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第48話 新たな年に③

 婚約者にとっても不本意だろう。昼間の愛理の忠告が身に染みる。気づかれないように距離をとっていたつもりが、伝わっていた。改めて自身の認識の甘さを痛感し、冷静さを保つように息を吐き出した。


 「ーーーー雪乃の事になるとダメだな……」


 まだ揺れる瞳に甘い視線を向ければ、真っ赤に染まる。匠だけが知る愛らしい表情だ。


 「…………情けないけど、君の事に関しては狭くてね」

 「ーーっ?!」


 ソファーに押し倒され、甘い声が耳元で囁く。


 「ーーーーーーーーこういう事……」


 胸元に手が伸び、思わず視線を逸らせば首筋に微かな痛みが走り、小さな音を立てて離れていった。


 「…………卒業までは、しない約束だから……」


 そう言って身体を起こされ、あやすように背中を撫でられても声にならない。急に詰められた距離感に心音が忙しなく、冷静さを保てるはずがない。


 「…………寂しい思いをさせてたなら、ごめんね」

 「い、いえ……」

 

 視線が合えば兄のような悪そうな顔に気づき、退こうとして戻される。


 「雪乃が許してくれるなら……練習する?」

 「……えっ?」

 「触ってもいい?」


 ストレートな言葉に無言のまま頷く。キャパオーバーな婚約者を攻める匠は何処か楽しげだ。


 「…………雪乃……俺の声、すきでしょ?」

 「?!」


 甘い囁きと自身の弱点を否定する事なく頷く。あまりの素直さに匠が心配になるくらいだ。


 「…………匠さんは…………」

 「思ってるよ」


 はっきりとした口調に下がっていた視線が交わる。真剣な瞳に吸い込まれそうになっていると、身体がふわりと浮いた。


 「た、匠さん?!」

 「軽いな」


 無邪気に笑う婚約者にそれ以上の抵抗はできず、横抱きにされたまま寝室に向かう。ぎゅっと抱き寄せられれば、重なる心音に穏やかさが戻っていく。


 「…………雪乃、慣れるまで頑張ってね」

 「うっ…んっ……」


 たじろぎながらも受け入れる存在に救われていたのは彼の方だった。

 瞼を閉じた彼女の額に唇がそっと触れる。


 「ーーーーーーーーおやすみ……」

 

 変わらずに愛ででから眠る匠の甘さを、雪乃が初めて知った日となった。




 お土産と称して手渡された料理で朝から豪勢な食卓だが、少しずつ綺麗に盛られている事もあり、さながら料亭のようだ。

 感嘆しながら朝食を済ませ、一條家に向かう。今日は着物ではなく洋装で、スーツとワンピース姿だ。


 「雪乃、つけさしてね」

 「うん……」


 左手を取られ、婚約指輪が薬指で輝きを放つ。綻ばせる雪乃に、彼も同じように頬を緩ませる。昨夜といい朝から甘い雰囲気が漂う。


 「用意してくれたんだな」

 「はい、ここの花びら餅が美味しいので」

 「ありがとう」

 「いえ……」


 手土産を用意し、ご令嬢感が丸出しの雪乃に甘い視線を向ける。公式な場では敬語が常の為、匠自身も言葉を崩すつもりはない。二人きりだったなら、冬時のように攻めていたかもしれないが。


