


 見知らぬ後輩からの声かけは今に始まった事ではないが、なかなかの強者だ。美男美女揃いの幼馴染が揃っている中で声をかけてくるのは、元生徒会メンバーくらいのものである。珍しいタイプに愛理が感心した様子で勝手に勇者認定していると、清隆と風磨には手に取るように分かった。


 青春の思い出でもいいからと、この時期に告白する者は少なからずいる。そういった事も配慮して四人で今まで過ごしてきたが、どうやら相手は清隆の恋人説が通用しなかったようだ。

 見知らぬ人と二人きりになる事は極力避けたい雪乃も、公開告白は遠慮したいのが本音だ。幼馴染の同伴でもいいならと了承し、人気の少ない中庭に足を運べば、影ながらギャラリーがいる事は一目瞭然であった。


 「ふ、藤宮先輩! 好きです!!」


 あまりにストレートな告白に、雪乃は驚きながらも丁寧に断りを入れた。その様子に次々と告白合戦が始まり、清隆が止めたのは言うまでもない。間近で視線が合えば顔を赤らめる者が続出であり、近くで拝みたいと思った生徒が後をたたなかったからともいえる。


 「……雪乃、大丈夫か?」

 「うん……」


 相変わらずな雪乃ではあるが、三年ぶりのイベント感がある事は否めない。一貫校とはいえ中等部卒業時にも発生した事だ。一人が勇気をもって声を掛ければ、たとえ幼馴染同伴であっても話せるだけで感無量になる者も増えるし、視線が合うだけで極端に顔を赤らめる者も続出である。

 思わず溜め息を吐いたのは、雪乃よりも愛理であった。丁寧に応えながらも、だんだんと塩対応になりそうになる横顔と助けを求める姿に笑いを堪えていた。


 人がはけたところで愛理は態とらしく謝る。分かっていながら放置したのは、一時の夢ならば許されるからだ。婚約が公になれば告白イベントが減る事もあり見納めともいえるが、放置された雪乃にしてはたまったものではない。時差ボケが今更ながら出てきそうな勢いである。


 「久々のイベントだったなーー」

 「風磨?」

 「いや……」


 ジト目で睨んでみたところで効果はなく、口にされれば認めざる負えない。分かってはいても、それなりに消耗していたのは確かだ。


 「…………ホワイトモカがいい……」

 「うっ……分かったって」


 態とらしく見上げられれば、怯んだ風磨は頷くしかない。


 「あっ、私も♡」 「俺も」


 便乗する幼馴染に降参した風磨が奢らされる事となったが、自身の失言は理解していた。苦い記憶ほど残りやすく、彼女に限っては家が災いして巻き込まれた事故は一つや二つではないのだ。


 宣言通り三人分を奢る男気ある風磨に、愛理は楽しそうに微笑む。


 「どうかしたのか?」

 「うーーん、風磨も大人になったよねーー」

 「愛理は俺の母親か?」

 「そんな気分♡」

 「おい!」


 夫婦漫才が始まり、雪乃は清隆と顔を見合わせ笑い合う。

 変わらない関係性に綻び、これからも一緒にいられる事を願う。本音を隠すことが上手な雪乃は、自身の気持ちを持て余しながらも微笑んでみせた。

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