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第52話 次のフェーズへ

 お守りのように指輪を握りしめて挑む。簡単ではないと分かった上で、それでも受験すると決めた自身に言い聞かせるかのように。

 彼の側を離れてでも、雪乃には以前から試してみたい事があった。英文で書き切ることだ。海外で活躍する作家は確かにいて、世界的に有名な賞を取れば逆輸入的に日本で人気に火がつく事もある。子供心に憧れた職に就いているが、それだけでは足りない。匠のそばにいる為にも進学は、彼女の中で絶対的な条件であった。


 カツカツと解答欄を埋める音が静かな教室に響く。この中のたった一割ほどしか合格者は出ない。倍率は高く、都内の公立大学受験の比ではない程に難関といえるだろう。


 講師の合図で答案用紙は回収されていった。試験自体は何事もなく終わり、ほっと息を吐き出すと、ほとんど同時に声をかけ合った。


 「……お疲れさまーー……」 「愛理、お疲れさま……」


 久しく感じる母国語に、顔を見合わせて微笑み合えば注目の的だ。彼女たちは東洋人という括りではなはく、世界的に見ても美人の部類に入るからだろう。視線に気づいた風磨と清隆が近寄った事により逸らす者も多くいるが、本人たちは気づいていない。敏感な彼女たちであっても気づかないほどに、神経を使った試験だったといえる。


 「せっかくもう一泊するんだから、久々に観光するだろ?」

 『うん!』


 嬉しそうな笑顔が刺さったのは、間近にいた風磨だけではない。確実に周囲を釘付けにしていたが、雪乃自身には関係ないかのように教室を後にした。


 スマホで時間を確認し、彼が起床している時刻だと分かってはいても手が止まる。朝の忙しい時間帯に電話してもいいのかと、迷ってしまったのだ。


 「えい!!」

 「ちょっ、愛理?!」


 悩んだ甲斐なく強制的にメッセージが送信されれば、すぐに着信がくる。


 「ほら、出た出た!」

 「う、うん……」


 スマホ越しの声に頬が緩む。一週間程だというのに、すでに会いたくて仕方がないのだ。


 『試験、お疲れさま』

 「うん……匠さんも、これからお仕事ですよね?」

 『あぁー、これから出社だよ。空港まで迎えに行くからね』

 「うん、ありがとう……」


 花が咲いたように綻ぶ雪乃に幼馴染のヤキモチが発動するが、あまりの穏やかさにお邪魔虫は退散である。周囲を気遣い弱音を吐かない彼女を知っているからこそ、清々しい横顔は婚約者のおかげであると悟っていた。


 「美味しいディナーが食べたいなーー」

 「服は?」

 「ある♡」

 「用意周到、一応ホテルのレストラン予約しといたぞ?」

 「さすがキヨ、仕事が早い!」

 「茶化すな。ほら、雪乃の電話も終わったみたいだし、戻るだろ?」

 「ああ」 「うん、その前に制服で出歩かない?」

 「いいけど」 「おまたせ……」


 会話に加わり、制服姿のまま街を散策する。郊外という事もあり小さなカフェが建ち並ぶ。荷物はすでに都心部のホテルに手配済みの為、身一つで移動が可能だ。


 フィッシュ&チップスを片手にベンチで昼食を取る。言語に問題がないのは勿論のことだが、此処には藤宮所縁のホテルがある為、滞在中も快適であった。春翔の受験をきっかけにホテルが造られたのだが、それはまた別の話だ。


 家が関係ない事もあり電車に乗り込む。観光すると言っても、此処に来たのは初めてではない。所縁のホテルがある事もあり何度となく訪れていた。変わらない景色と乾いた空気に懐かしさを覚え、頬が緩む。ようやく受験勉強から解放され、会話も弾んでいく。


 ホテルに戻ればベッドにダイブする愛理に、頬を緩ませる。

 カップルで泊まる事はなく、愛理が雪乃との時間を優先した結果だ。ただ観光時には愛理と風磨が二人きりで過ごす時間が設けられている為、別行動も織り込み済みである。


 「久々に来たなーー」

 「ああ」 『うん』


 ビッグ・ベンを眺め、今更のようにイギリスに来たと実感する。試験期間中は大学とホテルの往復であったし、外で遊ぶ余裕も皆無だった事もあり、数年ぶりに訪れる街並みに心が弾むというものだ。