 迎えの車が来た為、揃ってエントランスに向かえば、雪乃も知った顔が映る。


 「あけましておめでとうございます、たけるさん……ご無沙汰しております」

 「あけましておめでとう、雪乃ちゃん、久しぶりだね」

 「はい……」


 匠の二つ上の兄とは面識がないに等しいが、三つ下の弟である尊とは小学生の頃以来だ。学年が違うため交流はないが、顔見知り程度の仲ではある。

 にこやかに微笑む雪乃に、弟にまで嫉妬しそうな勢いである。珍しい兄の表情は、尊が笑いを堪えるくらいには出ていた。

 正式発表までは二ヶ月ほどあるが、身内との顔合わせに多少なりとも緊張している雪乃に対し、内情を知る兄弟との接触は極力避けたいのが匠の本音であった。


 「迎え、ありがとう」

 「あぁー、俺も日本に戻って来てたからな」

 「向こうはどうだった?」

 「楽しかったよ。少しだけ春翔さんに同行させて貰えたし」

 「よかったな」

 「あぁー」


 兄弟の会話に頬を緩ませ、匠が兄の顔をしていると感じる。藤宮家と同じく一條家の兄弟仲もいいのである。


 改めて挨拶を交わし、客間に通される。藤宮本家ほどではなくとも大邸宅に変わりない。広々とした窓の向こうには、整えられたイングリッシュガーデンが広がる。これは匠の母、すみれによるものだ。


 「雪乃ちゃんがお嫁に来てくれるなんて嬉しいわ。娘が欲しかったのよーー」

 「ありがとうございます」

 「今度、一緒にお買い物に行きましょうね!」

 「はい」


 終始マイペースな菫に圧倒されながらも、和やかな雰囲気だ。迎えに来た尊に、父である丈武に、母の菫。遅れてきた長男のあきらと、一條家が勢揃いしていた。

 祖父母は毎年のように海外で年末年始を過ごす事もあり不参加だが、婚約パーティーには顔を出すと、今から喜んでいると聞かされ、顔を見合わせ微笑み合う。家族から見てもお似合いのカップルである。


 次期社長候補の昌とは殆ど初対面にも関わらず、話が伝わっているのだろう。穏やかに微笑まれ、匠とよく似た顔立ちに照れたように返すと、悪戯心が湧いたのだろう。悪い顔が二つ並んだ。


 「雪乃ちゃんは、本当に匠でいいの?」

 「おい、昌」

 「だって、彼女なら選び放題だろ? 俺なら匠は選ばない」

 「あーー、俺も」

 「お前らなーー」


 冗談混じりの気安い会話に頬を緩ませながらも、真剣に応える。


 「……私が、匠さんがよかったんです……」

 「…………雪乃」

 「可愛いーー!!」 「匠には勿体無いなーー」


 微かに染まる頬に一條家は虜だ。あの冬時の孫とは思えない純真さに、揶揄うのは控えようと悟る。


 「本当、匠には勿体無いなーー」

 「あぁー、でもお似合いだろ?」

 「それはな。歳の差を感じさせない令嬢かと思えば、あの表情だろ?」

 「匠が溺愛する訳だな」


 車を断り、並んで歩く後ろ姿にも頬が緩む。仲の睦まじさが伝わり、彼らの方が照れた様子だ。兄弟であっても、穏やかに微笑む匠を見たのは久しぶりの事であった。


 「ーーーーこれから大変だな」

 「あぁー」


 遠距離がという意味ではない。あの藤宮家の娘を嫁にするからだ。

 婚約パーティーは成人している事もあり、大々的に行われると簡単に想像がつく。世界的にも名が通る藤宮の娘に向けられる視線は多種多様だ。それこそ私利私欲の為に企む輩も少なくない。だからこその婚約披露であるとも理解していた。一條家は良くも悪くも、昔から藤宮家と交流がある事もあり、容易く結論に至る程だ。


 「あの爺さん、曲者過ぎだからなーー」

 「尊、また怒られるぞ?」

 「分かってるって。それよりもさーー」


 眺めながら軽口を言い合う。視線の先には、手を繋いで歩く二人の姿があった。


 いつもなら手を繋いだだけで少し緊張気味の雪乃も、今日ばかりは和らいでいた。好意的に迎えられても緊張感が消える訳ではないのだろう。

 先ほどまでとは違い二人きりになり、ほっと息を吐く。


 「ーーーー雪乃、今日はありがとう」

 「いえ、こちらこそ……ありがとうございました。匠さんのご家族にお会いできて嬉しかったです」

 「あぁー……母さんが悪かったな」

 「いえ……嬉しかったですよ? 今度、お買い物に行く約束も出来ましたし……」

 「そうか……薔薇は気にしなくていい」

 「はい……」


 見事なイングリッシュガーデンは五月が薔薇の見頃だ。菫の誘いを受けられないかもしれないと気づき、表情が微かに曇っていた。些細な変化に彼らは気づいていなかったが、匠には伝わっていたのだ。


