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第51話 愛おしい本音は

 「いよいよ明日かーー」

 「うん」 「ああ」

 「試験が終わったら観光してから帰るでしょ?」

 「うん」 「勿論!」

 「じゃあ、明日、空港でな」


 普段と変わらない幼馴染に安堵しながら、手を振り返す。周囲の視線もいつもの如く健在であるが、雪乃が無頓着なのも常である。

 

 冬季休暇明けに雪乃の自宅訪問や匠とのデートがあったが、それ以降はほとんど遊びの予定はなく、自宅と学校の往復であった。

 ようやく受験生らしいと言えばそうだが、愛理にとってはストレスフルだろう。観光時に爆買いすると予想できるし、風磨とのデートが楽しみだと、簡単に想像がつく。


 「ーーーー雪乃、お疲れさま」

 「匠さん、ありがとう……」


 彼女に至っては匠の送迎が習慣になっていた。社長を務める匠が毎回のように送迎できる訳ではないが、それでもかなりの確率で迎えに来ていた。

 学校から少し離れた路地から乗り込む事にも慣れたものである。


 「……Welcome back, How was your day?」

 「……I had a test today……」


 今では車内で今日の出来事を聞いてくる匠が、すっかりと定番である。運転中であっても会話を交わす余裕があるのは勿論の事だが、文法の違う言葉を巧みに使いこなしている。海外で三年間過ごした成果に、雪乃は難なく応えていた。

 対応力の高さを知っていた匠でさえ、感嘆を隠しきれない。受験日が近づくにつれて単語に躓く事も皆無だ。


 揃って夕食をとり、並んで就寝だ。受験日一週間前を切ってからというもの、同じタイミングでベッドに入る事もいつの間にか習慣化されていた。

 徹夜するよりも早起き派な雪乃にとっては変わらない習慣であるが、匠が仕事を家でする事が減ったからだとも言える。とはいえリモートで参加の会議もあるが日中の為、婚約者の迎えにも差し障りがないのだ。


 「ーーーーおやすみなさい……」

 「おやすみ……」


 心音が忙しないながらも、少しずつ落ち着いていく。彼に背中を撫でられ、重なる心音が眠気を誘発しているかのようだ。

 雪乃の寝付きの良さも相まってすぐに夢の中である。


 「……まだ……学生なんだよな……」


 自身の当時を振り返り、腕の中にいる婚約者の髪に触れる。ようやく手にした彼女を縛り付ける事は、匠にとっても不本意だ。


 彼女は藤宮と関係あろうがなかろうが、自身の能力を最大限に発揮できるだけの技量をすでに兼ね備えている。それを分かっていながら、頼る事が苦手な彼女に頼って欲しいと思うのが男心だろう。これは匠の甲斐性がない訳ではなく、雪乃自身の問題でもあった。周囲に頼る前に最適解を見出せる事もあるが、根源は彼女が藤宮家の一人娘だからだろう。良くも悪くも幼い頃からそうであった為、本人に自覚があまり見られない事こそが難点である。

 仮に匠が些細な変化に気づいたとしても、促さなければ自身が進んで告げる事はないだろう。


 『ーーーーっ、藤宮のせいだろ?!』

 『雪乃ちゃんはいいよね。頭の出来が違うんだから』


 遠い記憶に涙が溢れる。並んで眠る事に慣れてきたはずの雪乃にしては珍しく、夜中に目を覚ましていた。


 デートと称して婚約者を着飾りたい匠に付き合った形になったが、二人きりの外出は追い込み中のいい息抜きになっていた。

 顔に出にくい雪乃も、緊張すれば人並みに不安になるし、今のように悪い夢を見る事もある。


 「…………雪乃?」

 「匠さん……起こしちゃいましたね……すみません……」

 

 間接照明だけつけているキッチンで喉を潤した雪乃は、声をかけられ驚いた様子だ。


 「雪乃」


 態とらしく腕を広げる匠に、吸い込まれるように収まる。


 「……雪乃……弱音、吐いたっていいんだ……」

 「ーーーーっ……うん……匠さん……」


 ぎゅっと抱きついてくる愛おしい婚約者の潤んだ瞳に、心臓が跳ねる。今まで堪えていた想いを口にする事はないが、それでも十分であった。口にせずとも、流した涙が何よりの証拠だろう。


 「…………んっ……」


 そっと離れていった唇に染まりながら応える。


 「……匠さん…………私……」

 「少し、座ろうか」

 「うん……」


 握られた手で自身の手が冷えていた事に気づく。彼の温かさに救われていたのだ。


 「…………はじめてだな、雪乃が頼ってくれたのは」

 「そんなこと……」

 「あるだろ?」

 「…………う、うん……」

 