 愛理と風磨に手を振り、清隆と足並みを揃えて歩く。二人とも婚約者のお土産を吟味中だ。


 「迷うな……」

 「キヨが選んだものなら、なんでも喜んでくれると思うけど?」

 「ああ、分かってる……」


 幼馴染の真剣な横顔に頬も緩む。清隆と二人きりでの行動は久しぶりではあるが慣れたものだ。

 風磨と愛理が婚約したと同時期に二人の婚約話も持ち上がったが、それはまた別の話であり雪乃が把握していない事であったりする。


 「匂いがありすぎ……」

 「どれもいい香りだよね」

 「まぁーな」


 目の前に並ぶ小さな小瓶は王室御用達の品々だ。紅茶やトフィーにクッキー等の親族へのお土産を選び終わった二人は、婚約者の手土産に頭を悩ませていた。


 「雪乃はどうする?」

 「うーーん、愛理に渡すのはすぐに決まったんだけど……」

 「だよな……」


 親友への手土産ならここまで悩んでいないだろう。趣味趣向が自身の事のように分かる事もあり、安価な物にしろ高価な物にしろ、ほとんどが即決である。


 「キヨが……茉莉奈ちゃんにつけて欲しい香りは?」

 「俺が?」

 「うん……この辺りとか瓶も可愛いし、どうかな?」

 「確かに……」


 店員と会話を進めながら、好みの物を吟味していく姿は流石である。茉莉奈がいたなら惚れ直す場面だろう。


 「ーーーー雪乃、ありがとう」

 「うん、茉莉奈ちゃんに似合いそう」

 「ああ」


 ホテルに届けて貰っている為、二人の手荷物はほとんど増えていない。揃ってホテルに向かえば、エントランスで幼馴染と合流した。夕飯の時間帯に合わせ、着替えも考慮しての事だろう。時間配分まで完璧である。


 「お土産買えた?」

 「うん、あとで客室に届けてくれることになってるよ」

 「私も! 戻ったら、早速お着替えね!」

 「うん」


 雪乃の腕を組んで前を歩く婚約者に、風磨が楽しそうに微笑む。


 「満喫できたか?」

 「ああ、これで受かっていればな」

 「そうだな……」


 そう口にしながらも、誰も試験について語りたがらない。終わってしまった事を嘆いても仕方がないと分かっているからか、出来が良かったからか、おそらくその両方だろう。

 口にせずとも通ずる想いは確かにあり、敢えて語ることもないのだ。


 「これ、愛理に……」

 「ありがとう♡ 開けてみていい?」

 「うん」


 早速取り出そうとした手を止め、雪乃に同じような紙袋を手渡す。


 「私からはこれね」

 「ありがとう」


 毎度の定番ではないが、送り合いはよくある事だ。今回は受験が終わった事への労いもお互いに含まれていた。


 「かわいい……」 「かわいいーー!」


 同じような反応に視線が交わり微笑み合う。その愛らしい表情に、ここがホテルの一室ではなく校内だったなら周囲が色めき立っていた事だろう。幼馴染がそばにいれば、分かりやすく牽制したはずだ。


 「さっそく、つけるね」

 「うん、私もーー♡」


 雪乃の手首を彩るのは、愛理と揃いのブレスレットだ。お揃いが多い二人だが、形違いや色違いが多く、全く同じ物となれば、そこまで数は多くないだろう。その中の一つに加わった品は、華奢な手首を可憐に彩っている。


 ドレスアップした雪乃と愛理を出迎えたのは、同じくジャケット姿の清隆と風磨だ。ドレスコードの会食に慣れている事もあるが、四人揃っては西園寺家主催のパーティー以来だろう。

 とはいえ今日滞在するホテルも藤宮家所有の一つの為、予約した清隆がきちんと手順を取っていた。

 今も彼らの身辺警護に複数の人員が動いている。ホテルのセキュリティーの高さは折り紙付きだが、外出中の警護は至難の技である。そこは彼らも理解している為、極端に治安の悪い場所に赴く事はなく、事前に予定を伝えてはいるし、スマホで順路を示す事もある。警護する側から見ても、学生に思えないほどに機転が効き、出先での所作も指先まで行き届いているといえる。

 今日は一週間の労いも含め、後からホテルでの食事を部屋に運ぶ手筈になっている。言い出したのは雪乃だが、幼馴染も頭の片隅では考えていた為、スムーズに手配が行われる事になった。ベテランばかりのボディーガードであっても、細やかな気遣いに感嘆である。


 「雪乃様、ようこそいらっしゃいました」

 「ご無沙汰しております」


 清隆にエスコートされた雪乃が支配人と挨拶を交わし、個室に案内される。VIP待遇に慣れている事もあり実に堂々とした態度だ。


 個室に挨拶にくる輩が全くいないわけではないが、丁重に断りを入れていたし、フォークとナイフを器用に使いこなす所作は流石である。ワイングラスに注がれたソフトドリンクでさえも絵になるというものだ。


 「もっと遊びたかったなーー」

 「そうだね」


 態とらしく落胆する愛理に柔らかな笑みを浮かべる。受験しに来たのだが、緊張感から解放されれば思わず本音が漏れる。


 「空港の免税店に寄ってから帰ろうね♡」

 「うん」


 『まだ買い物するのか』と呆れ気味な風磨だが、それだけ彼女が努力してきた事は分かっているし、雪乃も頷いたように清隆が咎める事もない。

 幼馴染の中で一番勉強嫌いな愛理も、家庭教師とマンツーマンのレッスンを受けて勉強に勤しんでいた事は知っているし、これまで受験勉強について愚痴をこぼした事もなかったのだ。


 四人揃っての高校生活が僅かであると実感しながらも、感傷に浸ることなく会話は弾む。これからに期待していたのは、雪乃に限った事ではないのであった。

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