 四月には此処を離れる事になる。それは決定事項だ。必ず合格すると誰もが信じているし、彼女自身もその為に今まで勉学に励んできたのだから。


 「……匠さん…………」

 「ん?」

 「……ち、近くないですか?」

 「そう?」


 部屋に入るなり抱きしめられていた。ぎゅっと抱き寄せられ身動きが取れない。


 「……雪乃がいてくれて、よかった……」

 「えっ……」


 消え入りそうな声でも耳元で告げれば届く。驚いた彼女に向ける視線は甘い。一條兄弟が感じたように、匠の溺愛ぶりが手に取るように分かる程だ。


 「…………母さんよりも、俺とのデートを優先してね」

 「は、はい……」


 敬語に戻り、動揺を隠せない。【仮】でなくなってから、ストレートな物言いは増すばかりである。


 「……匠さん…………煩わしくは、ないですか?」

 「ん?」

 「…………婚約披露……」

 「いや、むしろ嬉しいけど?」


 即答する彼に、一瞬だけ安堵したような表情が見える。

 藤宮でなければ、やらなくてもいい事は多々ある。それこそ忙しい匠を煩わせたくないという気持ちの表れだろう。


 「……そう、ですか?」

 「あぁー、君はモテるからな」

 「? 匠さんみたいにモテませんよ?」

 「…………分かってないな……」


 耳元に寄せられた唇に頬が染まり、愛らしさが増す。分かっていないのは本人だけで、人を惹きつける引力が桁違いだ。少し歩けば視線を集め、誘いを受ける事も多いだろう。ただ幼馴染が側にいる為、牽制されていると言っても過言ではないのだ。 


 「……雪乃の事で、煩わしいと思った事は一度もないよ」


 真剣な眼差しに胸が高鳴り、言葉にならない。甘やかし上手な彼はポーカーフェイスが得意だ。知っていたからこそ、期待してはいけないと、自身に言い聞かせてきた部分もある。


 「…………雪乃……」


 耳元で囁く名前に心音が速まり、直視できない。

 昨夜の熱が振り返す。目の前にいる彼に迫られ、落ちない人はいない。そう感じた想いは確かにあっているのだろう。ただ彼が本気になったのは、彼女に関する事だけだ。


 「ーーーーっ……匠さん…………」


 意気込んで顔を上げれば、間近にある瞳に吸い込まれるように唇が重なる。


 「……………………すきだよ……」


 甘い囁きは確信犯としか言いようがない。雪乃が素直に頷かなくとも、彼にはお見通しだっただろう。好みの声であろう武器を最大限に活かしていたのだから。


 「…………まだ……何の力にも……」

 「いいんだ……俺が、雪乃がよかったんだ」


 即答する匠の瞳は、まっすぐに向けられ逸らせない。自身の悩みを呆気なく解かれ、昼間の返答を思い返す。自身がそう応えた時の彼は微かに頬が染まり、兄弟に揶揄われる程には表情に出ていた。


 「……匠さん……ぎゅってして、いいですか?」


 呆気に取られ、反応が遅れた匠が嬉しそうに腕を広げる。彼の温もりに慣れてしまえば、離れる事はできない。


 「いつでも、どうぞ」

 「…………うん……」


 小さく頷く姿がまた愛らしく、キスの雨が降り注ぐ。

 

 「んっ……匠さん……」

 「雪乃、もう少し付き合って?」

 「うん?」


 律儀に守る誠実さに微笑み、抱き合いながら眠りにつく二人の距離は、ぴったりと寄り添っていた。

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