 たじろぎながらも頷く横顔は納得していない様子だ。彼女にしては珍しく、婚約者を頼っていると自覚があるのだ。


 「………たくさん、助けてもらってるよ?」

 「足りないよ」


 ぎゅっと抱き寄せられたかと思えば膝の上に乗せられ、逃れる事は敵わない。


 「雪乃……無理に笑わなくたっていいんだ……」

 「ーーーーっ……匠さん……私…………」


 言葉が刺さり涙腺が崩壊する。目元に寄せられた指先で泣いていたと気づく。漠然とした不安に襲われていたのだ。


 「…………たまに、あるの……」

 「あぁー……」


 他意がなくても……【藤宮雪乃】として褒められる度、私自身を見てくれる人なんて…………


 「……雪乃の努力は分かってるよ」


 思わず顔を上げ視線が通えば、優しい瞳が近づく。


 「出来て当然だなんて……そんなこと、ないだろ?」

 「…………うん」

 「でも、合格するのは信じてるから……雪乃はそれだけの事をしてきたんだ」

 「うん……ありがとう……」


 匠さんに……惹かれないわけがなかったんだ…………


 『さすが春翔の妹だなーー』

 『ーーーーいや、雪乃ちゃんが頑張った結果だろ?』

 『決まってるだろ? うちの雪乃は可愛いんだからな!』


 ……どんなに些細な言葉でも、私にとっては…………


 過去が蘇り、漠然とした不安に襲われる。何も今に始まった事ではない。新たな事に挑戦する度に、去来する過去を振り払うかのように進んできた。小説家として活躍する今も、【月野ゆき】として成し遂げる度に涙した事はある。そこには嬉し涙だけではなく、負の感情もあった。


 「…………匠さんには、いつも……助けられてばかりで……」

 「もっと頼ってくれていいけど?」

 「……また……甘やかしすぎだよ……」

 「そう? 雪乃限定だけどね」

 「もう……」


 真っ赤に染まり、反論しようにも出来ない彼女も婚約者には甘い。デートでの着せ替えがいい例だろう。断る事もできる筈だがそうしなかった所は、身内だけに見せる甘さが出ている証拠だ。


 冷静さを取り戻せば、膝抱っこの状態はかなり恥ずかしい。分かりやすく染まり視線を逸らせば、頬に手が伸びる。


 「…………どんな些細な事でもいい……不安になったら口にしてくれ」

 「…………うん……匠さんも、言ってね?」

 「あぁー」


 唇に指先が触れただけで身体が固くなる婚約者に、優しい瞳が向けられる。何度となく察してきた匠にとって、ようやく本音を吐露させる事ができて一安心の様子だ。

 ままならない感情は彼にも覚えがあったが、だからこそ追求するべきではない事も分かっていた。無理やり聞き出す事もできなくはないが、ますます閉ざしていくと目に見えている。彼なりに婚約者の事を理解していたのだ。


 眠りそうになりながらも相槌を打つ雪乃に微笑む。重なる心音に落ち着いてきたのだろう。胸元にかかる重みで、眠りに落ちたと気づく。


 「ーーーー雪乃…………眠れたのか……」


 そっと額に唇を寄せ、軽々と横抱きにして寝室に戻る。腕の中にある小さな寝息に綻ばせ、眠りについた。




 翌朝、アラーム音より前に目覚めた雪乃はすっきりしていた。弱音を吐かせてもらえたらからだろう。

 隣で眠る婚約者の髪にそっと触れ、自然と伸びた手に驚きながらも幼さの残る寝顔に綻ぶ。


 「きゃっ?!」


 髪に触れた手が取られ、視界が逆転する。見下ろしていたはずの雪乃は見下ろされていた。


 「……匠さん…………起きてたんですか?」

 「あぁー……おはよう」

 「おはようございま…んっ……」


 重なる唇に体温が一気に上昇する。寝起きから色気全開の婚約者に思わず視線を逸らせば、胸元に寄せられてた唇に心臓が跳ねる。


 「…………匠さん……」

 「ん?」


 素知らぬ顔で髪を弄ぶ婚約者に、雪乃は染まったままだ。


 「……お土産、買ってきますね」

 「あぁー、試験が終わったら思い切り遊んでおいで」

 「うん……」

 

 助手席に乗り込んだ雪乃は、運転する横顔を見つめながら会話を続けた。車内では相変わらず英語オンリーである。


 「……匠さん、電話してもいいですか?」

 「勿論、いつでも構わないよ。出れなくても必ず折り返すから」

 「うん、ありがとう……」


 大きな窓から飛行機が飛び交う。一週間ほどは滞在する事になる為、スーツケースの大きさはそれぞれである。機内持こみに参考書の類が多少は入っているとはいえ、ここまで来れば今更詰め込んでも仕方がないと、分かっているのだろう。四人とも落ち着いた様子だ。


 見送りに来た茉莉奈の頭に清隆が触れる。何気ない仕草に周囲が騒々しい。幼馴染が揃っていれば日常の一部ではあるが、制服姿でないとはいえ、若者がファーストクラス利用のラウンジにいればそれなりに目立つ。これは雪乃がプライベートジェットを断った結果でもあるが、撮影と勘違いしても仕方がない事である。注目の的になるのは苦手でも自身も慣れているし、幼馴染も慣れていないはずがない。


 「ーーーー雪乃、気をつけて」

 「うん……匠さん……」


 大きく広げられた腕の中に収まる。ぎゅっと抱き合い別れを惜しむ。たった一週間なのに先が思いやられるが、それは清隆たちも同じであった。


 「…………いってきます」

 「あぁー、いってらっしゃい」

 「うん……」


 名残惜しさを振り払うように手を振る姿に、また込み上げてくるものがありながらスマートに手を振り返す。遠ざかる距離に、ぎゅっと胸が締め付けられるようになりながら。

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